心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年03月24日(木) 新会場

新しくできたAAミーティング会場へ行ってきました。
案内地図を書くためであります。

最近はCD-ROMの地図が発売されていたり、Mapfan.netなどのオンライン地図サービスもあるので、実際現地に行ったことのない地図を書くこともあるのですが、やっぱり現場主義でないと、現実から乖離した地図になりかねません。道の太さとか、一方通行とか、そういうのは行ってみないとわかりません。

明るいうちに行くつもりだったのに、昼寝をして起きたら午後5時でした。おまけに3月下旬だというのに雪まで降ってきてしまいました。こんなときは裏道を知っていて良かったなと思うものであります。

おかげでミーティングの45分前についたので、こっくぼーいで夕食を取ることにしました。ダイエットすると決意したばっかりなのに、ハンバーグ和風セットを頼んでしまいました。おまけに、ビタミンC不足になるといけないからと、イタリアンブラッドオレンジジュースも頼んでしまいました。収入もない身だというのに、僕はいったい何をやっているのでしょうか。

でも、コックボーイの入り口にこの町の案内図が置かれていたので、その後の調査にはとっても役に立ちました。だから体重の増加と、財布の中身の現象には意味があったということにしておきましょう。

会場はなんと仲間の住居でありました。おそらくアメリカでAAが始まった頃には、こうしたハウスパーティ形式(?)のミーティングが主流だったのでしょう。けれど、僕が仲間を自分の家に呼ぶことは、将来もまあたぶんないだろうと思います。

そういえば今日は次女の卒園式でありました。

本日の走行距離:110Km。有料道路往復1000円。


2005年03月23日(水) 痩せたい

水曜日は医師の診察と、ホームグループのミーティングの日であります。

医師「どのぐらい太ったんだっけ?」
僕「昨年の11月から2ヶ月で10キロ太りました」

まあ、これは科学的事実を述べているだけなので、それほど心には響きません。

さて、話しはかなり回りくどくなります。
以前、駅前留学で有名な英会話教室に通っていた時のこと、Instructor が、
"You have to remember ten or twenty instructors, but we have to remember thousands of students." と言って、生徒の顔を覚えていないエクスキューズをしていたことがありました。

で、僕も同じ場所でAAをやっていると、thousands of alcoholics に出会うことになるわけです。だから、僕が久しぶりに会った相手のことを忘れていたとしても、どうか僕のことを責めないでいただきたいのであります。

AAミーティングや病院内でのミーティングでは、出席証明にはんこをつくという作業があります。これはAAが義務としてやっているわけではなくて、ボランティアの一環であります。ま、意味はともかく、僕は要求されれば積極的にはんこをついてあげるタイプの人間であります。

以前は「柊」というはんこをわざわざ用意するという周到なことをしていたのですが、ニックネームを一時期本名にした時に、はんこも本名の名字のやつに変えました。その後ニックネームを元に戻しても、はんこはそのまま本名のを使い続けております。

今日のミーティングでも求められてはんこをついたのでしたが、そのはんこの名字をみて「あら、○○さんですか? 気がつきませんでした。変わっちゃって」と言われました。僕はその理由に思い当たったので、

「ええ、10キロほど太りましたからね」

と(おそらくは陰鬱な表情で)答えたのでありました。

これが相手が女性でなかったら、さして気にならなかったのかもしれません。おまけに、ミーティングの後で寄った実家で母に「俺、そんなに太ったかな」と愚かに尋ねて、その答えが「あごのあたりが特にな」でなければ、そんな出来事はスルーしてしまったのかもしれません。

とりあえず決めたこと。

・夜食のカップラーメンは、多少コストが高くても低カロリータイプにする。
・あんこやチョコのものは食べずに我慢する。
・毎晩寝る前に腕立て伏せをする。


2005年03月22日(火) 些事いろいろ

午前中にamazon.co.jpから小包が届いていました。掲示板のほうで紹介していただいた、あじましでおの『失踪日記』であります。
残念ながら今は読んでいる気力はありません。

80年代には、吾妻ひでおとか、フィリップ・K・ディックとかは僕の大のお気に入りでありました。ディックは日本語に訳されたものは(アマチュアが訳したものも含めて)9割以上は読んでいるはずです。生涯名声と富を求めながら、それを得ることなく死んだディック。薬物は使っていないと明言しながら、どうみても薬物中毒としか思えなかったディック。
それだけに、映画『ブレードランナー』の完成を待たずに死んでしまったのが、あまりに不憫に感じられました。それにその映画がハリウッド的商業主義的ハッピーエンドに変えられてしまっている切なさも味わったものでした。その後は『トータル・リコール』『マイノリティー・リポート』と有名作が続いたのでした。

しかしもはや僕はSF者ではないし、本棚に並んでいるのはティプトリー・ジュニアだけであります。

昼飯がカップラーメンだったことに腹を立てて、一万円札を握りしめて外出しました。春休みの長女もついてきました。

最初は、NTT。エリアプラスとスーパーケンタくんを解約して、イチリッツ1を契約しました。最近のNTT地域会社の割引サービスは、よく読まないとどれが得なのかさっぱりわかりません。

次は、ペッパーランチで食事。一番安いメニューを子供とシェアしました。そんでもって、10枚500円のDVD-Rを買いました。

一月に車のヘッドライトとスモールランプが切れまして、ヘッドライトはすぐに交換したのですが、スモールランプのほうはたまたまディーラーに在庫がなかったおかげで、メーカーから取り寄せになりました。「一月末までには交換に行きますよ」とディーラーに約束したっきり、そのままほったらかしで、本日やっとディーラーを訪れることができました。
メカニックの方に「やっときたかー」と言われてしまいました。
なぜか無料でありました。保証修理でもないでしょうに。

眼科へ行って、緑内障の処方箋をもらいました。先延ばしにしていた視野検査の予約も取らされました。

帰宅して、モルモットを家族全員で雨の中埋葬。

ネットオークションにいくつか出品しました。これも1月からペンディングになっていたことです。捨ててしまえば、すぐに部屋が広くなるのに、わずかな金銭のために部屋の狭さを我慢する生活も、少しは改善されそうです。

技術書はネットオークションで売っても大した金にならないので、はじめてamazon.co.jpの古書のコーナーに出品してみました。はたしてどうなることやら。

もう明日は水曜日。医者へ行く日であり、ホームグループのAAミーティングの日であります。なんて一週間の経つのが早いのでしょうか。


2005年03月21日(月) モルモットの死

実家の母がお彼岸には子供を連れて遊びに来い、是非にでも来いと言うし、子供たちは行くのを楽しみにしているしで、計画を中止にはしづらかったので、体調は良くなかったものの1泊二日で親子3人帰省をしてきました。

地元の大学(いわゆる駅弁大学というやつだ)一本槍で受験した甥が、まあ一浪は確定だろうと周囲全員が覚悟していたのに、後期日程で合格通知がもらえたという良いニュースがありました。

帰る日の夕方までいて、お風呂に入って夕食も食べてくるというのが、僕の子連れ帰省のパターンであります。だから、帰ってきた頃はもう子供はすぐに寝ていい時間でありました。

実家からノートパソコンとPHSで自宅へダイアルアップして、サーバーに接続しようとしたのですが、うまくいきませんでした。ルーターの設定がおかしいのだろうと、深夜になるまで、自宅から自宅へダイアルアップして実験をしておりました。

作業も一段落して、トイレに行った後、ふとモルモットのゲージを見ると、「ハムちゃん」が横に寝そべっています。まるで夏の暑くてうだっているときに、すのこの上に寝そべっているかのような姿勢であり、寒い季節にそんな姿勢をすることはありません。
そういえば、1月あたりから鼻水を垂らしていたりしたこともあり、ホッカイロで暖房をいれたり、新聞紙を入れてやったりしたものでした。そのおかげか最近は具合が良くなって、鼻水もなく、息がヒューヒュー言うこともなくなっていました。
「また具合でも悪くなったかな」と触ってみたら、すでに硬く冷たくなっていました。

あわてて妻を起こして、ここ一両日モルモットの具合はどうだったのか聞いてみると、「元気だったと思うけど」というような曖昧な返事でありました。調べてみると、水をやるウォーターボトルの出口が詰まって水が出ない状態でした。こうなることはたまにあって、「喉が渇いたよ」とケージをガジガジとかむので様子を見てあげるのですが・・騒ぐこともなかったと言うし・・・。
子供があげのでしょう、ニンジンが一口もかじられずに置かれたままであります。乾き死になのかどうかはわかりません。

ネコほど知能は高くないけれど、ハムスターよりはよほど知恵があって、なかなか楽しいヤツでした。

いまGoogleで調べてみたら、モルモットの寿命は3〜5年とか、4〜6年とか書いてありました。そうすると寿命だったのかなぁ。あんまり老年期にさしかかっていたようには思えませんでしたが・・・。

僕が大学に受かって上京する前日に、車に轢かれて死んだ飼い猫のことを思い出しました。今僕の心の中には、立花ハジメの「会うは別れのハジメなり」という曲が流れています。


2005年03月19日(土) 予備校(充電池)

何年前であったか、いわゆるホームセンターという店(アメリカではDIYショップとでも言うのでしょうか)で乾電池の充電キットを見つけました。
これは専用充電池を使うタイプではなく、普通に売っているアルカリ乾電池を再度充電するというタイプです。
当時僕の家では乾電池の消費量がかなり多かったのです。理由は子供のおもちゃであります。どうして子供のおもちゃは電池を使うものが多いのでありましょうか? そして、子供は電池の切れたおもちゃには関心を持ってくれないものでありました。
よほど専用乾電池とバッテリーチャージャーのセットになったものを買おうかと思ったものでしたが、数千円という値段に気圧されて、買いませんでした。

しかし、アルカリ乾電池が再充電できるというのは朗報でありました。その機械は値段も千数百円と安かったので、買って帰って使ってみました。マンガン乾電池はまったく充電できないのですが、アルカリ乾電池は数時間で充電終了します。コツは乾電池を完全に使い切らないうちに再充電することであります。同じ電池を10回も再充電すると、メモリー効果でもあるのか、容量が少なくなってきて使い物にならなくなります。何回充電したか電池にマーカーで線を引いて記録したりなんかして・・・。

欠点としては、充電した電池を使わないでおくと、液漏れを起こして粉を吹いてしまい、残量がなくなってしまうことです。かといって未充電の電池を放っておくと、完全に放電してしまって、再充電できなくなります。
つまり、このアルカリ乾電池のリサイクルは、電池をコンスタントに消費している状態でないと維持できないわけであります。

もう子供も電動のおもちゃで遊ぶ年齢ではなくなってきた(かつ、まだポータブルゲーム機を買い与えてはいない)ので、中古の電池のストックも充電器もゴミとして捨てられることになったのでありました。


2005年03月18日(金) 最近の出来事を網羅的に

僕の部屋に電話工事が来ることになって、あわてて掃除などをしました。
「僕の部屋」という名前の、パソコン部屋兼家族の物置には、親族以外は電話工事の人しか入ったことがありません。例外は、長野にオリンピックが来る時に英語でAA会場案内図を作るために打ち合わせに仲間が訪れたこと(ほんとに英語を話す人が来たんだよね、あのときは)と、その次の年のラウンドアップの打ち合わせをAAメンバーとした、この2件だけであります。
そのように他人が来ることを前提にしていない部屋なので、すごい散らかりようなのであります。

電話の工事は、実際にはインターネット接続の光ファイバーを100Mbps共有から1ギガ共有へと品目変更をするための配線替えであります。今までだって十分高速回線だったんだから、それ以上にする必要なんてないだろう・・・などと言うと「必要ないからやらないだぁ? をたくの風上にも置けない奴」となじられてしまうので、必要なくても高速化したのであります。まったくオタッキーの世界も大変であります。
これを申し込んだのは、まだうつで休職するなんて考えもしなかった12月でした。それっきり忘れていたのですが、2月になって正式の申し込み確認が来た時に、工事の人が部屋にやってくると思っただけでうんざりと思い、断ろうと思ったのですが、工事費がタダ同然とう勧誘に負けてしまいました。

そんなわけで、今週の木曜日が工事日でありました。前日の水曜日はとても頭が痛かったのですが、がまんしながら部屋の中にとっちらかった段ボール箱をつぶしたり、パソコンソフトの箱を捨てたり、本を売って間が開いた本棚に書類を詰め込んだりしてから、やっとAAミーティングに行ったのでした。

木曜日の工事なんて、実際には1時間ぐらいで済んでしまったし、僕はただ部屋の隅っこで待っていただけなので疲れる要素はないのですが、終わってみると、ここ2〜3日「自分としては久しぶりにがんばった」結果、どど〜っと疲れが出てしまって、精神的にうすらぼんやりした状態になってしまいました。

自分ではうつもだいぶ状態が良くなってきたつもりでいたのですが、医者に言わせれば「やっとすこし上り坂になってきたってところですかね」とたしなめられてしまう程度のものであります。考えてみれば、抗うつ薬を限界量ぐらいまで飲んで、やっとこの生活を維持しているわけですから・・・。

木曜の夜には、なんか頭の真ん中に鈍い固まりがあるような感じで落ち込んでいました。そんなんでも助かっていたのは、この6日間のうち(委員会やメッセージも含めて)5日はAAメンバーと顔を合わせていたからでしょう。偉大な力は仲間を通して僕に働きかけているのは疑いのないところであります。

今日は昼に起きて、何をしようか考えたのでしたが、「まず自分のやりたいことをしよう」と思い、雑記&NEWSのニュース検索のスクリプトの修正を一日かけてやっていました。プログラミングの軽いリハビリと自分に言い聞かせながら・・・。

朝日新聞のサイトがリニューアルしたので、検索する側も対応しないといけません。これは「他人のふんどし 検索にも対応しました。朝日・読売・毎日・日経・Yahooニュース以外のサイトも表示されるようになりました。どうしても同じ内容の記事があちこちの新聞で重複することになります。なるべく重複ははじくようにしていますが・・・。ビジー・ジョエルの入院記事でいっぱいになってしまいました。

「ウィーンは君を待っている」と教えてくれたのは、ビリー・ジョエルあんたじゃないか。長い人生何ヶ月かのんびりしたって大丈夫だよん。やりたいことをやらなくては、ウィーン(人生の終着駅)はすぐにやってきてしまうんだから。

まあ、やりたいことを見つけることが先決だったりするんだけどね。


2005年03月15日(火) 古本を売る

結婚した時に、僕は婿入りであったので、本を大量に持ち込むのはまずいと思い、たった数冊の本を携えてきただけでありました。それが今では本棚二つにスチールラックひとつ、あとカラーボックスふたつに増殖しています。
最近ではそれに入り切らなくなったので、床に平積みになっている本がだいぶありました。
木曜日には光ファイバーの工事がある予定なので、いくらなんでも散らかりすぎているのはまずいのであります。

しかたないので、B○○K ○FFに本を売るべく持って行きました。
紙袋みっつに本を詰め込んで持って行きましたが、買い取り値は1700円あまりでした。持って行った本の4割ぐらいには値が付かない状態であります。値段の安さにがっくりしないように、いつも自分に「ここに本を売りに来たのではない、捨てに来たのだ。金銭はその行動に対するお駄賃である」と言い聞かせることを忘れません。
売れなかった本は儀礼的に「持って帰りますか?」と聞かれるのですが、持って帰って他の古本屋に持ち込んだことはありません。その中には、クラウディア・ブラックのACの本や、『Itと呼ばれた子』などの読みかけの本もあったのですが、すっぱり諦めないと収拾がつきません。

査定の間に本棚を眺めていたら、『ちょこッとSister』を見つけたので、1・2巻を買って帰りました。
小さい頃にサンタさんに妹をお願いしたら、思春期になって「妹」がプレゼントとして届けられて・・・という荒唐無稽な設定であり、なおかつかわいい妹と二人暮らしという話でありながら、ストーリィがエロに走らず、という馬の背中に乗っているような微妙なバランスのマンガであります。

レンタルショップで『紅の豚』『海かきこえる』『少林サッカー』を借りて帰りました。これを選ぶのに1時間も立ちつくしてしまいました。多少は運動になったことでしょうか。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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