心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年03月04日(金) ドラマを見る

だいぶ状態も良くなってきて、部屋の片づけなどもぼちぼちと始めたりしているのですが、「すこし調子がよいからといって飛ばしすぎないように」という医者の忠告を守って、自制を効かせるようにしています。

本も活字の本は気力がまだ続かないので、マンガを読んでいる程度です。

それよりも、レンタルビデオ屋で借りてきてダビングして、そのまま見ていないビデオを消化しております。僕のビデオの見方は、本の読み方と似ていて、途中でストーリーの展開について行けなくなったり、気力が萎えたりすると、そこで読むのをやめて(見るのをやめて)、ページを閉じてしまう(ビデオを止めてしまう)のです。そして、しばらく別のことをやって、また続きを読む(見る)という感じです。

だから、ケーブルテレビなどで放送されている映画なんかは(途中で止められないので)あまり見る気がしませんし、家族と一緒に見るということも(他の皆が嫌がるので)あまりしません。

最近お気に入りで見ているのが、「ビューティフルライフ〜ふたりでいた日々〜」であります。木村拓哉はドラマではパイロットになったり、アイスホッケー選手になったりと忙しいのですが、この番組では表参道にある美容院の美容師を演じています。対するヒロインは常盤貴子で、病気で下半身不随の車いすという設定であります。

常盤貴子は他のドラマでは、気の強い生意気な(とは言い過ぎか)役を演じていることが多かったような気がしているのですが、この番組での役どころは「意地っ張りながらかわいい女」であって、そこが見ていて好ましい感じであります。この人はあごの形がいいですな。

木村拓哉のタバコの吸い方がまた「カッコつけ」で、くわえタバコで話すところとか「おまえそんな吸い方じゃとっても煙いだろう」とか思ってしまったり、タバコの手の持ち方一つにしてもやっぱり「カッコつけかた」ってあるんだなぁと思ってみております。
僕の場合には、タバコも完全なる依存で吸っていたので、人からどう見られるかなんて気にする以前の話でした。


2005年03月03日(木) 「溺れる人」を見る

Windows Encoder 9がクソタコで、何回エンコードをかけても途中で止まってしまうので、ちっとも終わりゃしません。

ま、それはともかく、「溺れる人」をやっとみました。

やっぱ午後10時45分て「魔の時間帯」ですよね。11時になると自動販売機が酒を売らなくなってしまいます。酒を買いに行くべきか、行かざるべきか、悩みに悩んで、けっきょく財布を片手に出かけてしまう・・・。
僕はやらなかったけど、水洗トイレのタンクの中に酒を隠しておくのは定番だと仲間が言っていました。
重症のアル中でも幻聴幻覚を見るのは4割ぐらいにすぎないのだそうです。逆にそれほど進行していないアル中の人でも、幻聴を聞くこともあるわけであります。

で、感想ですが・・・。
妻がアルコール依存症になっても、あんなに献身的にしてくれる旦那がどれだけいるのでありましょうか? 「おまえの問題なんだから、おまえが自分で解決しろよ」という態度で逃げちゃう人のほうがずっと多いんじゃないんでしょうか。
たとえば妻が内臓疾患とかで2〜3ヶ月内科に入院することになったとして、主婦を失った家庭の夕食のおかずが毎日毎日コンビニのものであっても、「やむを得ない」として了解してくれる家族は多々あるに違いありません。でも、「酒の飲み過ぎ」が原因で精神病院に入院するのを「致し方ないこと」と納得してくれる人々はなかなか少なかったりするのが現実ではないでしょうか。

まあドラマは退院するところで終わってしまうわけですが、それは依存症の治療という観点から見ればほんの「序章の終わり」にすぎないです。「男が女を愛するとき」もまだ見ていないのですが、チャプターリストから推測すると酒が止まったところで映画が終わってしまっているみたいであります。小説の「今夜すべてのバーで」も同じであります。どのドラマも真のシナリオが始まる前にストーリィは終わりを迎えてしまっているわけでありますね。
「酒とバラの日々」は、まあ「解決方法が見つかったよ」というところで終わっているところが救いがあると言えなくもありませんが。


2005年03月02日(水) 例のドラマ?

例のドラマですが、まだ見ていません。パソコンにテレビチューナーボードが挿してあるので、ファイルに録画はしておきましたが、まだ見ているだけの余裕がありません。

ホームグループのミーティングへ。
AAグループを始めるときは、会場の準備も、コーヒーバスケットの用意も、司会も、会計係もぜんぶ限られた(ひとりとか)メンバーの手でやることになります。運が良ければ、そのうちにメンバーが集まってきて、そのうちの幾人かは会場の準備や後かたづけを手伝ってくれるようになるものです。しかし、司会であるとか、会場を予約する係(住所や名前が必要なことが多い)、会計係という役割は、あまり積極的に引き受けてもらえることはありません。
そういった役割につくと、毎回ミーティングに確実に来ることが必要になるわけで、束縛されることを好まないアルコホーリクには歓迎されないのでしょう。

ミーティングに通って来てくれている人に、グループの運営を手伝ってもらうよう、どうやって頼んだらいいのでしょうか。ある人に相談してみたところ、「今私がやっている役割を、将来あなたが手伝ってくれると、私はとてもうれしい」という言い方が良いと言われました。

2月にうつで入院になるかもしれないと医者に言われたときに、僕がいなくなってもミーティングが続いていってくれるように、「誰かやってくれないか」と相談したところ、チェアマンの役割はある男性メンバーが、コーヒーバスケットと会計係は女性のメンバーが引き受けてくれました。今日は2月の会計報告が行われていました。僕がやっていたころにはなかったことで、ずいぶんきちんとしたグループらしくなったものです。

今後のことはどうなっていくか分かりませんけれど、奉仕(サービス)をする者には、かならずぞれに見合った報いも分かち与えられることは、今までの経験上よくわかっていることです。みんな仕事の都合があったり、健康状態に変化があったりして、輪番制がベストとわかっていても、なかなか現実には輪番を維持するのは難しいことであります。

ミーティングのあと実家に寄ったのですが、母が昨日のあのドラマの話をしていました。撮影された場所は、ちょうど僕の住んでいる地方都市であるらしく、母の知っている風景もたくさん出てきたのだそうであります。そして母は、原作を書いた人もこの土地の人ではないかと勘違いしてしまったらしく、「おまえの知っている人ではないのか」と問いつめられてしまいました。


2005年03月01日(火) はたしてドラマは?

今時、自分の運転する自動車に自賠責しかかけていない人もいないとは思うのですが、あちこちの日記を読んでいると、もらい事故をした相手が任意保険に入っていなくて・・・という話を目にしたりします。

僕は自動車の任意保険は農協に入っています(つまり保険じゃなくて共済です)。理由は損害保険会社に比べて安いからであります。こう書くと、「どこの保険会社と比べても安いのか?」という質問を食らうことになるのですが、まあゴールド免許割引やら、ペーパードライバー割引やらの特殊な例を除けば、一般の損保よりは2割ぐらい安いのではないかという気はします。
もともとは農家の福利のための保険であるので、保険本業の会社と比べると、事故時の交渉力が弱いなどと噂されていますが、本当にそうかはわかりません。損保と比べて明確なデメリットは、修理の際の工場が農協の指定工場に限られるということです。市内に5〜6カ所あるその工場以外で修理して請求書を持ち込んだ場合に、支払ってもらえるのかどうかは、まだ試したことがないので不明であります。

さて、その自動車共済の更新の危険が近づいていたのですが、うつで昼間は寝伏せっている時期だったので、家の者に頼んで契約更新に行ってきてもらいました。そして先頃届いた契約書を見てみると「家族限定割引」の文字が書かれていました。
どうせ窓口で、「お得になりますよ」とか言われて、家族限定割引をつけてしまったのに違いありません。「家族限定」の契約の場合には、家族以外のものが運転していたときの事故には保険金は支払われないということになります。
まあ確かに普通に考えれば、自動車を家族以外のものが運転する機会などほとんどないのかもしれません。

ただ僕の場合には、遠くのAAのイベントにメンバー同士乗り合わせていくという可能性があります。その際に、自分以外の誰かに運転を代わってもらうこともあり得ることでしょう。まあ、現実には僕は最近遠くのAAイベントにはあまり行かないし、車内を禁煙にしてしまったおかげで乗りたがるメンバーが少なくて、そんな事象は滅多に発生しそうにありません。が、事故というのはそういうときに起きるとマーフィーの法則が教えてくれます。

農協に電話してみたら、4000円ほど追加で支払えば家族限定割引を解除してくれるというので、市内の農協の本庁まででかけてきました。

話は変わって、高速道路のサービスエリアで買い物をしているときの安心といえば、「そこで酒を売っていないことが確実」であることです。以前、とある政治家がサービスエリアでも酒を売ればいいと発言してひんしゅくを食らったことがありました。彼曰く、ドライバーが飲むんじゃなくて同乗者が飲むってことだってあるだろう、という理屈でしたが、もしサービスエリアで酒を売れば、長距離トラックドライバーの飲酒運転問題なんかがもっと酷くなるだけでありましょう。彼らの間にも隠れ依存症は多いのでしょうね。

夜11時過ぎから、サーチエンジンで「アルコール依存症」で検索して、こちらにたどり着く人がぐっと増えました。例のテレビドラマの影響でしょうか。パソコン操作しながら見ていたので、あまり真剣には見てませんでしたが、何年か前の昼の連続ドラマよりは真に迫っていた感じでしたね。とりあえず録画しておいたので、あとでゆっくり見ます。
それより先に、『男が女を愛するとき』のほうを先に見たいのですが・・・。


2005年02月28日(月) 電子ピアノ

市内に以前ダイエーの店舗があった建物には、現在では市内最大の書店と、パチンコ屋、それに電器店が入っています。それでも空いているスペースではときおりフリーマーケットをやっています。

すごい昔の話なのですが、フリーマーケットをfree marketと書いて大恥をかいた覚えがあります。flea(蚤)の市というのが正しいのですな。なぜ蚤の市なのか知っている人がいたら教えてください。

そのフリーマーケットでカシオ製の電子ピアノを買ってきました。電子ピアノと言っても簡単なもので、がんばれば片手で持ち運べるぐらいのサイズのものであります。スタンド付きで1,200円という安さが購買の決め手であったようです。

その日以来、ピアノが設置された子供たちの部屋から、ぴろりんぱらりんと鍵盤を弾く音が聞こえてきます。それだけでなんとなく「女の子のいる家」という雰囲気が醸し出されるから不思議なものです。

※  ※  ※

久しぶりに月曜日のAAミーティングに顔を出しました。たぶん一ヶ月半ぶりです。いやひょっとしたら今年初めてかもしれません。

最近AAから「もらえるもの」が少なくなったような気がしていました。
でも、AAから「もらえるもの」「してもらえるもの」ばかりを求めていると、やっぱりダメなのですね。AAのために「自分が何ができるか」「なにが差し出せるか」も考えないと。もらうものと差し出すものはイーブンでないと、なかなかうまくいかないわけであります。

人間関係だって、詰まるところギブ・アンド・テイクであって、ギブが多くても、テイクが多すぎてもうまく続いてはくれないのですから。

帰りに吉野家で牛焼肉丼をテイクアウトしてきました。夜食に食べるのが楽しみであります。


2005年02月27日(日) カラオケ

テレビ番組で歌手が歌を歌う際に、バックバンドを従えずに、録音された伴奏を使って歌う場合があります。この伴奏が録音されたテープのことを、ボーカルが空のオーケストラのテープという意味で「空オケ」と呼んだのがカラオケの語源だそうであります。空オケのテープは、歌手がテレビ局へ行く際に持参する仕組みだったようです。まあ、1960年代、70年代の話ですね。

酒を飲みながら歌を歌うという風習は、古今東西に存在するわけですが、録音された伴奏でもって歌わせるという飲食店は日本では一般的ではなかったようです。例外とも言えるのが、太平洋戦争に従軍した経験のある人たち向けに軍歌を歌わせる飲み屋というのが戦後存在しました。
カラオケという商品も存在していたのですが、おもにお座敷宴会用だったようです。

現在のように、映像に歌詞がダブるような形式のカラオケは、VHD対レーザーディスクという企画争いの際に、パイオニアが新たな販売経路として「絵のでるカラオケ」というのを売り出したのが最初のようです。これを機に、カラオケパブやらカラオケボックスが全国にできていくことになります。

その後はカラオケ端末と中央コンピューターを高速通信回線で結ぶという手段で、歌謡曲の新曲がでてから、カラオケで歌えるようになるまでのタイムラグがなくなるという技術革新がありました。

長い前振りでありましたが、家族でカラオケに行って参りました(一家で行くのは初めてです)。
子供たちがストレスで爆発しそうだったので、どこかに連れて行こうとは思ったのですが、動物園に行くにはまだ陽気は寒く(そして時間は午後遅すぎ)、お風呂にはちょっと前に行ったばかりだし、アウトドアではなくてインドアで楽しめる施設というのが、カラオケしか思いつかなかったのです。

店はどこにしようか迷ったのですが、野村克也監督を応援しようということで(?)シダックスにいたしました。

次女はカラオケルーム初体験であったので、その狭さと大音響にビビってしまい、開始5分後には「帰りたい」を連発して困らせてくれました。しかたないので、忍たま乱太郎・おじゃる丸・とっとこハム太郎・童謡・ジブリのアニメなどでご機嫌を取ったら、最後にはマイクを離さないぐらいのご機嫌となってくれました。まあ、おかげで自分の歌いたい歌はあまり歌えませんでしたが・・・。

ドリンク+ピザを食べて2時間で4千円弱というのは、高いんだか安いんだかわかりません。


2005年02月22日(火) 貯蔵庫

ある時、僕が実家に顔を出しているときに、兄がこう言いました。

「我が家の冷蔵庫は、食物が腐るまで保存しておくための貯蔵庫である」

我が家の冷蔵庫も似たような状態であります。
冷蔵庫という物は調理前の食材を保存しておく恒温槽であります。時には、調理後かつ食事前の食事を保存しておくために使われることもあります。そして、食事後の残りを次の食事まで保存しておく貯蔵庫でもあります。

しかし、その「残り物」は次の食事には登場せずに、冷蔵庫の奥の方へと押し込まれてしまうことがあります。それは「残り物ばかりではなんだから」と新しいおかずを調理するからであり、我が家の場合には隣に住んでいる義父義母が「食事が偏るといけないから」と作りすぎたおかずを分けてくれる結果、我が家でもおかずが余ってしまうことが原因であったりします。

そして、冷蔵庫のさらに奥の方には、さらに年代をさかのぼるおかずが貯蔵されていることも珍しくありません。これを「おかずの地層化」と呼びます。時には、地層の奥深くより「価値あるおかず」が発掘されて食卓を彩る可能性もなくはないのですが、たいていは「さわらぬ神に祟りなし」という金言が適用される状態であります。

きちんとおかずが地層化している場合には、一番手前、もしくは上のおかずが最新であることが保証されているわけですが、冷蔵庫の使用者がずぼらである場合には、どれが最新であるかの情報は、冷蔵庫の主たる使用者である主婦しか把握しておらず、他の者が触れるのは、とってもデインジャラウスになってしまう場合があります。

さて、一家の主婦が風邪(あるいはウツ)で寝込んでいる状態の時には、夫たる者そのピンチヒッターを務めなくてはなりません。この際に、主婦の

「冷蔵庫の中の物を暖めればいいだけだから」

という甘言に騙されてはいけません。冷蔵庫の中で一番手前で発見した「お、こいつはうまそうだな」という容器を電子レンジで温めると、数分後にはキッチンがさながら「生ゴミ入れのペールの中」の様な異臭に包まれ、一気に食欲を失った上に、何もかもやる気を失ってしまう危険性すらあります。
冷蔵庫の中を覗き込みながら、ここ数日、何をどのような順番で食ったかを正確に思い起こせるようでなければ、一人前のピンチヒッターとは呼べません。

しかしながら、結局はカビが生えるまで保存され、生ゴミペールの中に捨てられ、容器を「おぞぞ」という思いをしながら洗わねばならぬとわかっていながら、なぜに残り物を冷蔵庫に腐るまで保存し続けるのでありましょうか? 冷蔵庫というのは、中に物が入っていればいるほど、冷却効率が下がり、電気代は上がり、地球はあったまるという箱であります。

なぜ、このような行為が我が家においても、また実兄の家においても繰り広げられているのでありましょうか? やはり、「もったいないお化け」の呪いなのでありましょうか。

買う予定のないダイエット食品のチラシであるとか、もちろん買う予定のない車のカタログであるとか、用がないのに取ってある物が、身の回りにいろいろところがっています。そういったものでも何日間か時間が経過すると、「捨ててもいいかな」という気持ちになるから不思議であります。

きっと、物は捨てられる前に、ある場所に一定時間とどまらなければならないようにできているのでありましょう。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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