心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年02月11日(金) 安穏

猫にはトイレの場所をしつけることができます。が、ネズミはどうもそうできないようです。
ハムスターはなぜかえさ箱の中にフンをします。モルモットはケージのなかで好きな場所にフンも小便もします。当然したのすのこが汚れます。すのこの下に敷いた新聞紙は、飼い主であるところの妻が2〜3日に一回は取り替えています。しかしすのこは、ここしばらく取り外して洗うことをしませんでした。
するとすのこの汚れがモルモットの腹部に移り、モルモットをケージから出して散歩させようとすると部屋が汚れてしまうことになりました。
そこで、すのこを洗い、モルモットは入浴されることになりました。もっとも、その詳細は僕が昼間寝ている間に、妻と娘たちによって行われたので、よくわかりません。
モルモットは色は白くなったけれど、なんとなくボサボサであります。

吉野家が一日限りの牛丼復活をするというので、一家で食べに行きました。が、夕刻だったので、すでに売り切れでした。しかたなく、ラーメン屋に行くことにしたのですが、鰹だしのラーメンは皆に不評でありました。

入院するかどうかは、まだ決めていません。


2005年02月09日(水) 低調

精神科医へ。

「デプロメールを一日300mgに増やしてみようか? でもまだ200mgにして5日しかたってないから、次回にしましょう」
「300mgにして一ヶ月たっても改善していなかったら、入院治療しましょう。今すぐでもいいけど」

この医院にかかってもう10年が経とうとしています。三環系の薬はおおかた試したはずですし、SSRI/SNRIも一巡してしまいました。デプロメールから始めて、それがいまいちぱっとしなかったのでトレドミンに変え、トレドミンで焦燥感が強く出たのでパキシルに変え、パキシルで下半身に影響が出たのと、今回の休職騒ぎでまたデプロメールに戻し、それも次回には限界まで増量することになります。

「入院してじっくりウツの治療をしてみませんか?」と医者はききました。
「それは薬物療法以外のことをするということですね」
「ええ、電気けいれん療法を試してみる価値はあるとおもいますよ」

大学病院の精神科で電気けいれん療法(ECT)を試してみるというのは、それなりに魅力的ではあります。

いつ入院してもいいように、AAミーティングのバスケットは仲間に預けました。あとは決断するだけか・・・。


2005年02月07日(月) 読んだ本と見たアニメ

・阿佐田哲也『東一局五十二本場』。

6才年上の兄が高校生だったときに、兄の本棚から借りて読んで以来なので、実に30年ぶりぐらいの読書でした。やっと本を読む気力はできたものの、中の牌譜を眺めて手の内を想像したりするところまで頭が回りません。
そういえば、阿佐田哲也を読んだのは麻雀を覚える前で、麻雀を覚えた後は阿佐田哲也を読んだことはないのでありました。この間にすでに亡き人になっているとは。
「朝だ、また徹夜だ」というのがペンネームの元になったという話は本当でしょうか?

・『ちょびっツ

以前見たものをもう一度見る。アニメはアニメでそれなりに楽しい。

・『魔女の宅急便』

ジブリのアニメがテレビで放映されるのは見たのですが、テレビ版は結構カットされているのですね。原作が福音館書店出版だとは知りませんでした。

・『新世紀エヴァンゲリオン

最初から見直しているのですが、今回こそは最後まで見ようと思っています。

・『serial experiments lain

妙に間延びしたストーリィ。思わず「日本でスリラー仕立てのものを作るとまたこれだよ」と言いたくなってしまいます。

・『PERFECT BLUE』

古いけど佳作。佳作だけど古い。


2005年02月06日(日) PHS

NTTとDDIがPHSのサービスを開始したのが1995年の7月でした。

翌96年の4月には、僕の住んでいる街でもPHSのサービスが始まっています。もっとも僕はそのころ病院の中でしたが。

当時は携帯電話がアナログからディジタルに切り替わる頃で、具体的にどれくらいの金額だったかは覚えていないのですが、携帯電話の料金は趣味で持つには高すぎるものでした。
たとえば当時NTTの携帯電話には「ドニーチョ」という料金プランがありました。これは土日と夜をもじった名前で、その名の通り土日は全日使えるものの、平日は夜だけ(夕7時から翌朝8時まで)しか使えないプランであります。平日昼間は電話をかけることも受けることもできないという不便なものでしたが、基本料金が手頃だったために、これで契約している友人も多かったのです。
それだけ全日使える料金プランが高価だったということでしょう。

そこへ登場したPHSは、基本料金が2700円、通話が1分10円と手頃な値段でした。当時の我が家の家計にとっては基本料金もバカにならない金額でしたが、「仕事にも使うから」とか「会社でケータイとか持ってないの俺だけ」という論法で家人を説得して、手に入れました。

当時は周囲にPHSを使う人も多かったのですが、携帯電話の料金の値下げが繰り返されるのにつれて、次第に携帯に切り替える人も増えていきました。そんななかでも僕はかたくなにPHSを使い続けました。4台買い換えて、そのたびに電話番号も変わり、そのたびに「女性関係のトラブルでは?」と周囲に揶揄されるはめになりました。

しかし、自動車運転中の通話でハンドオーバーに失敗して切れてしまうとか、メールの料金が携帯電話にくらべて何倍かであったとか、細かな不満がたまって、結局僕も携帯電話に乗り換えてしましました(2000年頃かな)。

しかし今でもノートパソコンの通信用には、カード型のPHSを契約してあって、出先でインターネットにつなぐ場合には重宝しています(携帯電話でつなぐとパケット代で大変なことになってしまうのです)。

まあ、結局PHSマニアなんですけど。


2005年02月04日(金) 入院?

一週間ぶりに精神科医の診察を受けにいきました。

うら寂しい、悲しい感覚がいつまでも続いて取れません。それどころか、日に日に抑うつ感が強まっているような気さえします。

医者から「入院してみたらどうか」と勧められました。

まあちょっと考えさせてくださいと先延ばしにしておきましたが、「来週までに考えてきてください」と迫られてしまいました。自分でも、そこまで状態が悪いのかとちょっとびっくりです。

「あなたは依存症だから、精神安定剤のたぐいは処方できないんだね。かわいそうだけど、仕方ない」

とは言われたものの、哀れに思ったのかメイラックスを一日1mgだけ処方してくれました。本当は夜寝る前に飲むのですが、つらかったので帰宅後すぐに飲んで、横になっていま起きたところです。

(ああ楽になった)

というのが感想であります。ただ気をつけないと(もっとたくさん飲んで、もっと楽になりたい)という誘惑がおそってこないとも限りません。

amazon.co.jpから箱が届いているので、あけてみようかな、と思うぐらいの感覚であります。


2005年02月02日(水) 無為の日々

なにもしないでぶらぶら過ごして、もう2週間以上が過ぎました。

うつの良くなっていく経過というのは、あるパターンがあって、自分の場合には、それによく当てはまります。まず、とても焦っている感覚が取れていき、次に悲しく辛い感覚が取れていき、最後に「やる気」が沸いてきます。この最後の「意欲が出てくる」段階になると、仕事には取り組めなくても、趣味のことは楽しめるという、ちょっと「わがままかな」というステージを経ることになります。
もちろん、いろんなパターンの人がいるのであって、皆が皆こうだというわけではないでしょう。

毎日をぶらぶらと過ごして、焦りの感覚は取れてきたのですが、抑うつ感はなかなか取れません。集中力が持続しないので、本を読むことがなかなかできません。30分のアニメ番組も、なかなか続けてみることができません。まして映画やらテレビのドラマやらを見る気にもなれません。

今は薬の効いてくるのを、ただじっと待つのが得策であるとわかってはいるのですが、耐える時間は長く感じるものであります。

ぶらぶらしていずに、どうにかして有効に休むことはできないのかと考えてみるのですが、医者に言わせると「有効に休もう」などと考えている段階で、すでに休むことに失敗しているのだとか。


2005年01月31日(月) 先延ばし

いよいよ明日は眼科医に行かなければ、いろいろとマズいことになってしまいます。
薬が切れて眼圧が高くなったりすると、「薬を増やす」などという面倒なことになりかねません。そうならなくても、「薬が切れる前にきてくださいと言ったでしょう」とおしかりを受けてしまうことになるからであります。

こうやってウツにかまけて物事を先延ばしにしていると、酒を飲んでいた頃のことを思い出します。

学生だった当時、授業には全然でていなくて、もう卒業の見通しはなくなっていました。それでも学生という身分を授業料という金銭で購って、サークルの友達と遊んでいました。
午後4時10分になると授業が終わり、皆が学生会館(という名前のサークル活動の拠点)に集まってきます。それからメンツを揃えて雀荘に行ったり、夕方から居酒屋へ繰り出したりするのが日課でありました。だから、授業にはでなくて遊んでいるだけの自分にとっても、午後4時10分という時刻は重要な意味を持つものでした。

しかし、酒飲みがひどくなってくると、午後4時10分が迫ってきてもなかなか布団から抜け出すことができず、アパートの中で過ごすことが多くなってきました。孤独なのは嫌なのですが、遊びに行く心のエネルギーがない状態とでも言いましょうか。
こんなことではまた孤独な一日を過ごす羽目になると思いながらも、体を動かすのを先延ばしにして、銭湯が閉まる午後10時、酒の自動販売機が閉まる午後11時すら、のがしてしまうのでありました。

そうした無気力な日々から脱出しようと決意するのは、決して「今日から」ではなく、かならず決まって「明日から」であり、その明日が来ることはないままに、酒におぼれる日々が続くのでありました。

あれから20年が過ぎましたが、先延ばしにする自分の性格はちっとも変わっていません。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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