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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年01月19日(水) たった一つの冴えないやり方 保育園に通っている下の娘を迎えに行く役目を仰せつかりました。稼いでいない旦那は立場が弱い雑用係です。
もちろん理由はそれだけじゃなくて、自分が家の中にこもり気味なので、外へ出て新鮮な空気を吸ってこようと思ったのです。ビル・Wもうつ病の治療に「散歩」を勧めています。
上の子供と一緒に保育園まで歩いていきました。下の子はパパを見つけると大喜びでした。帰りにコンビニに寄っておやつを仕入れました。店の外に出てみると、車5台が衝突事故を起こした直後でした。救急車が到着した生々しい状態だったのですが、ディジカメで撮影するのはやめておきました。事故で興奮した当事者たちに、「あに撮ってやがんだよぅお〜」とか言われたら嫌だからです。
AAミーティングに行くまで昼寝することにしました。なんだかすごく気持ちよくて、ミーティングを休んでしまいたいぐらいの気持ちよさでした。
今日もミーティング会場は使う前から公民館の人が暖めておいてくれました。今回は純粋に僕らのミーティングのために部屋を暖めておいてくれたわけで、ありがたいことです。メダルミーティングで、3ヶ月が一人、1ヶ月が二人、ワンデイが一人。
帰宅後、前回の地区委員会議事録の印刷をやりました。各代議員に届けるべく、封筒の宛名印刷を始めてから難航しました。封筒についている糊テープが、プリンターのあっちこっちにひっかかって、夜中に大騒ぎしてしまいました。
2005年01月18日(火) 穴掘りプロジェクト 僕はコンピュータープログラムを組むことを生業としています。
何もないところから、プログラムが生まれ、成長し、(完成することはないけど)ある一点に向かって収束していきます。その過程を歩んでいくのが楽しいです。
プログラムを客先に納入するときは、なんだか子供を旅に出すような気分です(旅に出したことはないですが)。そのプログラムが役に立つとうれしいです。それで客に感謝されれば二重にうれしいですが、それは本質的なことではありません。ともかく、できあがった存在として役目を果たすということが大事なのです。
ところが仕事が仕事である限り、本来の役目以外の役割を担わされたプログラムが計画されることがあります。たとえば「顧客に誠意を見せるため」に作られるプログラムや、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」式のプロジェクトであるとか・・・。
本来の役割を果たさないプログラムの存在は、なんだか悲しいです。それに延々とつきあわされる仕事は、とても空しいです。
「庭に穴を掘る」という例えをします。スコップで庭に穴を掘っていきます。穴が掘れたら、今度は埋めます。埋まったら、また掘ります。そしてまた埋める・・・延々これの繰り返し。もしこの作業を「仕事として給料を上げるからやってごらん」と言ったら、「はいはいやります」と手を上げる人もいるのかもしれません。
こういうことに強い人もいれば、弱い人もいるでしょう。でも、鞭を持って強制労働でもさせない限り、いつか人は無意味な作業に嫌になってやめてしまうものだろうと思います。人間とはたぶんそう言うものです。
僕は穴を掘るのがなんだか嫌になってしまったのです。周りの人が黙々と穴を掘っているのを見て、これでいかん、もっと真面目に掘らなくてはと思うのですが、そう強く思えば思うほど、砂をかむような気分になっていくわけです。
「根気が足りない」「気分屋」「職人気取り」 まあ、なんと言われようとも、そういうところは変えようないのだと思うのです。
2005年01月17日(月) 休職願い 別に仕事がきつくて嫌になったわけではありません。でも、なんだかみんなが真面目に勤めているのに、スチャラカな自分が浮いているようで嫌になりました。
「こんなことではいけない、俺も真面目にやらなくちゃ」
真面目にやって、普通のさらりーまんになるんだと心に誓いました。堅い勤め人になって安定した生活を築き上げよう、そう自分に言い聞かせました。そのためだったら、小さな細かな嫌なことは我慢できる・・・はず。
でも、体は正直でした。過食が始まったのがいつごろかは思い出せません。でも体重が急激に増加し始めたのは11月からでした。満腹感で満たされているあいだは、現実から切り離されていて楽になれました。でも逆に、そうでないときの苛立ちも強まりました。
やがて、内臓に脂肪が付いて、ただ座っているだけでも苦しくなりました。正月に実家に帰ったら、母親に「おまえ太りすぎて気持ち悪い」と言われました。これじゃいけない、痩せなくてはと思ったけれど、体重は思うようになりません。ついつい食べ物に手が出てしまいます。よっぽど喉に指つっこんで吐こうかと思いましたが、とりあえずそれはやめておきました。
「過食防止サプリメント」なるものをネット購入しようか真剣に悩みました。ウェストが苦しいのでズボンを買いに行き、計ってみたら76cmから85cmに増えていました。
4月になれば遠距離通勤から解放されるし、前の会社から一緒で慣れ親しんだ同僚と勤められる・・・そうなればきっと楽になれる、それまで辛くても我慢しようと思いました。が・・、4月が22世紀と同じぐらい遠くに感じられて仕方ありません。
食べ過ぎた翌朝の胃のむかつきは、なんだか二日酔いを思い起こさせます。朝の鬱症状がどんどん悪くなっていきました。
「世の中のおとーさんたちはもっと辛いことに耐えている」「仕事やめたらどうやって生活していくのか」 そう思っても自分の心が奮い立たなくなってしまいました。まわりからどう見られたって気にしないと言いながら、もうそれに見合ったエネルギーが枯渇してしまいました。
かかりつけの精神科医に行ったら、先週の血液検査の結果が出ていました。中性脂肪とコレステロールがすごい数字になっていました。
「明らかに過食の影響でしょうね、いままでこんなことなかったでしょう?」
そう言われて、物質的なものでストレスを解消し続けている自分が恐ろしくなりました。このまま続けていけば、いつか酒にいきついてしまうかもしれません。
医者と相談した結果、診断書を出して仕事を休むことにしました。仕事を失うことになってもいいから、ともかく休みたかったのです。
出張中の上司と携帯電話で話しました。「そういうことなら明日から休んでください、仕事はこちらでなんとかします」と言われて、なんだか悔しい思いがしました。でもまあいいや。
自分の不器用な生き方が悔しいなぁ。ともかく休暇です。
2005年01月15日(土) 悪徳商法 妻がまた悪徳商法に騙されそうになりました。
旅行業務取扱主任者という試験の回答を採点すると、用紙一枚に付き1,000円もらえるというのです。「札幌まで用紙を一枚ファックスするのに、いくらかかるのか」ときいてきたのが、発覚の発端でした。
旅行業務取扱主任者といったら国家資格です。そんな試験の回答採点が在宅ワークに出されてくるわけがありません。「試験そのものじゃなくて、受験用の教材の採点か何かなのか?」ときいても、試験本体だといいます。おまけに、採点をするためには、まずその資格を取得しないといけないのだそうです。
そして、その資格試験のために同じ会社が販売している47万円の教材を買う必要があるんだそうです(ほらきた)。でも国家試験なので合格すれば国から30万円の補助金が出る(そんな国家資格あるわけがない)。おまけに、足りない分はその会社が1枚1,000円で仕事を斡旋するからすぐに取り返せる(と言っておいて、実際に仕事を斡旋する会社はない)。でも、とりあえず47万円は支払ってもらう必要があるので「ローンを組んでほしい」(いつだってローン会社は無関係な第3者なんだな)、という話のようです。
「また騙されているんだよ」という僕の話は信用してくれないので、インターネットで検索した悪徳商法の掲示板をみせたらやっと「騙されている」と気がついてくれたようです。僕みたいに猜疑心が強くて自信過剰の人間も困ったものだけれど、騙されやすいのも困ったものです。
窓の外ではしんしんと雪が降っています。雪が降ると放射冷却が起きなくて、気温が下がってもせいぜい氷点下2〜3度ぐらいで、比較的暖かいです。でも、後で晴れると寒いんです。
明日はまた朝から雪かきであります。
2005年01月14日(金) 暗い闇の果てに蒼い月の光が照らすのか? 仕事を休んで一日中寝ていました。ちなみに先週も一日休んでしまいました。
3月末までに3日間支給された有給休暇を、もう2日も使ってしまったというわけです。さらりーまん的に考えると、これはそうとうまずい状態であります。
「白でも黒でもない、灰色の存在を認めることです」
とは、うつ病から回復した人の話であります。
話は変わるのですが、もし運命のボタンが掛け違っていて、僕が酒をやめていられなかったら、今頃どうなっていただろうと考えてしまうことがあります。
おふくろと二人暮らしで、無職で、飲んだくれで、前途を悲観した母親に包丁で刺し殺されていたかもしれないなぁと思ったりします。
どうしてアル中になる人がいて、ならない人がいるのか。酒が止まる人がいて、止まらない人がいる。なぜなのか、僕にはわかりません。
見知らぬ人の書いたWeb日記を読みかえしています。1998年というから今から7年前ですか。当時は読んでいて「サイゼリア」という店の存在が理解できませんでしたが、今は僕の住んでいる町にもサイゼリアが3軒もあります。
あの当時は自分が日々をWeb上に公開するようになるなんて、夢にも思いませんでした。未来にはほんとうに何が待っているかわかりません。今後も、僕は僕のスタイルで書いていくしかないのでしょう。
2005年01月12日(水) あたたかさ 仕事に行きたくないし、行っても仕事をしたくないし、かといってどこか他へ行きたい場所があるわけでもなし・・・という気分になるのは別にうつ病患者に限らないことなのでしょう。しかし、どうしてこう周期的にしんどい思いをしなくてはいけないのか。
おまけに、こう寒いというのに会社の暖房はエアコンだけで、足下が寒くてたまりません。あったかい布団が恋しくてたまりません。
こうなると、いつものAAミーティングですら面倒でたまらなくなります。でも、いきなり会場が開いていなかったら仲間も困るでしょう。自分のためという意識があまりないまま、会場にたどり着きました。
いつもは冷たい部屋にヒーターがついていました。今日はこの部屋を役場の用事に使うはずで、公民館の職員の人が部屋を暖めておいたのに、用事はキャンセルになってしまったのだそうです。別に僕らのために部屋を暖めておいてくれたわけじゃないのですが、なんだかうれしい気分でした。
仲間がだんだん集まってきて、なかには「ひゃ〜、部屋をこんなに暖かくしとくなんて、ぜいたくだね〜」とおどけてみせる人もいました。
体も温まったけれど、ミーティングで心もあったまりました。
きっとこの暖かさは、神様の贈り物だね。
最低気温の予想は零下10度だそうです。明日は足下暖房用にハロゲンヒーターを職場に持って行こう。
2005年01月10日(月) 東京での集いへ 昨日は頭痛のためとはいえ午後5時まで寝ていたのは、我ながら異常だと思いました。そして夜半にまた寝て、朝早く起きたとはいえ、また高速バスの中で熟睡できるなんて、つくづく自分の睡眠中枢は壊れてしまっているなと実感します。
さて、会場に着いてみると、地下室だというのに停電していて真っ暗で、おまけに暖房もなくて、ついでにトイレも使えないという状況でした。そんな中にざわざわと100人以上集まって、当然マイクも使えないので、スピーカーの人の声を全員息を押し殺して聞いている、それでいて誰も表だって文句一つ言わないというのは・・・
「なんか秘密結社の集会みたい」
でした。でもみんなすごく真面目なのはわかりました。
幸い午前中で電気がついて、トイレも使えるようになりましたが、暖房だけは夕方までありませんでした(けど、人の温かさで不思議と寒くは感じませんでしたけど)。
お昼休みに、長野県出身の仲間に会いました。一緒にご飯を食べて、SPAMをもらいました。いや正確にはSPAMの乗ったおにぎりか。帰りの電車の中で食べてみましたが、しょっぱくてスパイシーでおいしかったです(でもこれを毎日食べる兵士さんは大変かな)。
一つだけ確かに言えることは、僕はAAの仲間が大好きなんだってことです(いやだから、そういう意味じゃないって)。
さすがに帰りのバスの中では(1時間しか)眠れなかったので、『Good Luck』を読んでみました。自分は、最初に魔法使いの話を聞いて、そのまま広場を去ってしまうたくさんの騎士のひとりかなぁ。
若い仲間に「ビルはAAが唯一の解決策でも最善でもないと書いている」と言ってしまいましたが、こいつは僕がまたやってしまったミスで、正確にはガイドラインの中にある「そういうことを言ってはいかん」という戒めの言葉で、ビルの文章とは時代が違いました。こういうのは次いつ会えるかわかんないからなぁ。
東京は長野より暖かかったです。
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