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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年12月13日(月) 晴れ待ち 夜7時半に会社を出て駐車場から見上げた空は晴れていたので、「これは見れるかな」と思っていたのですが・・・。
峠を越えて帰ってきたら、一面の曇天でした。
こんな時間(午前1時)まで晴れ待ちしてみましたが、諦めます。
2004年12月12日(日) 病院メッセージ 自分の入院したことのある病院へメッセージ活動。
患者さんの発言で、「世の中日曜日は休みなんだ。病院のプログラムだって日曜日は休みにしてくれ」というのがありました。自分の意思で病室から出てきているわけじゃなくて、治療プログラムの一環だから仕方なくという人なんでしょうけど・・・。
昔、別の病院に入院していたころ、入院当初毎日点滴を受けるのが嫌になって、看護婦さんに「点滴は日曜日はやすみにならんのか?」と嫌味を言ったら、「病気も日曜日は休みになるといいねぇ」と皮肉を言われてしまいました。
日曜日だけでも「まともに」飲めたら、どんなにいいかと思った記憶があります。
ここのところ一月あまりで5Kgほど太ってしまい、ついにお腹が入らないズボンができてしまいました。「もう夜食は食べない」宣言をとりあえずしてみます。
(「永遠に飲まないと誓う」ことがどんなに無意味であったか知っている人間)。
2004年12月11日(土) 信じるものは救われる 午前中は精神科医へ。午後は眼科医へ。夜はAAの地区委員会へ。
AAメンバーの訃報が届きました。
もう高齢ではあったものの、長生きのこの時代にあって高齢というわけではありませんでした。何が原因で亡くなったのかは知らされませんでしたが、酒を飲まずになくなったことだけは確かです。
あるとき彼にあらたまって「世話になったね」と言われたことがありました。特に何かをしてあげたという記憶はありません。ただ、彼のソブラエティの早い時期に、彼のホームグループのミーティングを何回か訪ねたことだけを憶えています。
知っている人がいきなりいなくなってしまう淋しさがあります。でも、「飲まずに死ぬ」ということは、私たちにとってこの上ない幸せであることも確かな事実なのです。
帰宅すると、上の娘の誕生日でした。今日はトイザラスに一輪車(乗るやつ)を買いに行ったそうなのですが、クリスマスのプレゼントを買い求める人たちで、駐車場があふれていて大変だったのだよと、教えてくれました。
僕のソブラエティの一年目に生まれた娘が、もう8才です。あと8年たてば16才で、もう8年たてば24才です(当たり前)。その時になって振り返れば、またそれもあっという間なのでしょう。
「飲まずにいれば、何とかなるんだよ」
と先行く仲間は言いました。飲まずにいれば、なんとかなるのでしょう。
2004年12月10日(金) 忘年会 会社の忘年会があることをすっかり忘れていました。
座敷での宴会で僕が苦手なことは、なかなかお腹がいっぱいにならないことです。酒をやめたからといって酒のつまみまで嫌いになったわけではないし、確かに刺身などはおいしいものです。でも、お腹がいっぱいになって満足感が得られるのは、鍋物があらたかた空になるまで食い尽くした後になることが多いです。
回りは酒で盛り上がっているのに、中途半端な腹をかかえて席にいるのも辛いものです。そこで、AAの先行く仲間のサジェッションにあるように「宴会に行く前にちょっと何かを食べていく」ことにして、コンビニで買ったホイップクリームとイチゴジャムの甘ったるいパンを食べていきました。
が・・・、宴会場は寿司屋に設定されていて、普段より食べ物の多い宴会となりました。酒の誘惑を感じなくてすんだのはありがたいのですが、お腹がいっぱいになってしまいました。満腹なのに、最後に寿司まで出てきて、しかもそれを食べてしまって、お腹が苦しくなってしまいました。
「あなたはこの会社に来て、楽をしているのじゃないの? もっと自分から進んで発言して、指示待ち人間じゃなくて仕事も進んでしてくれないと困るよ」
と酔っ払ったお偉いさんに言われてしまいました(もっと言葉は汚かったかな)。
楽をしているというのは真実です。消極的なのは、新入りなので様子見をしているだけなのですが・・・。僕はワーカホリック的な部分を多分に持っているので、進んで仕事をしていくとすぐに仕事に中毒してしまうのです。アクセルを床まで踏んでしまうタイプです。
でも根がサボり屋さんなので、楽をしているとだらけるのも事実です。アクセルの踏み加減が難しいんだな。
相手の言う事に一理あっても、やっぱり酔っ払いに好き放題言われるのは面白くないものです。憂さ晴らしに同僚と深夜にカラオケに行ってしまいました。そして帰ってきたら朝4時でした。歌も歌いつくしてしまって、最後は「年下の男の子」(キャンディーズ)なんかを歌っていた次第です。
まあ、ストレス解消に、朝までカラオケなんて馬鹿なことができるなんて、確かに10年前の自分とはずいぶん変わっているのであります。
2004年12月09日(木) 携帯電話 現在使っている携帯電話の端末は2年前に買い換えたものです。
といっても、積極的に買い換えたわけじゃなく、端末をなくしてしまったので、仕方なく新しいものを買ったのでした。紛失しても機種変更扱いにはなったので、電話番号は変わりませんでしたが、電話帳やメールの内容のコピーはできませんでした。
電話帳編集のために、ケーブルつきのパソコンソフトを買ったりして、かなり出費を強いられた記憶が残っています。
あれから24ヶ月。バッテリーも消耗してきて、メモリー効果で放電が速くなり、二日に一回は充電しないといけなくなりました。それ以外には大きな不都合はないのですが、そろそろ買い換えたい気持ちがしないでもありません。
夕方早めに会社を抜け出して、携帯電話のショップへ行ってみました。
ただ、このまえディジカメを買ったばかりなので、積極的に買い物をしたいという気分ではなく、下調べぐらいの気持ちあります。
運転しながら通話するためにはハンズフリーキットが必要です。Bluetooth対応のやつだと、余計なケーブルが不要で簡単です。となると東芝製ということになるものの、最新機種はデカくて重すぎです。少し古いやつ なら良いかと思えば、こちらは上半分(折りたたみのふたになるほう)に機能を詰め込みすぎて、持っていてバランスが悪いのが気に入りません。
考えてみると、ここのところ車を運転しながら電話することもないし、携帯でメールやウェブを見るわけでもありません。だったらデザイン重視の端末がいいかな。でも、カメラの映りがは今のより良くなるといいな・・・。
なんて悩んでいるのが一番楽しかったりするわけですが・・・。
2004年12月08日(水) (たいていは)夜中の電話 こんな記事 がありました。
最近は僕も慎重になって、初めてAAのミーティングにやってきた人に、(AA用の)名刺を差し上げたりしなくなりました。といっても、2〜3回会って必要だと思って、そしてその時に手元に名刺があれば渡すことにしています。
そして渡した相手の中には、運悪く(?)スリップ(再飲酒)する人もいるわけです。
僕は対人恐怖の強い人間だったので、酔っ払った挙句に人に電話するということはなかったのですが、寂しさを紛らわすために電話という道具に飛びついてしまう人もいるようです。そして、また僕の電話が鳴るというわけです。
経験的に分かってきたことは、そういう電話は決して「手助けを求めてはいない」ということです。相手は決して自分が泥沼にはまっていることを認めようとはしません。「ちょっとした問題」にてこずってはいるものの、それは自分で解決できる類のものだと言い張ります。泥沼のほとりから手を差し伸べるという必要などまったく無いと言うのです。自分にとって、飲んでいるか飲んでいないかは「大した問題ではない」と主張します。
たいていは「まだ、AAミーティングってやつは続いているのか?」(終わっていることを期待しているらしい)、「自分が出席していたころに、一緒に出ていた連中は元気か?」(たいてい答えはノー)、「お前は寂しくはないのか?」(これもたいていノー)、というような質問が発せられます。
こうした電話を相手が後日になっても覚えているのかどうか、まだ十分な数の回答が集まっていません。
2004年12月07日(火) NIFTY NIFTYのフォーラムのパソコン通信サポートが来春で終了するという話を聞きました。(フォーラムそのものはインターネット上で続いていくのだそうです)。
ニフティと聞けば、昭和という言葉を思い起こします。もっとも、当時のニフティは(料金徴収漏れを防ぐために)加入にはクレジットカードが必須でした。そして、アル中エンジニアという自由稼業だった僕がクレジットカードなど持っているはずもなく、当時ニフティに接続していたのは、もっぱら人のアカウントを借りて使っていたからでした。
ASCIIネットより、PC-VAN(後のBIGLOBE)よりも後発であったにもかかわらず、「フォーラム」の数の魅力でユーザーを増やしていったニフティ。いつの間にか、最大のパソコン通信業者になり、平成の世になってからはニフティのIDが印刷してある名刺を受け取ったこともしばしばでした。僕も口座振替で契約できるようになって後に加入しました。
思えば僕が最初にインターネットに接続したのは、ニフティのインターネットゲートウェイ経由でした。一分10円だったかな。
ニフティのパティオという会員制の掲示板には、AAの掲示板もありました(いまでもあるのかな)。おそらく日本発のオンラインAAコミュニティだったのでしょう。時々覗いてみたものの、100行以上ある投稿ばかりで恐れをなして退散するのが常でした。
そういえば、昔は定番だった「ターミナルソフト」をパソコンにインストールしなくなって、いったいどれぐらいたつのでしょう。
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