ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ|過去へ|未来へ
2004年12月09日(木) 携帯電話 現在使っている携帯電話の端末は2年前に買い換えたものです。
といっても、積極的に買い換えたわけじゃなく、端末をなくしてしまったので、仕方なく新しいものを買ったのでした。紛失しても機種変更扱いにはなったので、電話番号は変わりませんでしたが、電話帳やメールの内容のコピーはできませんでした。
電話帳編集のために、ケーブルつきのパソコンソフトを買ったりして、かなり出費を強いられた記憶が残っています。
あれから24ヶ月。バッテリーも消耗してきて、メモリー効果で放電が速くなり、二日に一回は充電しないといけなくなりました。それ以外には大きな不都合はないのですが、そろそろ買い換えたい気持ちがしないでもありません。
夕方早めに会社を抜け出して、携帯電話のショップへ行ってみました。
ただ、このまえディジカメを買ったばかりなので、積極的に買い物をしたいという気分ではなく、下調べぐらいの気持ちあります。
運転しながら通話するためにはハンズフリーキットが必要です。Bluetooth対応のやつだと、余計なケーブルが不要で簡単です。となると東芝製ということになるものの、最新機種はデカくて重すぎです。少し古いやつ なら良いかと思えば、こちらは上半分(折りたたみのふたになるほう)に機能を詰め込みすぎて、持っていてバランスが悪いのが気に入りません。
考えてみると、ここのところ車を運転しながら電話することもないし、携帯でメールやウェブを見るわけでもありません。だったらデザイン重視の端末がいいかな。でも、カメラの映りがは今のより良くなるといいな・・・。
なんて悩んでいるのが一番楽しかったりするわけですが・・・。
2004年12月08日(水) (たいていは)夜中の電話 こんな記事 がありました。
最近は僕も慎重になって、初めてAAのミーティングにやってきた人に、(AA用の)名刺を差し上げたりしなくなりました。といっても、2〜3回会って必要だと思って、そしてその時に手元に名刺があれば渡すことにしています。
そして渡した相手の中には、運悪く(?)スリップ(再飲酒)する人もいるわけです。
僕は対人恐怖の強い人間だったので、酔っ払った挙句に人に電話するということはなかったのですが、寂しさを紛らわすために電話という道具に飛びついてしまう人もいるようです。そして、また僕の電話が鳴るというわけです。
経験的に分かってきたことは、そういう電話は決して「手助けを求めてはいない」ということです。相手は決して自分が泥沼にはまっていることを認めようとはしません。「ちょっとした問題」にてこずってはいるものの、それは自分で解決できる類のものだと言い張ります。泥沼のほとりから手を差し伸べるという必要などまったく無いと言うのです。自分にとって、飲んでいるか飲んでいないかは「大した問題ではない」と主張します。
たいていは「まだ、AAミーティングってやつは続いているのか?」(終わっていることを期待しているらしい)、「自分が出席していたころに、一緒に出ていた連中は元気か?」(たいてい答えはノー)、「お前は寂しくはないのか?」(これもたいていノー)、というような質問が発せられます。
こうした電話を相手が後日になっても覚えているのかどうか、まだ十分な数の回答が集まっていません。
2004年12月07日(火) NIFTY NIFTYのフォーラムのパソコン通信サポートが来春で終了するという話を聞きました。(フォーラムそのものはインターネット上で続いていくのだそうです)。
ニフティと聞けば、昭和という言葉を思い起こします。もっとも、当時のニフティは(料金徴収漏れを防ぐために)加入にはクレジットカードが必須でした。そして、アル中エンジニアという自由稼業だった僕がクレジットカードなど持っているはずもなく、当時ニフティに接続していたのは、もっぱら人のアカウントを借りて使っていたからでした。
ASCIIネットより、PC-VAN(後のBIGLOBE)よりも後発であったにもかかわらず、「フォーラム」の数の魅力でユーザーを増やしていったニフティ。いつの間にか、最大のパソコン通信業者になり、平成の世になってからはニフティのIDが印刷してある名刺を受け取ったこともしばしばでした。僕も口座振替で契約できるようになって後に加入しました。
思えば僕が最初にインターネットに接続したのは、ニフティのインターネットゲートウェイ経由でした。一分10円だったかな。
ニフティのパティオという会員制の掲示板には、AAの掲示板もありました(いまでもあるのかな)。おそらく日本発のオンラインAAコミュニティだったのでしょう。時々覗いてみたものの、100行以上ある投稿ばかりで恐れをなして退散するのが常でした。
そういえば、昔は定番だった「ターミナルソフト」をパソコンにインストールしなくなって、いったいどれぐらいたつのでしょう。
2004年12月06日(月) ブログ 心ならずも ブログ を始めることになってしまいました。
もっとも、トラックバックなどのブログらしい機能を目的に始めたのではなくて、ディジカメを買ったので、その画像を簡単に掲載する場所がほしかっただけの話です。そこで、画像のアップロードが簡単で、容量もあるブログサービスを借りることにしました。
でも良く考えると「画像つきブログをやってみたいから、ディジカメを買った」ような気もします・・・。鶏と卵というやつですね。
借りたスペースは画像の容量が30MBです。これは「心の家路」が借りているサーバー空間と同じ容量です。それをただで貸してくれるというのだから、太っ腹です。広告も見当たらないし、いったいどういうビジネスモデルになっているやら。
1MBで50KBの画像が20枚入るとすると、30MBで約600枚という計算になります。
2年足らずか・・・、容量があふれる前に、ディジカメ持って歩くのに飽きるでしょうね。
2004年12月05日(日) 食欲亢進 うつ病のうつ症状というのは、一般的には食欲がなくなって、体重が減るのが普通であります。
食事中の方に興られるのを承知で書けば、脳内の神経伝達物質の働きが鈍ることにより自律神経が失調し、腸の働きが悪くなって便秘と下痢の繰り返しになります。これも、栄養吸収の面からは良くなくて、体重が減る原因となります。
ところが、ここ2週間ほど、甘いものやスナック菓子が大好物になってしまいました。食事もきちんと食べているくせに、間食に(特に寝る前)にスナック菓子をボリボリとかじり、アイスクリームをなめるというのが習慣になってしまいました。
ストレスから食べ物に走るというのは、アル中としては理解しやすい論理なのですが、普段だったらストレス下では、食欲不振で体重が減るのに「正反対だな」と思っておりました。
話は変わって、最近統合失調症の本を読んでいます(といっても古いので分裂病という名前が使われています)。その中に、抑うつ状態に関する記述があって、食欲のことについて、一般的には不振になるものの、甘いものが好きになって体重が増加することも「それほどまれではない」と書かれていました。
それで気がついて、うつの本を改めて見直してみると、「まれには」食欲が亢進して太ることもあると書かれていました。
いまは、その「それほどまれではない」「まれな」状態にいるのでしょう。
食べたいのに食べずに我慢している状態は、食べたくないのに定期的に食事をしなければならない苦痛と同じようにつらいです。
2004年12月04日(土) アルコール依存症は遺伝するか? 最近の研究によれば、アルコール依存症が遺伝の要素を持っていることは間違いがないようです。
アメリカでの研究によれば、アルコール依存症の人の子供は、そうでない親の子供より4倍依存症になりやすいのだそうです。
また、スウェーデンで行われた養子に行った双子についての研究によれば、養子先にアルコール依存症の家族がいた場合に、養子が依存症になる確率は「ほんの少し」上がるのだけなのだそうです。一方、遺伝上の「父親」に依存症者がいた場合には、双子が依存症になる確率は「劇的に上がる」のだそうです(この場合養子先に依存症の家族がいるかは無関係)。
このことは、アルコール依存症は、家庭環境が原因でなる病気ではなく、遺伝が左右する病気であることを示唆しています。
だからといって、依存症が(たとえば血友病のように)遺伝だけで決まる病気だと言うわけでもありません。親から受け継いだ「依存症になりやすい体質」と、「環境」との両方が作用して病気になるかどうかが決まるわけです。つまり、糖尿病だとか、高血圧に似た病気でありましょう。
環境としては、友人の影響、アルコールの手に入れ易さ、ストレスの量などが挙げられるそうです。
初期のAAは「子供のころの家庭環境が依存症の根源」というコンセプトを持っていたのは確かです。しかしその後、この家庭環境説は捨てられてしまったようです。
2004年12月02日(木) スピリチュアル・ペインについて あっという間に12月であります。年賀状も、「そのうち印刷しよう」と思っているうちに、日付が二十何日になるのが、毎年恒例であります。
仕事で横浜まで展示会を見に行ってきて、ちょっとお疲れでありますが、仕事とは関係なく思い出したことを、忘れないうちに書いておきたいと思ってパソコンに向かっています。
ホスピスというのをご存知でしょうか?
病院(ホスピタル)とちょっと違うのは、治療を目的としてはいない施設です。末期がんだとかエイズだとか、治療の手立てがなくなった終末期の患者さんが、最期を迎えるための施設です。
そういった施設のスタッフの方の文章に、「スピリチュアル・ペイン」について書かれていたものがありました。AA的な用語で訳せば「霊的な痛み」、個人的には「魂の感じる苦痛」という言葉でも当てたいところです。
想像するしかないのですが、治療の手立てがなくなって、死を待つということがどれだけ苦しいことなのでしょうか。そういう人たちは、「なぜ自分だけがこのように苦しまねばならないのか」という苦しみを苦しむのだそうです。その苦しみをスピリチュアル・ペインといいます。
世の中には、安楽な最期を遂げる人はたくさんいるのに、なぜよりによって自分にはこの苦しみが与えられたのか? その答えはどこからも得ることはできません。運と言ってしまっても、前世の業と片付けても、納得できるものではないに違いありません。
この苦しみを癒すには、ただ黙って寄り添って、気持ちを聞いてあげることが大切なそうなのだそうです。
AAでは依存症を、身体的な病、精神的な病、そしてスピリチュアルな病だと言います。そしてここでも、「否定せずに聞いてあげること」が大切だとされているのです。
前にも書いたかな?
もくじ|過去へ|未来へ![]()
![]()