心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年11月16日(火) 絶えず少しずつ明らかに

どうしても左手(肩)が痛くて、休んでしまいました。激しい頭痛は肩のせいでしょうか、それとも緑内障のせいでしょうか。
整形外科に行こうかとも思ったのですが、どうせ腱鞘炎なら「腕を休めてください」と言われるだけですから、やめておきました。
布団で寝て、起きたら子供が天才テレビくんを見ていました。

やっぱりミーティングは通い続けないとダメなんだと思います。つくづくそう思い知らされることが起こります。2年、3年、5年、6年で見えなかったことが、ようやく見えてくることがあります。絶えず神は私たちに少しずつ明らかにしてくれる。そう、「少しずつ」であって、決して一度にたくさんではありません。

現在の自分のソブラエティをどれだけ「大事にするか」、それはまったくその人の自由であります。でも粗末にすると失われます。

「これは無くなっちゃうと困るな。今にも無くなりそうだな」というものは、実はなかなか無くなりません。例えば、お金とか、住む所とか、職業とか。
「これは失っても惜しくないけど、でも一生最後まで無くならないんだろうな」というものは、実はあっさりと無くなってしまうものなのでしょう。例えば家族とか、信頼とか。

飲まないで無事にやっているのは仮の姿で、一皮向けば重症のアル中であります。


2004年11月14日(日) 根拠のない自信と表裏一体

NEET に関する AERAの記事 のなかで、特に「とはいえ自信のなさは、実際には『自分はもっとできるはず』とか根拠のない自信と表裏一体です。できないことを認めて、開き直ることができない」という一文に、自分の姿を重ねて深く納得してしまいました。

自分の飲んでいたころは、ちょうど20代と重なり、仕事もロクにしていませんでしたし、教育も訓練も受けていませんでした。酒を片手にただ引きこもるだけの日々でした。酒の問題がなければ「自分はもっとできるはず」だと思っていました。それに「本当の自分」は仕事もきちんとこなし、社交的で、他の人よりちょっと多く尊敬と愛を受け取れる人間だと思っていました。
「本当の自分はこうじゃないんです」という感覚ばかりが強く、酒に足を引っ張られたことが悔しくてなりませんでした(でも酒はやめませんでしたが)。

AAにやってきて「自分に正直になる能力があれば回復できる」という言葉と出会いました。正直という能力にはたくさんの意味があるのでしょうが、僕が最初に感じ取ったことは「本当の自分は、今の自分しかいないのだ」ということです。

本当の自分はもっと「できる」はずだと思いたかったし、酒をやめることが「第一のこと」であろうはずがないとも思っていました。もっと金があれば、もっと世間の信用があれば、もっと都会に住んでいれば・・・。

でも、金もない、信用もない、酒をやめることすらおぼつかないのが現実の自分の姿でした。世の中にそういう自分が一人しかいない以上、その情けない自分で生きていくしかないのであります。本当の自分なんてものは、探さなくても、ずっとそこに居たのでした。
僕の高慢さが、本当の自分の姿を、自分として認めることを拒んでいただけの話なのです。


2004年11月13日(土) 売名企業

「ぶどうのつるのように」を収容している掲示板OTDが、いつの間にかライブドアに売り払われて、URLも変わっています。こうやって、なんだかんだ事業を買収していくのかライブドアのやり方なのでしょう。

プロ野球再編問題ですっかり名前を売ったライブドア。球団を持てないとわかったとたん、財務状況悪化が避けられる見通しを好感して、株価が上昇したという噂です。
一応IT技術者として、ライブドア(旧オン・ザ・エッヂ)・楽天・ソフトバンクともに、以前から名前は良く知っていました。そして、どれに対しても好感を持っていないという点でも、周りの技術者と変わりはありません。

その中で、少しでも応援してあげようと思うのがライブドアの堀井社長かな。読売のオーナー(当時)に「僕の知らない人はダメ」などと言われて門前払いをくらったあたりから、関心を寄せるというか、肩入れをしてしまいました。
とは言うものの、この人の欲しいものは、会社の知名度と世間の信用であって、プロ野球団は単なるその象徴にすぎないのでしょう。
「人生で一番大切なことは成功すること。尊敬も女も成功についてくる」と言ってはばからない堀江社長。ぜひ彼には、その信念を貫いてほしいものです。
10年経った後に「やっぱり愛は金では買えませんでした」などと泣き言を言って欲しくはないものであります。


2004年11月11日(木) ホワイト・ノイズ

朝に雨が降っていると、なぜこんなに眠いのだろうと不思議に思います。
雲が垂れ込めて薄暗いのが眠気を誘うのでしょうか?
それとも、ザァーという雨の降る音が、バッググラウンドノイズとなって胎内にいるような安心感を与えるのでしょうか?
ともかく、雨の朝はいつも以上に眠気と戦わないといけません。

高気密のコンクリート製の建物を建てて、その中で暮らしていると、人間は体調を崩してしまうのだそうです。そして、周囲の環境からの雑音がある程度入くる環境にすると、回復するのだとか。

家の近くに電車が通っています。ローカル線なのでそれほど本数は多くなくて、一時間に数本通る程度です。もう電車の音には慣れてしまって、うるさいと感じることもありません。ただ、慣れたところで騒音そのものがなくなるわけじゃありません。ふと、テレビの音が聞きづらいなとか、人の話し声が小さくなったなと感じたときに、意識して聞いてみると、ちょうど電車が通っているのです。人間の耳は不思議です。

ああ、雨の音を聞きながら、布団の中でうとうとしていたいものであります。


2004年11月10日(水) その後

・5月末にミーティング会場でした火傷ですが、跡も残らず治っています。ただ、一番ひどい部分の皮膚が、まだちょっとざらざらしますが、いずれそれも消えるでしょう。

・7月中旬に前の会社でした小指の怪我は、傷跡が多少引きつれるものの、きれいに治っています。小指の爪が根元で割れてしまったのですが、爪が伸びたおかげで、だんだん爪もきれいになってきました。来年の2月ぐらいには、爪も元に戻るでしょう。

・「90の道具」ですが、なかなか続きを書けないでいます。おそらく、来年になって、一緒に入社した4人で事務所を構えられて、高速道路通勤から開放されれば、再開できると思います。



2004年11月09日(火) 南関東の冬

神奈川の本社へ。
相模湖まで中央道を使って、そこから相模川をつたってひたすら下っていくというルートを取りました。他にも、八王子から16号を経由したり、富士山の東側を抜けて御殿場から東名高速を使ったりとか試してみましたが、相模湖から山中を抜けるルートが一番速いようです。

本社は米軍の座間キャンプと厚木飛行場の間にあります。
ときどき、ジェット機の音が「ぎゅぎゅぎゅーん」として、会話ができない状態になります。これが日常の姿だというのですから、基地のある町は大変です。

南関東の冬は好きです。澄み渡った空。暖かくはないけど、肌を刺すほど冷たくはない風。雪が降らなくて乾燥した空気。

どこでも好きなところに住んでいいよと言われたら、たぶん南関東の16号線沿線に住むだろうと思います。東京の人にも、信州の人にも、「どこがいいんだか分からない」と言われますけどね。

帰宅すると夜10時。疲れました。


2004年11月08日(月)

定刻までに会社に着いたのはいいのですが、めまいと吐き気があって、とても仕事にはなりません。それでも朝から昼へ、昼から夕へと、次第に良くなってきます。うつの日周変動とは不思議なものであります。

はっきり言って、家で布団を引いて寝ていたいです。でも、さらりーまんである以上、昼間は机にへばりついていないといけません。さらりーまんは気楽な稼業ときたもんだ、と書いて、後に都知事にもなった人が、ラジオの対談で「実際には気楽でもなんでもないわけです」といっているのを聞くまで、これがアイロニーだとは気づきもしませんでした。

「こんな日に、ミーティングなんか出るもんかー」と思うのですが、なんとなく惹かれるように会場へ向かってしまいます。こんなときは、人の話を聞いていても「聞くのも面倒だなー」と思ってしまいます。
それでも、不思議なことに、ミーティングが終わっての帰り道は、心が軽くなっていることに気づくのです。やっぱり人数の多いミーティングはいいね。
(先週は4人だけだったそうだけど)

仕事がつらいときも、今日一日。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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