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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年09月23日(木) 改めて信仰というプログラムについて 白樺湖でラウンドアップの現地打ち合わせ。
白樺湖というのは堰止湖なので、平地側から上っていけば必ず下流側から接近するはずなのに、なぜか上流側から近づいてしまいました(道を間違えたことを素直に認めたくない)。
朝8時に起きたのに、昼間「辛くてたまらない」という感じがないのは、欝の周期を乗り越えつつある証拠かもしれません。ともかくお昼ご飯がおいしかったです。
4時に終了して、そのままホームグループのミーティング場へ。
今夜は仲間の1年のバースディミーティングでした。
ハンドブック(ビッグブック)の5章の先頭は、この簡単なプログラムに自分を徹底してゆだねれば、回復できないことはまずないと断言しています。
その「簡単なプログラム」というのを、私たち(と言って悪ければ僕)は、新しくミーティングにやってきた仲間に提示できていたのかな、というのが最近の疑問です。少なくとも僕は、自分にも理解できない「不思議なもの」を新しい仲間に手渡そうと悪戦苦闘(といったら言い過ぎか)してきたように感じるのです。
私たちが語るのは自分自身の経験でなければならないのは間違いがありません。でもそれは、自分がどのように酒で落ちぶれていたかという話に終始するのではなく、自分が「この簡単なプログラム」にどのように取り組んできたかを示す必要があると思うのです。
AAには道を究めて究明するような「真髄」があるわけではないでしょう。あるのは、Keep It Simple(単純に保とう)という合言葉によってシンプルに保たれたプログラムだけです。
「ともかくミーティングに通っていれば何とかなる」という言葉に対して感じる胡散臭さは、カルト的思考停止の不気味さに似ています。
AAのプログラムを受け取るためには、信仰という言葉を受け止めて消化することが避けて通れないでしょう。日本には日本のAAがあっていいはずだというのも何か違うと思います。
神前結婚式の変わりに人前結婚式を編み出したように、神前式プログラムを人前式プログラムに編みなおそうとしても、そいつはちょっと無理がたたるだろう、と思うのであります。
2004年09月22日(水) 消える痕跡 いま僕は線路の近くに住んでいて、電車の音を朝な夕なに聞いているわけです。
アルコール依存症が最も重症(?)だった頃、僕は東京の調布で、やっぱり線路の近くに住んでいました。
1DK風呂なしトイレあり家賃4万5千円のアパートで、世間を恨んで飲んだくれて過ごしていました。不思議と飲む金だけはありました。
一人でひっそり飲んでいても、やっぱり昼間は落ち着きません。それが深夜になって、街が寝静まってくると、飲んだくれの気分もいくらか持ち上がるのでした。しかし無常にも朝はまたやってきて、東の窓が明るくなり、電車の騒音がひびいて、世界中から自分だけが取り残された一日が、また始まることを告げるのでした。
布団は敷きっぱなしでしたし、胃が荒れてゲロゲロ吐きましたし、酒も水もしょっちゅうひっくり返していたので、すっかり畳が腐っているだろうと思っていたのに、アパートを引き払うときにカーペットをはいでみたら、きれいなものでした。
手首を切ってふすまに飛び散った血の跡も、ぬぐえば結構きれいになってしまいました。
僕がその部屋に住んでいた形跡はすっかり消え去ってしまったのでしょう。
一昨年仕事で稲城に行ったとき、ちょっと足を伸ばして調布まで行ってみました。僕が住んだアパートは20年近い時を超えて残っていました。
そのアパートが取り壊されて、新しい基礎が建っているのを、電車の窓から見たよ、と友人が教えてくれました。
2004年09月21日(火) 日常 3連休明けの精神科は混み合っていました。
クラシック音楽を流しているテレビの前の席が空いていたので、底へ座ると、となりから「やぁ」と声を掛けられました。僕のAAスポンサーでした。今年になってからは、病院メッセージで会って以来の久しぶりの再会でした。
僕が現在無職だと知ると、僕の診察が終わるまで待っていてくれて、近くのショッピングモールの3階のレストランで、お茶をしました。
スポンサーは僕と30分ほど話をすると、「これから群馬のミーティングに行くんだ」と言って去っていきました。
後ろ指差されても、口笛を吹いて答えていたあの頃。
ハムスターは昼間はぐっすり寝ていたのに、また夜になるとねずみ車をごとごと回しています。一晩で何百メートル走るのか、ロータリーエンコーダとカウンタを付けて図ってみたいところであります。
2004年09月20日(月) 売り物は強し 二匹目のハムスターを買ってきました(ロボロフスキーハムスター)。
売り物だけあって、大変に元気です。
ねずみ車をぐるぐる回しています。
ぐるぐるぐるぐるぐるぐる・・・・。
夜中でも懸命に回しています。結構うるさいです。
ハムスターの寿命は2〜3年だとか。あと2年も毎晩この音に耐えなければならないとは。
さて、棚卸表のほうですが、「恐れずに、徹底して」というのは難しいです。
しかし、霊的な生き方は理論ではなく、実際に生きなくてはいけない、というのですから、ぶつぶつ言っていないで始めないといけません。締め切り(?)は一週間後です。
ミーティングに通っているだけで飲まないでいられるではないか、という言い訳が出てくるときに、不安な自分が大声で強がりを言っているように思えるのです。
2004年09月19日(日) 稲刈り 我が家の居間の時計は円盤型の掛け時計です。掛け時計というのは普通壁か柱に掛けておくわけですが、我が家の場合にはそのままごろんと、テレビの横に立てかけてあります。
鳴り響く電話に「むぅ」と言いながら出ると、かけてきたのは母でありました。
「来い、急いで来い、今すぐに来い」
という用件でありました。
例の時計を見ると、3時を示しています。
3時になっても、これから来い、というのですから、稲刈りはよほど遅れているのでしょう。しかたないので行くことにしました。
起きてコーヒーを飲みながら、ディジタル式の腕時計を見ると午後1時であります。あらためて掛け時計を見ると、やっぱり1時で間違いありません。ただ円盤型の掛け時計は、12時が真上に来ていなくて、10時ぐらいが真上に来ていました。さきほどは、12時45分ぐらいだったのに、メガネをしていないせいで文字盤が見えず、針の角度だけで3時と判断してしまったのでしょう。
僕が稲をはぜに掛ける作業を分担するようになったのは、父が死んでからです。それまで父ははぜ掛けをほかの誰にもやらせませんでした。掛けられた稲の束(上段)は、それ自身の摩擦力だけで固定されています。だから、バランスが悪かったりすると、天日に干している2週間の間に、はぜが崩壊してしまいます。下手な人間がやると、二度手間になるので、父は他の者にやらせるのを嫌がったのでしょう。
父の死の翌年から、僕と兄と母ではぜ掛けをしています。僕が2週間安心して放っておけるはぜを作れるようになったのは、ここ2〜3年のことです。
薄明終了とともに作業完了。雨が降る予報だったのに、一滴も降りませんでした。脱穀は10月3日の予定。
2004年09月18日(土) 水で煮た感情 精神的にきつくはないけれど、肉体的にきついのが今回の波の特徴でしょうか。
上の娘の運動会(小学校)だったのですが、ずっと寝ていて応援にいけませんでした。
母から電話がかかってきました。明日は稲刈りをしたいのだが、手は空いているかという用件でした。手は空いているが、体調が良くないのだという話をすると、
「お前そんなことで、来月から大丈夫なのか?」
と強い口調で言われました。
この場合「大丈夫なのか?」というのは、息子の仕事のことを心配しているのじゃなくて、明日の稲刈りに人手が足りなくなった怒りをぶつけているに過ぎません。
手伝わないわけにも行かなし、明日の体調は明日にならないと分かりません。天気もどうなるか微妙です(雨が降りそう)。明日また電話して決めることにしました。
稲刈りといっても、最近では出荷分は農協に委託していて、人手が必要なのは自家消費分だけです。稲は一週間刈るのが遅れても、胴割れが増えたり、穂がこぼれて収量が減ったりするぐらいで、自分たちで食べる分には困りません。
ただ、ラウンドアップで10月の3連休に脱穀の手伝いができません。そうなると、その一週間前に脱穀するとして逆算すると、今週末に稲刈りができるのがベストです。AAに時間を費やせば、必然的に他のことが圧迫を受けるってことを、またまた思い知らされています。
先週、今週と地獄を見た仕事の請求書を書いて送りました。こればっかりは、FAXでもメールでも送れないので、封筒に入れてポストまで投函に行ってきました。
2004年09月17日(金) 水に似た勘定 頭全体が重く痛む。胸が締められて苦しい。いつも口が渇き、軽い吐き気がする。便秘がちになる。性欲および快感の減退・・・。
うつ病の身体症状のさまざまですが、まさにそのなかにどっぷり漬かった感じです。
食欲がないので、食べることもせずにぼうっとしていると、時間が飛ぶように進んでいってしまいます。
内定先の会社からは、「10月1日から勤務してくれ」と言われているのですが、はたしてこんな状態があと2週間足らずで解決するのかどうか、心配になってしまいます。
それでも薬のおかげか、動こうと思えば動けるから不思議です。
毎日高速道路で通勤になりそうなので、ETCの車載機の取り付けに行きました。ついでに、リモコン側を洗濯してしまって(ポケットから出すのを忘れた)電波の到達距離が縮んだエンジンスターターも付け替えを頼みました。
カー用品店で車を預けて、待つこと3時間以上。普段だったら当然イラついているのでしょうが、なんとなく頭も心もどんよりと濁って、知らぬ間に夕方まで待ってしまったという感じです。
ラウンドアップの申し込みをようやく済ませました。
長野でラウンドアップをするのは5年ぶりです。前回のラウンドアップのときにも、「転職」だとか「うつ病」だとかのキーワードがありました。今回とよく似ています。
そのことを思うと、「ああ、あれから5年が過ぎてしまったんだなぁ」と感慨深いです。
紙の新聞を読まなくなって、新聞社のサイトを読むようになって、あらためて各社の報道がいかに似ているかを知りました。そして、自社の利害が絡むときには、食い違いを見せるという面白みも。
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