心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年09月20日(月) 売り物は強し

二匹目のハムスターを買ってきました(ロボロフスキーハムスター)。
売り物だけあって、大変に元気です。
ねずみ車をぐるぐる回しています。

ぐるぐるぐるぐるぐるぐる・・・・。

夜中でも懸命に回しています。結構うるさいです。
ハムスターの寿命は2〜3年だとか。あと2年も毎晩この音に耐えなければならないとは。

さて、棚卸表のほうですが、「恐れずに、徹底して」というのは難しいです。
しかし、霊的な生き方は理論ではなく、実際に生きなくてはいけない、というのですから、ぶつぶつ言っていないで始めないといけません。締め切り(?)は一週間後です。
ミーティングに通っているだけで飲まないでいられるではないか、という言い訳が出てくるときに、不安な自分が大声で強がりを言っているように思えるのです。


2004年09月19日(日) 稲刈り

我が家の居間の時計は円盤型の掛け時計です。掛け時計というのは普通壁か柱に掛けておくわけですが、我が家の場合にはそのままごろんと、テレビの横に立てかけてあります。

鳴り響く電話に「むぅ」と言いながら出ると、かけてきたのは母でありました。
「来い、急いで来い、今すぐに来い」
という用件でありました。
例の時計を見ると、3時を示しています。
3時になっても、これから来い、というのですから、稲刈りはよほど遅れているのでしょう。しかたないので行くことにしました。
起きてコーヒーを飲みながら、ディジタル式の腕時計を見ると午後1時であります。あらためて掛け時計を見ると、やっぱり1時で間違いありません。ただ円盤型の掛け時計は、12時が真上に来ていなくて、10時ぐらいが真上に来ていました。さきほどは、12時45分ぐらいだったのに、メガネをしていないせいで文字盤が見えず、針の角度だけで3時と判断してしまったのでしょう。

僕が稲をはぜに掛ける作業を分担するようになったのは、父が死んでからです。それまで父ははぜ掛けをほかの誰にもやらせませんでした。掛けられた稲の束(上段)は、それ自身の摩擦力だけで固定されています。だから、バランスが悪かったりすると、天日に干している2週間の間に、はぜが崩壊してしまいます。下手な人間がやると、二度手間になるので、父は他の者にやらせるのを嫌がったのでしょう。
父の死の翌年から、僕と兄と母ではぜ掛けをしています。僕が2週間安心して放っておけるはぜを作れるようになったのは、ここ2〜3年のことです。

薄明終了とともに作業完了。雨が降る予報だったのに、一滴も降りませんでした。脱穀は10月3日の予定。


2004年09月18日(土) 水で煮た感情

精神的にきつくはないけれど、肉体的にきついのが今回の波の特徴でしょうか。
上の娘の運動会(小学校)だったのですが、ずっと寝ていて応援にいけませんでした。

母から電話がかかってきました。明日は稲刈りをしたいのだが、手は空いているかという用件でした。手は空いているが、体調が良くないのだという話をすると、
「お前そんなことで、来月から大丈夫なのか?」
と強い口調で言われました。
この場合「大丈夫なのか?」というのは、息子の仕事のことを心配しているのじゃなくて、明日の稲刈りに人手が足りなくなった怒りをぶつけているに過ぎません。
手伝わないわけにも行かなし、明日の体調は明日にならないと分かりません。天気もどうなるか微妙です(雨が降りそう)。明日また電話して決めることにしました。
稲刈りといっても、最近では出荷分は農協に委託していて、人手が必要なのは自家消費分だけです。稲は一週間刈るのが遅れても、胴割れが増えたり、穂がこぼれて収量が減ったりするぐらいで、自分たちで食べる分には困りません。

ただ、ラウンドアップで10月の3連休に脱穀の手伝いができません。そうなると、その一週間前に脱穀するとして逆算すると、今週末に稲刈りができるのがベストです。AAに時間を費やせば、必然的に他のことが圧迫を受けるってことを、またまた思い知らされています。

先週、今週と地獄を見た仕事の請求書を書いて送りました。こればっかりは、FAXでもメールでも送れないので、封筒に入れてポストまで投函に行ってきました。


2004年09月17日(金) 水に似た勘定

頭全体が重く痛む。胸が締められて苦しい。いつも口が渇き、軽い吐き気がする。便秘がちになる。性欲および快感の減退・・・。
うつ病の身体症状のさまざまですが、まさにそのなかにどっぷり漬かった感じです。
食欲がないので、食べることもせずにぼうっとしていると、時間が飛ぶように進んでいってしまいます。
内定先の会社からは、「10月1日から勤務してくれ」と言われているのですが、はたしてこんな状態があと2週間足らずで解決するのかどうか、心配になってしまいます。

それでも薬のおかげか、動こうと思えば動けるから不思議です。
毎日高速道路で通勤になりそうなので、ETCの車載機の取り付けに行きました。ついでに、リモコン側を洗濯してしまって(ポケットから出すのを忘れた)電波の到達距離が縮んだエンジンスターターも付け替えを頼みました。
カー用品店で車を預けて、待つこと3時間以上。普段だったら当然イラついているのでしょうが、なんとなく頭も心もどんよりと濁って、知らぬ間に夕方まで待ってしまったという感じです。

ラウンドアップの申し込みをようやく済ませました。
長野でラウンドアップをするのは5年ぶりです。前回のラウンドアップのときにも、「転職」だとか「うつ病」だとかのキーワードがありました。今回とよく似ています。
そのことを思うと、「ああ、あれから5年が過ぎてしまったんだなぁ」と感慨深いです。

紙の新聞を読まなくなって、新聞社のサイトを読むようになって、あらためて各社の報道がいかに似ているかを知りました。そして、自社の利害が絡むときには、食い違いを見せるという面白みも。

「天声人語が盗用」認めず、新潮社に賠償命令 東京地裁
「天声人語が盗用」は相当 週刊誌記事めぐり地裁判決


2004年09月16日(木) ちいさな命

木曜日に勝手にポストに投函されていくフリーペーパーの「あげます」欄に、ハムスターの子供3匹というのがあったのを子供が目ざとく見つけ、欲しいとせがまれました。

そうしてもらって来たのが月曜日でした。ハムスターは人気の愛玩動物だけあって、飼育キットも3千円ほどで一通りそろったものがあって手ごろでした。
子供たちは喜んで、手でつまんでみたり、手のひらに乗せてみたり・・・

ところがこのハムスターは、生まれてからまだ3週間で、やっと乳離れしたばかり。水もウォーターボトルからは飲めません。しかたないので、スポンジを湿らせて吸わせてみたりしました。餌もヒマワリの種を与えてみたところ、カリカリと齧って頬に溜め込むものの、胃のほうに入っていく兆しがありません。

そんなこんなで、ストレスが溜まったか、乾きすぎたか飢えたか、我が家に来て3日目の水曜日にポックり死んでしまいました。哀れ短い命であります。皆で少し反省しました。
今日は庭の片隅に、ハムスターのお墓を作って、線香をたきました。

ケージだけ置いておいても仕方ないので、来週末あたりには、今度は大きくて丈夫なハムスターを買いに行こうという話になりました。

先月買ったメダカ4匹は、一匹死んでしまったものの、残りが卵を産みました。これが全部孵ると、狭い水槽の中にうじゃうじゃということになります。


2004年09月14日(火) また徹夜(自業自得とも言う)

火曜の昼は、『いま、会いにゆきます』 を読んでしまいました。完全に現実逃避してました。

夜通し働き続けて、今(水曜の朝)やっと出来上がりました。

これからしばらく仮眠を取って、お昼ぐらいに出発の予定です。


2004年09月13日(月) 身体的症状

頭の筋肉が硬直した感じがします。肩こりとは違う意味で、腕や首の筋肉が硬くなっています。脳内物質のバランスが崩れて、うつ病の身体的症状が出てきているのです。

用があってAAミーティングに行ったのですが、調子があまりにも悪いので、始まる前にメンバーに挨拶して帰ってきてしまいました。車の運転もあまりうまくできなくて、途中でベンツに突っ込みそうになり、パンチパーマのおじさんににらまれてしまいました。

横になったら寝てしまい、起きると夜の10時すぎでした。布団の中で目を覚ましたまま、横になっていると、なにか昔の習慣がよみがえるような気がします。

一人暮らしで飲んでいたころ、僕はうつ病の身体症状に悩んでいました。時に頭が重く、考えることも鈍く、体も自由に動きません。しかし、アルコールを飲むとその症状はたちまちのうちに緩和されました。そして、アルコールが切れると同時にその症状はまた戻ってくるのでした。

精神安定剤の代わりとして、アルコールを使っていたあのころ、うつ病はちっとも良くなってくれませんでした。布団の中から、とりあえず最初の一杯に手を出していました。

今はアルコールを解決に使おうとは思いませんが、代わりの解決手段が見つかったわけでもなく、ただまんじりと耐えているのです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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