心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年08月31日(火) うーん、タバコ臭さい。

神奈川県にあるという「本社」で面接を受けるために、片道4時間ずつアコードの狭い後部座席に押し込められていました。しかも、ドライバーは制限速度を大幅に超えて、追い越し車線ばっかりを走るというツワモノであり、ショックは限りなく硬く、ハンドルはシャープで、アクセルもブレーキもど〜んという操作でありました。

そんな悪条件下にも限らず、ぐっすり熟睡してしまいました。ペットボトルのお茶を飲もうにも、揺れすぎて飲めない中で眠れるのは、やっぱりドライバーに対する信頼があるからでしょうか。そして、その信頼は事故の経験数に裏打ちされています。アコードは外観はボコボコでありますが、それは限界を超えた回数の証拠であります。無事故無違反をひけらかす人々は、実のところ怖い・怖くないを基準に走っていたりするので信用なりません。

最初は僕の車で行くという話をしていたのですが、「ちなみに禁煙ね」と言ったとたんにアコードに変更になりました。

「うんと言うまで返さないというキャッチセールスみたいなことはしないですから、心配しないでください」と最初に言われておりましたが、面接に4時間以上かかり、終わってみると全員「うん」と言っていました。

最後に、「希望の年収をメールで送ってください」と言われました。もちろん働くからには賃金交渉をしなければいけないのですが、先方から「ウチの基準はこれこれなので」という提示がある場合はともかく、こちら側から賃金の希望を言うのはなかなか難しいことです。
それは取りも直さず、「自分自身に値札をつける」という行為であります。しかも、メールとなると「言った証拠」が残ってしまいます。やっかいな話であります。

帰宅して服の匂いを嗅いでみると、強烈にタバコ臭いのでした。風呂に入って着替えても、まだ臭いのです。鼻の穴の中を掃除する(鼻くそをほじるとも言う)と、やっと匂いから開放されました。
これは新オフィスも禁煙(分煙)にしてもらわないと、臭くてたまらないでしょう。

無事に賃金が決まれば、11月あたりから働くことになりそうです。不安もいっぱいですが、人生なるようにしかなりません。


2004年08月29日(日) 趣味は?

趣味は? と聞かれると「読書とドライブ」と答えているのですが、どちらも最近あんまりしていません。

僕の趣味のドライブには2種類あって、ひとつは物憂げな音楽かなにかを流して、考え事をしながら、田舎の平坦な道をあてもなくたどって行くいうドライブです。雨が降っていたりすると、より情緒がでてよろしいです。考え事は、とめどなく広がっては、また一ヶ所に固まるという、拡散と収斂を繰り返していきます。むろん同乗者がいてはいけません。

もうひとつも、やっぱり天気は良くないほうがよろしいです。すれ違いの面倒な山道では、対向車が少しでも少ないほうがいいですから。オートマチック・ミッションではスポーツドライブができないかというと、そんなこともないです。
左足はブレーキに、右足はアクセルに、左手はセレクトレバーに、右手はハンドルに。
コーナー入り口では、ブレーキを踏みます。シフトダウンしたらアクセルも踏んで回転数を維持し、クリッピングポイントでブレーキから足をはずします。タイミングを間違わなければ、車はコーナー出口へ向かって「どん」と加速してくれます。もちろんハンドルの向きを間違えると、谷底までまっさかさま。
緊張感と恐怖感を克服するために奥歯を噛み締めながら走っていくと、つまらない考え事なんて頭から吹っ飛んでいってしまいます。
こちらのパターンでも同乗者がいると、なぜか気分が悪くなって吐いたりするので、孤独なドライブが吉です。

久しぶりに行った峰の尾根は、霧(というか雲)の中でした。谷底から湧き上がってくる雲を浴びながら、It's not that matters という言葉を思い出していました。もし僕がタバコを吸っていたら、ここで一服するところでしょうか。

せっかく神様が夏休みをくれたというのに、趣味にも時間を使っていなかったなんて、僕はやっぱりホーリックであります。


2004年08月28日(土) 邂逅

がんの手術をしたというAAメンバーと会う機会がありました。
近況報告もしていないのに、「最近大変だねー」と言われたのは、たぶんこの雑記を読んでいてくださるせいでしょうね。携帯電話経由のアクセスはCGIゲートウェイを経由するので、カウントされません。だから、いったい何人が携帯電話経由で読んでらっしゃるのか、僕には分からない仕組みです。

今の健康状態はどうなの? とたずねると、「3年後生存率は20%ぐらいだって」と簡単に返されました。こういうときにびっくりしたり衝撃を受けたりすることができない自分は、冷たい人間なのかもしれません。それでも言葉が見つからず、「余命半年でもらえる保険金もらいながら、(たぶん)まだ生きている人もいるよ」と答えるのが精一杯でした。
それよりも、体力が落ちて、もうミーティングには通えそうもないと言われたときは、なんだか切なかったです。いったいこの人は、スピリチュアル・ペインをどこで癒せばいいというのでしょうか?

(あんたの住んでいるところから、車で15分のところでミーティングやってんだけどな)と思ったのですが、アル中の頑固さは変えようがないということも、AAに来て学んだことのひとつであります。

「ともかく、年賀状送っても大丈夫かどうかぐらいは知らせてください」と伝えておきました。喫茶店で食べたピザトーストとアイスコーヒー代を、なんだかんだ言っておごってもらってしまいました。うーん、無職ってなんだか情けないなぁ。

帰ると、義理の姉から保険の掛け換えの勧誘を受けました。5才の娘に2,000万円の生命保険を掛けるのもナンセンスだと思うのですが、そこは義理もあって断りきれないところでもあります。義理で実兄のMLMの商品を買ったり、従兄弟の写真店の会員になったり・・・。

なんだか命について考える一日でありました。娘が死んだときに金もらっても意味ないよなとか、ジジババずっと元気で孫の世話してもらわないと困るよなとか、そんなことばかりですけど。
自分は愛情深いというより打算的だなぁとつくづく思います。AAやっているのだって、「これやっていれば絶対自分にとってプラスになる」と信じているからやっているだけだったりします。友達いないし。


2004年08月27日(金) 留守電

ミーティングから帰ってみると、留守番電話に6件メッセージが残っていました。

最初の5件は同じ人だったので、たぶんスリップ(再飲酒)がらみかなーと思って折り返し電話をしたら、飲酒じゃなくて「○タ○ン2錠飲んで思いっきりギャンブルしてしまいました」という話で、ご本人も「これってスリップですよねぇ」という相談でした。
スリップかどうかはともかく、精神状態は再飲酒したのと同じぐらい荒廃しているのじゃないですか? と言ってしまいました。

最後の1件は、2年目から同じグループでAAをやっていた人からでした。最近は僕もグループを変わってしまったし、彼も何ヶ月かに一回しかミーティングに顔を出さないので、めったに会うことも亡くなっていました。東京に就職して、長野を去るという話でした。
ストレスライフイベントを飲まずに無事やり過ごしてほしいものです。そのためにはミーティング・ミーティングだよ、という話を改めて言いはしませんでした。まあ、何事も彼自身が決めることです(もし彼がハイヤーパワーを持っているなら、それとの関係の中で)。

最近ちょっと「心の家路」へのアクセス数が多いなと思って、ログを見てみたら、Yahoo の掲示板 にURLを書いてくれた人がいたのでした。やっぱり大手の掲示板に掲示されると瞬間的ですが、アクセス数は増えます。
あと最近多いのが、「心の家路」というキーワードで検索してくる人です。アドレスは忘れても、タイトルはなんとなく覚えているってやつでしょうか。


2004年08月26日(木) 三顧の礼

「サラリーマン生活が終わったら、もう雇ってくれる会社もないだろうから、自営でやってみる」とうそぶいて、家族も説得したり、営業行為を行ったりしておりました。
しかしまあ、この一ヶ月足らずの自分の生活を振り返ってみると、なんか「自己管理できてねーなー」というのがその印象です。午前中は半分寝ていて、起きるのが早くても朝10時。お昼ごはんを食べるとまた眠くなってひと休み。夕方近くになると、なんとなく頭がぼんやりしてひと眠り。そんでもって、夜更かしして夜中はがんばるのかと思えば、そうでもなくて、布団が「良いではないか、良いではないか、近こう寄れ」と誘いをかけてくる始末。

ああ、こんな生活をしていたのでは「ダメ人間」になってしまう(というか、すでに過去形でダメになってるし)。やっぱり自営でやるには自己管理がしっかりしていないといけません。自分の最大の敵は、やっぱり自分でありました。

会社がつぶれたときに、従業員まとめて(といってもたった4人ですが)引き取ってやるから、うちの会社に来ないかと誘ってくれたところがいくつかありました。その中でも、終始もっとも熱心に誘ってくれた会社に、4人のうち2人の心が傾いていると知りました。そこへ自分を足して3人にすれば、ほぼ話は固まるだろう踏みまして、「自営はやっぱり厳しいからやーめた。りーまんが楽でいいよね」と思いを変えました。

来週に4人で神奈川の本社を訪問して、社長と面談して待遇なんかを煮詰めることになりました。ひとつ問題になるのは、僕が以前に提出した履歴書の「健康状態欄」には、何も書き込んでなかったということです。その時は、まさかその会社に就職する気になるとは夢にも思っていなかったので、わざわざ要らぬ情報を書くこともないと思ったのです。

面談のときに、うつ病であることも、アルコール依存症でAAに通っていることも話してしまおうと思っています。組織であるからには、いつかは明らかにせざるを得ないでしょう。隠したって始まらない。僕が精神科医に通うことと、AAミーティングに通うことを必要としているのは、隠し通すことのできない事実なのですから。

それで態度が180度変わるような会社であるならば、最初から僕には縁のなかった話だということであります。僕はネゴシエーションは不得手で、最初から全部のカードを表にして交渉したほうが気が楽なのです。
内心(なんとかなるさ)と思っているあたりが、僕の傲慢なところであるんですけどね。


2004年08月25日(水) 時代はめぐる

新聞の記事 によれば、若者たちの酒離れが進んでいるのだとか。

以前ゲームプログラマーをやっていたときに、「こんなにも子供向けゲームが横溢する社会って、どうよ」とたびたび聞かれたものです。どうよって言われても困るんですけどね、「ゲームで遊んで育った子供たちは、画面から情報を読み取るリテラシーを身に着けるでしょうから、彼らが大人になったら、社会は変わるでしょうね。なにせ、人間の持っている金銭も時間も有限です。映画が衰退したように、本のような紙メディアも衰退するでしょう」みたいな、分かった風なことを言って相手を煙にまいていたのです。

ゲーム以前にも、テレビ番組が子供に与える影響とかが言われていましたね。例えば、宇宙刑事が悪敵をぶっ飛ばすというような番組を子供に見せると、子供は「正義を成し遂げるためには暴力を使ってもかまわない」と考えるようになるとか・・・。

話を戻して、当時ゲームで遊んでいた子供たちも、もう30才を過ぎるころでしょうか。僕の予想を超えて、時代はどんどん変わっていきます。ケータイが登場して、人々は金銭も時間もそれにつぎ込むようになりました。
ケータイってどうよ、と言われると「ブラウン管の向こうの機械と対戦しているよりは、人間を相手にしていたほうが健全なんじゃないんですか?」と答えてみたものの、出会い系だとか、パケットを通すと人格が失われるとか、悪い影響もたくさんでました。

ゲーム代金に3万円使うのはバカかマニアだと思うのですが、現在では電話代(パケット代)に3万使うのは珍しくないとか。そういうメディアを媒介しないと成立しない人間関係ってのもどうかと思うのですが、ともかく「親が高校生のケータイに払っても良いと考えている金額の上限が3万円」とかいう話を聞くと、生の人間関係ってやっぱり誰にもしんどいのかなと思ってみたりします。

何かに3万使っていれば、アルコールに使う金はなくなるわけで、酒造メーカーの努力にもかかわらず、酒の消費量はこれからも減っていく(のでしょうたぶん)。
ひょっとして30年後ぐらいには、アルコールは覚せい剤と同じぐらい依存性がある恐ろしい薬と思われ、公共の場所で酩酊するのは、禁煙の場所でタバコをすうのと同じぐらい反社会的な行動ということになったりして・・・。

そういう時代にアル中をやるのは、今以上にしんどいでしょうね。


2004年08月24日(火) スピリチュアル・ペイン

スピリチュアル・ペイン(あえて訳すなら実存の苦痛)を、例えばアルコール依存症にあてはめてみると、「なぜ自分はアルコール依存症にならなければならなかったのか」という疑問に対して、答えが得られないことであるかもしれません。

お酒を飲む人が全員依存症になるというなら、答えは明快です。でも、人口の半分が酒をたしなむのに、アル中になる人は人口の1%内外です。「なぜ自分が苦しまなければならないのか」「自分だけが」。
アルコール依存に限った話でもありません、「なぜ摂食障害を抱えるはめになったのか」「なぜ借金で苦しむまでギャンブルに熱中するのか」「なぜこの親の元に自分は生まれたのか」。それらに対して納得できる答えはないでしょう。科学的に何かの根拠を示されたって、苦痛はなくなりはしません。

スピリチュアル・ペインは別に依存症に限ったことではありません。「なぜ自分はがんで死ぬ運命にあるのか」「なぜ自分は親の介護をする羽目になったのか」「なぜ精神障害を負う羽目になったのか」などなど。

スピリチュアル・ペインを解消する力は、自分自身が持っているものです。子供ならともかく成人した後は、ケアは自己責任です。ところがその力は、自分自身ではなかなか取り出せないようです。そこで共感という道具が必要になるのでしょう。
「大変だったね」という言葉が、うわべだけのものでなく、心の奥から出てくるものであることを感じること。自分だけがこの苦しみに耐えているわけでないことを知ることは、苦痛を癒す効果があるのは間違いありません。

AAでは「仲間」という言葉を使って、依存症であることの苦痛をいちいち説明しなくても理解しあえる相手を示しています。

という文章を書いてみたのだけれど、なんとなくしっくりこなくて、お蔵入りしていました。まあ、日記の埋草ということで・・・。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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