心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年08月05日(木) 固定発携帯着(その1)

失業してから、電話をかける機会も、受ける機会もずっと増えました。
電話のパターンとしては、固定→固定、固定→携帯、携帯→固定、携帯→携帯と4つあるわけです。このうち携帯発の料金は、携帯電話会社の料金プランに縛られているので、安く上げる方法はありません(精神障害者保健福祉手帳をお持ちの方は、各携帯電話会社とも割り引きがあるので、調べてみるとお得かもしれません)。

固定→固定というのは、以前から長距離電話会社がたくさん参入していて、マイラインなどという仕組みすら出来上がっています。全国どこへかけても3分20円というのには大分お世話になりました。
光ファイバーやADSLを引いていれば、IP電話というのが使えるというので、さっそく申し込みまして、今日機材が届きました。このIP電話の番号を仕事用の番号に使おうと思っています。050で始まる番号は昔PHSが使っていたので、「これはケータイの番号ですか?」と聞いてくるおじさんもいました。
さて、機材が届いて早速セットアップを始めたんですが、1時間たってもつながりません。面倒になったので、いったん寝てから再挑戦しました。説明書どおりにやれば、何のことはない10分もあれば繋がりました(そう、いつも説明書を読むのは最後の手段なんです)。機材のレンタル料が毎月380円。全国どこにかけても3分8円。音質は携帯よりは多少マシな程度です。

固定→携帯というのは、携帯電話会社のドル箱で、10円で十数秒、3分かけると100円を越すなんていう料金設定すらあります。こいつを何とか安くする方法というのを考えるのは、次回。


2004年08月04日(水) 便利商店

ホームレスの人は増えました。僕の住む地方都市にも、駅前の地下とか、公園の東屋とかに散見されます。冬場は氷点下になるので、大丈夫かなと思うのですが、そういうときは暖かいところに移動するのでしょうか?

ホームレスの人には会ったことがありますが、日本で物乞い(金乞い)をする乞食の人には会ったことがありません。唯一の経験は、台北の地下街を歩いていたときに、地べたに頭をこすり付けている老人を見たことです。何ヶ月も風呂に入っていないような風貌で、汚れた服を着て、頭をひたすら地下街のタイルにこすり付けるようにしていました。
台北駐在経験の長い商社の人は、ポケットから小銭をだして、金ダライの中に放り込んであげました。すると老人は涙を流して「謝々」と言うのでした。僕もじゃらりと入れてみたら、「謝々」と涙顔を見せてくれました。

「イマドキの日本にはいないですよね」と商社マンに話しかけると、「ああ見えても、そこら辺のアルバイトなんかよりずっと稼ぐんだそうだよ。縄張りとかあって大変らしい。あの肌も服も涙顔も商売道具だよ」とそっけない答えでした。
「じゃあなんで恵んでやるんですか?」
「施しをすると、閻魔帳に書いてもらえるでしょう。日本だと施しも商品化されて、コンビニのレジ横に並んでるがね」

コンビにでは施しさえコンビニエントであります。


2004年08月03日(火) やれやれ

失業したらゆっくり朝寝ができるなんて思っていたのは幻想でした。
だいたい子供は夏休みで、朝から大騒ぎです。それに朝から携帯に電話がかかってくるので、おちおち寝てもいられません。かといって、換気の悪いパソコン部屋で、50℃以上の熱風を吹き出すPCと一緒にいると、なにか作業しようという気にはなりません。それで、涼しい夜中にパソコンに向かっていると、睡眠時間が短くなってしまいます。

昨日に続いて、今日も会社時代の顧客に呼び出されました。でも仕事がもらえたので良しとしましょう。もちろんいきなり個人と取引はできませんから、どこかあいだに入ってもらう商社を探さないといけません。手形の割引とか、世の中には僕の理解していない様々な事象があるようです。

ずいぶん長いあいだミーティングに出てない気がするので(といっても先週月曜に出たかな)、杖突峠 を初めて通ってAAミーティングに行きました。時間があったので、公園の駐車場で昼寝をしたら、危うくミーティングに遅刻するところでした。

心も身体も疲れているんだなぁと感じた一日でした。
ホームページの更新もしたいし、時間もないことはないのですが、そこまで気力が回らないという感じです(やっぱミーティング不足かな)。

娘が耳の手術で2泊3日の入院で、妻は付き添い、下の娘はジジババのところへ行ってしまい、かりそめの独居生活をすることになりました。洗濯しないといけないし、アイロンもかけなきゃいけないし、炊飯器で一日あっためられて変な臭いのするご飯もなんとかしなくちゃ。


2004年08月01日(日) 消費戦線異状なし

結局7月は上旬に一回更新しただけで、終わってしまいました。いままでこんなに更新が少なかった月も珍しいのじゃないかと思います。

序盤はうつの状態が良くなくて、中盤は仕事を家に持ち帰るぐらいの状況になり、終盤は会社が「ああやっぱし」の状況になり、まさに序破急でありました。

ともかく個人事業主で行くのか、あくまで雇用を求めていくのか、まだ決まっていない状態で「急がずあわてず」でやっております。仕事用に携帯以外の電話番号を持たないといけないのですが、家族も出る電話じゃまずいし、AA用の番号と共用は嫌なので、しばし考えた後にIP電話の申し込みをしました。

今まで年金とか健康保険とか、会社が半分負担してくれていましたし、そもそも給料から天引きされていたので、さほど気にしていませんでした。これが全額自己負担になってくるわけです。しかも年金は配偶者の分が新しく発生します。
健康保険は国保に入るより、社保を任意継続したほうが安上がり。国民年金はそもそも払うかどうかが問題なのですが、まあとりあえず払うとしてもお金がないので、免除をお願いしようと思うのですが、源泉徴収票を見ながら、全額免除どころか半額免除も怪しい状態で、ため息をついております。
救いなのは失業保険が非課税であるところでしょうか。

失業した後のほうが支払いが増えるとは・・・、ああやっぱさらりまんは楽だったなーと、いまさらながらに思っている次第です。

午後は市内のスーパー銭湯へ。普段はあまり意識していない部位に鈍い痛みがあり、知らないうちに疲れがたまっていたことを知りました。「外食はやめようね」と言いながら、銭湯の帰りにサイゼリアに寄ってしまったり、パソコンの部品を購入したりと、消費行動にいささかの変化もない自分であります。


2004年07月31日(土) 病気自慢?

実兄が半日ドックに行ってきたそうで自慢(?)のメールが来ました。
彼は最近飲むことよりも、副業の健康サプリメント販売のほうに力を入れていて、いかにそれが効果があるかという宣伝の文章を月に数回メールで送ってきます。おそらく自動送信ソフトを使ってたくさんの人に送ってるのでしょうけどね。

> 本日は半日ドックでして、凄い結果が出ましたよ〜!
> (略)
> γGTPは60に落ちていました。特にγGTPは「最低でも4合以上
> 毎日飲まれていているので、年々上がって行きますので、
> せめて半分くらいに落とした方が良いです。」
> と、酒の量と煙草にチェックを受けていました。

彼は「俺はお前と違って、肝臓が丈夫だから大丈夫だ」と宣言していたのですが、γGTPが「下がって60」だとは、全然大丈夫じゃないじゃん。サプリメントの宣伝どころか、なんだか病気自慢にしか聞こえないけど。

酔っ払って、ガソリンスタンドだと思って田んぼに車を突っ込んだ兄。近所の飲み屋に飲みに行ったまま帰ってこず、家族で探したら朝になって側溝に落ちているのを見つけられた兄。飲み屋でけんかになって負けたボクサーのような顔になった兄。ブラックアウトのうちに、300万円の連帯保証人のはんこを押してしまい、家族の貯金すべてを吐き出した兄。
それでも、不思議と壁の内側(精神病院の中)には落ちないネクタイアル中であります。

彼の息子(僕とっては甥)は、「僕はお父さんのようにも叔父さんのようにもならない」と宣言していました。

一度飲んで怪我をしたときに、総合病院の外科に入院したことがあり、そのときにそこの精神科に診てもらう話がでたのですが、最後に奥さん(義姉)が拒みました。長期入院でもされたら、経済が回っていかないのでしょうか。

本人も家族も困っているのでしょうが、「本当に困って」いないうちは、どうにもならないのが現実です。まあ、依存症かどうかは、医者が決めることですが、医者に言わせれば「医者に来た時点でもう依存症確定」だそうであります。


2004年07月30日(金) 病める者は幸いである

94年2月から始まった僕のサラリーマン人生は、今日とりあえずピリオドを打ちました。

明日からもう人に面会する約束が入っており、これから二日にいっぺんぐらいは人と会う予定になっています。「技術者全員揃って来るなら、金を出してやるから会社を作れ」と言ってくれる奇特な人物も現れたりしています。でも、どこかの会社の子会社の役員をやるなんて、まっぴら御免という気持ちです。もし僕が社長をやるなら、社員は僕一人という会社になるでしょう。まあ、ともかく未来はさっぱり見えてきません。

「今は、社長になりたがる人の少ない時代だ」とある商社の人が言っていました。十年・二十年前であったなら、社長になりたがる人はもっと多かったと言いたいのでしょう。「失われた十年間」が日本の社会を変えてしまったのでしょうか。
最近で、威勢のいい言葉を聞けたのはライブドアの社長の発言ぐらいで、あとは社長といえば頭を下げている姿のほうがニュースなんかでは目立ちます。なんか、社長って損な役回りと受け取られても仕方ありませんね。

「ふつう会社がつぶれる時というのは、たいてい音沙汰なくて、銀行から電話がかかってきて知るのが毎度のパターンです。そして、駆けつけてみると会社が閉まっていて誰も入れないもんです。ここの社長のように、自分から電話を下さって、面会して事情を聞けるとは、まったく誠実なお人ですね」
などと何回か言われました。そういう時は、
「そういう人柄を慕って私どもも付き従って参りましたので、今回は本当に残念です」とか言っておきました。

確かに社長は誠実になりました。それは彼が元から持っていた性質なのでしょうが、健康が取り柄で、健康自慢をしていた頃には、それは影を潜めていたようです(人情深いところは今も昔も変りませんが)。脳腫瘍という病を経て、手術の結果記憶に障害を負うことになって、悩み苦しまなかったはずがありません。でもその結果、誠実さという徳を得たといっても過言ではないでしょう。それと事業の成功とは両立しなかったのですけど。

「毎日が夏休み」という状態になるのかと思ったら、割とやることがある日々がまっていました。どうやら神様は、僕をヒマにさせておいてはくれないようです。


2004年07月29日(木) 流されるままに・・・

この雑文を読んでいるヒマがあるのでしたら、とりあえず 文化庁の日本語世論調査 という記事を読んでいただきたいです。

恥ずかしながら僕は、正解だったのは「檄」と「的」の問題だけであります。テキスト系サイトオーナーとしては、かなり恥ずかしい結果です。姑息な手段・憮然たる様子・話のさわり、どれもすっかり間違えて使っておりました。ちなみに「憮然」は以前は「しょうぜん」と読んでいた時代もあります。

しかしまあ、間違えて使っている人のほうが多い場合、正しい意味で使うと誤解を受ける場合が多いわけで、それはそれで問題であります。例えば「水掛け論」という言葉も、水をぶっ掛けあう激しい論議という意味で使われたりしていますが、となると「」という結語を使うのはいかがなものか、という話になってしまいます。

その点、校正のプロの人はさすがプロであって、「ミーティングへ行きすがら」という言葉も「ミーティングへの道すがら」となおしてくれます。もっともパソコンの場合、かな漢字変換が「いきすがら」を変換してはくれません。押しも押されぬは変換してしまいますけどね。

さて、今日は債権者の訪問も山を越し、電話での主要なユーザーへの連絡もひと段落しました。百数十万円の売掛金をさっさと諦めて債権放棄の書類を送ってよこす会社もあれば、未収債権のカタにパソコン(新品)を持ち去る会社もありました。

営業の人たちは抜け目なく、会社が倒れても、社員たちが、新しい商売相手になるのかどうか見極めに来ています。会社がなくなっても仕事が消えるわけじゃないので、解雇されたあとも否応なく個人事業主として仕事を続けなくちゃならないのが運命のようです。

ネットオークションで「ITと呼ばれた子」を100円で買いました。でも冊子小包で290円。振り込み手数料が168円かかってしまい、500円以上になってしまいました。これなら古本屋のほうが安いですね。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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