心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年08月01日(日) 消費戦線異状なし

結局7月は上旬に一回更新しただけで、終わってしまいました。いままでこんなに更新が少なかった月も珍しいのじゃないかと思います。

序盤はうつの状態が良くなくて、中盤は仕事を家に持ち帰るぐらいの状況になり、終盤は会社が「ああやっぱし」の状況になり、まさに序破急でありました。

ともかく個人事業主で行くのか、あくまで雇用を求めていくのか、まだ決まっていない状態で「急がずあわてず」でやっております。仕事用に携帯以外の電話番号を持たないといけないのですが、家族も出る電話じゃまずいし、AA用の番号と共用は嫌なので、しばし考えた後にIP電話の申し込みをしました。

今まで年金とか健康保険とか、会社が半分負担してくれていましたし、そもそも給料から天引きされていたので、さほど気にしていませんでした。これが全額自己負担になってくるわけです。しかも年金は配偶者の分が新しく発生します。
健康保険は国保に入るより、社保を任意継続したほうが安上がり。国民年金はそもそも払うかどうかが問題なのですが、まあとりあえず払うとしてもお金がないので、免除をお願いしようと思うのですが、源泉徴収票を見ながら、全額免除どころか半額免除も怪しい状態で、ため息をついております。
救いなのは失業保険が非課税であるところでしょうか。

失業した後のほうが支払いが増えるとは・・・、ああやっぱさらりまんは楽だったなーと、いまさらながらに思っている次第です。

午後は市内のスーパー銭湯へ。普段はあまり意識していない部位に鈍い痛みがあり、知らないうちに疲れがたまっていたことを知りました。「外食はやめようね」と言いながら、銭湯の帰りにサイゼリアに寄ってしまったり、パソコンの部品を購入したりと、消費行動にいささかの変化もない自分であります。


2004年07月31日(土) 病気自慢?

実兄が半日ドックに行ってきたそうで自慢(?)のメールが来ました。
彼は最近飲むことよりも、副業の健康サプリメント販売のほうに力を入れていて、いかにそれが効果があるかという宣伝の文章を月に数回メールで送ってきます。おそらく自動送信ソフトを使ってたくさんの人に送ってるのでしょうけどね。

> 本日は半日ドックでして、凄い結果が出ましたよ〜!
> (略)
> γGTPは60に落ちていました。特にγGTPは「最低でも4合以上
> 毎日飲まれていているので、年々上がって行きますので、
> せめて半分くらいに落とした方が良いです。」
> と、酒の量と煙草にチェックを受けていました。

彼は「俺はお前と違って、肝臓が丈夫だから大丈夫だ」と宣言していたのですが、γGTPが「下がって60」だとは、全然大丈夫じゃないじゃん。サプリメントの宣伝どころか、なんだか病気自慢にしか聞こえないけど。

酔っ払って、ガソリンスタンドだと思って田んぼに車を突っ込んだ兄。近所の飲み屋に飲みに行ったまま帰ってこず、家族で探したら朝になって側溝に落ちているのを見つけられた兄。飲み屋でけんかになって負けたボクサーのような顔になった兄。ブラックアウトのうちに、300万円の連帯保証人のはんこを押してしまい、家族の貯金すべてを吐き出した兄。
それでも、不思議と壁の内側(精神病院の中)には落ちないネクタイアル中であります。

彼の息子(僕とっては甥)は、「僕はお父さんのようにも叔父さんのようにもならない」と宣言していました。

一度飲んで怪我をしたときに、総合病院の外科に入院したことがあり、そのときにそこの精神科に診てもらう話がでたのですが、最後に奥さん(義姉)が拒みました。長期入院でもされたら、経済が回っていかないのでしょうか。

本人も家族も困っているのでしょうが、「本当に困って」いないうちは、どうにもならないのが現実です。まあ、依存症かどうかは、医者が決めることですが、医者に言わせれば「医者に来た時点でもう依存症確定」だそうであります。


2004年07月30日(金) 病める者は幸いである

94年2月から始まった僕のサラリーマン人生は、今日とりあえずピリオドを打ちました。

明日からもう人に面会する約束が入っており、これから二日にいっぺんぐらいは人と会う予定になっています。「技術者全員揃って来るなら、金を出してやるから会社を作れ」と言ってくれる奇特な人物も現れたりしています。でも、どこかの会社の子会社の役員をやるなんて、まっぴら御免という気持ちです。もし僕が社長をやるなら、社員は僕一人という会社になるでしょう。まあ、ともかく未来はさっぱり見えてきません。

「今は、社長になりたがる人の少ない時代だ」とある商社の人が言っていました。十年・二十年前であったなら、社長になりたがる人はもっと多かったと言いたいのでしょう。「失われた十年間」が日本の社会を変えてしまったのでしょうか。
最近で、威勢のいい言葉を聞けたのはライブドアの社長の発言ぐらいで、あとは社長といえば頭を下げている姿のほうがニュースなんかでは目立ちます。なんか、社長って損な役回りと受け取られても仕方ありませんね。

「ふつう会社がつぶれる時というのは、たいてい音沙汰なくて、銀行から電話がかかってきて知るのが毎度のパターンです。そして、駆けつけてみると会社が閉まっていて誰も入れないもんです。ここの社長のように、自分から電話を下さって、面会して事情を聞けるとは、まったく誠実なお人ですね」
などと何回か言われました。そういう時は、
「そういう人柄を慕って私どもも付き従って参りましたので、今回は本当に残念です」とか言っておきました。

確かに社長は誠実になりました。それは彼が元から持っていた性質なのでしょうが、健康が取り柄で、健康自慢をしていた頃には、それは影を潜めていたようです(人情深いところは今も昔も変りませんが)。脳腫瘍という病を経て、手術の結果記憶に障害を負うことになって、悩み苦しまなかったはずがありません。でもその結果、誠実さという徳を得たといっても過言ではないでしょう。それと事業の成功とは両立しなかったのですけど。

「毎日が夏休み」という状態になるのかと思ったら、割とやることがある日々がまっていました。どうやら神様は、僕をヒマにさせておいてはくれないようです。


2004年07月29日(木) 流されるままに・・・

この雑文を読んでいるヒマがあるのでしたら、とりあえず 文化庁の日本語世論調査 という記事を読んでいただきたいです。

恥ずかしながら僕は、正解だったのは「檄」と「的」の問題だけであります。テキスト系サイトオーナーとしては、かなり恥ずかしい結果です。姑息な手段・憮然たる様子・話のさわり、どれもすっかり間違えて使っておりました。ちなみに「憮然」は以前は「しょうぜん」と読んでいた時代もあります。

しかしまあ、間違えて使っている人のほうが多い場合、正しい意味で使うと誤解を受ける場合が多いわけで、それはそれで問題であります。例えば「水掛け論」という言葉も、水をぶっ掛けあう激しい論議という意味で使われたりしていますが、となると「」という結語を使うのはいかがなものか、という話になってしまいます。

その点、校正のプロの人はさすがプロであって、「ミーティングへ行きすがら」という言葉も「ミーティングへの道すがら」となおしてくれます。もっともパソコンの場合、かな漢字変換が「いきすがら」を変換してはくれません。押しも押されぬは変換してしまいますけどね。

さて、今日は債権者の訪問も山を越し、電話での主要なユーザーへの連絡もひと段落しました。百数十万円の売掛金をさっさと諦めて債権放棄の書類を送ってよこす会社もあれば、未収債権のカタにパソコン(新品)を持ち去る会社もありました。

営業の人たちは抜け目なく、会社が倒れても、社員たちが、新しい商売相手になるのかどうか見極めに来ています。会社がなくなっても仕事が消えるわけじゃないので、解雇されたあとも否応なく個人事業主として仕事を続けなくちゃならないのが運命のようです。

ネットオークションで「ITと呼ばれた子」を100円で買いました。でも冊子小包で290円。振り込み手数料が168円かかってしまい、500円以上になってしまいました。これなら古本屋のほうが安いですね。


2004年07月28日(水) day bad but not the worst

「例の案件」について関係各社に連絡する予定日がやってまいりました。
電話をするという損な役目は当然のように僕のところに回ってきます。
「突然で申し訳ありませんが、会社が倒産し、私どもも解雇されますので、受注した業務の作業が続行できません」と言うと、相手は一様に全員まずは絶句し、電話を切って上司と相談した後に、改めて怒りの電話をかけてくるパターンを取りました。

直接の取引先である商社は、僕の携帯の番号を教えろといってうるさくてかないません。仕方なく教えると、今度はそちらに直接電話して来ました。こんなことが8月も続くようなら、携帯の番号をバラさなきゃ、やってられねーなーと思い悩むハメになりました。
3時間後に商社様ご一行が到着。押し問答というか、平身低頭というか、ひざ詰め談判というか、そんなようなのを3時間ほど応接室で続けた挙句、最後は注文書を回収して帰ってくれました。
もはや社長には当事者能力がなく、奥さんが同席して破産の状態を説明しています。その状況が「社長の健康状態が悪化して資金繰り悪く倒産」という状況を雄弁に語ってくれます。それが好材料だったのかもしれません。

今週は債権者やら商社やらが訪れて、大なり小なり違いはあれ、毎日こんな感じです。さすがに精神的疲れがたまってきました。メールもいくつか頂いていますが、返事を書く気力がないといったところです。すんません。返事のない用件は進んでいないと思ってください。

来週になれば暇になるのかどうか、それも明日になってみなければわかりません。まさに「感情のその日暮らし」といったところでしょうか。

「危機ではなく、幻想の終わりに過ぎない」

いま危機に陥ったわけでもなく、リスクは以前から存在したわけです。安全であり安心できるというのは、人の願望が作り出す幻想でしょう。


2004年07月27日(火) ある作家の死

アル中が死んだ記事 が出ていました。

最初にこの人の存在を知ったのは、おそらく朝日新聞での連載記事が最初だったと思います。それから10年後ぐらいの1994年、文庫化された『今夜すべてのバーで』に出会いました。ちょうど運転免許を取ったころです。
その内容に、共感を覚えるとともに嘲笑し、回復への期待を持つとともに絶望も知りました。自分がそのような難病に罹っていると知るのは怖いことでした。そして、その年に2回目の精神病院への入院を果たします。そこで「もう一人のアル中」と初めて出会いました。そしてその人は、その本の内容を「よく書いてある。でも実際のアル中は、こんなきれい事じゃないよ」と言いました。
また、その人はAAに参加したことがあり、それは「アル中の○○です」と名乗るものの、アル中を名乗る決まりはなく、神という言葉が出てくるが宗教ではないので何かを信じるわけでもなく、黄色い本を読み、順番に話すものの話したくなければ話さないでいいし、名前を名乗るのも名乗らないのも自由で、遅れてきても早く帰ってもいいのだと、伝えてくれました。
そしてその8ヵ月後、僕は生まれて初めて、実際のAAミーティングに出席したのでした。

その後、AA仲間に薦められて読んだ『水に似た感情』では、双極性躁うつ病の感情に触れました。『ガダラの豚』はエキサイティングで面白かったです。酒を止めたという話が雑誌に載ったり、また飲んでいるという話が別の雑誌に載ったり・・・。

階段から転げ落ちて死んでしまうとは、なんともこの病気らしい結末です。52歳という年齢もこの病気らしいです。彼は僕の人生を変えるきっかけを作ってくれましたが、彼自身は人生を変えるきっかけを掴めなかったのかもしれないし、掴みたくなかったのかもしれません。

多くの人たちがたどる道を、彼もまた辿って行ったということです。


2004年07月26日(月) ノイズキャンセリング・ヘッドフォン

こちらの記事 を参考に、SONYの ノイズキャンセリング・ヘッドフォン を買ってみました。

先日の3連休の際に、子供の声がうるさかったりして、まったく自宅で仕事にならなかったので、擬似的にでも静かな環境を作ろうと考えたわけです。

パソコンの冷却ファンの音、洗濯機の音、近所を通る電車の音などはかなりきれいに消えてくれます。ただ噂どおり、ノイズキャンセリング(消音)が効くのは低音だけで、高音部はイヤーピースの材質で遮音している感じです。だから、同じ部屋の中で人がしゃべっていれば、だいたい聞こえてきてしまいます。はたして子供の声に効果があるかは疑問です。

しかし、深夜に一人の部屋でこれを使っていると、聞こえてくるのは人体の内部の音です。心臓の鼓動(実際には耳の血管の音)、首の筋肉の音、上下の歯のこすれる音などなど。コーラをのんでげっぷする音は意外に大きな音です。
一方、いつもカシャカシャ音がしているキーボードからは、かすかにカチカチという音しか聞こえてきません。

国民健康保険に入るより社会保険の任意継続を選んだほうが安くつくとか、どういうアルバイトをすると失業保険が打ち切りになるとか、国民年金の支払いはいくらかだとか、初めて知ることがたくさんあります。

明日は、先週痛めた左手の小指の傷の抜糸です。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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