心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年07月14日(水) 「心の病気の方への質問100」に答える(その1)

01.それではまず、ハンドルネームを教えて下さい。

 「すすむ」です。以前は「ひいらぎ」と名乗っていました。
 そのほうがよければ「ひいらぎ」と呼んでくださってかまいません。

02.出身地と現在住んでいるところを教えてください。

 長野県で長野県。

03.血液型は?

 AB型

04.ネット暦はどの位ですか?

 アスキーネットに接続したのが1985年。
 インターネット接続は1996年。

05.サイト開設してからどの位ですか?

 開設が2002年1月だから、2年半ですね。

06.家族構成は?

 義父母・妻・娘二人・モルモット一匹

07.あなたを動物に例えると何?

 うさぎ年だからウサギ。一人だと淋しくて死んじゃう。

08.あなたの長所と短所を簡単に教えて下さい。

 真面目なところ。真面目すぎるところ。
 いい加減なところ。いい加減すぎるところ。

09.現在の職業は?

 現在は会社員。

10.病名は何ですか?(差し支えない程度で)

 アルコール依存症(持続完全寛解)
 うつ病(大うつ病性障害・反復性)

11.↑その病気になってからどの位ですか?

 アルコール依存症は自分で過去を振り返ると21歳のとき。医師の診断は30歳のとき。
 うつ病は自分で過去を振り返ると18歳のとき。医師の診断は28歳のとき。

12.専門医にかかっていますか?

 普通の精神科医です。依存症や気分障害の専門医ではありません。

13.↑医師は信頼できますか?

 基本的な信頼関係がないと、治療が成り立ちません。

14.病院巡りをしてしまいましたか?それともまだこれというところが見付からず探していますか?

 現在の医師が4人目です。

15.どんな点で病院を選びますか?

 待ち時間が短いとこ。

16.周りの人たちは病気のことを知っていますか?

 病名は知っているが、病気のことを本当にわかっているかどうかは疑問であります。

17.家族は理解してくれますか?

 それぞれの立場でできるだけ。感謝しています。

18.ネット上では心の病気のことを公開してますか?またはこの質問に答えることによって公開する予定ですか?

 ネット上では明らかにしているけれど、どこの誰と名乗っているわけではないので、「公け」にしているわけではありません。

19.公開していることをどう思いますか?

 珍しい病気ではないことを理解してもらえれば嬉しいです。

20.逆に隠していることをどう思いますか?

 珍しい病気でないからといって、関係ないサイトで告白したりしていません。


2004年07月13日(火) 自分にとっての紙とペン

日本語ワードプロセッサーが初めて開発されたのが昭和50年だといいますから、(25を足して)1975年のことであります。もちろん売り物ではなかったそうです。

初めてパソコンを買ったのが1982年でした。プリンターも買いました。それだけで70万円以上しましたから、貧乏学生にとっても、その親にとっても大変な買い物でした。
友人がその上で動く簡単な日本語ワープロのソフトを組んだのが、僕と日本語ワープロの付き合いの始まりです。当時は、感じを一文字一文字入力していました。

3年後ぐらいに、かなを漢字に文節単位で変換できるようになったソフトが発売されて、多少実用になる時代がきました。大学のレポートをワープロで書いて出して、教授に呆れられたのを憶えています。「お前これ実験の時間よりワープロで仕上げる時間のほうが長かっただろう」と。

大学のサークルでは文字系の同人に入っていて、文章ばっかりの同人誌を出していたのですが、そこでの僕の役割は清書屋でした。人様に読んでもらえるような「そこそこきれいな字」が書けたというわけです(当時は)。

しかしワープロが進化し、私信もそれで書くようになっていくと、だんだん字は汚くなっていきました。ペンを持つだけの筋肉が衰え、それをコントロールする脳も衰えていったからでしょう。そして、そんなことは起こるまいと思っていたのですが、ワープロを使っていると漢字を書く能力が失われていきます。

今では僕は、ワープロやテキストエディタやスプレッドシートを使って、文字を書き、ものを考え、修正し、また考えています。同じことを紙とペンでもってやれと言われたら、それは洗濯機で洗濯をすることを覚えた人間に、洗濯板を渡して洗濯しろと言っているように感じるでしょう。漢字を思い出したり、人様が読めるような字を書くことに時間をかけるよりも、そのぶん「思うこと」に時間をかけたいのです。

だから、僕は相変わらず私信もワープロで書きます。ステップ4もスプレッドシートに向かって自分の内面を探ります。そのことを快く思わない人間もいるでしょうが、僕は気にしません。Live and let liveであります。僕にとってのペンと紙は、19インチCRTとキーボードであることに今後も変わりないでしょう。

「紙とペンを使って書く」とあるときに、僕は現実が許す限り自分にとっての紙とペン(つまりパソコンだ)を使わせてもらうことにしているのです。


2004年07月12日(月) Filling the Big Empty

妻がうつで起きられないので、朝7時から起きて子供の世話をするハメになりました。保育園にお昼寝用のふとんと子供を送り届けて会社へ。睡眠時間が短いのであたまがズキズキしました。

夕方、AAミーティングに行くか、そのまま仕事を続けるか、仕事を持ち帰って家でするかの3択を迫られました。もちろんミーティングに行き、家に帰って余裕があったら仕事をすることにしました。机の上には「自宅作業中」の札をぶら下げておきました。

僕の心には、大きな隙間が空いているのです。その空虚を、以前の僕はアルコールで満たそうとしていました。しかし決して満たされることはありませんでした。だから、僕の酒は止まりませんでした。
酒を止めてみても、隙間は大きく空いたまま残っていました。その空隙に、AAの仲間や仕事の仲間や家族が入り込んで、淋しさや孤独や恨みや妬みを吹き払ってくれました。でも、僕の心の空虚は大きくて、どうやっても満たされない空間が残ってしまうのでした。

僕は様々なもので隙間を埋めようとしてきました。例を挙げるなら昨日の競馬であります。けれどそれらでは決して永続的に満たされることはなかったのです。

残念ながらスポンサーは断られてしまいましたが、その人はミーティングの後に1時間以上も僕に話をしてくれました。自分よりソブラエティの長い仲間とグループを一緒にしたのはたった2ヶ月という一匹狼の自分には、ありがたい機会であります。

「ハイヤーパワーとの人格的なふれあいを求めたらどうだろう」

うーむ。痛いところを。今まで僕は「観念的なふれあい」しか求めてきませんでした。だから邪魔なときにはいつでもそれを脇にどけることができたのです。観念的な神の存在は、否定したければいつでも否定できます。

僕には人格を持った神様というのはまだ想像できません。けれど、仏様だったらどうでしょうか。人格を備えた大仏様のような存在と対話することを考えると、そんなに無理な話ではありません。

「私の存在を否定することはできないでしょう? 私と人格的なふれあいをしているのだから」

そうその人は言いました。だから、ハイヤーパワーとの人格的なふれあいをすれば、その存在を否定することもできなくなるだろうと。そして、神は僕の心の空隙を、永続的で無限の愛でもって満たしてくれるだろうと。

果たして僕は、人格的なふれあいを求めていけるのでありましょうか?


2004年07月11日(日) 愚か者

仕事も煮詰まった土曜日の深夜、僕は家を抜け出してコンビニに買い物に行くことにしました。目的物は日刊ゲンダイであります。
すでに3月に競馬の在宅投票システムの申し込みは済ませてあったのですが、なんとなくやる気がしなくて、ほったらかしでありました。今から思えば、それは健全なことだったのでしょう。
なぜ日刊ゲンダイが要るかというと、AA仲間から「競馬の予想は日刊ゲンダイが一番」と聞いたからです。

着替えていると、深夜だというのに長女が出てきました。おなかがすいて眠れないそうであります。「コンビニに行くけど、何か欲しいものがあるか」と聞くと、タラコのおにぎりと「じゃがりこ」のチーズ味という希望でした。

一番近いコンビには、往復徒歩&買い物で25分ぐらいでしょうか。しかしそこに、日刊ゲンダイはありませんでした。(次のコンビニに行こうか?)そういう考えが心を横切ります。でも、子供がおなかすかして待っているからなぁ。(じゃ、あと一軒だけ)
三軒目のコンビニに向かうときにはもう娘のことは忘れていました。

駅前の繁華街は酔客であふれていました。二人組みの女性に、二人組みの男が声をかけます。
「なにー、シカトすんのー?」
「そんなことないしー」
「じゃさー、2対2で飲みに行こうよ」
「えー、どーしよー」
(おいらも、こんなバカっぽい青春を送っとけばよかったか・・・)

ここは夕刊のない地域なのだと思い出したのは、四軒目のコンビニでした。「勝馬」を買って帰りました。おにぎりはマヨネーズウィンなーしかありませんでした。

寝ていると思った娘は1時間後もまだ起きていました。
「待たせてごめんねー、おにぎり探してたのさ」
ああ、なんと空虚な嘘なのだろう。
2100円投票して、日曜の夕に調べてみたら払戻金が1280円でした。回収率6割、いや「勝馬」が400円だから、実質回収率は5割。なんのカタルシスもありません。でも、来週の週末が早く来て欲しいような気もします。

心の空虚は、競馬の在宅投票なんぞでは埋まりっこないのであります。



2004年07月10日(土) 紙の新聞

休日出勤+仕事持ち帰りであります。

いままで紙の新聞を取ってきたのですが、そろそろやめようかと思います。
夕刊+朝刊の統合版の値段は月に約3千円です。毎日になおすと100円程度なんですが、これだけの意味があるかないか・・・。インターネット上の新聞社のサイトでもほとんど同じ記事を読むことができます。僕は朝刊を朝読む人ではないので、夜に帰ってきてから夕食を食べながら目を通すことが多いです。ときには、読まれることのない新聞がストッカーに積まれていくこともあります。
紙の新聞の良いところは、切抜きができることでしょうか。もっともネット上の新聞ならファイルへ保存すれば済むことですが。
テレビ欄はヤフーで探せば、新聞より便利なのが見られます。

文化記事の類は結構好きで読んでいます。最近でいえば掲示板のほうで話題に上がった吉野朔美の近作の内容がとってもヘビーであることとか、アーシュラ・K・ル=グインのゲド戦記の新刊が出たことだとか・・・、最近ではないけど仏教者とキリスト教者の「快さではなく善さを」という対話の記事であるとか、ネットでは捉えることのできない情報があります。
でもその情報の対価に3千円と言われるとちょっとなー。

あと、捨てるのが資源物の日に限られてしまい、しかも新聞とチラシを分別しないといけないため、前の晩は大層めんどくさい作業を強いられるということもあります。
新聞紙がないと困ることもあるけど、義父母が地方紙を取ってるからそれも問題ありません。新聞が買いたいときはコンビニで売ってるのを買えばいいし。

教育のために子供に新聞を読ませればいいという話もありますが、こう世相が悪くちゃ見せたくない記事のほうが多いです。

あとは新聞屋に電話する勇気の問題ですな。「お金ないんで新聞取るのやめます」って言おうかな。最近そういうことが臆面もなく言えるようになった自分が怖いです。


2004年07月09日(金) びろん・びろん・びろん

最近ウィンドウズOSの起動に5分以上、いや時には10分以上かかるようになってしまいました。以前は、1分ぐらいで起動して、すぐに使えるようになっていたのですが・・・。

起動が1分ぐらいなのは変わりないのですが、すぐに使えるようになりません。アイコンをダブルクリックしても反応がありません。「おっかしーなー」と思って、あっちこっちダブルクリックして回っていると、5分後に「びろん・びろん・びろん」とたくさんのウィンドウが開くことになります。

それでも我慢して使っていたのですが、症状が進行性だったので、ついに原因究明に乗り出しました。結論から言うと、ウィルス対策に使っていたノートンのAntiVirusが原因と判明しました。バージョンを調べてみると2002とありました。2001年に買ったものです。そういえば、あの頃はいろんなアンチウィルスソフトを買って試していたっけ。あの頃は金が少し余っていたんだなーと感慨に浸ってみたりします。

まあ3年も使ったんだから元を取ったと考えて、新しいソフトを買いました。

ウィルス対策ソフトなんて必要なのか? と聞かれることはありますが、僕の場合には必要です。ホームページ上にメールアドレスをさらしていると、SPAMメールが一日に100通近く届きまして、その中には何通かウィルスつきのメールもあります。油断しているとその餌食になりかねません。

AAの仲間が送ってくれるWordやExcelのファイルのなかには、立派にマクロウィルスに感染しているのもあります。ただ実害がない場合も多いですし、感染を指摘するにしても、どうやって駆除するのか説明してあげるのも面倒なので放ってあります。

自分が感染していないか不安という方は、こちら のページに感染を調べる機能があるので、お試しあれかし。



2004年07月08日(木) 百人のAAがいれば、百のプログラムがある

AAミーティング、テーマは「助けなしには手に余るもの」。

「神は、自分で助かろうと努力する者に、よりいっそうの援助の手を差し伸べるのだ」

最近つくづく思うのは、回復のプログラムは、本当に皆、違っているなということであります。「百人のAA(メンバー)がいれば、百のプログラムがあるのだ」という宣言を、文字通り感じているものであります。

AAの窓口は広く、そして奥行きも深い(現実はともかく、理想はそうあるべき)です。そこにはどんな考え方でも受け入れる余地があります。そして、お互いの議論についても決して悪とはされていません。

Grapevineを読んでいると、まったく逆の見解が書かれていたりして楽しいものです。たとえば金銭に対して無力であることをどう受容するかについて、ある号でシングルマザーの女性が記事を書いていたかと思うと、2号あとにはまったく逆の見解の記事が載ったりします(どの号だとは聞かないでね、もう忘れてるから)。
アルコールの問題もあるけれど、主に薬物の問題も抱えた人が、AAミーティングで薬物の話をするのも許されることが、そうでないことかも、一致した見解もないようです。
私たちは自由を与えられていることは間違いないようです。

一つ心得ておかなければならないとするならば、私たちは、人のソブラエティのありように判定を下すような「ソーバー評論家」になってはいけないということです。自分の物差しで他人を計るということは、他人の物差しで自分を計るのと同じぐらい馬鹿げたことであります。

僕も「あのような考え方は苦しそうだ」とか「あのように親分子分をやっていつまでも安定していられるんだろうか」などと思うばかりか、口にしてしまうことも少なくありません。

「ステップの本の121ページ」とだけ単純に教えていただきました。AAメンバーに対して、好き・嫌い、合う・合わない、一緒にやれる・やれないという違いは、相手がもたらしている問題ではなく、自分の内部の問題なのだと。



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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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