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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年07月11日(日) 愚か者 仕事も煮詰まった土曜日の深夜、僕は家を抜け出してコンビニに買い物に行くことにしました。目的物は日刊ゲンダイであります。
すでに3月に競馬の在宅投票システムの申し込みは済ませてあったのですが、なんとなくやる気がしなくて、ほったらかしでありました。今から思えば、それは健全なことだったのでしょう。
なぜ日刊ゲンダイが要るかというと、AA仲間から「競馬の予想は日刊ゲンダイが一番」と聞いたからです。
着替えていると、深夜だというのに長女が出てきました。おなかがすいて眠れないそうであります。「コンビニに行くけど、何か欲しいものがあるか」と聞くと、タラコのおにぎりと「じゃがりこ」のチーズ味という希望でした。
一番近いコンビには、往復徒歩&買い物で25分ぐらいでしょうか。しかしそこに、日刊ゲンダイはありませんでした。(次のコンビニに行こうか?)そういう考えが心を横切ります。でも、子供がおなかすかして待っているからなぁ。(じゃ、あと一軒だけ)
三軒目のコンビニに向かうときにはもう娘のことは忘れていました。
駅前の繁華街は酔客であふれていました。二人組みの女性に、二人組みの男が声をかけます。
「なにー、シカトすんのー?」
「そんなことないしー」
「じゃさー、2対2で飲みに行こうよ」
「えー、どーしよー」
(おいらも、こんなバカっぽい青春を送っとけばよかったか・・・)
ここは夕刊のない地域なのだと思い出したのは、四軒目のコンビニでした。「勝馬」を買って帰りました。おにぎりはマヨネーズウィンなーしかありませんでした。
寝ていると思った娘は1時間後もまだ起きていました。
「待たせてごめんねー、おにぎり探してたのさ」
ああ、なんと空虚な嘘なのだろう。
2100円投票して、日曜の夕に調べてみたら払戻金が1280円でした。回収率6割、いや「勝馬」が400円だから、実質回収率は5割。なんのカタルシスもありません。でも、来週の週末が早く来て欲しいような気もします。
心の空虚は、競馬の在宅投票なんぞでは埋まりっこないのであります。
2004年07月10日(土) 紙の新聞 休日出勤+仕事持ち帰りであります。
いままで紙の新聞を取ってきたのですが、そろそろやめようかと思います。
夕刊+朝刊の統合版の値段は月に約3千円です。毎日になおすと100円程度なんですが、これだけの意味があるかないか・・・。インターネット上の新聞社のサイトでもほとんど同じ記事を読むことができます。僕は朝刊を朝読む人ではないので、夜に帰ってきてから夕食を食べながら目を通すことが多いです。ときには、読まれることのない新聞がストッカーに積まれていくこともあります。
紙の新聞の良いところは、切抜きができることでしょうか。もっともネット上の新聞ならファイルへ保存すれば済むことですが。
テレビ欄はヤフーで探せば、新聞より便利なのが見られます。
文化記事の類は結構好きで読んでいます。最近でいえば掲示板のほうで話題に上がった吉野朔美の近作の内容がとってもヘビーであることとか、アーシュラ・K・ル=グインのゲド戦記の新刊が出たことだとか・・・、最近ではないけど仏教者とキリスト教者の「快さではなく善さを」という対話の記事であるとか、ネットでは捉えることのできない情報があります。
でもその情報の対価に3千円と言われるとちょっとなー。
あと、捨てるのが資源物の日に限られてしまい、しかも新聞とチラシを分別しないといけないため、前の晩は大層めんどくさい作業を強いられるということもあります。
新聞紙がないと困ることもあるけど、義父母が地方紙を取ってるからそれも問題ありません。新聞が買いたいときはコンビニで売ってるのを買えばいいし。
教育のために子供に新聞を読ませればいいという話もありますが、こう世相が悪くちゃ見せたくない記事のほうが多いです。
あとは新聞屋に電話する勇気の問題ですな。「お金ないんで新聞取るのやめます」って言おうかな。最近そういうことが臆面もなく言えるようになった自分が怖いです。
2004年07月09日(金) びろん・びろん・びろん 最近ウィンドウズOSの起動に5分以上、いや時には10分以上かかるようになってしまいました。以前は、1分ぐらいで起動して、すぐに使えるようになっていたのですが・・・。
起動が1分ぐらいなのは変わりないのですが、すぐに使えるようになりません。アイコンをダブルクリックしても反応がありません。「おっかしーなー」と思って、あっちこっちダブルクリックして回っていると、5分後に「びろん・びろん・びろん」とたくさんのウィンドウが開くことになります。
それでも我慢して使っていたのですが、症状が進行性だったので、ついに原因究明に乗り出しました。結論から言うと、ウィルス対策に使っていたノートンのAntiVirusが原因と判明しました。バージョンを調べてみると2002とありました。2001年に買ったものです。そういえば、あの頃はいろんなアンチウィルスソフトを買って試していたっけ。あの頃は金が少し余っていたんだなーと感慨に浸ってみたりします。
まあ3年も使ったんだから元を取ったと考えて、新しいソフトを買いました。
ウィルス対策ソフトなんて必要なのか? と聞かれることはありますが、僕の場合には必要です。ホームページ上にメールアドレスをさらしていると、SPAMメールが一日に100通近く届きまして、その中には何通かウィルスつきのメールもあります。油断しているとその餌食になりかねません。
AAの仲間が送ってくれるWordやExcelのファイルのなかには、立派にマクロウィルスに感染しているのもあります。ただ実害がない場合も多いですし、感染を指摘するにしても、どうやって駆除するのか説明してあげるのも面倒なので放ってあります。
自分が感染していないか不安という方は、こちら のページに感染を調べる機能があるので、お試しあれかし。
2004年07月08日(木) 百人のAAがいれば、百のプログラムがある AAミーティング、テーマは「助けなしには手に余るもの」。
「神は、自分で助かろうと努力する者に、よりいっそうの援助の手を差し伸べるのだ」
最近つくづく思うのは、回復のプログラムは、本当に皆、違っているなということであります。「百人のAA(メンバー)がいれば、百のプログラムがあるのだ」という宣言を、文字通り感じているものであります。
AAの窓口は広く、そして奥行きも深い(現実はともかく、理想はそうあるべき)です。そこにはどんな考え方でも受け入れる余地があります。そして、お互いの議論についても決して悪とはされていません。
Grapevineを読んでいると、まったく逆の見解が書かれていたりして楽しいものです。たとえば金銭に対して無力であることをどう受容するかについて、ある号でシングルマザーの女性が記事を書いていたかと思うと、2号あとにはまったく逆の見解の記事が載ったりします(どの号だとは聞かないでね、もう忘れてるから)。
アルコールの問題もあるけれど、主に薬物の問題も抱えた人が、AAミーティングで薬物の話をするのも許されることが、そうでないことかも、一致した見解もないようです。
私たちは自由を与えられていることは間違いないようです。
一つ心得ておかなければならないとするならば、私たちは、人のソブラエティのありように判定を下すような「ソーバー評論家」になってはいけないということです。自分の物差しで他人を計るということは、他人の物差しで自分を計るのと同じぐらい馬鹿げたことであります。
僕も「あのような考え方は苦しそうだ」とか「あのように親分子分をやっていつまでも安定していられるんだろうか」などと思うばかりか、口にしてしまうことも少なくありません。
「ステップの本の121ページ」とだけ単純に教えていただきました。AAメンバーに対して、好き・嫌い、合う・合わない、一緒にやれる・やれないという違いは、相手がもたらしている問題ではなく、自分の内部の問題なのだと。
2004年07月07日(水) 求むスポンサー スポンサーを持たないAAライフを送ってもう何年にもなりました。
いや、別に僕のスポンサーは死んでしまったわけでも、AAを去ってしまったわけでもありません。でも、お互いにミーティングを共にすることもなくなりましたし、電話をすることもなくなって、相談事をすることもなくなりました。たまに会えば、「お元気そうで何より」という挨拶をするぐらいの間柄です。
この人と一緒にミーティングをやっていたとき以外は、僕はホームグループの中に「先行く仲間(自分よりソブラエティの長い仲間)」なしでやってきました。スポンサー関係がなくなった後は、海図と羅針盤を頼りに自分で航海を続けてきたといったところでしょうか。
ソブラエティがある程度長くなれば、スポンサーなんて要らないという考え方もあります。対して「スポンサーシップは大切だ」と言いながら、自分にはスポンサーが(事実上)いないという事実を自分は軽く見すぎていたのかもしれません。
先日、ステップ5の相手をお願いしてきたと仲間に話したら、「どうしてその人にスポンサーをお願いしないのか?」と言われてしまいました。
ステップ5の相手をしてもらうと言うことは、その相手のことを信頼している(というか、信頼したいと願っている)ことでもあります。信頼したいと願える相手は、一時的なピンチヒッターではなく、きちんとスポンサーを頼んでみるべきではないか、というのは至極まっとうな考えです。
僕の病気は深いので、スポンサーは誰でもいいという訳にはいきません。だから、いつの間にか探す努力をやめてしまっていました。せっかく信頼したいと願える相手に出会えたのに、ピンチヒッター扱いしてしまうなんて。そういう自分に気づかせてくれた仲間に感謝であります。
まあ、その人がスポンサーを引き受けてくれるかどうかは、また別の話であります。
2004年07月06日(火) だから今日一日 祖母が死んだのは、盂蘭盆の頃でした。
寝たきりになっていた祖母の部屋と廊下を挟んで反対側の部屋で、僕はアルコールと抑うつで寝込んでいました。「うちには寝たきりが二人いる」と言われたものでした。自分が寝たきりだったのに、孫の心配をしていた祖母でした。
祖母が死んだのを聞かされたのは、アルコール専門病院に入ってひと月たった頃でした。病院のスタッフから伝言を受け取って、僕は約一ヶ月ぶりに世間へと戻り、たちまちのうちに酔っ払いました。泥酔して葬式の手伝いなどロクにできず、喪服のネクタイもまともに結べませんでした。
父が死んだのは、その一年余り後でした。
狭心症の発作で倒れた父。お酒は一合ぐらいなら血行を良くしていいけれど、タバコは厳禁と医者に言われていたのに、僕の手前、酒は飲まずタバコを吸っていた父は、数日後「寒い」と言ってコタツで寝た翌朝、固くなって見つかりました。実はその間も僕はずっと隠れて飲んでいました。
父の葬式の間は人の目もあって飲めませんでした。禁断症状でぶるぶる震える手で、ビールを注いで回っていました。がたがたと震えながら、目の前の一杯が飲みたくてしかたありませんでした。式が終わると日本酒が十八本余ったので、一本ちょろまかして自室に隠しておきましたが、母がちゃんと数を数えていたようで「すすむ、返しなさい」と言ってきました。僕はなんだか父にすまないような気がして、素直に返しました。
それが、自力で酒を切れた最後の経験となりました。
だがそれも3週間あまりで、飲酒へと逆戻りすることになります。春になる頃、僕は精神病院の中にいました。
その後何年間かは、祖母と父の○年忌というのが続きました。おまけに妻方の祖母や大叔母が亡くなり、葬式やら法事やらがちょくちょくありました。仏式の法話というのは、教会で立ち話をした神父さんの話と良く似ていました。
どんな日を送っていても、死は人に平等に訪れるものであります。だから今日一日。
2004年07月05日(月) 会うは別れのハジメなり というアルバムが立花ハジメにありましたな。
最近、あいついで二人のAAメンバーが天命を全うされました。残念ながら、僕は二人とも知己を得ませんでしたので、知っているのは顔と名前だけであります。有名なAAメンバーというのが存在し得ない以上、それも当たり前なのかもしれません。
直接知るメンバーたちには悲しみが残るのでしょうが、話を聞いただけの人間としては、「飲まずに死ぬのが私たちの目的である以上、目的を遂げた爽やかさ」というものを感じます。自分もそうありたいという願いがあります。
JSOに電話したら、すでにKさんは退職されたという話を聞きました。人間いつかは今いる場所を去るものであります。
会社の朝会で、社長が会社をたたむ可能性を示唆しました。先週に収支状態を聞かされていたので、「まあそうだろうな」と思っただけで、それほど感慨はありません。職を失えば経済的に困るでしょうし、生活レベルを下げるのに慣れるのは大変なことです。でも、そちらはあまり心配していません。あがいたところで自力での解決はできない問題ですから。
しかし、中途半端で終わるかもしれないプロジェクトに対して、モチベーションを保ち続けられるか自信がありません。会社に対してはプライドなんて存在してませんが、職業に対してはプロ意識というものはあります。金銭的な問題で頓挫するプロジェクトというのは、いつでも悲しいものであります。
人生に始まりがあって終わりがあるように、居場所にも始まりがあって終わりがあります。長く同じ場所にとどまるのを神様は僕に許してくれないようであります。出会いがあれば、別れもあるのが人生。
さらりーまんであるのは楽でよかったけれど、こんどは個人事業主ならざるを得ないかもしれません。自由は増えるけれど、自己管理能力が問われるから大変なんですよね。
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