心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年07月07日(水) 求むスポンサー

スポンサーを持たないAAライフを送ってもう何年にもなりました。
いや、別に僕のスポンサーは死んでしまったわけでも、AAを去ってしまったわけでもありません。でも、お互いにミーティングを共にすることもなくなりましたし、電話をすることもなくなって、相談事をすることもなくなりました。たまに会えば、「お元気そうで何より」という挨拶をするぐらいの間柄です。

この人と一緒にミーティングをやっていたとき以外は、僕はホームグループの中に「先行く仲間(自分よりソブラエティの長い仲間)」なしでやってきました。スポンサー関係がなくなった後は、海図と羅針盤を頼りに自分で航海を続けてきたといったところでしょうか。
ソブラエティがある程度長くなれば、スポンサーなんて要らないという考え方もあります。対して「スポンサーシップは大切だ」と言いながら、自分にはスポンサーが(事実上)いないという事実を自分は軽く見すぎていたのかもしれません。

先日、ステップ5の相手をお願いしてきたと仲間に話したら、「どうしてその人にスポンサーをお願いしないのか?」と言われてしまいました。
ステップ5の相手をしてもらうと言うことは、その相手のことを信頼している(というか、信頼したいと願っている)ことでもあります。信頼したいと願える相手は、一時的なピンチヒッターではなく、きちんとスポンサーを頼んでみるべきではないか、というのは至極まっとうな考えです。

僕の病気は深いので、スポンサーは誰でもいいという訳にはいきません。だから、いつの間にか探す努力をやめてしまっていました。せっかく信頼したいと願える相手に出会えたのに、ピンチヒッター扱いしてしまうなんて。そういう自分に気づかせてくれた仲間に感謝であります。
まあ、その人がスポンサーを引き受けてくれるかどうかは、また別の話であります。


2004年07月06日(火) だから今日一日

祖母が死んだのは、盂蘭盆の頃でした。
寝たきりになっていた祖母の部屋と廊下を挟んで反対側の部屋で、僕はアルコールと抑うつで寝込んでいました。「うちには寝たきりが二人いる」と言われたものでした。自分が寝たきりだったのに、孫の心配をしていた祖母でした。
祖母が死んだのを聞かされたのは、アルコール専門病院に入ってひと月たった頃でした。病院のスタッフから伝言を受け取って、僕は約一ヶ月ぶりに世間へと戻り、たちまちのうちに酔っ払いました。泥酔して葬式の手伝いなどロクにできず、喪服のネクタイもまともに結べませんでした。

父が死んだのは、その一年余り後でした。
狭心症の発作で倒れた父。お酒は一合ぐらいなら血行を良くしていいけれど、タバコは厳禁と医者に言われていたのに、僕の手前、酒は飲まずタバコを吸っていた父は、数日後「寒い」と言ってコタツで寝た翌朝、固くなって見つかりました。実はその間も僕はずっと隠れて飲んでいました。
父の葬式の間は人の目もあって飲めませんでした。禁断症状でぶるぶる震える手で、ビールを注いで回っていました。がたがたと震えながら、目の前の一杯が飲みたくてしかたありませんでした。式が終わると日本酒が十八本余ったので、一本ちょろまかして自室に隠しておきましたが、母がちゃんと数を数えていたようで「すすむ、返しなさい」と言ってきました。僕はなんだか父にすまないような気がして、素直に返しました。
それが、自力で酒を切れた最後の経験となりました。

だがそれも3週間あまりで、飲酒へと逆戻りすることになります。春になる頃、僕は精神病院の中にいました。

その後何年間かは、祖母と父の○年忌というのが続きました。おまけに妻方の祖母や大叔母が亡くなり、葬式やら法事やらがちょくちょくありました。仏式の法話というのは、教会で立ち話をした神父さんの話と良く似ていました。

どんな日を送っていても、死は人に平等に訪れるものであります。だから今日一日。


2004年07月05日(月) 会うは別れのハジメなり

というアルバムが立花ハジメにありましたな。

最近、あいついで二人のAAメンバーが天命を全うされました。残念ながら、僕は二人とも知己を得ませんでしたので、知っているのは顔と名前だけであります。有名なAAメンバーというのが存在し得ない以上、それも当たり前なのかもしれません。
直接知るメンバーたちには悲しみが残るのでしょうが、話を聞いただけの人間としては、「飲まずに死ぬのが私たちの目的である以上、目的を遂げた爽やかさ」というものを感じます。自分もそうありたいという願いがあります。

JSOに電話したら、すでにKさんは退職されたという話を聞きました。人間いつかは今いる場所を去るものであります。

会社の朝会で、社長が会社をたたむ可能性を示唆しました。先週に収支状態を聞かされていたので、「まあそうだろうな」と思っただけで、それほど感慨はありません。職を失えば経済的に困るでしょうし、生活レベルを下げるのに慣れるのは大変なことです。でも、そちらはあまり心配していません。あがいたところで自力での解決はできない問題ですから。
しかし、中途半端で終わるかもしれないプロジェクトに対して、モチベーションを保ち続けられるか自信がありません。会社に対してはプライドなんて存在してませんが、職業に対してはプロ意識というものはあります。金銭的な問題で頓挫するプロジェクトというのは、いつでも悲しいものであります。

人生に始まりがあって終わりがあるように、居場所にも始まりがあって終わりがあります。長く同じ場所にとどまるのを神様は僕に許してくれないようであります。出会いがあれば、別れもあるのが人生。
さらりーまんであるのは楽でよかったけれど、こんどは個人事業主ならざるを得ないかもしれません。自由は増えるけれど、自己管理能力が問われるから大変なんですよね。


2004年07月04日(日) 一年の半分が終わると

一年の半分が終わるころ、僕は一つ年をとります。
毎年毎年一年が短くなっていくような気がします。1/nの分母のnが大きくなっていくからでしょうか? なんとなくnの自乗のような気もするこのごろです。

AAでのニックネームを変えてから一月半経ちました。慣れない皆様にはご不便をおかけしております。僕のスポンサーは、今の僕と同じぐらいのソブラエティの長さのときに、ニックネームを本名の一部に変えました。けれどその後、悪いこと続きだったので、ニックネームを元に戻してしまったのであります。僕もなんとなく悪いことばかり続いているような気もするのですが、さすがに戻そうって気にはなれません。(まだね)。


2004年07月03日(土) なるようにしかならない。

緑内障の治療で眼科へ。診察といっても看護婦に眼圧と視力を測ってもらい、医師に眼底に出血がないか見てもらって、処方箋をもらうだけです。良くなる事は決してないけれど、現状を維持するために労力がいるという病気であります。
それにしても、一家全員がどこかの医者に通っているという、健康保健さまさまの一家であります。

9月11・12日のビッグブックのイベントに申し込みをしました。4人一部屋とかの宿泊なら安くていいのですが、眠れなくて翌日集中できないのも困るので、別にシングルを予約しておきました(いびきのうるさい人がいると眠れないたちなんです)。遊ぶためのイベントではなく回復のためのプログラムであるので、集中できる環境は自分で用意したいです。

夕方からAAの地区委員会・ラウンドアップ実行委員会。
僕自身にとってラウンドアップは6回目になると思います。赤城山・箱根・菅平(前回の長野)・山梨・茨城・そして今度の白樺湖。
ラウンドアップの成功基準とは何だろうと思うことがあります。そりゃ赤字が出たら困るし、参加人数が少ないのは淋しいです。そういう基準ではなくて、初めて来た人が「来てよかったな」と思えるようなイベントがよろしかろうと思うのです。そのモノサシには目盛りがついていないので、結果を評価することはできないんでしょうが。
ラウンドアップも安くはないです。2泊3日だと2万円近くかかりますし、まして今回は東京近辺から距離もあります。初めてのラウンドアップに長野を選んでくれた人は、やっぱり大切なゲストであります。

多重債務に陥った人は、負債のリストを書き出してみることが大切だと言われます。
それと同じ感覚で、今後の我が家の出費を表にしてみました。このまま放置すると、普通預金が底をつくということがはっきりしました。保険の類は年払いのものをできれば月払いに、次女の歯列矯正も時期を延ばせないか相談してみることにしました。
やれる時が来たら、できることをやっていく。それ以上思い悩んでも、金銭の問題は解決のし様がありません。なるようにしかならない。


2004年07月02日(金) 「金はあるときに使え」という信条

長女が滲出性中耳炎の手術を受けることになりました。手術日まで決まっています。手術したところで効果は限定的なのはわかってるのですが、放っておくと聴覚に永久的な損傷が出る可能性があると言われると、放っておけないものです。それでも高額医療費の対象にもなりますし、保険からもでるのでまあ良いでしょうか。

次女のほうは下顎前突(類人猿のように下の顎が上より出っ張る)という症状が出ています。これが美容上の問題だったら「大人になるまで我慢してね」で済ましてしまうところですが、生えない永久歯があるせいで、歯が乱杭になると脅されると我慢してもらうわけにもいきません。歯列矯正は高くて、しかも健康保健も保険もききません。

この前壊れた洗濯機の支払いもあるし、壊れたパソコンの修理費用もあります。僕の生命保険は年払いなので、その請求も来ます。アルコホーリクが生命保険なんて贅沢かもしれませんが、そこで「アル中だから」という言い訳をしてしまうのは、僕の場合は反則です。

「金がないという悩みは、金があるヤツには理解できない悩みだ」という分かち合いを電話で仲間としました。

週末のパルコ前の駐車場は若い女性で混みあっていました。僕はノートPCと弁当箱とA4ファイルを抱えて、彼女たちの間をすり抜け、かばん屋の3階へと急ぎました。ゼロ・ハリバートンのケースにこの3つがちゃんと入るか確かめるためです。
かばん屋の店員にもすっかり顔を覚えられてしまいましたが、ここでは買いません。

帰宅してから、並行輸入のショップへ注文を出し、銀行振り込みの予約を済ませました。
まあ、錬金術は知らないけれど、金はなんとかなるでしょう。


2004年07月01日(木) 自己信頼の難しさ

仕事を一日休みました。
身体の疲れ、頭の疲れなど理由はいろいろありますが、「とても職場に行く気になれなかっただけ」という単純な理由であります。

実は火曜日に社長夫妻と打ち合わせがあり、4〜6月期の売上げがこれだけであり、7月〜9月の売上げ予想もこれだけであり、これではとてもやっていけないという話を聞きました。だからといって、僕に何が出来るわけでもありません。自分はあくまでも技術者としてここに雇われているだけであって、もはや当事者能力を失った社長の代わりに経営に従事しようという気にはとてもなれませんし、その能力もありません。

このまま会社をたためば社長夫妻は破産でありましょう。それは避けたいでしょうから、溺れる者は藁をもつかんできます。しかしつかまれたほうはたまったものではありません。金銭問題は、僕のソブラエティにとって最大の弱点であります。それを認めるのにやぶさかではありません。だからこそ、とてもじゃないけど他人の借金のことまで気にしてはいられません。相手がどんな恩人であろうと、そこのところは切り離して考えなくては、自分の「第一のもの」を守ることができません。

しかし自分は、そのところをすっぱりと割り切って平気な顔をしていられる人間ではありません。それは良いことであるかもしれないし、悪いことであるかもしれません。

以前フリーランサーをしていた自分は、自分ひとりで商売をするということの辛さを良く知っています。りーまんの良いところは、今月の自分の給料について、究極の責任を取らなくても良くて、その日に給料が支払われることをシンプルに期待して待っていて良いということです。不満があっても仕事をやめないのは、その一点につきます。だが、その前提が崩れてしまえば、りーまんであるメリットを感じられません。人様の給料のことまで心配するなんて、自分にはとてもできないことですから。

人の上に立つことは自分には向いていません。以前仕事量の割り振りをしているときに、部下から「あなたが優れていることは認めるが、皆があなたと同じだけの能力を持っているわけじゃないことは忘れないで欲しい」と言われたことがあります。そんなことに気付かなかった自分の愚かさよ。
不思議なことは、自分の能力の限界について、大方の人は「それでもかまわない」という一定の満足感を持っていることであります(一方で金銭的な評価については不満を持っているわけですが)。

僕の最もなりたくない立場は、人様の給料について責任を持つ立場であります。そんなことになるなら、自分ひとりの稼ぎに自分ひとりで責任を持つほうが「はるかに楽」であります。しかし、決定的な破局が今の会社に訪れるまでは、そこに留まるのが一番賢明な選択だということも理であります。しかしそれは心が疲れる道でもあります。

そんなことに耐えられなくなって、一日休んで寝ていました。布団の上だと良く眠れました。意味不明な夢をたくさん見ました。

僕も、自分の能力の限界について、一定の肯定感を持つ必要があるのかもしれません。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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