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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年05月25日(火) スピリチュアルな病気 「うつ」をやめれば、楽になる。 という本を読んでいます。この本は書名でずいぶん損をしているような気がします。この本に書かれているように、大半のうつ病者は自分は治らないと感じています。その人たちに対して、治ると断言されても、それを信じてみようという気になれないものです。
また、ある書評で「こんな内容をうつ状態の人が読めるわけはないし、読んだらもっと自責の念を強めてしまうだろう」と書かれていたので、そうかもしれないと思い、調子が良いときに読むように決めていました。
しかし、調子の良いときには、苦しんでいないわけですから、この本の内容に耳を貸そうという気にはなれないでしょう。僕は抑うつに対してまったく無力を認め、よくなるためなら「なんでもする」(とは言わないが、できるだけのことはしてみよう)という気になったのです。
「生理学的理由によっておこるうつでも、治るとまではいかなくても、コントロールできるようになる」という文章を読んだとき、僕の求めていたものはまさにこの言葉だと思いました。治るとは言ってくれなくていい、それは信じられない。でも、良くなるというのなら、そうなりたいと思うのです。
僕はこの本を読み始めたばかりですが、「うんうん、私もそうだった(今もそうだ)」と思い、「ひょっとしたら、私にもできるかもしれない」と感じています。
それは僕がAAのビッグブックを読み、そこに書かれていることを受け入れるだけの、ほんのわずかな謙虚さをようやく獲得できたことが効いているのでしょう。AAの仲間の話は大切であります。それなしには僕は依存症から回復できませんでした。しかし、仲間の数は有限です。そこに僕の悩みがありました。しかし、ビッグブックに書かれていることは、時代や人種や文化を越えて普遍です。原理はいたってシンプルでした。
うつは身体の病気であり、心の病気であり、またスピリチュアルな病気であると説かれています。確かに身体や心の病気であれば、薬は必要だし効き目があるかもしれません。でも、スピリチュアルな部分は自分が良くなろうと思い、そのために何かをしないと良くはならないことは、依存症での経験が教えてくれています。
確かに自分は病気であることを選択している部分があります。他の人からどう見られているか、何を期待されているかに泥濘しています。他の人の役に立つことが目標だとするならば、まず役に立てる自分が存在することが欠かせません。そうでなければ、ドーナツの穴と同じように空虚です。
ステップを踏む過程は、本来すがすがしいものであるはずです。ステップが苦しいのは自分の側に大きな問題が残っているからでしょう。僕はその問題を出来る限り取り除きたいのです。
今回のうつのエピソードの中で僕は剥き出しの感情で人を傷つけました。後悔しています。後悔はしていますが、それは相手の傷のことではなくて、そのことで相手の僕に対する評価が悪いほうに変わってしまうのではないかという恐れであり、相手との関係が変化することへの恐怖心の表れにすぎません。
僕は自分を苛むことで償いにかえているのです。そうではなく、僕は傷に直面しなくてはいけません。たとえただ待つことしか手段がないとしても。
僕はアルコールより古い問題に対して、やっと向き合おうという気が起きてきたのです。
2004年05月24日(月) たっぷり疲れるということ あをねこさんのサイトのリンク集からたどって、抑うつ尺度 にたどり着きました。抑うつの自己診断なんて初めてみました。
ためしにやってみましたが、Zung式で69点、ベック式では34点を獲得してしまいました。毎週自分の体重を量ってグラフを描いて公開している人もいます。毎週(か一週おきに)これをグラフにしてみると面白いかもしれないと思いましたが、グラフを描くプログラムを書くと考えただけで気がめいってしまいます。(体重は計るんじゃなくて、量るものなのね)
だいたいそれに何の意味があるのか?
今の僕には明るい未来を提示されても、そのどこかに不安を見つけずにはいられない状態です。そのせいで人を傷つけたり、イライラさせたりしたとしたら、大変申し訳ないです。
そんな状態でも最低限の日常生活を維持できるようになっているのは、それは確かに回復なのかもしれません。しかし、心の中の痛みは、数字に現してみたところで意味はありません。
相手が自分のために何をしてくれるかを目盛りにしているうちは、幸せは訪れないといいます。自分が相手のためになにをしてあげられるのかを目盛りにするのだと言います。しかし今の自分は、中身が少ないウォーターボトルのような存在で、分かち与えると量が減ってしまうような、そんな錯覚に包まれているのです。なみなみと水があふれるような、そんな存在に憧れます。だが今の自分は違います。
最後に入院した病院のアルコール担当医が言っていました。「アル中の人は、自分が嫌いだね。もっと自分が愛せるようになれればいいのにね。でもそれは案外難しいね」
そしてこう付け加えました。「誰かに愛してもらうのが、自分を愛せるようになる一番の早道なんだけどな」
同じことを言っているような気がします。
3時間しか眠れず、職場で最低限の仕事だけこなして帰ってきてしまいましたが、それでも眠れません。ミーティングに行って帰ってきたら、すこし眠くなってきました。いつかは眠れるようになるでしょう。明日はひょっとすると、きょう頂いたさまざまな贈り物の価値がわかるようになるのかもしれません。
私は抑うつに対してまったく無力であり、日々の生活が手に負えない状態です。
2004年05月23日(日) 予備校 下の子供は保育園の年長さんです。
でも、まだオムツが取れていません。
親は早く取りたいのですが、本人が取らせてくれないのです。
昼間はオムツをしていません。夜、お風呂から出てくると自分でオムツをし、その上にパンツをはいています。どうやら夜中に起きてトイレに行くのが面倒らしく、オムツをしていれば朝までぐっすり眠れるという魂胆らしいのです。気温が上がって、ものの乾きが良くなる夏場には、オムツなし作戦に出る予定です。
アルコール専門病棟に大人用オムツは欠かせません。
禁断症状(離脱症状)のひどい人は幻聴や幻覚を見るのですが、それが何日も続く人がいます。いくらカギのかかる保護室に入れておいても、中で暴れていると怪我をすることがあります。しかたないのでベッドに沈静帯で固定されてしまいます。そこで必要になってくるのがオムツです。
病院がオムツを用意してくれるわけじゃありません。でもそんな状態で本人がオムツを買出しにいけるはずもないので、看護婦さんが病院の売店から「ツケ」で買ってきてくれるわけです。
長い人だと一週間以上も保護室の中で叫びつづけているので、「人間の生命力ってすごいなー」と感心してしまいます。
保護室から病棟に戻ってきた人のベッドのしたには、余ったオムツが置かれています。本人は恥ずかしく、そんなものがベッドの下に存在していることすら許せないのですが、看護婦さんは処分することを許してくれません。なぜなら「もったいないから」であります。その屈辱と後悔が、本人に「二度ともう飲まない」と固く固く誓わせるのですが、次の外泊の時には酔っ払って病院に戻ってきちゃうわけで、オムツは無駄にならないのであります。
当時は保護室の中で叫んでいるのを狂気だと感じていました。しかし「二度と飲まない」という固い誓いを簡単に破ってしまうことが真の狂気であることに気が付くのは、ずいぶん後であります。
僕は病院でオムツの世話になったことはありませんが、飲んでいた頃は布団の中で寝ながら小便してしまったことは一度や二度ではありませんので、あまり人のことは笑えません。
2004年05月22日(土) ゆっくり休むということ 午前中に「パパご飯」という言葉で起こされました。相変わらず睡眠不足で頭がずきずきします。レトルトの牛丼を暖めご飯にかけてあげました。普段レトルト食品を食べなれない彼女たちは、「パパの作るご飯はおいしい」などとほめてくれるのですが、もうしばらくすれば、それぐらい自分たちで出来るようになってしまうでしょう。
午前中に起きたので、昨日行きそびれた医者に行きました。土曜日の午前中という診察時間は最近新設されたせいか、すいていました。診察時間も長かったのですが、そのぶん有意義だったというわけでもありません。半年ぐらい前から昼間眠いのが続いていたので、原因を探っていったところ、毎朝飲んでいたミラドール50mgではないかということになって、連休明けから止めています。最近の不調はひょっとするとそのリバウンドかもしれません。
「ミラドール50mgで眠くなる人は初めてだね」
と言われましたが、こちとらアル中であります。気分を変える薬には敏感に反応しちゃいます。ミラドール50mgはたしかにほんのちょっぴりかもしれませんが、僕の脳は不可逆的に壊れているので常人と一緒は困ります。まあ、処方は伝えてくれてあるので、チェックしなかった自分にも責任はありますが。
今週は部下一名が出張先で寝坊して、相手の会社からお昼近くに「まだ来ないんですけど」と催促がくる事件がありました。本人が以前「ストレスが多いせいか、毎晩酒飲んじゃうし、酒量も増えちゃうんですよ」と言っていました。たぶん飲み過ぎで起きられなかったのでしょう。僕も良くやりました。昨年転職していった人も、酒を飲まないと眠れないと言っていました。
「あんまりまじめに仕事すんな」というのが僕のアドバイスであります。
午後は布団で寝ていました。義父が来て子供たちを指揮して部屋の片づけをしていましたが、僕を起こさないように気を使ってくれたようです。義父母と僕の関係は、嫁と姑の関係よりもっと遠い感じです。
夕方AAの仲間から電話が二本。ひとつは明日の委員会は休むという通知、もうひとつはノートパソコンの異常の相談でした。どんな用件であれ、人とコミュニケーションがあるのは嬉しいです。だが待っている人からは、電話もメールも来ません。
夕食後、こんどはパソコンの前で寝ました。「どんな問題も、それを乗り越えるだけのエネルギーと一緒にやってくるんだ」とはスキャットマン・ジョーの言葉。彼もアル中で薬中で、12ステップのことを歌っています。明日は東京。
2004年05月21日(金) 長文 二年前の夏に汗水たらして働いていた自動車工場が閉鎖になるというニュースが飛び込んできました。いい
金づるお客様だったのに残念であります。リコール隠しのニュースは無関心で見ていましたが、世の中はいろんなとこまで影響が及んでいくものですね。
ビールに「妊婦に悪影響」と表示するのも、所詮はメーカーの責任逃れという話がありましたが、そんなものなのかもしれません。
僕は飲んでいた頃、国民年金を払わないどころか、健康保険すら払ってなくて、保険証持ってなかった時代もあります。まあ医者に行けないのも自業自得だったんですが、一番金がかかった自殺未遂の時には、せっかく保険証を持っていたのに使えませんでした。
会社の同僚が昨年から僕と同じ精神科医にかかっているのですが、「ちっとも良くならない」という理由で自主的に治療をやめてしまいました(うつ病者は基本的に病識がない)。薬もなくなったので、そのリバウンドが来て仕事になっていません。周りの皆に「他の医者でいいから行きなさい」と無理やり薦められ、リバウンドだけ抑えてもらいに行ったつもりが、結局治療を再開することになりました。「今度の医者はすいていて、ゆっくり診てくれるのでいい」そうです。
僕がこの精神科医にかかるようになったのは、もう十年近く前です。その頃は確かに待合室はすいていました。最近は混んでいることが多くなり待ち時間が長くなっています。人気が出たのか、精神科に対する偏見が減ったのか、世の中が殺伐として病気の人が増えたのか、理由は僕にはわかりません。
別の同僚は面白半分に「オンラインうつ病診問」を笑いながらやっていたのですが、最後に「あなたは仮面うつ病の可能性大です」と出て真っ青になっていました。まあ、頸肩腕症候群と一緒で一種の職業病であります。
最近は疲れているのに夜眠れません。昨日も眠れたのは朝4時ぐらいだったでしょう。時期が関係あるのか、妻もうつで朝起きられません。小学校に行く子供の面倒は義母がみてくれています。どうしても今日しなければならない仕事があるわけじゃないので、過労気味なら休んでもよかったのかもしれません。でも、休みたくはなりませんでした。別に日に休みたいから。
ぼうっと仕事せずに座っていても一日は終わるのですが、なぜかきちんと働いてしまいます。でも、頭の中に鈍い塊があるような感じは取れません。
こんな状態でミーティングに行くのは馬鹿げていると思ったので、まっすぐ家に帰りました。そこで妻がまだ寝ているのを見つけ、子供たちが「パパご飯」と言って寄ってきた時に、僕の中のなにかがブチンと音を立てて切れてしまいました。
義母の「夕飯はカレーを用意するから、子供に食べさせてあげて、子供をお風呂に入れてくれるわよね」という言葉に、「あー、はいはい」と素直に答えることができません。
普段だったらお安い御用ですが、今日の僕には無理でした。こんなことならミーティングに逃亡していたほうが良かったという後悔がよぎります。
そういえば今日は医者に行く日だったのに、すっかり忘れて帰ってきてしまいました。急いで行ってみると、普段だったら混んでいる駐車場に車が一台もありません。クリニックのドアは閉まっていて、診察終了時間が30分繰り上がったことを告げる張り紙がしてありました。
帰る道すがら、この数十分の間に、なにか事態が改善していないか期待したのですが、何も変わってはいませんでした。
僕は何もかも放り出して逃げ出したくなりました。でもどこにも逃げ場はありませんでした。感情の二日酔いと、ワーカホリズムと抑うつが、たった何週間か数日のあいだに、僕をがけっぷちまで追い込んでいたのです。ステップ4・5で気がついたのですが、僕は追い詰められるといつも酒の中に逃げ込んでいました。酔いつぶれている間に、誰かが事態を収拾してくれるのを願っていたのですが、たいてい物事は悪い方向からもっと悪い方向に向かっただけでした。
長年の習慣がぶり返していれば、病気もぶり返していたでしょう。ただ何かが「そっちの道は危ないよ」とささやいてくれたので、僕は違う方向に向かって逃げ出しました(やっぱり逃げるんかい)。
「パパは疲れているから」と言って僕は子供の世話を放棄して寝てしまいました。カレーを持ってきた義母に大声で起こされたとき、僕が取った行動は「寝ている妻を強引にゆすり起こす」でした。眉間に深いしわを寄せた彼女が用意してくれたカレーを食べてまた寝てしまい、次に起きたときには、入浴後の子供たちが布団に向かうところでした。
「助かったよ、ありがとな」と言ったとき、妻は怪訝な顔をしていました。あの時僕の心を去来した感覚を、彼女に説明してみても多分理解してはもらえないでしょう。
明日はゆっくり休んだほうがいいという提案をもらっているので、ミーティングには行きません。日曜日は疲れる予定が入っていますし、月曜日は医者に出直さなくてはいけないので、ミーティングには行かないかもしれません。
だから文章にしてここに下ろしておきました。少しは楽になりました。
2004年05月20日(木) 優しくしたい 日々のアクセス数をグラフにするプログラムを 書いてみました。
でかいコンテンツを加えた11日の翌日からアクセス数が1.5倍ぐらいになっています。一度に読みきれる分量ではなかったので、何日かに分けて実に来られたってことでしょうか。その後は減少傾向です。このコンテンツについていただいた反応は、メールを一通頂いただけでした(まだ返信書いてませんすみません)。
もっとも、コンテンツ変更について直接反応をもらうことはほとんどありません。掲示板に感想を書いていただければ、すんごいラッキーてな感じであります。
なので、Webマスターとしてはアクセス数のグラフを眺めてみたり、Googleでの順位を確かめてみたりぐらいしか、反応の探りようがないのが本当のところです。
それにしても、土日の落ち込みようが顕著で思わずくすりと笑ってしまいました。以前は昼休みはアクセスの山でしたが、今は谷であります。まあ、お互い堅いことは言いっこなしってことにしましょう。
今週は出張に行った水曜日以外、定刻までに会社にいけた日がありません。まともな会社だったら首でしょう。まあ、低空飛行でも墜落しないのを目標にしています。うつ病の人間は自分に高いノルマを課しがちです。ちょっとずつちょっとずつ無理と我慢を重ねて、耐え切れなくなって(周囲から見れば)突然とんでもないわがままをやりだす狂気であります。
調子のいいときの自分を本当の自分だと思いたいのはやまやまなのですが、波の底にいる自分も自分であります。
でも、優しさを出したいのに、それが心の中から出てこないのは辛いよう。
2004年05月19日(水) 基本的に仕事の愚痴の話 僕は人にお金を貸せるほど裕福ではありませんが、もしそうだったとしたら、貸せる基準は「相手が返せるかどうか」にすると思います。そうでなければ、貸したのでなくて、あげたのと同じになってしまいます。
しかし銀行が僕の勤めている会社に金を貸す基準は、現在どれだけの利益を上げているかではないらしく、どちらかというと売り上げの額に注目しているようです。
何でそんなことを言うのかというと、ときおり赤字の仕事を引き受けるからです。見積書の金額から仕入れの金額を引いた額では、とうてい営業経費やら、人件費やらをまかなうことができないケースが、ままあるわけです。
まあ、それも会社の事情だから仕方ないですし、技術屋としては金額のことであれこれ言いたくない気持ちがあります。
けれど、歯車は悪い方向に回るものです(マーフィーの法則)。赤字の仕事は、見積書の金額を抑えるために納期が短く設定されている場合が多いのです(工期=金額)。当然、納期は守られず、客は怒り、営業サイドは「赤字の仕事をいつまでやってんだ」と文句をたれるのですが、技術サイドは「こっちが赤字にしたわけじゃねーぞ」と反論することになります。
早く次の仕事を入れて黒字に転換したくても、技術屋の手が空かないと受注できません。そうやってタイミングを逃すと、良い仕事は去り、また赤字の仕事が・・・。そして職場の雰囲気は殺伐と・・・。
こんなことなら、最初に赤字の仕事を引き受けなけりゃ、歯車は良い方向に回っていたかもしれないのにと、後になって思うものなのでしょう。けれど、よい仕事が来るまでじっと耐えていても、かならず仕事があると限ったわけでもありません。それに売り上げを確保しないと銀行が・・・。つくづく経営というのは、というか商売というのは「博打とおんなじ」だなぁと思うのです。才能のない人間がやるものじゃありません。
まあ、僕は一介の社員で、経営者でもなんでもないし、今後とも人様に給料を払う立場には絶対ならないでしょうから「基本的にはひとごと」です。でも、将来に暗雲が垂れ込めていると、明るい気分にはなれません。
今日出張して打ち合わせをした仕事が、そんな「赤字仕事」でした。その仕事を実際に引き受ける(割り当てられる)社員がかわいそうであります。
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