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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年05月15日(土) コントローラブル 僕は普段はテレビを見ません。
家にテレビが無いわけじゃありません。
それにまったく見ないかというとそんなことも無くて、家族と夕食をとるとき(これが数が意外と少ないんです)には、一緒にテレビを見ています。いや、そんな時も一人朝刊を読みながら食べているときが多いかな。
夜7〜9時ぐらいは、見ても見なくても同じようなバラエティ番組が多いです。食事のときに見るのはこういったものです。夜10時以降はニュース番組を見ることもあるのですが、テレビの音がしていると子供たちが寝ないので自粛しています。深夜になると気に入った番組がありません。
以前は、「お母さんと一緒」とかが子守の強い味方だったのですが、長女が小学生になってから効き目がなくなってしまいました。
パソコンにはテレビチューナーボードが挿してあって、こちらならいつでも好きな番組が見られるのですが、めったに使っていません。
テレビは毒でしょうか。僕にはインターネットのWWWのほうが毒がたくさんあるような気がします。でも、こちらは嫌なものは避けて通れます。
一方でDVDとかはよく見ています。好きなときに見られるし、いつでも止めてまた続きを見られるし、気に入ったところは繰り返し見られます。中身のほうは、テレビ番組とさして違いはありません。
新聞にしろインターネットにしろDVDにしろ、僕は自分の自由な楽しみ方が許されるほうが好きで、一方的に押し付けられるメディアが嫌いなだけなのかもしれません。自分の思い通りにしたいし、思い通りにならないものは我慢できないだけなのかも。
2004年05月14日(金) 予備校 先日出かけた帰りの話。
上の子は耳管の働きが弱く、気圧の激しい変化に中耳がついていけません。だから、標高のアップダウンの激しい岐阜県内の中央道を、僕としては珍しく制限速度で走っていました。
追い越し車線を、車列が次々と追い抜かしていきます。やがて、前にも後ろにも、一台も姿が見えず、僕の車だけになってしまいました。僕は自分の車のヘッドライトだけを頼りに、車を走らせ続けました。
ほどなく、後ろから一台の車が追いついてきました。その車のヘッドライトが妙にまぶしいのです。最初はハイビームを浴びせられているのかと思いましたが、僕の走っているのは走行車線です。遅いと思うのなら抜いていくのは簡単です。
その車は僕の車の背後にぴたっとついて離れません。ルームミラーが眩しいのは激しく迷惑ですが、ぶっちぎるというのは遅く走っている主旨に反します。そこで、僕は速度を落とすことにしました。70キロ・60キロ・・・50キロ。これ以上下げると速度違反というところで、ようやく抜いていってくれました。
車は国産の白いワンボックス。よくフロントグリルに青いLEDとかを仕込んでいる車種です。そのヘッドライトが、ハイワッテージバルブに取り替えられていました。
多分オーナーは、ヘッドライトが暗く感じたので、一番明るいやつに取り替えてみたのでしょう。でも実は、暗いのはランプのせいじゃなく、光の反射の設計が悪くて、光が散らばってしまうからなんです。バルブを明るくしてみても、まぶしい光を撒き散らす車になるだけなんだけれど、眩しいことがカッコイイのでしょうか。
今度は順序を入れ替えて、僕の車が後から続きます。前が明るくて、なかなか具合が良いです。トンネルに入ると、宮崎アニメで車や飛行物がトンネルを通過していくシーンみたいで、なんか感動しました。
でも、この御仁。ドライブには不慣れらしく、後ろから付いていくのが不安になるような蛇行ぶりです。幸いなことに、後ろからトラックがやってきて、宮崎アニメ君はその後ろにくっついて、先に行ってしまいました。
この日も追突事故の渋滞が二回ありました。安全運転以前に、安全な車を作って欲しいものですが、まあ車も商品だから売るためには何でもありなのが実情。
2004年05月13日(木) 商業主義2 そういえばフィリップ・K・ディックの小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』が、ブレードランナーという映画になったとき、喜んで映画館に見に行きました(古い話だな)。かっこいい映画に仕上がっていて、生涯名声とか富とかと関係なかったディックが完成を待たずに死んでしまったのはつくづく残念だなと思いました。
しかしこの映画、エンディングが改作されていて、思わずスクリーンに向かって「ばかやろう」と叫んでしまいました。原作の「人生そんなに選択肢もないし、生きていくのは辛いけど、でもやっぱり生きていくしかないんだよなぁ」という、ディック自身の人生と重なるかのような「生きていく切なさ」が良かったんですが・・・。
商業ベースに乗らないものはプロの作品とは呼べないけれど、商業主義のにおいがぷんぷんするのは好きになれません。
悪天候の中、集まってくれた仲間に感謝。皆さんが来てくれないと大変だったんですよ。
実は昨日休んだせいで、今日出張に行かざるを得なくなっちゃっていそうで、出社するまでひやひやだったんですが、それは無事明日で良いことになって、ほっとしたものです。
なかなか笑顔で「ありがとう」と言えるまで回復してません。
最近「健康ブームで乙種の焼酎が人気」なんだそうで、ネットオークションで「森伊蔵」の偽物が売られて摘発されたりしています。「百年の孤独」なんかも売れているのだそうです。十数年前、まだ酒を選んで買う楽しみが残っていた頃、「百年の孤独」は結構好きで飲んでいました。部屋にビンがゴロゴロするぐらいに。
そんな話から、いきなりガルシア・マルケスの『百年の孤独』が読みたくなって、アマゾンで注文してしまいました。近年改訳があったので、読みやすくなっていると期待しています。「百年の孤独」を飲んでいた頃、友達から借りて、読もうと努力したのですが、根気が尽きて読みきれなかったのです。「族長の秋」は面白く読めたのですが、当時の酒代のために古本屋へ売ってしまいました。
受注がないまま会社が息絶えてしまい、フリーランスで仕事をするという事態を覚悟していたのですが、今週は急にいくつかのオファーがありました。ボーナスは期待できないけれど、会社はしばらく持ちそうです。中国市場機軸の景気回復なんて、本当にあるとは思いませんでしたが・・・まあともかく、神様は僕が時間にルーズな生活をするのを許してはくれなかったようです。
2004年05月12日(水) 商業主義 一ヶ月の静養が必要という診断書で学校をお休みしてしまった、長女の学校の先生ですが、やっぱりうつ病だったそうです。
僕も診断書は医者に書いてもらったことがあるんですが、この「一ヶ月」にはあんまり根拠はありません。どんなに経験深い医師でも、うつ病者がいつになったら回復するかなんて判りはしないそうです。本当だったら半年とか一年とか書きたくても、それは本人の社会生活に差し障るのでかけませんし、それで悲観的になられても困ってしまいます。
飲みだした薬が効くのに大体2〜3週間が目安ですから、+αで一ヶ月というのもあながち根拠なしとは言い切れません。でも中には本当に心の風邪みたいなもので、一週間でけろりと良くなる人もいるわけで、診断書の期間なんて、手相見の予言と似たかよったかだそうであります。でも手相より高いですね。
教員も余ってはいないようなので、代わりの先生が見つからず、三月に退職した元担任の先生に代役を頼むとか。みんなで、泣きながらお別れしたのにね。
有給の過ごし方として適切であったかどうかは疑問ですが、「ちょびっツ」の原作のコミックスを読破しました。僕はアニメの方を先に見たので、いくつか疑問が残っていました。「なぜ、ちぃはゴミ捨て場に捨てられていたのか?」「第一話でゴミ捨て場に忘れ去られたMO風のディスクの中身は?」という、関心がない人にはまるで関心がないであろう僕の疑問も、原作ではきちんと種明かしされていました。
あるブログで、作者CLAMPの築いた世界観が、アニメ化によって無残に壊されているのはなぜか? みたいな話があって、もちろんネタバレの無いように、詳しいことは伏せられていたのですが、僕も原作を読んでみて、こりゃ原作→アニメの順に見た人は残念に思うだろうなと思いました。
まあ、雑誌用のマンガと、週一放送用のアニメでは、製作コストが桁違いです。それに雑誌の倫理コードと、テレビの倫理コードは違います。例え放送枠が深夜であって、DVDの購買層が成人したむさくるしいオタッキーに限られるとしても、テレビ番組は健全でないといけないのでしょう。それにより低い年齢層に売るためにも・・・でも、そういう商業主義で作品の世界観まで変わっちゃうのは悲しいです。
以前にハリウッドの映画のDVDは安いのに、アニメのDVDが高いのはなぜか、という話が掲示板でありましたが、アニメは売れる数が限られているので、製作コストを価格に転嫁せざるを得ないのだとか。転嫁されても平気な、シングルでリッチなヲタ層が市場を支えているのだね。僕は2年遅れで、レンタルで借りて見てるだけですが。
そういえばWinnyの作者の47氏がタイーホされました。東大の講師に雇われていたと聞いて「やっぱそれぐらいの才能がないとなー」と、二流の自分と比べてちょっとうらやましかったです。でも思想犯だとは思わなかったな。
早くも「すすむなんて呼ばないぞ」宣言を頂いております。
2004年05月11日(火) 襲名? えー、本日よりひいらぎ改めまして「すすむ」にさせていただきます。
お察しのとおり、本名の下半分です。
変更の理由は、最近の東京近辺での一部の潮流にあわせたというところでしょうか。流行に弱い僕であります。メリケン風ですね。
「浸透には時間がかかりますよ」と、同じようにニックネームを変えた方からは言われます。僕自身、ニックネームを変えた人を「昔の名前」で呼んで平気な顔をしていたりします。名前なんてビンに貼り付けるレッテルのようなものだと思っているのですが、年月はビンとラベルの間の糊を固めるようであります。
そういえば昔、仕事で電話したときに、相手の女性から「名前が変わりました」と言われて新しい姓を教えられたので、てっきり勘違いして「ご結婚ですか、おめでとうございます」と言ったら、「逆です。離婚です」と冷たく切り返されたことがありました。
最近は、結婚した女性が旧姓のまま仕事を続けるのも珍しくなくなりました。
(谷亮子って誰かと思ったよ)。
ビッグブックからの引用を使って病気の説明を試みた「アルコール依存症という病気」と、「自助グループのススメ」を追加しました。見た目はあまり変わっていませんが、年に一度の大変更であります。
ホームページ(いわゆるトップページ)から「長野」の単語が減り、「アルコール依存症」と「自助グループ」の単語が増えているのは、Googleに対する実験です。
郵便貯金の暗証番号が書留で来ました。毎月こつこつ小額を貯めてバースディ献金をするのは、毎月小額の個人献金をするのと変わりないのかもしれません。でも、貯金は簡単だけど、振込みは時間がかかるんですよ。毎月になおせば振込み手数料もばかにならないぐらいの額でしかありませんし。感謝してるふりぐらいさせてください。
今月下旬が有給休暇の支給日で、ウチの会社は有給の繰り越しがないので、一日でも消化することにして明日は休みを貰いました。でも正面切って「有給ください」と言えなくて、医者に検査に行くことになっていたりします。
2004年05月10日(月) ドドソソララソ 実に間抜けなことに、7年のメダルを注文してしまいました。
返品してもしょうがないので(できるのか?)、取っておくことにしましょう。そのうち7年になる仲間もいることですし。
今夜注文のFAXを送ったから、あさってには届くでしょうか。
今日はプログラマーとして恥ずべき失敗をしてしまいました。プログラムというのは人間と違って何度同じことをやらせても文句を言いません。先にへこたれるのは人間のほうであります。だから、できる限り根気よく、さまざまな入力を与えて動くのを確かめるのが良いプログラマーであります。
「動くはずです」ではなくて「動きました」と言える物を差し出せ、と新人には口をすっぱくして言ってきた自分ではありますが、なぜ口をすっぱくするほど言わねばならないかというと、それが守られないからであります。そして僕もその例外ではありません。
先週の木曜日に送ったソフトは、「これだけ机上で見たんだから、テストしなくても大丈夫」とタカをくくって送ったものでした。今まではそのソフトは問題なかったのです。でも、今回はついにジョーカーを引いてしまったようで、電話がかかってきてしまいました。
同じ職場の人間に「どうした?」と聞かれたので、「未テストのソフト送ったら、動かねーって」といったら馬鹿にされ、その原因がまた超初心者的だったので、また馬鹿にされてしまいました。でも、まったく反論できません。
で、これで懲りるかというとそんなことは全然ないんです。
下の子がピアノのおもちゃを弾き始めました。ドドソソララソばっかり弾いているので、なんとなく幻聴を聞いているような気分です。
2004年05月09日(日) One day at a time 『星の瞳のシルエット』ですが、別巻も含めて全部手に入りました。ご心配を頂いた方、ありがとうございました。誤解が誤解を呼んで、愛する二人が延々とすれ違いを続けるという、昔風のストーリーです。
これが連載されていた当時の「りぼん」は100万部以上を売り上げる巨大雑誌でした。いま思えば健全なマンガであります。最近の少女マンガは、男女が親しくなるとたいていセックスをすると相場が決まっております。同じ年代がターゲットと思われる少年誌では、セックスを扱うのはタブーになっていて、しかも読者の多くは成人であります。
「冬のソナタ」も誤解が誤解を呼んで・・というストーリーは、典型的な(昔の)少女マンガであります。見ている層も典型的な(昔の)少女たちなのでありましょう。
8年前の5月9日。僕は精神病院を退院しました。AAでは入院期間中はソブラエティに数えない風習であります。DSM-IVでも、入院期間中の診断名には「管理された環境下における」という枕詞がつきます。入院期間を数えないのにはそれなりの意味があるのでしょう。
この日は木曜日だったので、翌日金曜日は仕事を休ませてもらい、土曜日11日にホームグループのミーティングに出ました。仕事は翌週の13日からです。
最初は9日をバースディにしていたのですが、そのうち気が変わって「退院後に初めてAAミーティングに参加した日」つまり11日にしています。
それは、退院後半年ほどミーティングに行かなかった人が、ミーティングに戻った日をバースディにしているという話を聞いたのが契機になっています。「自分にとってAAプログラムが始まったのは、その日やねん」と言われ、それはそうだよなと納得してしまった次第です。
ずいぶん長かったようで、まだたったの8年かというのが正直な感想です。あれからずいぶんいろんなことがありましたが、今日一日の生き方に変わりはないつもりです。
体調不良を理由に田植えはサボってしまいました。こりゃ秋は大変だ。
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