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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年05月01日(土) 惣領冬実のマンガに一伍くんという登場人物があったな 金曜日は、子供たちは学校や保育園があったので、昼間もゆっくり寝ていられました。調子に乗って金曜の晩も夜更かしをしたら、今朝は早々にたたき起こされてしまいました。おかげで睡眠不足であります。
昨年の春にプランターで買って来たイチゴですが、収穫できたのは2個ちょっとでした。夏に伸びたランナーから子株を作り、全部を地面に下ろしたのが秋です。冬場は「雪捨て場」になる場所なので、3月に見たら全部の葉っぱが「しおしおの茶色」になっていたので、今年の収穫は諦めていました。
けれど、植物とは強いものです。聞き覚えたとおりに枯れた枝葉を処理して日が当たるようにし、水を定期的にやっていたら、どんどん新しい葉が出てきました。十数個の花が咲いていますから、今年は収穫が期待できそうです。秋にはまた子株を取り、移植もやって、狭い地面をイチゴで一杯にする野望です。
夕方から地区委員会。秋のラウンドアップを控えて、30分時間を拡大してやっています。
会場になるホテルとはもう契約も済んでいるので、これからは中身を決めていくだけです。そんなにいつもと違わない、普段どおりのラウンドアップになるような気がします。とは言っても、僕はいままで4回しかラウンドアップに行ったことはありません。群馬の赤城山・箱根・昨年の山梨、それに前回99年の長野です。今回は10月の3連休です。
怖いのは、子供の運動会と重なる可能性なんですよね。と思って、調べてみたら、保育園も小学校も重なっていませんでした。よかった。
2004年04月30日(金) ゲインライン突破 AAって、ラグビーで言えばフルバックのような役割かな〜と思ったことがあります。
いろんな人の働きかけがあっても、止まらなかったお酒。ゲインラインを次々突破されてきたボール。ゴールラインとの間に残った最後のディフェンダー。ゴールライン手前でようやく止まったという人も多かったのではないかと思います。
でも、最近は「地獄の10年ないし20年」を通過しない人も増えてきた気がします。
ちょっと遠くのミーティングまで出かけました。そういう機会に、古本屋をまめに当たっています。『星の瞳のシルエット』の揃いを探しているのです。しかし20年近く前のマンガは商品価値がなくなってきているのでしょう。店頭から消えつつあります。不ぞろいのバラが棚に残っていたので手にとって見ましたが、それほど感慨深いものじゃありません。けど欲しいものは欲しい。
国道を走行中、左側の居酒屋の駐車場から出てくる車がありました。反対車線からはその居酒屋に入ろうという車が、後ろに運転代行業者の車を引き連れて、ウィンカーを出していました。その後ろには長い車の列ができていました。
駐車場完備の居酒屋の存在もどうかと思いますが、その問題は置いておきます。代行を引き連れているのは、二軒目をはしごする人々でしょうか。
僕が車を停めると、まず左から車が右折していき、次に反対車線から車が駐車場に入ろうとしました。その時です。ルームミラーにバイクのヘッドライトが映り、「ビィーン」と加速する音が聞こえました。(あ、ぶつかる)と思った瞬間、僕の車の左脇をすり抜けようとした原付は、駐車場に入る車のどてっぱらに「どん」と音をたてて突っ込みました。
原付は加速中だったので、そんなにスピードは出ていませんでしたが、運転していた若者は車のCピラーにぶち当たって投げ出されました。
自分で立ち上がっていたので、生命に別状はないでしょうが、左手を押さえていたので骨折ぐらいはしているかもしれません。
それで僕はどうしたかですって? 代行の二人が車から降りて、車道に転がったバイクを片付けてくれたので、そのまま帰ってしまいました。途中救急車とはすれ違わなかったので、たいした怪我ではなかったのかもしれません。
自分が車両事故にあわないのは、運転がうまいからじゃなくて、単に幸運が続いているからだとは思います。
2004年04月29日(木) GW初日 「えんぴつ」の投票ボタンを削除しました。
結構、数多くの皆さんに投票ボタンを押していただいたのですが、結局のところ投票ランキングからこの雑記にやってくる人は、ほとんどいませんでした。数はゼロじゃないので、続けていけば何かの効果はあるのかもしれませんが、皆様にボタンを押していただくという労力に比べると、その成果が少なくて「費用対効果比」が悪すぎると判断したからです。
それに、あの日記とランキングを争っているのは実に虚しいものであります。
長岡に行く予定でしたが、別件で回避となりました。
連休中は僕のルーチンのミーティング場はすべてお休みです。逆に言えば、どこに行っても自由というわけです。しかし、怠惰な人間に自由を与えると何もしない典型で、放っておくと僕はどこにも行かないでしょう。
せっかくのチャンスだから、山の向こうのまだ行ったことのないミーティング会場に行ってみたい気もするのですが・・・。
2004年04月28日(水) オイル交換における金銭的失敗の諸相 『星の瞳のシルエット』を思い出してしまったので、B○○K ○FFに買いに出かけました。しかし、10年以上前の少女マンガはほとんど存在していません。セットもので美品を買いたかったのに、バラの汚本しかなく、しかも欠けた巻もあるので、買うのを諦めました。本気で入手を考えるならヤフオクでしょうか。
去年の夏の車検の時にエンジンオイルを換えてもらってから、一度もオイル交換をしていませんでした。ディーラーで換えてもらうと意外と高いので、久しぶりにカー用品店で交換してもらうことにしました。
高いオイルを長く使うよりも、安いオイルを頻繁に変えたほうが良いものです。そこで一番安いオイルを選ぶことにしました。車の説明書によれば、必要なのは約6リットルです。ところが安いオイルは4リットル缶しかありません。高いオイルだと6リットル缶もあれば、1リットル缶もあります。でも、高いオイルは要らないのです。
どうやっても4リットルを2缶買うしか方法はありません。
オイルフィルターを選び、ついでにワイパーブレードも交換することにして前後3本を買い、交換工賃を支払ったら、全部で一万円を超えてしまいました。
「オイルだいぶ余ってますが、どうしますか?」とピットの工員に聞かれましたが、「捨ててください」と言っておきました。取っておいても、次の交換時期までには酸化してしまいます。余らせてしまったオイルのお金を考えると、決して安く済んだとは言えません。次からは、素直にディーラーで交換してもらうことにします。
セルフのスタンドで2円値上がりしたガソリンを満タンにし、洗車をして帰りました。
僕のゴールデン・ウィークは始まったばかりです。
2004年04月27日(火) ひいらぎとの出会いと別れ 24才か25才のときだったと思います。当時はまだインターネットは日本にはなかったので、パソコン通信の時代です。ネット上で僕は「suzune」と名乗っていました。これは川原由美子という人が描いた『前略・ミルクハウス』という10巻のマンガの登場人物(男性)の名前で、この名前を選んだのは、単に考えるのが面倒だったからです。
そのうち、この涼音という名前でパソコン雑誌に記事を書く人物が現れ、ネット上で混同されることが増えました。僕はやむなく、ハンドルネームを変更する必要に迫られたのです。
「suzune」を選んだときと同じように、本棚を眺め「hiiragi」を選びました。これは当時 『星の瞳のシルエット』という10巻のマンガが本棚に並んでいたからです。この作者(柊あおい)の別の作品『耳をすませば』は、後にスタジオ・ジブリで映画化され、さらにその作中作『猫の恩返し』も映画化されています。
酒井美羽のマンガにも「柊」が姓の登場人物が出てきますが、当時の僕は「柊」という姓が実在するとは夢にも思いませんでした。
日渡早紀のマンガ『僕の地球を守って』にも「ヒィ=ラギ」という登場人物が出てきます。
ようするに僕は少女マンガおたくであったわけです。そしてヲタ友たちには「なんと安直な選択」とからかわれたものでした。
31才のとき、僕は初めてAAグループというものと出会います。その時そのグループのメンバー全員がニックネームを名乗っていました。そこで僕は、何も考えずに「ひいらぎ」と名乗ったのです。以来僕はAAのなかで「ひいらぎ」であり続けたのです。
ゴールデンウィークが明けると、僕が病院を退院した日がやってきます。無事その日がきたら僕は、ひいらぎであることを止めて、本名の下の名前を名乗ることにします。物事はシンプルなほうが良いからです。
「ひいらぎ」はもともとネット上の人物です。僕が「ひいらぎ」であることを止めても、彼はネット上のどこかに存在し続けるのかもしれません。彼が依存症について語ることはないでしょうけれど。
2004年04月26日(月) ウィーンは君を待っている とても疲れた状態で会社のデスクに座っていました。
今日やった仕事といえば、先週木曜日に一日で13ページ書き上げた粗製濫造の書類を、みんなに回覧してチェックしてもらったこと、それをFAXしたこと、5部コピーを作ったこと。そして、会社のホームページを一ページ仕上げたことです。
自分がなぜ、ここに座っているのか、疑問を持ってしまいました。
(ウィーンは君を待っている)
はて、ウィーンとは何のことだったのか。
今月も無事給料が出ました。喜ばしいことであります。僕は、給料が出なくても働くほどお人よしではありません。しかし、労働は「苦痛と金銭の等価交換」ではありません。働くからには、金銭以上の何かが必要です。
(ウィーンは君を待っている)
心をかすめる、この言葉はなんだろう。
先日のオープンスピーカーズの記事は、翌日の新聞には載らなかったのですが、翌々日の火曜日の紙面にタブロイド版の3分の1ほどの大きさの記事になっていました。
(ウィーンは君を待っている)
だからウィーンて何なんだよ!
椅子に座っているという仕事を終え、いつもとは違うAAミーティングに行こうと立ち上がったときでした。携帯電話が鳴り、地元の週刊新聞からAAのことを記事にしたいという話が舞い込みました。時間がないので、取材は29日に電話で受けることになりました。
29日は長岡に行く日でしたが、こちらを優先させることに決めました。
峠の登りは遅いトラックに阻まれて、ちっとも道がはかどりません。トンネルに近づいたころに、一通のメールが携帯に着信しました。それを見て僕は気が変わり、アクセルとブレーキを同時に踏み込んで、無理やり車を180度回しました。
市内に戻っていつものミーティングに出て、そして家に帰って、新聞社に送る封筒を整えました。僕は第一にその時間が欲しかったのです。他にも欲しいものはあり、それらもそれなりに満たされました。
自分の心に率直に耳を傾けられなくなったら、それは疲れている証拠なのでしょう。何をしたいのかも分からなくなったら、自分に素直になるにこしたことはありません。
今日という一日が過ぎれば、人生の終着駅も、一日近づくのですから。
ウィーンは君を待っている。
2004年04月25日(日) ビバ・輪番制 大阪でのAAのサービス・フォーラムへ。
今回はパソコンを持っていかないことに決めていました。触るパソコンがなければ、腕の炎症も少しは癒えるだろうという考えです。高速バスに5時間も乗ると、さぞかし飽き飽きするだろうと思っていたのですが、行きも帰りも寝ている間に着いてしまいました。
サービス活動とは、AAを維持し、それを伝えていこうとするすべての行動を含んでいます。
会場は熱気に包まれていました。この熱気が一部のメンバーのものに過ぎないのは残念なことに思います。でも、じゃあ僕が毎年このフォーラムに参加するかといえば、毎年は出ないだろうなという気がします。
家族もちはサービス活動をするなと言う気はありませんが、ステップの12に書かれているように、(家族に対する義務からは解放されているがゆえに)「素晴らしいサービス活動を展開できるのは、独身のAAメンバーの特権」であるからです。
残念ながら僕はその特権には恵まれていません。それはそれでよいのだと思います。
何らかの理由で家族を持たない人たちが、自分の時間をAAのために継続的に捧げています。その捧げ方はさまざまですが、そういう人たちの存在にAAは大きく依存しているのは事実です。
AAのサービスは輪番制です。どんなに「やりたがり」の人でも、任期が終われば椅子から放り出されます。どんなに嫌々やっている人でも、時期が来れば開放してもらえます。
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