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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年04月27日(火) ひいらぎとの出会いと別れ 24才か25才のときだったと思います。当時はまだインターネットは日本にはなかったので、パソコン通信の時代です。ネット上で僕は「suzune」と名乗っていました。これは川原由美子という人が描いた『前略・ミルクハウス』という10巻のマンガの登場人物(男性)の名前で、この名前を選んだのは、単に考えるのが面倒だったからです。
そのうち、この涼音という名前でパソコン雑誌に記事を書く人物が現れ、ネット上で混同されることが増えました。僕はやむなく、ハンドルネームを変更する必要に迫られたのです。
「suzune」を選んだときと同じように、本棚を眺め「hiiragi」を選びました。これは当時 『星の瞳のシルエット』という10巻のマンガが本棚に並んでいたからです。この作者(柊あおい)の別の作品『耳をすませば』は、後にスタジオ・ジブリで映画化され、さらにその作中作『猫の恩返し』も映画化されています。
酒井美羽のマンガにも「柊」が姓の登場人物が出てきますが、当時の僕は「柊」という姓が実在するとは夢にも思いませんでした。
日渡早紀のマンガ『僕の地球を守って』にも「ヒィ=ラギ」という登場人物が出てきます。
ようするに僕は少女マンガおたくであったわけです。そしてヲタ友たちには「なんと安直な選択」とからかわれたものでした。
31才のとき、僕は初めてAAグループというものと出会います。その時そのグループのメンバー全員がニックネームを名乗っていました。そこで僕は、何も考えずに「ひいらぎ」と名乗ったのです。以来僕はAAのなかで「ひいらぎ」であり続けたのです。
ゴールデンウィークが明けると、僕が病院を退院した日がやってきます。無事その日がきたら僕は、ひいらぎであることを止めて、本名の下の名前を名乗ることにします。物事はシンプルなほうが良いからです。
「ひいらぎ」はもともとネット上の人物です。僕が「ひいらぎ」であることを止めても、彼はネット上のどこかに存在し続けるのかもしれません。彼が依存症について語ることはないでしょうけれど。
2004年04月26日(月) ウィーンは君を待っている とても疲れた状態で会社のデスクに座っていました。
今日やった仕事といえば、先週木曜日に一日で13ページ書き上げた粗製濫造の書類を、みんなに回覧してチェックしてもらったこと、それをFAXしたこと、5部コピーを作ったこと。そして、会社のホームページを一ページ仕上げたことです。
自分がなぜ、ここに座っているのか、疑問を持ってしまいました。
(ウィーンは君を待っている)
はて、ウィーンとは何のことだったのか。
今月も無事給料が出ました。喜ばしいことであります。僕は、給料が出なくても働くほどお人よしではありません。しかし、労働は「苦痛と金銭の等価交換」ではありません。働くからには、金銭以上の何かが必要です。
(ウィーンは君を待っている)
心をかすめる、この言葉はなんだろう。
先日のオープンスピーカーズの記事は、翌日の新聞には載らなかったのですが、翌々日の火曜日の紙面にタブロイド版の3分の1ほどの大きさの記事になっていました。
(ウィーンは君を待っている)
だからウィーンて何なんだよ!
椅子に座っているという仕事を終え、いつもとは違うAAミーティングに行こうと立ち上がったときでした。携帯電話が鳴り、地元の週刊新聞からAAのことを記事にしたいという話が舞い込みました。時間がないので、取材は29日に電話で受けることになりました。
29日は長岡に行く日でしたが、こちらを優先させることに決めました。
峠の登りは遅いトラックに阻まれて、ちっとも道がはかどりません。トンネルに近づいたころに、一通のメールが携帯に着信しました。それを見て僕は気が変わり、アクセルとブレーキを同時に踏み込んで、無理やり車を180度回しました。
市内に戻っていつものミーティングに出て、そして家に帰って、新聞社に送る封筒を整えました。僕は第一にその時間が欲しかったのです。他にも欲しいものはあり、それらもそれなりに満たされました。
自分の心に率直に耳を傾けられなくなったら、それは疲れている証拠なのでしょう。何をしたいのかも分からなくなったら、自分に素直になるにこしたことはありません。
今日という一日が過ぎれば、人生の終着駅も、一日近づくのですから。
ウィーンは君を待っている。
2004年04月25日(日) ビバ・輪番制 大阪でのAAのサービス・フォーラムへ。
今回はパソコンを持っていかないことに決めていました。触るパソコンがなければ、腕の炎症も少しは癒えるだろうという考えです。高速バスに5時間も乗ると、さぞかし飽き飽きするだろうと思っていたのですが、行きも帰りも寝ている間に着いてしまいました。
サービス活動とは、AAを維持し、それを伝えていこうとするすべての行動を含んでいます。
会場は熱気に包まれていました。この熱気が一部のメンバーのものに過ぎないのは残念なことに思います。でも、じゃあ僕が毎年このフォーラムに参加するかといえば、毎年は出ないだろうなという気がします。
家族もちはサービス活動をするなと言う気はありませんが、ステップの12に書かれているように、(家族に対する義務からは解放されているがゆえに)「素晴らしいサービス活動を展開できるのは、独身のAAメンバーの特権」であるからです。
残念ながら僕はその特権には恵まれていません。それはそれでよいのだと思います。
何らかの理由で家族を持たない人たちが、自分の時間をAAのために継続的に捧げています。その捧げ方はさまざまですが、そういう人たちの存在にAAは大きく依存しているのは事実です。
AAのサービスは輪番制です。どんなに「やりたがり」の人でも、任期が終われば椅子から放り出されます。どんなに嫌々やっている人でも、時期が来れば開放してもらえます。
2004年04月23日(金) 回復 仲間のバースディミーティング。女性なので花束をプレゼント。
前回よりも花屋さんを訪れる人の数が多かったのは、やはり月曜日と週末の違いでしょうか。年配の女性や若い男性が花を買っていきます。人はなぜ花を買うのでしょうか。切花なんて、楽しめて数日なのにね。自分でもなぜ花を贈っているのかわかりません。自分はわからない男であります。
仲間から電話があって、看護学校の生徒さんたちにAAを紹介する授業の機会を貰ったのだとか。ついでに付属の図書館にAAの本やパンフレットを結構たくさん買ってもらえたのだそうです。やはり、認めてもらえることは嬉しいことなのでしょう。「良かったですね」と言っておきました。
こちら には、「正しく評価されないのが当たり前である」とあります。それはつまり、正しく評価されたいという欲望が誰にでもあることを示しているのでしょう。そして、良い評価を得たときの心の高揚は、とても心地よいものであり、悪い評価を受ければとても残念なのでしょう(当たり前か)。
だからこそ、正しく評価されなくても自己憐憫に浸るな、腐るな、怒るな、それで当たり前なんだということなんでしょう。
1年目のバースディの時は、なんと言っても自分が嬉しいです。でももう少し時間が経つと、自分のバースディよりも、仲間の(1年とか2年の)バースディのほうが喜びが大きくなります。本当に良いことが起こったのだと思えてきます。
飲んでいたころ、他人の幸せを妬んでばかりいたアルコホーリクが、人の幸せを喜べるようになる。これが回復でなくて、なんでありましょうか。
自分が何年経ったかは覚えていても、仲間が何年経ったかはうろ覚えです。仲間のバースディは早くやってくるのに、自分のはなかなかやってきません。
2004年04月22日(木) 3万訪問御礼 ホームページ最下段に設置してあるビジターカウンターが3万を超えました。
数字が増えるのは、なんとなく嬉しいです。注目を浴びたいという欲望が満たされるせいでしょうか。
でも一度カウンターが壊れて、いきなり88万になったときは、あまり嬉しくありませんでした。2万4千近くまでいったのに、1万5千まで戻ってしまったときは、こころに隙間風が吹いた感じがしました。
まあともかく、壊れやすいカウンターなんで、そのたび「だいたいこれぐらいの数字じゃないかな」と設定しなおしております。だから、3万といっても正確さはまるでなくて、ただの目安に過ぎません。
訪れてくださる方々に感謝です。誰も見てくれなかったら、ウェブサイトの維持ってとてもつまらない作業になってしまうでしょう。ひまりの丘 にリンクを設けました。
パソコンが立ち上がる確率がだいぶ悪くなってきています。無事起動したときもUSB関係のデバイスが全滅している場合が多いので、USBカードとUSBハブを交換してみました。USBスピーカーの音が途切れなくなってクリアな音になりましたが・・・起動失敗の確率は変わっていません。
睡眠不足で頭痛がしますし、腱鞘炎で右腕が痛いです。今夜は早く寝るつもりだったのに、もう1時であります。
2004年04月21日(水) 疲労とドリンク剤 非常に気が進まなかったのですが、出張に行ってきました。
とても疲れました。
とても疲れたのは、ドリンク剤を飲んだのが原因でしょう。
今回はショコラBBライトでした。
出張先では立ち仕事が多いので、欝っぽいからとか、疲れているからとかいう理由で、椅子に座り込んでいるわけにもいきません。過労気味なので、出張自体を回避したかったのですが、仕事なのでやむを得ません。
こういう場合は仕方ないので、ドリンク剤を飲んで元気を無理やり出すことにします。
ドリンク剤には微量のアルコールが含まれています。しかし、僕の場合にはそれが問題になるわけじゃありません(シアナマイドなどの抗酒剤を飲んでいる人は反応することがあるので注意してください)。元気が出る材料はビタミンB類やE、それからタウリンなどの栄養成分です。でもこいつらにはそんなに即効性はありません。
即日「眠気が取れて元気になる」理由は、なかにカフェインが含まれているからではないでしょうか。カフェインの覚醒効果によって、一時的に元気が出ているだけの話では?
「一日一本」とか言って、毎日ドリンク剤を飲まないと済まない人々は、実はうつ病患者のリタリン中毒と同じ状態なんじゃないかと思うのです。
それに、元気が出ないときには、休んでいるのが一番です。休息こそが元気の元なのに、休息しないで動いてしまうのは、体力の前借り、というか「体力の借金」そのもの。
そして、この取立ては結構キツいです。そんでもって、身体がさらにツラいから、また一本飲むことになる。
だから常用はしないように気をつけています。でも、いざって時は頼ってしまい、毎度「体力の取立て」にあって苦しんでいます(今日のように)。
栄養のバランスの良い食事をして、適度な運動と十分な休息をしていれば、こんな人工的な栄養剤に頼らずに済むのでしょうが・・・せめて出張の前の日ぐらい、食事と休息について考えてみるのが正気なのかもしれませんけれど・・・ううぅ。
2004年04月20日(火) 混む 午前中休みを頂くことにしました。
仕事に行く前に医者に寄らねばならないのですが、この先生もだんだん人気が出てきたようで、待合室が混み合うようになりました。以前は「患者さんを5分待たせることなんて、めったにないんじゃないのかな」と笑っておられましたし、事実30分も待つなんてことは(初診の人でもいないかぎり)珍しいことでした。
信頼している人が評価されることは嬉しいことですが、待ち時間が長くなるのはあまり嬉しくありません。時間短縮の単純な戦略は、朝早く起きて、クリニックが混みあう前に診てもらうことです。ですが、今朝はそのために早起きするのがとてもしんどかったのです。
「義父の手の治療のために、病院に連れて行くんで、午前中休ませてください」
我ながら「平気で嘘をつける」人間だなぁと思います。実際に義父に付き添っているのは妻でした。彼女が戻ってきて、まだ布団の中にいる僕を発見し、会社には電話したのか? ご飯は食べたのか? ときいてきたので、両方にYesと答えると放っておいてくれました。
10時半に再度起床。診察室の混み具合は「一冊の週刊誌のなかから気に入った記事を読みきるだけの待ち時間」という、僕にとってちょうどいい程度でした。
半日しか仕事をしていないのに、3日分ぐらい進んでしまいました。ある程度創造性の必要な仕事なので、そういうこともあります。単純に身体の疲れが取れたから、心や頭のコンディションが良くなったのかもしれません。
「PAGE FAULT ON NON PAGED AREA」の原因は、USB関係の故障と判明しました。
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