心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2004年04月12日(月) 紙の新聞

仲間の2年のバースディミーティング。女性なので花束をプレゼント。
普段花など買わないので、どれを買ったらいいのか悩んでしまいました。チューリップにカスミソウにミニバラ。ラッピングに時間がかかったのは、選定に無理があったせいでしょうか。おかげで、ジャスコの入り口の花屋前で10分以上立ち尽くす羽目になりました。
しかたなく花を眺めていましたが、ラベルが張ってないと何という名前の花なのか分かりません。

そう言えば父は園芸が好きでした。花き農家をやっていれば幸せだったのかもしれません。富山のチューリップ祭りに行きたいと願いながら果たせなかった父。なぜかアメリカとフランスには行った父。今度はフランスの田舎を訪ねたいと、ラジオのフランス語講座を聞いていたっけ。でも、耳が悪くなって、聞き取れずに苦労していたようでした。好きだったクラシック音楽も聴かなくなって・・・。
「本は年老いてからでも読めるが、音楽は老いてからでは楽しめん。心しておけよ」

先週の日経新聞の夕刊に女性のAAの記事が載ったのだとか。事前にセントラルオフィスから話を聞いて知っていたのですが、長野県には地元紙以外に夕刊はありません。全県そうなのかどうかは知りませんが、ともかく僕の住んでいるところでは、夕刊を読みたかったらローカル紙を取るしかありません。
全国紙の朝刊も、締め切りが一番早い版が割り当てられていて、プロ野球の結果とかも、試合が9時半ころまで続いていると、途中経過までしか載りません。

ニュースはネット上で朝日と産経のサイトを読んでいます。なのになぜ紙の新聞を読んでいるのか? 閲覧性の良さ、雑報の類、テレビ欄あたりに必要性を感じているのかもしれません。世の中を総覧的に見るには、やっぱり紙の新聞が一番なのかな。

ちなみに僕が新聞を読むのは夜10時ぐらい。24時間前のニュースを読んでいることになります。


2004年04月11日(日) いかなる論争にも参加せず、賛成も反対もしない

サマーワの安全も、邦人3人の身柄も金で買っているのではないかと、疑り深く考えてしまうひいらぎであります。
ま、そんなことはともかく。

2月に保険証の切り替えがあって、新しい保険証を貰いました。いままで慣れ親しんだ三つ折のものではなく、家族一人ひとりにクレジットカード大のプラスチックカードが配られました。もちろん7才と5才の子供にも一枚ずつです。

今までは家族に一枚だった保険証。家族が別居して暮らすために、遠隔地保険証?というのが発行してもらえて、これが単身赴任やら就学学生やらの必要を満たしていたわけです。でも、これは保険証の筆頭者(本人てやつ)の申請がないと発行してもらえません。

でも世の中には筆頭者の意に沿わずに別居するケースもたくさんあるわけです。つまり、別居だとか、DVが原因で脱出したケースとか。こういう場合には、飛び出したほうは保険証が使えなくなるわけなので、病気になったときにとても不便だったわけですが、それもこれで解消ですね。

健康保健でこれができるなら、なんで納税者番号制度は実現できないのかなぁ。貧乏人のわずかな定期預金の、さらにわずかなスズメの涙ほどの利息からも、きっちり税金を取られてしまうのはなぜなんだろう。均等課税の消費税と違って、所得に対する税なのに。やっぱり、公にできない所得の多い人が政治をやっているからかな。

まあ、政治にまつわる話は置いておくとして、今日は来週やるオープンスピーカーズの横断幕を作りました(紙だけど)。長尺印刷のできるプリンターなんて日ごろは欲しいとは思わないのですが、A4版の紙を張り合わせていると、面倒くささにため息がでました。

「ひいらぎ」の名前を使うのもあとひと月になりました。バースディの日がきたら、ニックネームはファーストネームを使うようにする予定です。


2004年04月10日(土) Change tires

「さすがにもう雪は降らないだろう」ということで、タイヤを交換しました。タイヤの保管場所が高いところなので、上げ下ろしに体力を使います。夏タイヤを点検してみると、スリップサインが目立ち始めています。このシーズンか、次のシーズンで寿命を迎えるでしょう。
子供たちも作業を手伝ってくれました。もっとも彼女たちは、タイヤの溝にはまった石をとるという意味のない作業に熱中していたので、僕の作業はちっとも楽にはならなかったのですが。義父が妻の車のタイヤを交換してくれたので、助かりました。

夏タイヤの乗り心地を思い出そうと、少し走ってみたのですが、土曜の市内は混んでいるので山に向かいました。公園の桜は3分咲きから5分咲きといったところでしょうか。来週の後半は天気が悪そうなので、桜も全部散ってしまうでしょう。

それでもまだ夜はコタツがありがたいです。寒暖の差に身体が順応できていない感じで、なんとなく調子が悪いです。もっとも、身体の調子がいいときは、それで当たり前だと思っているので、そこに感謝もなにもないのですが。


2004年04月09日(金) ディジタルもの様々(その1)

最近予備の原稿が底を突いていて、夜のうちに更新できないことが続いています。

こちら に先月の統計データを載せました。これはWebサーバーであるApacheのログをさまざまに解析してみた結果です。これは、ホームページだけじゃなくて、その他のページへたどり着いたケースも全部含んでいます。Perl言語の練習をかねて大作(?)に挑戦してみました。毎月2日に自動更新の予定ですが、5月2日にちゃんと動くかどうかは、その日になってみないと分かりません。

見ていて面白いのが、検索キーワード でしょうか。やっぱりSMAP歌強しです。作者としては、どのページが最もアクセスされているかも気になるところです。当然一位はダントツでホームページなんですが、次がリンク集になっていて、AA関係リンク充実を標榜する立場としては嬉しかったりします。

話が変わって、最近 iPod をはじめとして、ハードディスクを記憶装置に使ったポータブルMP3プレーヤーが増えてきました。普段車で移動している自分には不要なものですが、長距離を電車で移動する時には欲しくなります。でもMP3フォーマットは音が悪いです。320KBpsならそれほど不自然ではないけれど、一般的な128KBpsだとなんだか「ザラザラ」した音になってしまいます。ヴォーカルは艶っぽさを失い、ストリングスはなんだか平板な音になります。
WMA形式だとかなり良くなるけれど、こちらは復号できない難点があります。

なんでこんな音の悪いものが流行るのだろう・・・と不思議に思っていたのですが、電車の中ではたと気がつきました。車中で音楽を聴いている人は、たいてい耳の穴に突っ込むようなイヤフォンを使っています。まあ考えてみれば、電車の中で周囲に音漏れするようなヘッドフォンを使っていると迷惑だし、密閉式だと周囲の音が聞こえなくて逆に危険です。

僕も耳差込み式のイヤフォンを持っていますが、あれではどんな良い音を再生しても意味がありません。まあ、若者がポータブルラジオで音楽を聞いていた世代もあるんだし、ラジカセでシャカシャカ音を鳴らして喜んでいた世代もあったわけです。ポータブルプレーヤーもおじさん向けのガジェットではなくて、若い人向けなのかと得心した次第です。

大学のオーディオ部も部員が一人だけなんだとか。ハイファイサウンドへの関心は失われつつあるのでしょうか?


2004年04月08日(木) 父のことばかり思い出す一日

ボスとふたりっきりで、とても気詰まりのする一日でした。

僕の共感する言葉の中に、「尊敬できないからといって、礼を失してはならない」というのがあります(衣食足りて礼節を知るといのも真実でしょうけど)。

普段はPCのファンの音でうるさいマシンルームも、自分ひとりでいると静かなものです。内線がかかってくる前に、相手が受話器を上げた音が聞こえてくるぐらいです(1階と2階で離れているのに)。
一日に何度も打ち合わせをするなかで、突然彼が、僕の父と会ったときの話を始めました。それは父の死の2週間前のことで、当時僕は飲むことも、飲まないでいることも出来ない状況でした。父と何を話したのか、なぜその話をここで持ち出したのか、ボスは話さなかったし、僕もボスに尋ねませんでした。
もともと彼の最近の行動は、理解不可能どころか了解不可能なものが多いのです。

もしかすると、僕はボスの意図を確かめるのが怖かったのかもしれません。「あの時苦境から救ってやったのだから、今俺の苦境に力を貸してくれ」と言い出されたらどうしよう。恩を返せと言われたら・・・。確かにあの時に仕事を失っていたら、僕はもっと困っていたでしょう。
だが正直な話、僕はその後もこの会社で働きつづけてきたことそのものが、あの時の埋め合わせだと思っているのです。それ以上の責任は引き受けられません。僕はいつも自分の能力を過信し、能力以上の責任を引き受けて、結局は自分も他人も傷つけてきました。「出来ない約束はするな」というのも、AAの仲間の教えのひとつです。

ボスが苦境に陥っているのはよく分かっています。でも、僕が替わりにその責任を引き受けて解決することはできません。彼の人生を僕が替わりに生きることはできないのです。僕の人生を誰か他の人に生きてもらうわけにはいかないように。

ホームグループのミーティングの後、実家へ。
母が言うに、
「お前は誰かに似て、嫌いとなれば顔を見るのも嫌だというタチだからねぇ」
この場合の「誰か」が誰をほのめかしているのか、確かめるまでもありません。それは父のことです。

珍しく父のことばかり思い出す一日でした。


2004年04月07日(水) 「良くなる前には、いったん悪くなる必要がある」

地元紙に記事が載ったのを見かけたのでしょうか? もう少し規模の大きな新聞(全県紙)の報道部の人からオフィスに電話があったそうです。あいにく所長が不在で、用件はいろいろなルートを辿って僕のところへ転送されてきました。教えてもらった番号へこちらから電話してみたのですが、記者さんは忙しいようでなかなかつかまりません。
しかたないので、資料をそろえて郵送しておきました。それを見て、興味を持ってもらえるかどうか、記事になるのかどうか、その問題はもう僕の手を離れ、相手の問題です。
最初に掲げた目標は達成できているので、あまり欲をかかないことにします。

報道といえば、例えば「オレオレ詐欺」の報道が一時期目立ちました。手口自体は昔からあるもので、テレビ番組なんかでも取り上げられていたものです。それが増えた背景には長引く不況があったのでしょう。それに偽名の銀行口座もインターネットで簡単に変える時代です。

手口が報道されれば、自分にでもできるんじゃないかと思う人間も増えるのでしょう。事件報道によって事件が拡大再生産された可能性があります。でも、おかげでそういう手口が広く知られるようになって人々がだまされにくくなり、銀行の窓口でも年寄りが多額の振込みをしようとする場合には事情を聞くようになりました。最近では事件を聞くことも少なくなりました。
結局報道が社会システムの変化を促進したことになりますから、長い目で見れば良いほうへ変化したことになります。一時の悪化は必要なことだったのでしょう。

60年代から70年代にかけて、アルコールやドラッグがアメリカ社会を蝕んで、伝統的な家庭の価値観も崩れていきました。でもおかげで政府も動いたし、民間のアディクション治療も広まりました。
日本の社会は、アメリカ社会の10年か20年後を追いかけている、なんて言い方はもう廃れてしまいましたが、真実を突いていると思います。長い不況は終わりそうですが、今度は貧富の差が広がるだけのような気がします。社会がより競争的になると、ストレスのはけ口を物質やある種の行動に求める人は増えることでしょう。
こんな田舎ですら、バツと言われるドラッグが広まっているそうです。

病理に苦しめられる個々の事例に心が痛まないわけではありませんが、「良くなる前には、いったん悪くなる必要がある」と割り切るほかはありません
というか、そうとでも思わないと未来に期待が持てなくて、やってらんねーという感じです。


2004年04月06日(火) もしも視線が・・・

僕は朝起き抜けはとても調子が悪いです。
運悪く朝の電話で僕を叩き起こしてしまった仲間など、「なんでこいつはこんなに不機嫌なんだろう」「ひょっとして飲んでいるんじゃないだろうか」と思うほどだそうです。
なんかそれは、とてつもなく悪いことをしているような気がしていたのですが、AAのフェローシップ(親睦会)などで、そういう人間は僕ひとりではないということを知って楽になりました。僕は朝の不機嫌な肉体と精神に対して無力であることを認めたのです。

地元紙に載せてもらったオープンスピーカーズの予告記事に、セントラルオフィスの番号がのせてあります。そのことは事前に所長に伝えておいたのですが、実際に記事になったのをFAXで送ろうとして新聞をコピーして、そして「裏側」を送ってしまったようです。オフィスには白紙が届いてしまったようです。いろいろ手間をかけてしまって、ごめんなさい。
朝は頭が働いていないし、出社時間は迫って焦るし・・・言い訳ですね。

春になって暖かくなったせいでしょう、人々の服装も身軽になってきました。
仕事帰りの道で、ミニスカートで自転車に乗る若い女性を見かけました。若いといっても小学生とか中学生とかじゃなくてですね、むっちりとした太ももに僕の目がくぎ付けになってしまうような年頃なんです。どれぐらい短いかというと、もし駅の階段を彼女が上っていて、後ろから見上げたら「ぱんちゅが丸見え」であろうことは間違いありません。
下半身からマグマのようにこみ上げてくる情欲は、ちょっと脇に置いておいて、僕は考えにふけったのです。その彼女は、短いスカートを実に恥ずかしそうに下に引っ張りつつ自転車に乗っているのです。なぜそんなに恥ずかしいのに、ミニをはくのでしょうか。
人間誰だって若いうちは(若くなくても)自分に性的魅力がない(ゼロである)と考えたくはないものでしょう。ミニをはく行為は、魅力の確認なのではないかと考えたのです。

ある神父さんの話で、「もし人が視線で女を妊娠させることができたならば、自分は何千人もの女をはらませたであろう」という、とっても正直なのがありました。男ってそうなんですよね。いくつになっても。
だから、女性の皆さんにお願いしたいのは、AAミーティングにタンクトップやミニスカートで来るのは止めてください。邪念が起きて迷惑ですから。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加