心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年03月28日(日) 出来事の羅列

大阪行きの切符は買ってしまいました。サービス・フォーラムへの参加が、僕にとってはひとつの区切りになりそうな予感です。与えられた役割もだんだん終わっていくなぁという感慨があります。

土曜日、昼のバスで東京へ。大塚のセントラルオフィスに寄って、今度のオープンスピーカーズミーティングのチラシを壁につるしてきました。その予告記事が地元の新聞に載り、問合せ先がオフィスの電話番号になっているので、事情の説明をしておきました。「これからJSOへ行くので場所を教えてください」と言ったら、地図と一緒に、届け物を託されてしまいました。中には現金も含まれていて、そんなに信用してもらっちゃっていいのかなと・・・。
池袋のJSOで、何人かと待ち合わせ。そして、地下鉄で東京の東の端のミーティング場へ。ほとんどの人とは初対面に近かったのですが、ミーティングへの道すがら話す話題に困らないのは、同じAAメンバー同士だからでしょうか。

初めてビッグブックを輪読するミーティングに参加しました。アフターミーティングは「ば〜みあん」で食事をしながら、あるメーリングリストの打ち合わせと、スクリプトミーティングの件について情報交換。夜はそのまま仲間の家に泊めてもらいました。

日曜日は午後から地域委員会。長野がオープンスピーカーズを4月の第3日曜日に設定したおかげで、隣の地区のイベントが中止になってしまったという話をききました。まあ、他にも事情があるんでしょうけど・・・、イベントに良い日取りというのは「早い者勝ち」という側面もあります。

十分寝ているはずなのに、行きも帰りもバスの中でよく眠れました。そして今も眠いです。


2004年03月26日(金) 金銭の正しい使用?

仕事がないなどとほざいていたら、さっそく異国からトラブルを告げるメールが届いてしまいました。電子メールというのは便利なもので、トラブルも届けてくれるけれど、解決方法も届けてくれます。そのかわり、テレックスやFAXの時代だったら、この程度のトラブルは我慢してもらえたのかもしれません。

ある統計によると、携帯電話やPHSが流行りだしたころから、恋人たちが付き合い始めてから別れるまでの期間が、それ以前と比べておよそ半分になったのだとか。「恋人たちは24時間臨戦態勢のストレス下にある」と書かれていました。やっぱり自分だけの時間ていうのは、誰にとっても大切なものなのでしょうね。
便利になればいいというもんじゃないですね。電子メールのシステムを設計した人が、「うまく作ったなー」と関心してしまうのが、メールは相手に届いたかどうか、相手が開封したかどうか、送った側は知るすべがないということです。その点では、郵便メールと同じ機能を持たせたわけで、良い設計だと思います。

4月の大阪のフォーラムへ行くのに高速バスが1万円・参加費(宿泊食事代含む)が1万円。みどりの日に新潟のオープンスピーカーズに行くのに交通費が1万7千円。もっともこっちは、一緒に行ってくれる人がいるかもしれないので、その場合は折半かな。5月のラウンドアップも、交通費が1万5千円で、参加費用が1万円ぐらい・・・。
5月は自動車税の季節だし、7月には生命保険の年払いがあって、しかも夏のボーナスは絶望的とくると、現実問題として二ヶ月で何万も金を使うのは間違っているのは分かっています。「金銭の正しい使用が終わったところから、金銭の誤用が始まる」と書いてあります。

請求書が来るものから優先的に金を使い、余ればイベントに行くのに使っても良しとするのが「正気」のあり方です。僕にとって金銭の正しい使用とはどこまでなのか。どのイベントを諦めるか。少なくとも、サービスフォーラムへ参加するかどうかは、申し込み期限と切符の予約の都合から、今夜じゅうに決めないといけません。

困ったなぁ。


2004年03月25日(木) 1年で倍増

会社に行っても仕事がありません。困ったものであります。仕方ないので、会社のホームページを抜本的に新しくするという仕事をでっち上げてやっておりますが、まったく身が入っておりません。Perlの勉強もホームページのCGIを作るという名目でやっていたのですが、よく調べてみると会社が借りているホスティングサービスではCGIが使えないことが判明しました。(仕事の役に立つという)大義名分を失ってしまうと、やっていることが後ろめたく感じます。

今月は給料をもらえたので感謝なのですが、今後いつまでそれが続くのか怪しい状態です。失業保険について調べてみたのですが、会社都合退職に比べて、自己都合退職は失業保険の受け取り額がかなり不利になることを知りました。給料の遅配が起こったら、その時点で退職しようと考えていたのですが、遅配が2ヶ月以上連続していないと会社都合退職にはならないのだそうです。だから、たとえ給料が払ってもらえなくても、ひと月は我慢して働いていないと、離職後の収入に差が出てしまうのです。
「仕事は苦痛と金銭の等価交換ではない」というのが僕の信念ですが、さすがにただ働きは、職場の雰囲気が殺伐とすることが予想されますので、暗い気分になります。

ホームグループのミーティング。二人だけでした。開始から1年経って、一人が二人に増えたというところでしょうか。なにせ人口7千人の村でやっているのだから、あまり贅沢を言ってはいけないのでしょう。続けてきてくれる人もいるのですが、長くは続きません。少し離れたところに病院があって、そこから患者さんが来てくれることも多いのですが、退院するとその人の地元に帰っちゃうわけです。ここが地元の人もいますが、無力を認めるには時間がかかるものなのでしょう。

「二人で頑張ろうよ」と励ましてくれたのが嬉しかったです。
まあ、淡々と続けていけば、いずれ神様が何とかしてくれますよ。きっと、たぶん。


2004年03月24日(水) 情報の発信についていくつか

それにしても、Googleで「アルコール依存症」で検索しても、200位以内に入っていないのは、なんとなく悔しかったです。最近のGoogleのアルゴリズムは、タイトル<title>タグ重視らしく、そこに「アルコール依存症」の単語が入っていないのが敗因のようです。
わけの分かんない英タイトルなんかをつけておくのは止めて、日本語の副題でもつけようかな。「自助グループとアルコール依存からの回復」とか「アルコール依存症からの回復とスピリチャリティ(霊性)」とか・・・どこらへんがスピリチュアルなのか自分でも分かりませんが。

1月下旬から2月いっぱいまで、アクセス数が3割り増しぐらいになっていた時期がありました。何が原因だったのか、さっぱり分からなかったのですが、とある方面からの情報によると、2ちゃんねるの断酒板にURLが貼り付けてあったそうです。以前だったら、定期的にApacheのログを解析していたのですが、昨年12月にサーバーの管理ソフトが代わって、ログが見にくくなってしまいました。おかげで、人々がどこからやってくるのか把握しにくくなっていたのです。まさか2ちゃんだっとは。
3月に入ってから沈静化したので、「大学が休みになったからかな〜」とか思っていたのです。

1年ぐらい前から「ブログ」とやらが大流行で、ついにNiftyあたりの大手プロバイダーまでブログを作るサービスを始めています。ホームページ作成ソフトを使ってデザインするのは面倒だけど、日記感覚で文字だけ連ねていけばいいブログは、作り手にとっては情報発信が楽なツールなのかも知れません。僕も気に入ったのを三つ四つ読んでいます。多分彼・彼女らはブログがなかったらサイトを作ろうとも思わなかったでしょうね。

「心の家路」も、この雑記をホームページの真ん中に据え、左側に各種情報のインデックス、右側に掲示板がわりのコメント欄をつければ、ブログサイトに大変身ですね。
ついでに、産経・朝日・毎日新聞のサイトには検索機能があるから「アルコール+依存症」で検索したニュースインデックスを下に付け加えれば、面白くていいかもしれません。スクリプトで自動化すれば、手間要らずですし。
でも、落ち着いたサイトが好きなんです。

地元のローカル紙から電話があって、今度やるオープンスピーカーズの予告記事を掲載してもらえることになりました。いつ掲載されるか日にちまでは分かりませんが・・・。普通はイベントの案内は、最後に「問い合わせは○○さんまで。電話番号・・・」となるのですが、どうしましょう? と言われたので、セントラルオフィスの番号にさせていただきました。
そうだ、オフィスに電話しとかなくちゃ。


2004年03月23日(火) 名前の読み(カタカナ)+生年月日

すっかりホワイトディのことを忘れていました。まだ何にも届かないとお怒りの方は、もうしばらくお待ちください。コンビニの店頭からホワイトディ用品が消え、何を買ったものがすっかり困り果てております。別にたくさんの人にお返しするわけじゃありませんから、何でもいいんだけどね。本にしましょうか。

ちなみに、お彼岸であることもすっかり忘れていましたが、こちらは前の週に実家に寄ったときに、仏壇(じゃなくて神道だから神棚か)に線香上げてきました。

とある電話投票システムの申込書を郵送しました。申込書を取り寄せる際に、生年月日を偽ったのですが、それがそのまま印刷されてきちゃいました。生年月日の分かる身分証明書のコピーをよこせと書かれていたので、さて困ってしまいました。
ネットでのアンケートにしても、どこかのショップの登録にしても、僕は生年月日を偽ることにしています。時には5歳若く、ある時には10才もサバを読んで、月日も変えています。名前の読み(カタカナ)+生年月日というのが、個人情報会社が情報を集積する際のキーになります。自分のプライバシーは大切にしたいです。どこでいつ何を買ったか、どんな思想を抱いているか、そんな情報を集積されたくありません。だから、可能な限り誕生日を偽るというのが僕のポリシーです。
しかし、銀行とクレジット会社と電話会社だけは、どうしても正直に答えないといけない仕組みになっています。
オンラインショップで買い物をして、最後にカードで決済をしようとしたとたん、ショップのデータベースの生年月日と、カード会社のデータベースのデータが一致しないというエラーがでて困ることがあります。のろいの言葉を吐きながら、会員情報の訂正をすませて買い物を一からやり直す羽目になります。「住所などの変更はメールでお知らせください」というようなショップとは二度とお付き合いしません(できません)。

それにしても、Photoshopは便利です。


2004年03月22日(月) 神の配慮により

朝から雪でした。そして夕方には積もり始めました。土曜日にノーマルタイヤに変える予定だったのが、すっかり忘れていてラッキーでした。おかげで無事ミーティングに行くことができたからです。

「AAではね、偶然であるとか、○○さんのおかげであるとか、そう考えずに<ハイヤー・パワーの配慮だ>と考えるんだ」

と先行く仲間が言ってくれたことがあります。はたしてそのように「信仰を習慣付ける」ことが正統的なやり方なのかはともかく、当時の僕には役に立った考え方でした。だから、今日無事ミーティングに参加できたのは、やはり神の配慮なのでありましょう。

帰りに吉野家で豚皿を買って帰りました。ご飯と共に味わってみましたが、牛皿の味にはとうてい敵うものではありません。でも、子供たちはそれでもって二度目の晩御飯を食べてました。とほほ、パパを許しておくれ。普段牛肉を食べないものだから、豚肉のほうが美味しいと感じちゃうのだね。

「心の家路」は、コンテンツのほうの更新はすっかり止まっていて、技術的なことで遊んでばかりです。そういえば去年はスタイルシート化をしましたし、その前の年はフレームを止めるという作業をしていました。ともかくこのサイトは、「メッセージを運ぶ」などと大上段に構えず、Just Fun(ただ面白いから)という理由でやっているので、更新が少なくても大目に見てやってください。

田尻のビッグブック・ラウンドアップ中止の知らせが舞い込んで来ました。去年は田植えと重なってしまったので行けず、今年は田植えをサボってでもと思っていただけに残念です。今年はビッグブックの「夏の集い」に行けるのかなぁ。なんか地元のラウンドアップの準備と重なったりしそうで嫌な予感です。
まあ、「全体の福利」が優先で「個人の回復」はその次だそうなので、仕方ありません。

つまり、今日のミーティングのテーマは「伝統1」だったというわけです。


2004年03月21日(日) 自分を裏切らない気持ちよい話し相手

往復とも3時間40分かかりました。新潟県内を走る快速電車の椅子は気持ちが良くて、とてもよく眠れました。文庫本を持っていったのですが、読みませんでした。文字を読むのが面倒になるのは良くない傾向かもしれません。でも、ポータブルビデオプレーヤーが欲しいなぁ。iPod のビデオ版みないな製品が出てくれると嬉しいです。MP3の音楽の代わりにDivXのビデオが見られるやつ・・・。

時々「2ちゃんねる」とか読んでいるのですが、長野県内の精神医療の話題の板とかもあって、今回のオープンスピーカーズミーティングの案内送付先を決めるのに参考にさせてもらいました。

でも読んでいて気になったのは、かなり多くの人が投薬治療だけでなくて、「じっくり話を聞いてくれるカウンセリング」を望んでいることなんです。そもそもカウンセリングを精神科医に求めるのは筋違いだろうと思うのですが、それは置いておきます。じっくり聞いてくれる医者もいるようなのですが、皆がしっくり来ないのは「自分の話に賛同してもらえないから」という理由なんじゃないのかと気になったのです。
自分の苦しさを訴えて、それを理解してもらえて、しかもその正当性を医者という「権威」に是認してもらえれば、「この苦しみも楽になるのじゃないか」という幻想を抱いているのじゃないのかな。もしそんなことをしてもらえても、それだけじゃ決して楽にはなれないでしょうに。

それに良い治療者というのは、その人が目を向けたがらない問題に対して陽を当てるものではないですか。問題の存在を認めてしまうと、今までと同じ生き方はできなくなってしまいますから、適切な助言ではなくて、「現状の是認」を求めるのじゃないかなぁ、と思ってしまったりするわけです。
というか、根本的な自己の是認ができないようならば、病気以前に家族機能の問題とかがあったりするのじゃないのか、と思ってしまうのは受け売りの思考かな。

まあ、人間は「話を最後まで聞いてもらいたい」動物であります。でもね、自分を裏切らない気持ちよい話し相手というのは、欧米では金持ちの老婦人が金を払って雇うぜいたく品なんですよ。たぶん。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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