心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年03月24日(水) 情報の発信についていくつか

それにしても、Googleで「アルコール依存症」で検索しても、200位以内に入っていないのは、なんとなく悔しかったです。最近のGoogleのアルゴリズムは、タイトル<title>タグ重視らしく、そこに「アルコール依存症」の単語が入っていないのが敗因のようです。
わけの分かんない英タイトルなんかをつけておくのは止めて、日本語の副題でもつけようかな。「自助グループとアルコール依存からの回復」とか「アルコール依存症からの回復とスピリチャリティ(霊性)」とか・・・どこらへんがスピリチュアルなのか自分でも分かりませんが。

1月下旬から2月いっぱいまで、アクセス数が3割り増しぐらいになっていた時期がありました。何が原因だったのか、さっぱり分からなかったのですが、とある方面からの情報によると、2ちゃんねるの断酒板にURLが貼り付けてあったそうです。以前だったら、定期的にApacheのログを解析していたのですが、昨年12月にサーバーの管理ソフトが代わって、ログが見にくくなってしまいました。おかげで、人々がどこからやってくるのか把握しにくくなっていたのです。まさか2ちゃんだっとは。
3月に入ってから沈静化したので、「大学が休みになったからかな〜」とか思っていたのです。

1年ぐらい前から「ブログ」とやらが大流行で、ついにNiftyあたりの大手プロバイダーまでブログを作るサービスを始めています。ホームページ作成ソフトを使ってデザインするのは面倒だけど、日記感覚で文字だけ連ねていけばいいブログは、作り手にとっては情報発信が楽なツールなのかも知れません。僕も気に入ったのを三つ四つ読んでいます。多分彼・彼女らはブログがなかったらサイトを作ろうとも思わなかったでしょうね。

「心の家路」も、この雑記をホームページの真ん中に据え、左側に各種情報のインデックス、右側に掲示板がわりのコメント欄をつければ、ブログサイトに大変身ですね。
ついでに、産経・朝日・毎日新聞のサイトには検索機能があるから「アルコール+依存症」で検索したニュースインデックスを下に付け加えれば、面白くていいかもしれません。スクリプトで自動化すれば、手間要らずですし。
でも、落ち着いたサイトが好きなんです。

地元のローカル紙から電話があって、今度やるオープンスピーカーズの予告記事を掲載してもらえることになりました。いつ掲載されるか日にちまでは分かりませんが・・・。普通はイベントの案内は、最後に「問い合わせは○○さんまで。電話番号・・・」となるのですが、どうしましょう? と言われたので、セントラルオフィスの番号にさせていただきました。
そうだ、オフィスに電話しとかなくちゃ。


2004年03月23日(火) 名前の読み(カタカナ)+生年月日

すっかりホワイトディのことを忘れていました。まだ何にも届かないとお怒りの方は、もうしばらくお待ちください。コンビニの店頭からホワイトディ用品が消え、何を買ったものがすっかり困り果てております。別にたくさんの人にお返しするわけじゃありませんから、何でもいいんだけどね。本にしましょうか。

ちなみに、お彼岸であることもすっかり忘れていましたが、こちらは前の週に実家に寄ったときに、仏壇(じゃなくて神道だから神棚か)に線香上げてきました。

とある電話投票システムの申込書を郵送しました。申込書を取り寄せる際に、生年月日を偽ったのですが、それがそのまま印刷されてきちゃいました。生年月日の分かる身分証明書のコピーをよこせと書かれていたので、さて困ってしまいました。
ネットでのアンケートにしても、どこかのショップの登録にしても、僕は生年月日を偽ることにしています。時には5歳若く、ある時には10才もサバを読んで、月日も変えています。名前の読み(カタカナ)+生年月日というのが、個人情報会社が情報を集積する際のキーになります。自分のプライバシーは大切にしたいです。どこでいつ何を買ったか、どんな思想を抱いているか、そんな情報を集積されたくありません。だから、可能な限り誕生日を偽るというのが僕のポリシーです。
しかし、銀行とクレジット会社と電話会社だけは、どうしても正直に答えないといけない仕組みになっています。
オンラインショップで買い物をして、最後にカードで決済をしようとしたとたん、ショップのデータベースの生年月日と、カード会社のデータベースのデータが一致しないというエラーがでて困ることがあります。のろいの言葉を吐きながら、会員情報の訂正をすませて買い物を一からやり直す羽目になります。「住所などの変更はメールでお知らせください」というようなショップとは二度とお付き合いしません(できません)。

それにしても、Photoshopは便利です。


2004年03月22日(月) 神の配慮により

朝から雪でした。そして夕方には積もり始めました。土曜日にノーマルタイヤに変える予定だったのが、すっかり忘れていてラッキーでした。おかげで無事ミーティングに行くことができたからです。

「AAではね、偶然であるとか、○○さんのおかげであるとか、そう考えずに<ハイヤー・パワーの配慮だ>と考えるんだ」

と先行く仲間が言ってくれたことがあります。はたしてそのように「信仰を習慣付ける」ことが正統的なやり方なのかはともかく、当時の僕には役に立った考え方でした。だから、今日無事ミーティングに参加できたのは、やはり神の配慮なのでありましょう。

帰りに吉野家で豚皿を買って帰りました。ご飯と共に味わってみましたが、牛皿の味にはとうてい敵うものではありません。でも、子供たちはそれでもって二度目の晩御飯を食べてました。とほほ、パパを許しておくれ。普段牛肉を食べないものだから、豚肉のほうが美味しいと感じちゃうのだね。

「心の家路」は、コンテンツのほうの更新はすっかり止まっていて、技術的なことで遊んでばかりです。そういえば去年はスタイルシート化をしましたし、その前の年はフレームを止めるという作業をしていました。ともかくこのサイトは、「メッセージを運ぶ」などと大上段に構えず、Just Fun(ただ面白いから)という理由でやっているので、更新が少なくても大目に見てやってください。

田尻のビッグブック・ラウンドアップ中止の知らせが舞い込んで来ました。去年は田植えと重なってしまったので行けず、今年は田植えをサボってでもと思っていただけに残念です。今年はビッグブックの「夏の集い」に行けるのかなぁ。なんか地元のラウンドアップの準備と重なったりしそうで嫌な予感です。
まあ、「全体の福利」が優先で「個人の回復」はその次だそうなので、仕方ありません。

つまり、今日のミーティングのテーマは「伝統1」だったというわけです。


2004年03月21日(日) 自分を裏切らない気持ちよい話し相手

往復とも3時間40分かかりました。新潟県内を走る快速電車の椅子は気持ちが良くて、とてもよく眠れました。文庫本を持っていったのですが、読みませんでした。文字を読むのが面倒になるのは良くない傾向かもしれません。でも、ポータブルビデオプレーヤーが欲しいなぁ。iPod のビデオ版みないな製品が出てくれると嬉しいです。MP3の音楽の代わりにDivXのビデオが見られるやつ・・・。

時々「2ちゃんねる」とか読んでいるのですが、長野県内の精神医療の話題の板とかもあって、今回のオープンスピーカーズミーティングの案内送付先を決めるのに参考にさせてもらいました。

でも読んでいて気になったのは、かなり多くの人が投薬治療だけでなくて、「じっくり話を聞いてくれるカウンセリング」を望んでいることなんです。そもそもカウンセリングを精神科医に求めるのは筋違いだろうと思うのですが、それは置いておきます。じっくり聞いてくれる医者もいるようなのですが、皆がしっくり来ないのは「自分の話に賛同してもらえないから」という理由なんじゃないのかと気になったのです。
自分の苦しさを訴えて、それを理解してもらえて、しかもその正当性を医者という「権威」に是認してもらえれば、「この苦しみも楽になるのじゃないか」という幻想を抱いているのじゃないのかな。もしそんなことをしてもらえても、それだけじゃ決して楽にはなれないでしょうに。

それに良い治療者というのは、その人が目を向けたがらない問題に対して陽を当てるものではないですか。問題の存在を認めてしまうと、今までと同じ生き方はできなくなってしまいますから、適切な助言ではなくて、「現状の是認」を求めるのじゃないかなぁ、と思ってしまったりするわけです。
というか、根本的な自己の是認ができないようならば、病気以前に家族機能の問題とかがあったりするのじゃないのか、と思ってしまうのは受け売りの思考かな。

まあ、人間は「話を最後まで聞いてもらいたい」動物であります。でもね、自分を裏切らない気持ちよい話し相手というのは、欧米では金持ちの老婦人が金を払って雇うぜいたく品なんですよ。たぶん。


2004年03月20日(土) 対環境性

来月のオープンスピーカーズのチラシを病院だとか保健所だとかに送るために、封筒詰めをしていたらこんな時間になってしまいました。明日の朝起きる時間を考えると、睡眠不足決定です。長岡へは自動車ではなく、車で行きたいと思います。電車だと寝ていけますからね。

昨日設置したカウンターですが、やっぱりうまく動いていないですね。一つは「昨日の訪問者」が更新されてないし、「総数」も更新されていません。自分のところだとちゃんと動いているのだけど、環境が違うと動かないってのはプログラムの問題(バグ)の定番です。環境が変わっても問題なく動けるのは「強い」プログラムで、変化の影響を受けやすいのは「弱い」プログラムです。なんか人間に似ていますね。

今の会社を辞めたいとも思わないし、会社員を止めたいとも思いません。りーまんはやっぱ楽ですから。でも、今の会社が完全に傾いてしまったら、同じ程度の収入を確保しつつ転職するのは難しいだろうと思っています。かといって手取り十数万程度では、いくら生活レベルを落としても、家族を養っていくのは難しいです。妻もパートに出られる状態でもありません。彼女ともよく話し合った結果、失職した場合、ともかく就職活動をしてみるものの、給料面ではあまり妥協はしないで探すことにしました。そんなわがままを言っていては再就職はできないでしょうから、必然的に独立してフリーランスで仕事をしていくことになるのでしょう。
仕事にありつくまで営業を頑張んないといけないし、仕事をやり遂げても、手形で支払われると現金化まで時間がかかります。半年か一年は厳しい局面になるでしょう。
困ったものです。

栗本薫の「グインサーガ」を3冊ほど鞄に詰め込んで、明日はゆっくり電車で移動です。


2004年03月19日(金) 2本目のPerlプログラム完成

Perlの勉強も少し成果が出てきています。といっても身近ですぐに必要なプログラムもないので、「心の家路」にアクセスカウンターをつけてみました。200行ほどの短いプログラムが出来上がり、CGIとしてサーバー上で動作しております。ホームページに「本日の訪問者は○人」と表示されるようになりました。

このカウンターは同じ人が一日に二回訪れても二回カウントしないように工夫してあります。普通そのためには、ブラウザー(Internet Explorerとか)にCookieを食わせるのですが、そうすると一番アクセスの多いホームページをcgiにしなくてはならず、サーバー会社から文句を言われるのも嫌なのでやめました。アクセス元のIPアドレスと、ブラウザ情報、それからproxyを使っている場合にはその情報も組み合わせて識別しています。

一日に何回もアクセスしてくれる人がいて、それはそれで嬉しいのですが、いままでのカウンターだとそれもカウントしてしまいます。僕は何回のアクセスがあったかではなく、何人が覗きに来たかを知りたいのでした。まあ、もちろんコンピューターの前に誰が座っているのかは知りようがないし、昼に会社で見て夜に自宅で見る人は2人とカウントされてしまうわけですから、正確に数えることは無理なんです。でも、なるべく自分の望んだとおりになるというのが、プログラミングの楽しみです。

ダイアルアップ接続の人などは毎回IPアドレスが変わるので「別人」と判定されてしまうのですが、最近はダイアルアップ接続は少数派なんだと自分に言い聞かせることにします。

日曜日は新潟(長岡)の予定ですが、まだ電車で行くか、車を運転していくか決めていません。電車で行く場合でも、全工程普通電車なので切符の予約が要りません。だから、決定を先延ばしできてしまうんです。その準備と、オープンスピーカーズのチラシの発送準備は明日済ませてしまわなくては・・・。

僕の人生には10年という区切りが存在するようです。10年フリーランスで仕事をし(フリーターじゃないよ)、その後10年会社員をやって、さてそろそろまた変化の時期が来たようです。そう言えば飲んだくれていたのも10年余りだったですね。


2004年03月18日(木) 暗い側面

刑法39条には単純に「心神喪失者の行為は、罰しない」とだけ決められています。「心神喪失」てのがどんな状態かは法律では決められていないのだそうですが、戦前の判例によって「精神ノ障害ニ因リ物事ノ理非善悪ヲ弁識スル能力ナク、マタハコノ弁識ニシタガッテ行動スルノ能力ナキ状態」となっているのだそうです。

刑事事件の裁判なんかで精神鑑定が話題になりますが、あれは実は全体のごく一部に過ぎません。たいていは検察での簡易鑑定で責任能力なしということになれば、裁判をやってもどうせ無罪になるので、起訴猶予ということになります。以前、市内で殺人と思われる変死体が見つかったニュースがテレビ報道されたことがありましたが、翌朝以降新聞でもテレビでもそれを取り上げないということがありました。無罪の人間の犯罪を報道してしまえば、それは人権侵害ということになるのでしょうか。

普通の人が泥酔して「前の晩やったことを覚えていない」という状態で、心神喪失を理由に罰せられないということは、おそらくあまりないのでしょう。ところが、アルコール依存症の人の場合、病気の進行の具合によっては、少量の飲酒で意識障害に陥ることがあります(いわゆるブラック・アウト)。この状態で重大犯罪を犯しても、罪に問われない場合もままあるのでしょう(と曖昧にする)。
精神鑑定というのは、「今どうであるか」ではなくて「犯罪当時どうであったか」を問われるわけなので、しらふに戻った本人は責任能力ありありでも、罰されないというわけです。こうして、公にならない事件というのは結構あるんじゃないのかなと思ったりします。

ずいぶん前ですが、ある人が精神病院に入院していると聞いたので、面会に行ったのですが窓口で断れてしまいました。院長に許可を願ったのですが、それも返事がもらえません。閉鎖病棟の中にいる本人から伝聞で聞いた話では、あと何年間か出られないそうです。処置入院でも年数の目安が決まっている例は聞いたことがありません。アルコール依存症で何年も入院するなんて変だなぁと思ったことから、39条を思い出してしまいました。

まあ、仮にそんなことがあったとしても、先の変死体の事件とは時期が違いますから関係ないでしょう(念のため)。真相は本人に聞いてみるまでわかりませんが、それもあと何年か先の話です。

精神病院、しかも閉鎖病棟となれば、僕にとっても悪夢のような場所ですが(未体験)、刑務所経験者に言わせると「懲役に比べれば天国のようなもの」だそうです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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