心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年03月01日(月) 休みました

仕事を休みました。
朝食を食べては寝、昼食を食べては寝、夕食を食べては寝ていました。よくこんなに眠れるものだと自分でも感心するぐらいですが、それだけ疲れていたのでしょう。食事ができることからすると、それほどひどいうつ状態でもなさそうです。
朝は鼻血が出たので、鼻にティッシュを詰め、ぜぇはぁ言いながら会社に電話をしたら、すんなり「お大事に」と言われてしまいました。さすがに「うつで」とは言えないので、「熱が出ました」とかいい加減なことを言っておきましたが。

ここまで弱りきったのには、昨日栄養ドリンクを飲んだせいもあると思います。
体力が有り余っている人には、栄養ドリンクなんて「ちっとも効かない」ものなんでしょうが、僕のように虚弱な人間ですと、あれほどありがたいものはありません。
でも、栄養ドリンクって、「エネルギーを補給してくれるもの」でもなければ「疲労を除去してくれるもの」でもないんですよね。ある種のビタミン類を補って、未来に使うべき体力を前借りするだけのシロモノです。「だるい」「眠い」という時には休むのが一番なんですが、それを先延ばしにするに過ぎません。

借りたものは返さなければならず、容赦の無い体力の取立てにあって寝込んでいたというわけです。やっぱ休めるときに休むのが一番ですね。AAミーティングも休んでしまいましたが。


2004年02月29日(日) 自明の素晴らしさ

生きていくということは、ただそれだけで素晴らしいことなのです。
そのことは自明であって、何の証明も説明も要りません。
「こういう人生」は素晴らしい、というような条件付けもいりません。

しかし、ある時、生きていくことの素晴らしさが、理解できなくなる(感じられなくなる)ことがやってきます。日常は無味乾燥になり、この世に意味のあることなどないんだ、という気分に落ち込んでしまいます。自分がやっていること、やるべきことに価値が見出せなくなります。

何をやってもつまらないし、くだらなく感じてしまう。
何を言いたいかというと、「うつ」になっているということです。

生きていくことの自明な素晴らしさが感じられない。うつとは切ない病気であります。


2004年02月28日(土) AAはカルトか治療か?

Alcoholics Anonymous: Cult or Cure? については こちら のページを教えていただきました。

金曜の夜は早く寝ようと思いながら、結局3時過ぎまで起きていました。
お昼に起床。ご飯を食べた後、また少し寝て、3時半から家族でお風呂へ。ここ近辺は町村それぞれに日帰り入浴施設があります。入浴後、休憩室で電動マッサージチェアを15分使いました。ラーメンならぬ「中華そば」で夕食。CDレンタル店でCDを借りました。

眠ければ寝て、腹がすけば食べる。僕の思い描くスローライフとはこんなものなんだけど。



2004年02月27日(金) Cult or Cure?

Alcoholics Anonymous: Cult or Cure?

という本があるのですが、書評を読む限りとても楽しそうな本だったので、買おうと思ったらamazonでは品切れでした。古書を探したら一万四千円もしました(ペーパーバックなのに!)。素直に諦めることにしました。

朝起きるのもつらい状態が続いていましたが、やっと金曜の週末にたどり着きました。第二週の週末はAAでつぶれ、その後の土曜は仕事で、日曜はAAで東京へ行っていましたから、休む暇がなかった一ヶ月でした。体も疲れましたし、頭も疲れましたし、心も疲れました。

何をやっても面白く感じられないのは、心が疲れているからでしょう。月の途中で心の栄養補給になる出来事もいくつかあったのですが、さすがに燃料計はゼロ付近にまで落ちてきてしまいました。自分とAAとの適切な距離を取り戻したいと思います。

AAメンバー4千人という数字があります。名簿がないAAですから、正確な数字を把握する手段はありません。一方でグループ数は417で、こちらは登録数だから正確な数です。一グループあたりメンバー10人は・・・いないでしょうね。仮にその400超のグループが実際に動いていたとしても、実働メンバー数は二千数百人ぐらいじゃないのかな。この推計に賛成してくれる人は多いと思いますよ。

来年は九州の集会にも、東京のラウンドアップにも多分行かないと思います。鬼が笑うか。


2004年02月26日(木) 予備校

委員会とは、「無駄なことをするために不適格者から選ばれたやる気のない人間の集まり」(リチャード・ハークネス)

もしくは、

委員会とは、「新しい考えをおびき寄せるが、やがてこれを静かに絞殺していく袋小路のようなもの」(バーネット・コックス)

だと こちら に書かれていました。ちなみに僕は、ハークネスもコックスもどんな人だか知りません。経済学者かな?

グループの代議員の役割を学ぶのに2年では足りない、という言葉があります。要するに代理(副題議員)として2年やった後に、正の代議員をしろという意味です。ちなみに、あるハンドブックによれば、代議員には少なくとも1年のソブラエティが望ましいとされています。1年飲まずに過ごして、2年代議員代理をやり、さらに2年の代議員活動をやりなさいということになります。
自ら望んで代議員になったのならともかく、「他にやる人がいないから」という理由でそんなことを強いられたら、任期が終わったとたんにお役御免とばかりにグループを去っていくんじゃないのかな。
「適任者がいなければ空席にする」というのは、WSM報告書にも何度か登場する提案です。無理して体裁を整えることはないよという提案は、人の回復にも当てはまるけど、AAのサービス活動にも当てはまると思います。

もっとも、最初は何をしていいのか分からなかった人が、しだいにその任務をこなせるようになっていくという姿も何度も目にしているので、あんまり空席主義に傾くのも考え物でしょうね。

○○の実行委員会なんてのは、期限もやることも決まっているんで、身も締まっているものが多いんだけど、常設の委員会の中には「何のために毎回集まっているのか」目的を見出しにくいのもありますね。集まることは委員会の手段であって、目的じゃないはず・・・なんだけど、まあ人間同士直接顔をあわせることが大切なのかもしれません。

もともとこの雑記のサブタイトルは、「〜のドライドランクな日常、もしくは自助グループへの諦念まじりのつぶやき」だったのですが、いつの間にか後半が取れてしまいました。でも、最近の雑記を読み返してみると、ぶつぶつ文句を言ってばかりだという気もします。


2004年02月25日(水) あいぶごってんたいあーど

夕方は西の空に月と金星がランデブーしてとてもきれいです。東の空に見えるのは、木星でしょうか。ちなみに、僕の住んでいるところでは、水星を見ることはできません(山があるからです)。

毎週末が何かの用事でつぶれているので、髪の毛を切りに行くヒマがないまま何週間も経ってしまいました。というわけで、会社帰りに990円の床屋で切ってもらいました。

帰宅したら眠くなったので、そのまま座布団の上で寝てしまいました。起こされたのが夜11時です。それから風呂に入り、出た後に食事をしようとしたら、すでに妻は寝ていました。自分で食事の用意をするのが面倒なくらいダルイ状態だったので、深夜の吉野家にでかけてしまいました。
豚キムチ丼450円は高いのか安いのか? 値段は昔の吉野家の値段に戻ったわけですし、味は美味しかったです。吉牛というのはひとつの文化を作り出しただけに、失われてしまうのはあまりに惜しいです。早く輸入再開できるといいね。

新潟へ出かけるためにJRの時刻表をあたっていたのですが、以前利用できた夜行の急行列車がなくなっていました。おかげで、普通列車で3時間半の行程になりました。しかも、遅刻だし。車で行こうかな。

ともかく今自分に必要なのは休養です。今度の土曜日は寝るぞー!


2004年02月24日(火) 師との対話(その一)

弟子「師よ、なぜ女は理性的でなく感情的なのでしょうか?」
師「うむ。確かに学者の一部などにはきわめて理性的な女性もおるが、ほとんどの女性は感情的じゃな」

弟子「やはり脳みその違いなのでしょうか」
師「男性脳・女性脳論じゃな。それもあるが、女が感情的なのは、男が原因なのじゃろう」

弟子「それはなぜでしょうか?」
師「男女共同参画社会とか言いながらじゃな、女のことを対等の人間として認めておる男がどれだけだろうかね?」

弟子「対等だとおもっておりますが・・・ぶつぶつ」
師「対等だと言っておきながら、女の発言を一人前の人間の発言として扱おうという社会にはなっておらんのじゃよ。まあ女の言うことだからと水に流してしまうことがいかに多いことか」

弟子「そう言われてみれば、そんな気もしますが」
師「言葉に責任を持ってもらうためには、感情ではなく理性でものを言ってもらわんと困るわけだよ。感情から出た言葉であっても、その言葉には責任があるわけだ。ところが、女の感情的な発言だからと許してしまうのはな、結局対等の人間として扱っておらん証拠じゃよ」

弟子「理屈で我慢するよりも、感情を言葉に出したほうがすっきりするのは、男でも女でも変わりませんからねぇ」
師「女も意識的にか無意識にか、そのことを分かっておって行動を決めておるのじゃ」

弟子「言葉に責任を問われる立場になれば、女性も理性的になるのでしょうか?」
師「さあな、鉄の女という首相もいた。日本の大臣でも、感情的なのは長続きしとらんだろう」
弟子「まあ、感情的な男もたくさんいますからねぇ」
師「そうだな。性差よりも個人差のほうが大きいかもしれんなぁ」


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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