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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年01月31日(土) 一月雑感 一日一日、確実に陽は長くなっているのでしょうが、冬の太陽は油断するとあっという間に西に傾いてしまいます。JRの駅に予約した切符を受け取りに行きました。
昨年まで評議会は都内のホテルで開かれていたのですが、今年は川崎に移動しました。川崎というのは長野から行くにはちょっと不便なところです。昨年は高速バス+地下鉄で行ったのですが、今年はそれでは間に合わないので特急電車を利用することになります。まあ、バスより電車のほうが疲れなくてありがたいです。
ソブラエティ十何年という仲間のスリップの話を聞くと、残念な気持ちになります。もったいないとしか思えません。病院メッセージには行っていたけど、普段のミーティングからは遠ざかってしまっていたという偏りが、本人には危険信号として感じられなくなっていたのでしょうか。そういえば、僕のスポンサーも・・・。
アル中はオール・オア・ナシングで中庸というものが苦手なように思います。AAにやってきてまで、まだ成功と名声を求めている人もいれば、無名という殻に閉じこもっている人もいます。でも、ミーティングを続けていればたいていは、中間へと落ち着いていくようです。
狂ったようにミーティングに出続けているかと思えば、いつしかまったく出なくなってしまう。週に一回とか、月に2回とか、そんなペースで落ち着いて続けることは、なかなかに難しいことのようです。
いろんなことがあった一月でした。
AA人という言葉があります。以前は「そんなのになるのは何か嫌だな」と思っていたのですが、いつの間にか僕も変えられてしまっていたのでしょうか、「AA人らしくありたい」と思っている自分を発見して驚きます。人間は変わる。どんな風に変わるかは自分で選ぶことができる。よい方向へか悪い方向へかは、後になってみないと本当のところは分からないのでしょう。そんなことを考える時間も与えられました。
二月には何が待っているのでしょうか。
2004年01月30日(金) 仕事 いつから日本語の「仕事」が、金銭を得るための作業を意味するようになってしまったのでしょう。それは単に「やること・やるべきこと」という意味が第一に来るもののはずで、それによって収入を得るかどうかは二の次のはずです。
AAメンバーにとってAAは「副業」です。AA専業になったからといって効率が上がるというものでもありません。でも副業とは言え「仕事」には変わりありません。
僕は2年間の任期の仕事をおおせつかりました。今年はその二年目です。英語のworkを仕事と訳すのがよろしくないなら、任務という言葉を使いましょうか。一年目は熱意に燃えていた時期もありましたが、今年は少し燃え尽き気味であります。結局それは「正しいことが行われていない」と感じ続けたせいなのです。ただ、(僕にとっての)正しいことが行われることが大切なのかどうかということを、あまり深く考えてこなかったのも事実です。
事務的な文章を訳していて、こんな言葉に出会いました。
私たちは知恵を携えるのではなく、良心を手にしていくよう求められる。私たちの責任は分かち合うべき内容を伝えることであって、説得することではない。私たちは、何もかもを「賛成が何票と反対が何票」に煎じ詰めようとする誘惑に屈してはならない。勝つか負けるかはグループの良心の言葉ではない。
僕は僕なりに人々と出会って形成した良心を携えて行くでしょう。勝つか負けるかは良心の言葉ではないというのですから、大切なのは僕の知恵ではなく、僕が人々の道具として奉仕できるかどうかということが大切なのです。
もう一度「やる気」を自分の心の奥から取り出して、与えられた仕事を全うするよう努力してみることにしましょう。
2004年01月29日(木) a long shot アルコールとは縁が遠くなったものの、相変わらず「酔い」を求めている自分がいます。
すべてにおいて「しらふ」で生きていければ、それにこしたことはありません。だが、「生きづらさ」というのは、そう簡単には無くなっても、遠ざかってもくれないものです。
痛みを消すためにアルコールを使うことはなくなりました。ちょっとやそっとのことで、心が悲鳴をあげることもなくなりました。でもそれは、心に胼胝(タコ)ができてしまっただけなのかもしれません。それでも、ジクジクと心が痛むときには、なんらかの鎮痛剤を求めてしまう習性は消えません。
やめたタバコをもう一度吸ってみようかという気になったりします。宝くじを買うのもたぶんそうです。ほかにもいろいろ。砂を噛むようなつまらない繰り返しの中に、潤いを求めて・・・なんて言葉を使ってしまう自分が、とても情けないです。
すべての苦しみから解放されることを願うのは傲慢な態度だと言われます。完全主義者とは、完全であるとうぬぼれているか、完全でなかった後悔に苛まれているかのどちらかだと言います。「酔い」を求めないという理想を高く掲げつつも、現実には酒に酔いを求めなかったという程度の自分に、まずまずの満足を求めなければいけないのかもしれない。
行きは西の空に金星を見ながら100Km。帰りは東の空に何かの惑星を見ながら100Km。
事故渋滞だというので、隣のインターまで移動し、さらにそこでラーメンを食べました。一番安いしょうゆラーメンを頼んだのに、出てきたのは味噌ラーメンでありました。餃子は「自分で焼いたほうが美味しく焼ける」と確信できる出来でした。
人は料理人には文句を言わない。ただ黙って去り、二度と訪れないだけ。
こちらに加筆を加えました。
2004年01月28日(水) 支配者をいだいて すっかりブロードバンドに慣れていると、ページの重さに気がつかないものです。
先日、PHSダイヤルアップ経由で「心の家路」を見てみたのですが、ホームページの画像を全部表示し終わるまで、数秒時間がかかりました。それぞれの見出しに画像を使っているのがいけないのでしょう。GIF画像にするなどして、極力データ量を削減し「軽く」しておいたつもりなのですが、実際自分で見てみると重いです。
ふだん、出張先から見るときなどは、ノートパソコンのブラウザは画像を表示しない設定になっているせいで、その重さに気がつかなかったわけです。
ほかのページはほとんど、葉っぱ以外の画像は置いてないので、ホームページが一番重いという非常によろしくないデザインになってしまっています。
ただ、デザイン面での妥協はあんまりしたくないのも本音です。企業のページなんかはとても重い(データ量が多い)のが多いし、それにくらべれば「心の家路」のホームページなんて軽いものではないでしょうか・・・。単にデザインのやり直しが面倒な言い訳を言ってるだけですけどね。
話は変わって、ビル・Wの話の中に「アルコールが僕の支配者だった」という文があります。一方ステップは、偉大な力を自分のディレクターにすることを要求しています。結局のところAAのプログラムというのは、アルコールという暴君を支配者にいだくか、それとも偉大な力(神)をいだくか、二者択一を要求するということですね。自分を自分の支配者にするという手段は、最終的にはアルコールへの敗北によって、ふたたびこの選択に戻ってくるだけの、先延ばしの手段に過ぎません。
いずれにせよ、依存症者はなんらかの支配者をいだいて生きるしか術はないということかな。
今週は一回もミーティングに出ていません。明日は天気もよさそうだし、ちょっと遠出してみましょう。
2004年01月27日(火) 少しだけ金銭について お年玉付き年賀はがきの抽選はもうずいぶん前に発表されています。
確かめてみたところ、全部外れていました。
切手シート一枚もあたらないという、見事な外しっぷりです。
厄年の幕開けににふさわしい、低調な立ち上がりです。
ナンバーズのほかに、ミニロトにもロト6にも手を出してみましたが、もうすでに飽き始めています。だって当たんないんだもん。毎週毎週、千円ずつ摩っていくのは実にむなしく感じます。これじゃあタバコを毎日1箱吸っているのと変わらないではないか・・・。
乱数相手に戦ってみたところで、勝つ要素はなさそうです。
やっぱり、結果に偏りがあるギャンブルのほうが面白いのかなぁ。
独身時代に作った農協の口座を、もう使わないだろうと、母親が解約してくれました。何の金だか知りませんが、2万ほど現金で受け取りました。こうしたお金が僕の「ないしょ資金」となって、東京に行ったりとかのAA活動を賄っていてくれるわけです。
「お前もいろいろとお金がいるだろうから」
母は、自分が解決できなかった息子の問題を、AAが解決したので、あまりAAのことを好ましく思っていないようです。だが、母にとって最悪なことは、僕がまた飲んでしまうことなのは確かで、「ゴルフやパチンコで金とヒマを費やす人に比べれば」と、僕がAAに時間を費やしすぎるのを許してくれています。
ああ母上、申し訳ありません。あなたから頂いたお金のうち、もう千円は公共工事の資金として消えてしまいました。ごめんなさい。
2004年01月26日(月) ぐっすり寝る 妻がうつで朝起きられないと言い出したのが、先々週の金曜日でした。
僕はいつも寝るのが遅く、起きるのも朝8時半ということも多いので、事態に気付いたときには、すでに遅いのでありました。長女は小学校に大遅刻、次女は保育園をお休みということになりました。
翌週(つまり先週)月曜日は義母が朝から来てくれたので良かったのですが、「両親とも布団で寝ていて、子供が起きるわけ無いじゃないか」というお叱りを喰らう羽目になってしまいました。それは正論だと納得したので、翌日から僕も朝7時には起きることにして、長女をたたき起こし、着替えをさせ、時間がくれば家からたたき出してあげるということを始めました(食事は変わらず義母が面倒見てくれてます)。そして次女も起こして着替えさせ、一緒に食事をした後に、保育園まで送って行く日課が始まったのです。
その分、夜は早く寝るよう心がけていたのですが、いかんせん睡眠時間は6時間前後をいったりきたりでした。普段の睡眠不足は週末の朝寝で取り戻すのですが、「パパお腹すいた」という言葉を無視して寝ていられるほど神経も太くないわけです。
日曜日は朝早くから出かけたから、よせばいいのに、オークションで買ったMDデッキの動作確認をして、また夜更かしをしてしまいました。それでも月曜の朝は、「パパが送っていってくれるんだったら保育園行く」と普段行きたがらない次女との約束を果たすために、いつもどおりに起きたわけです。
この一週間の行動の中のどこに狂気が潜んでいたのか僕にはしかとは分からないのですが、ともかく言えることは、月曜の夕方には僕は疲労がたまりきっていたという事実です。AAミーティングをお休みして家に直行し、そのまま布団にもぐりこんで寝てしまいました。深夜に一度起きて、風呂と食事をすませ、そのまままた寝ました。
翌朝も7時に起きてみたのですが、ひさしぶりに妻が起きていたので、二度寝させてもらうことにしました。
ひさしぶりに12時間以上寝たので、頭がすっきりしています。
まあ年を取れば若い頃のように無理は利かないということですね。それに、睡眠時間を確保するためには、なにかを犠牲にしないといけないということ。朝ご飯もそろって食べたほうがいいのでしょうね。
反省点の多いところであります。
2004年01月25日(日) 穴居人 人間が狩猟生活を送っていたころ、男たちは集団で狩をしに出かけた(んだろうと思われる)。女たちは子供たちと一緒に棲家で男たちが狩から帰るのを待っていた(んだろうと思われる)。
男たちは棲家から遠く離れても、また戻れるように地理的な能力を身に着けた。だから地図を把握する能力は、現代でも男のほうが優れいてると考えられている(それが真実かどうかは別として)。
女たちは男たちが獲物を持って帰ってくるまで生き延びられるよう、体に脂肪を蓄える能力を獲得した(んだろうと思われる)。
さて、男たちが持って帰った獲物を分配する範囲が「家族」(部族)であった(のではなかろうか)。
なんでそんなことを考えたのかというと、今日の昼食に「一緒にメシを食おう」と誘われたことが原因です。仲良くやっていくかどうかは別にして、私たちは親しくやっていかなければならないわけです。そうでなければ、帯びた任務をこなすことができないわけです。
「親しくなるには、まず一緒に食事をするのが一番だ」というわけで、あまり食べられない人も、沢山食べる人も一緒に食事をしました。
食事をしながら、一緒にメシを食う・一緒に風呂に入り・一緒に寝るというのが、人と人が親しくなるには効率がいいんじゃないかという話をしたのです。でもそれって、AAメンバーの間では「ラウンドアップ」と呼ばれている行事ではないかという意見も出ました。
なんで食事をすると親しくなり、また逆に親しい人と食事をしたいと考えるのか、そんな原因をつらつらと考えていたら、穴居人たちの生活様式が思い浮かんだという次第です。
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