心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年01月20日(火) 道徳の問題?

源泉徴収票をもらいました。以前は雑収入という収入項目があった時期もありましたが、現在は100%を給与所得に頼っている生活なので、この額面が僕の年収ということになります。
昨年より50万円ほど減りました。世間ではリストラの効果が出始めて、景気が良くなっている会社が増えているそうですので、今後に期待することにしましょう。もっとも、一割の製造業が残りの九割の産業を牽引している産業構造は改革されていないので、そんな急速な回復は見込めないでしょうが・・・。
うちの会社も、政府の助成金がもらえる産業でもないのに、よくがんばっているほうだと思います。社長の引退と共に消えて無くなるでしょうけどね。日本で会社をつぶした社長は、面目丸つぶれというか、ほとんど犯罪者というか、人非人扱いです。だから、それを恐れて会社を興す人が少ないのでしょう。たとえ消えてなくなったとて、その間は貴重な雇用を創出したわけですから、尊敬されてもいいと思うのですが、なぜか日陰者になりがちです。
雇用というのは国や行政や首相が作り出すわけではなくて、勇気ある民間人が作るわけです。とは言うものの、僕は給料を払う側には絶対回りたくないですね。自分のために働いているのだか、人に給料を払うために働いているのか、分からなくなるでしょうから。

新聞にこんな記事が載っていました。依存症と限った話ではないのですけど、「隠れて飲む」あたりは病気の症状まるだしという感じです。「飲む回数を制限する」「ビールだけを飲む」「などなど」というやつです。教師だからといってアル中にならないとは限らない(なって当たり前)なんだけど、それを道徳という平面に投影したがるのが新聞でしょうか。
中学のときの数学の先生も、高校のときの世界史の先生も、美術の先生もしょっちゅう酒臭かったんだけどなぁ。もっとも中学の数学の先生は酔って車に轢かれて亡くなっちゃったし、世界史の先生は奥さんに離婚されてたけど。


2004年01月19日(月) 最低?の一日

今日はずっと椅子に座ってまじめに仕事するつもりでした。少なくとも朝はそのつもりだったのです。そしてそれは、ぜひそうする必要があったのです。ですが、10時過ぎにかかってきた電話によって、その予定はすっかり乱されることになります。
だいたい「社長を出せ!」という言葉を使う輩は、自分が無理を言っているのは百も承知、理屈では自分が負けることが判っているから理に訴えても無駄、情に訴えてもなおさら無駄です。僕は本来エンジニアという専門職のはずなのに、最近ではクレーム処理までやる始末です。年は取りたくないものです。

午後4時半に机に戻ってきたときには、すっかり元気がなくなっていました。仕事のトラブルというのはそういうものです。妻が作ってくれた弁当は冷たくなったまま鞄の中に残っています。今日はいつもより一時間早く起きて作っただけに、これを残して帰るとひときわ機嫌も悪かろうというものです。おまけにお腹がごろぴーで、三回もトイレに釘付けにされたのに、まだ痛みが治まりません。

唯一ラッキーだったのは、高速のパーキングの自動販売機でオロナミンCを買ったとき、150円のために百円玉ひとつと十円玉五つを入れたはずなのに、おつりが390円返ってきたことぐらいでしょうか。しかしそれも、十円玉と五百円玉を間違えるくらい疲れていただけだったのかもしれません。おまけに、それに気をよくしてナンバーズ3を買って散財してしまいました(ちなみにハズれました)。

一人きりの社内で、冷えた弁当に箸を入れていると、電話がなりました。もう午後7時を過ぎている上に、非通知でかけて来る電話にロクなものはないので、出ないでおきました。すると5分後にFAXが入り、その文面を見て、僕は急速に青ざめました。昨年末に残した仕事を、新年からすっかり忘れていたのです。

そして僕は足取りも重く、ミーティング場に向かったのです。そして一時間後、体は疲れていたものの、心は軽くなってそこを去りました。

夕方にアルコールが待っていてくれるからこそ耐えてきた日々が過去にありました。今は別の手段で、意思と命の痛みを癒すことができるようになった自分がいます。どんなに一日が悪かろうとも、もはやアルコールは必要ありません。

AAの仲間から明日肺がんの手術をするという連絡をもらいました。僕にできることは祈ることぐらいです。


2004年01月18日(日) 家電いろいろ

年末に買ったLPプレーヤーをパソコンにつないで、種ともこのシングル「10円でゴメンね」の曲をWAVファイルにしました。
「明日のデートの予定をキャンセルする電話を、10円玉一個だけで公衆電話からかける」というテーマの曲なんですが、ケータイではなくて公衆電話で、しかも10円で3分間という時代のお話です。覚えていますか? そんな時代を。

さて、昔のシングルをWAVファイルにして、これをMDに録音しようとしたら、中古で買ったMDデッキが壊れてしまっていました。なんとか修理できないものかと格闘していたら、時間がみるみるうちに過ぎていってしまいました。

そんなわけで、午後遅く起きるはめになったのですが、妻は元気を取り戻したらしく、子供たちとジジババと氷の彫刻祭りに行ったようです。

さて、昨年10月の出張のために、PHSを新しく契約したままになっていました。機械の納入後しらばらくしてトラブルが発生し、再度訪問しなければいけないことはしばしばあるので、しばらく解約せずに様子を見ていたのですが、そのまま年を越してしまいました。国内ではまったく使っていないのに、基本料金月々2,700円を取られるのもシャクにさわるので、駅前のショップまで解約しに行くことにしました。

が・・・、先日携帯電話のパケット割引も解約したばかりです。もし今後国内で出張などがあった場合に、移動通信に困ってしまいます。ホテルの部屋からアナログ電話でダイアルアップする手段もありますが、かなり割高です。かといって、パケット割引なしでcdma2000を使うと後悔する羽目になります。ふとTwo LINK DATAの端末を中古で入手していたのを思い出し、PHSの解約ではなく、機種変更をすることになりました。

夕食後、電器店を冷やかしに行って、マッサージチェアに魅了されてしまいました。ジジババが30年ほど前に買った機種と比べると、すごく進歩しているのにびっくり。でも値段が按摩40回分というのは元がとれるか疑問だし、第一狭い我が家に設置する場所もなし・・・。


2004年01月17日(土) あれから9年

妻が起きてこないので、子供のために朝食兼昼食を作りました。
目薬をもらいに眼科医に行きました。眼圧測定と視力測定、それと医師の診断(眼底を覗き込んで観察)。そして薬局で2ヵ月分の目薬を購入。五千円札が消えてなくなりました。昨年は面倒くさくてやらなかったのだけれど、今年は確定申告で医療費控除を受けるべく、領収書はきちんと保存しておくことを決意しました。
娘二人を柔道場まで送り迎え。バレエをやりたいと言っていたのに、いつの間にか柔道にすりかわってしまいました。それでも本人たちが楽しんでいるからいいのかな。
受身や投げの練習は女の子はまじめだけど、男の子はふざけてばかり。そして乱取りのときに元気なのは男の子のほうです。

9年前のこの日、阪神淡路大震災が起きました。
僕は何も覚えていません。連続飲酒の真っ只中だったからです。テレビの画面に黒煙を上げる街の俯瞰が写っていたことはぼんやり覚えていますが、あとはブラックアウトの中です。当時、なぜ「酒を飲む人間は沢山いるのに、自分だけが依存症にならねばならなかったのか。そしてその解決方法が、先輩後輩などと小うるさいことを言う断酒会と、これまた神などと小うるさいことを言うAAしかない」ことに憤慨して暴れていました。

その2ヵ月後、僕はAAとのファーストコンタクトを果たします。そして、夏の頃に新聞である記事を見かけました。震災で住まいも家族も失った独居者が、仮設住宅の中でアルコールにおぼれているケースが沢山あることを伝えた記事でした。民生委員や保健婦の説得は役に立っていないという内容を読んで、さもありなんと納得しました。かの地に断酒会やAAはあるのだろうか? そして彼らはどうしているのか。僕はそんな考えを頭から振り払い、アル中たちのことは自分も含めて忘れることにしました。
私たちが現実から目をそむけるとき、起こる結果はひとつ。僕はやがて飲酒に戻ることになります。

夕食の準備も片付けも面倒なので、近所の回転寿司へ行きました。午後から振り出した雪は、10センチほども積もったでしょうか。今年は雪も多いし、気温も低いです。
子供もいつの間にか、赤ん坊から幼児に、幼児から学童に成長しています。僕はあまり変わってはいないけれど、時間だけはどんどん過ぎていってしまいます。


2004年01月16日(金) 唯一の例外

年賀状の返事が電話でやってくる場合もあります。

断酒会の方とのお付き合いはほとんどなくなってしまったのですが、(今のところ)最後の入院のときに同部屋だった人のうち、お一方には年賀状を欠かさないことにしています。そしたら、その方から年明けに電話がかかってきました。身内の方が亡くなったので欠礼の連絡でした。

共通の話題というのはあまりないので、勢い同じ部屋に入院していた人々の消息に話が及ぶことになります。4人部屋でしたが、途中で退院していく人もあり、入院してくる人もありで、数を数えれば10人ぐらいでしょうか。
すでに飲んで亡くなった人もあり、飲んで入院した人もいます。一方で無事な一群というのは、主に断酒会かAAのどちらかにつながっている人々です。その中で唯一、どの自助グループにも行かずに断酒生活を何年も保っている方がいらっしゃいました。
しかし、昨年その病院(僕の出身病院)に病院メッセージに行った時に、どうやらその人ではないかと目される人が患者さんの中にいました。生気が抜け、顔色も悪かったので、同一人物には見えず、他人の空似ではないかと疑ってもいたのです。

電話でのゴシップで、僕が見たのはまさにご本人だということが確認されました。
これで僕と同部屋だった群では、断酒生活=自助グループという図式に例外がなくなったというわけです。もちろん、群をもっと大きく取れば、例外はたくさんたくさん見つかるでしょう。
だが、僕は僕自身を説得する材料さえあれば十分です。自助グループも人間の集まりですから、そこに人間関係の軋轢が発生しないわけはありません。時にはきわめてクダラナイことをやっている気になって滅入ることもあります。でもそれは僕に必要な集まりです。
病院メッセージは、AAという自助グループがあって、そこではこういう回復のプログラムがあるということを紹介に行くわけです。でも、そこで自分が目にする姿は、自分の未来像のひとつでもあるのです。忘れっぽい僕にとって、自分がどんな障害を抱えて生きているか、思い出すにはもっとも手っ取り早い手段であります。

珍しく同僚たちと夕食を食べて帰宅したら、妻がうつで寝込んでいました。「先に寝込んだ者勝ち」という夫婦なので、この週末は家事に追われそうな、やな予感です。


2004年01月15日(木) 言い訳のせい

今ではノートパソコンも安くなって、重さと大きさにさえこだわらなければ、10万円以下で立派なノートPCが買える時代になりました。(もっとも、持って歩くには重さと大きさが最重要課題なんだけど)。

一時期転職して金回りの良かった頃、ノートPCを衝動買いしたことがあります。某S社のショップを冷やかしていたところ、突然欲しくなって買ってしまいました。普及機だったので仕事に使うには大きくて重すぎ、そしてそのメーカーの信頼性はお世辞にも高いとは言えない・・・。
帰宅する頃には買ったことをすっかり後悔していました。箱を片手に帰った僕を、妻の冷たい視線が射るように突き刺さりました。僕は必死で言い訳を考え・・・
「君のノートパソコンだよ。安かったからさ」

こうしてそのPCは彼女の所有物になりました。そして彼女はインターネットで「在宅ワーク」やら「内職」やらの情報サイトに応募しまくったのです。数ヵ月後から、我が家の電話には在宅ワークの勧誘の電話がかかるようになりました。僕には、どうして彼女に「誰でもできることを自宅でやって月に数万円の収入」なんてうまい話があるわけないことが理解できないのか、理解できないのです。だいたい、収入を得るための仕事に、なんでまず金を払って教材を買わねばならないのか・・・。

数十万単位の契約のクーリングオフすること2回。そのうち1回は期間が完全に切れていましたが「消費者センターに苦情を入れる」と脅して解約を強要しました。ありがちなのは、数万円の教材費という題目の金を取った挙句、絶対にこなせない量の内職を押し付けて、ダメだと気がついた時にはクーリングオフ期限が終わってるというパターンです。やれやれ。

今回も、紙に同じ文章をボールペンで手書きしているな、と思ったらやっぱり内職でした。「今度のは最初の投資はいらないの」と言い張ってますが、届いたゆうパック箱に代引き伝票(額面19,800円)が張り付いたままでした(間抜けなヤツ)。一枚書いて数円の手間賃なんだそうですが、納期までに200枚仕上がらなければボツだそうです。主婦業の片手間では無理っぽいし、第一元手を取るまでに何ヶ月かかるやら。

これだけ金を無駄に捨てているなら、東京電力の株でも買ったほうがマシだと思うのです。今なら100株で23万円ぐらい。年間配当が6千円。

あの時、口をついて出てしまった言い訳のせいで、どれだけの金銭と労力が無に消えたものか考えるとため息が出てしまいます。もっとも、妻に言わせれば、僕がAAにつぎ込む労力と金銭も「もったいない」そうですが・・・。


2004年01月13日(火) 一回休み

僕は前の晩に、翌日持って行くものを揃えて置く習慣があります。
そうしないと必ず忘れ物をするほど、朝は頭が働かないわけです。

が、今朝はそれでも忘れ物をしました。
ヤフオクでPHSを売り払ったので、その送品をするために郵便局に寄ったのに、送るべき品物を携えていなかったのです。しかたなく家に戻って出直したのですが、今度は財布を持っていませんでした(ついでに携帯も無かった)。並べてあるものを全部持っていけばいいだけなのに、なぜこうなるのか?

どうも脳みそが部分的にしか働いていないような気がして、そのまま会社に電話して休みをもらってしまいました。布団を敷いて横になり、気がついたら午後4時になっていました。

外は雪になっており、夕方から積もり始め、夜半に小ぶりになりました。
翌朝に雪かきをするのは嫌なので、夜中に雪かきをすませました。

自ら4連休にしてしまいました。ああ、このまま一生休みが続けばいいなぁ。
まあ、明日のことは明日の朝起きてから考えよう。

90の道具に19を追加しました(昨日だけど)。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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