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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2004年01月17日(土) あれから9年 妻が起きてこないので、子供のために朝食兼昼食を作りました。
目薬をもらいに眼科医に行きました。眼圧測定と視力測定、それと医師の診断(眼底を覗き込んで観察)。そして薬局で2ヵ月分の目薬を購入。五千円札が消えてなくなりました。昨年は面倒くさくてやらなかったのだけれど、今年は確定申告で医療費控除を受けるべく、領収書はきちんと保存しておくことを決意しました。
娘二人を柔道場まで送り迎え。バレエをやりたいと言っていたのに、いつの間にか柔道にすりかわってしまいました。それでも本人たちが楽しんでいるからいいのかな。
受身や投げの練習は女の子はまじめだけど、男の子はふざけてばかり。そして乱取りのときに元気なのは男の子のほうです。
9年前のこの日、阪神淡路大震災が起きました。
僕は何も覚えていません。連続飲酒の真っ只中だったからです。テレビの画面に黒煙を上げる街の俯瞰が写っていたことはぼんやり覚えていますが、あとはブラックアウトの中です。当時、なぜ「酒を飲む人間は沢山いるのに、自分だけが依存症にならねばならなかったのか。そしてその解決方法が、先輩後輩などと小うるさいことを言う断酒会と、これまた神などと小うるさいことを言うAAしかない」ことに憤慨して暴れていました。
その2ヵ月後、僕はAAとのファーストコンタクトを果たします。そして、夏の頃に新聞である記事を見かけました。震災で住まいも家族も失った独居者が、仮設住宅の中でアルコールにおぼれているケースが沢山あることを伝えた記事でした。民生委員や保健婦の説得は役に立っていないという内容を読んで、さもありなんと納得しました。かの地に断酒会やAAはあるのだろうか? そして彼らはどうしているのか。僕はそんな考えを頭から振り払い、アル中たちのことは自分も含めて忘れることにしました。
私たちが現実から目をそむけるとき、起こる結果はひとつ。僕はやがて飲酒に戻ることになります。
夕食の準備も片付けも面倒なので、近所の回転寿司へ行きました。午後から振り出した雪は、10センチほども積もったでしょうか。今年は雪も多いし、気温も低いです。
子供もいつの間にか、赤ん坊から幼児に、幼児から学童に成長しています。僕はあまり変わってはいないけれど、時間だけはどんどん過ぎていってしまいます。
2004年01月16日(金) 唯一の例外 年賀状の返事が電話でやってくる場合もあります。
断酒会の方とのお付き合いはほとんどなくなってしまったのですが、(今のところ)最後の入院のときに同部屋だった人のうち、お一方には年賀状を欠かさないことにしています。そしたら、その方から年明けに電話がかかってきました。身内の方が亡くなったので欠礼の連絡でした。
共通の話題というのはあまりないので、勢い同じ部屋に入院していた人々の消息に話が及ぶことになります。4人部屋でしたが、途中で退院していく人もあり、入院してくる人もありで、数を数えれば10人ぐらいでしょうか。
すでに飲んで亡くなった人もあり、飲んで入院した人もいます。一方で無事な一群というのは、主に断酒会かAAのどちらかにつながっている人々です。その中で唯一、どの自助グループにも行かずに断酒生活を何年も保っている方がいらっしゃいました。
しかし、昨年その病院(僕の出身病院)に病院メッセージに行った時に、どうやらその人ではないかと目される人が患者さんの中にいました。生気が抜け、顔色も悪かったので、同一人物には見えず、他人の空似ではないかと疑ってもいたのです。
電話でのゴシップで、僕が見たのはまさにご本人だということが確認されました。
これで僕と同部屋だった群では、断酒生活=自助グループという図式に例外がなくなったというわけです。もちろん、群をもっと大きく取れば、例外はたくさんたくさん見つかるでしょう。
だが、僕は僕自身を説得する材料さえあれば十分です。自助グループも人間の集まりですから、そこに人間関係の軋轢が発生しないわけはありません。時にはきわめてクダラナイことをやっている気になって滅入ることもあります。でもそれは僕に必要な集まりです。
病院メッセージは、AAという自助グループがあって、そこではこういう回復のプログラムがあるということを紹介に行くわけです。でも、そこで自分が目にする姿は、自分の未来像のひとつでもあるのです。忘れっぽい僕にとって、自分がどんな障害を抱えて生きているか、思い出すにはもっとも手っ取り早い手段であります。
珍しく同僚たちと夕食を食べて帰宅したら、妻がうつで寝込んでいました。「先に寝込んだ者勝ち」という夫婦なので、この週末は家事に追われそうな、やな予感です。
2004年01月15日(木) 言い訳のせい 今ではノートパソコンも安くなって、重さと大きさにさえこだわらなければ、10万円以下で立派なノートPCが買える時代になりました。(もっとも、持って歩くには重さと大きさが最重要課題なんだけど)。
一時期転職して金回りの良かった頃、ノートPCを衝動買いしたことがあります。某S社のショップを冷やかしていたところ、突然欲しくなって買ってしまいました。普及機だったので仕事に使うには大きくて重すぎ、そしてそのメーカーの信頼性はお世辞にも高いとは言えない・・・。
帰宅する頃には買ったことをすっかり後悔していました。箱を片手に帰った僕を、妻の冷たい視線が射るように突き刺さりました。僕は必死で言い訳を考え・・・
「君のノートパソコンだよ。安かったからさ」
こうしてそのPCは彼女の所有物になりました。そして彼女はインターネットで「在宅ワーク」やら「内職」やらの情報サイトに応募しまくったのです。数ヵ月後から、我が家の電話には在宅ワークの勧誘の電話がかかるようになりました。僕には、どうして彼女に「誰でもできることを自宅でやって月に数万円の収入」なんてうまい話があるわけないことが理解できないのか、理解できないのです。だいたい、収入を得るための仕事に、なんでまず金を払って教材を買わねばならないのか・・・。
数十万単位の契約のクーリングオフすること2回。そのうち1回は期間が完全に切れていましたが「消費者センターに苦情を入れる」と脅して解約を強要しました。ありがちなのは、数万円の教材費という題目の金を取った挙句、絶対にこなせない量の内職を押し付けて、ダメだと気がついた時にはクーリングオフ期限が終わってるというパターンです。やれやれ。
今回も、紙に同じ文章をボールペンで手書きしているな、と思ったらやっぱり内職でした。「今度のは最初の投資はいらないの」と言い張ってますが、届いたゆうパック箱に代引き伝票(額面19,800円)が張り付いたままでした(間抜けなヤツ)。一枚書いて数円の手間賃なんだそうですが、納期までに200枚仕上がらなければボツだそうです。主婦業の片手間では無理っぽいし、第一元手を取るまでに何ヶ月かかるやら。
これだけ金を無駄に捨てているなら、東京電力の株でも買ったほうがマシだと思うのです。今なら100株で23万円ぐらい。年間配当が6千円。
あの時、口をついて出てしまった言い訳のせいで、どれだけの金銭と労力が無に消えたものか考えるとため息が出てしまいます。もっとも、妻に言わせれば、僕がAAにつぎ込む労力と金銭も「もったいない」そうですが・・・。
2004年01月13日(火) 一回休み 僕は前の晩に、翌日持って行くものを揃えて置く習慣があります。
そうしないと必ず忘れ物をするほど、朝は頭が働かないわけです。
が、今朝はそれでも忘れ物をしました。
ヤフオクでPHSを売り払ったので、その送品をするために郵便局に寄ったのに、送るべき品物を携えていなかったのです。しかたなく家に戻って出直したのですが、今度は財布を持っていませんでした(ついでに携帯も無かった)。並べてあるものを全部持っていけばいいだけなのに、なぜこうなるのか?
どうも脳みそが部分的にしか働いていないような気がして、そのまま会社に電話して休みをもらってしまいました。布団を敷いて横になり、気がついたら午後4時になっていました。
外は雪になっており、夕方から積もり始め、夜半に小ぶりになりました。
翌朝に雪かきをするのは嫌なので、夜中に雪かきをすませました。
自ら4連休にしてしまいました。ああ、このまま一生休みが続けばいいなぁ。
まあ、明日のことは明日の朝起きてから考えよう。
90の道具に19を追加しました(昨日だけど)。
2004年01月12日(月) よくある間違い? ウェブサイト維持者にとって、人々がどんな検索キーワードでこのページにたどり着いたかというのは興味の対象のひとつであります。本サイトのほうもそれはそれで面白いのですが、雑記のほうは、いいかげんなことをたくさん書いているおかげで、幅広い検索キーワードでひっかかります。
例えば「雪かき」+「やり方」。およそかけ離れたページにたどり着いてしまった方、ごめんなさい。
あと、最近多いのは「世界で一番の花」。これは暮れの紅白歌合戦のことを取り上げた行に書いてあるのですが、これは間違いで正解は「世界に一つだけの花」です。ところが、「世界で一番の花」で検索して、ここへたどり着いてしまう方が、毎日のようにいらっしゃいます。うーん、みんな同じ勘違いをするのですね。
この「世界に一つだけの花」はSMAPのを聞いたことが無くて、女子十二楽坊の演奏しか知りません。そういえば昔、竹内まりあの「元気を出して」も村松健のピアノ曲しか知らなかった年数も長かったです。
せっかくの三連休の一日なんだから、休みらしく休もうと「攻殻機動隊」のアニメを数話見ました。見すぎで軽い頭痛です。
4月18日の地区のオープンスピーカーズのプログラム案作り。
2004年01月11日(日) 初めての東京 生まれて初めてのことなのだけれど、AAの(サービス関連以外で)ことで初めて東京へ行ってきました。
「冬のビッグブックの集い」。うちわのイベントなのに、150人は優に超えるだろうという盛況でした(実は人数を数えたりしていた)。内容については、消化不良を起こしましたとしか言いようがありません。まあ、ぼちぼち後から反芻して、消化していくしかないでしょう。
また、何人かの方と知り合いになれたのは、何よりも収穫でしたし、また仲間と一緒に(あわただしく)摂った食事は楽しかったです。
そんな会場外での話の中で面白かったのは、「アサーティブ・トレーニングがかえって邪魔になる」という話でした。実は僕も「AAの12のステップとアサーティブ・トレーニングは相性が悪い」のではないか、という考えを持っていたのですが、少なくともそう考えている人は、僕だけではなかったということが確認されたわけです。
まあ、そうは言っても、これは僕の個人的意見として捉えて欲しいのですが、アサーティブ・トレーニングと12のステップに同時に取り組むのは、薬物療法と森田療法を同時にやるのと同じように、相互に効果を打ち消しあうのではないかと疑っているのです。
アダルトチルドレンという問題については、以前は僕も自分もそうなのではないかというコンセプトを抱いていた時期もありましたが、だんだんACってなんなのか判らなくなり、しまいには理解不能になってしまったので、ACとアサーティブについてはとりあえずここでは脇に置いておきます。
僕はこれからもアルコホーリクには、「ステップをやれば<結果として>十分アサーティブになれるだろう」と言っていくでしょう。
朝10時から午後4時半まで、どっぷりと(廊下でおしゃべりしたりせずに)会場に漬かっていたのは久しぶりなので、なんだか疲れました。そういえば、あんなに人数がいたのに、場外で話にふけっている人は意外と少なかったなぁ。みんな今回はまじめだったんだね。
2004年01月10日(土) Living Sober コードレスホンのシステムを変更しました。といっても、中古のPHSと中古のワイヤレスTAを買って、家庭内コードレス電話に仕立て上げただけですけど・・・。中古のPHSが三千円もしたのはちょっと意外でした。
今まで使っていたアナログコードレスが、あまりに雑音が多かったので、フルディジタルのクリアな音に感激しました。感激ついでに東京のAAメンバーに電話をしたせいで、2時間も話し込んでしまいました。
夜7時半から地区委員会。10グループの代議員のうち、半数の5人が女性になった。世の中の基準からすれば当たり前のことなのでしょうが、AAの男女比は3:1ぐらいなので、1:1になるというのは珍しいことです。
4月のオープンスピーカーズのテーマを考えないといけません。一応現在の私の案は「飲まないで生きる(Living Sober)」というところですが・・・。
明日は朝早いので、早く寝ます。
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