心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年12月29日(月) 細い道

世の中の誰も彼もと一緒に仲良くやることはできない。
この冷徹な事実に、僕は目をそむけてばかりいるのです。

みんなに気に入られたい。みんなと仲良くやりたい。みんなに歓迎して欲しい。

これがひっくり返ると・・・

どうして僕のことが気に入らないのか?
どうして僕と仲良くしてくれないのか?
どうして僕のことを歓迎してくれないのか?

そんなことが心のどこかに引っかかって消えてくれません。ある場合には僕は尊大に出てみる。逆にみんなに気に入られようと一生懸命がんばってみたりする。でも、事態はちっとも変わってくれない。悩みはいっそう深くなるばかりです。

誰にでも気に入られ、誰とでも仲良くなれ、誰からも歓迎される・・・そんな自分が世の中のどこかにいるような気がしてならない。その幻想をいつも追いかけている。

そんな超人のような理想を自分に押し付けるなんて、なんてわがままで、なんて傲慢なんだろう。もし他人から「完全無欠の自分を目指せ」なんて言われたら、僕はそいつを蹴っ飛ばすに違いない。でも、自分で自分に押し付けるぶんには、まったく気にならない当然のことだと勘違いしてしまうのです。

僕のことが視界に入っていない人もいる。僕は人に嫌われることもある。僕と係わり合いになりたくないと思っている人もいる。それだけのことなのに、何日も何年も落ち込んでみたりする。

人は励まされる必要がある。それは真実なんだけど、いつも優しい言葉ばかり探して投げつけているのは、相手にも自分にもプラスにならない。甘い言葉をかけてくれる人に、もっともっとと甘えていけば、いつかはしっぺ返しを食らうのは当たり前のこと。

傲慢の岩山と、自己憐憫の沼の間の、謙虚という細い道が私たちの歩むべき道だと先達は言いました。だがその道は余りにも細く、左足は沼に浸かり、右足は斜面にかかったまま、僕はずるずると歩いているのです。


2003年12月28日(日) Enjoy Life

深夜、寝ようと思って居間へ行ったら妻がテレビをつけっぱなしのまま寝てしまったので、スイッチを切る前にチャンネルを回してみました。アニメ専門チャンネルで、サイボーグが活躍する映画をやっていたので、思わず見入ってしまいました。終わって時計を見ると、午前3時になってしまいました。
エンドクレジットの最後に「押井 守」の文字を見たときには、ああやっぱりそうだったのかとうなずいてしまいました。アニメのタイトルは「攻殻機動隊」というやつです。ヲタクとしては一線を退いて長いけれど、その気持ちが消えてなくなったわけではないですな。

相変わらずWindowsが青ざめるので、原因を考えてみました。そういえばAAの用で東京へ行ったとき、新宿の西口の○ドバシカメラで「一番安いDVD-ROMドライブ」を買ったんだっけと思い出しました。やっぱり安物買いの銭失いというやつでしょうか、名も知らぬメーカーよりもやっぱ国産品だよね〜と、近所に買いに行きました。

買いました。

症状は変わりませんでした。

落ち込みました。

原因は古いケーブルにあると気がついたときにはもう夜になっていました。余計な7000円の出費にどよ〜んと落ち込んでおりました。
年賀状作成完了。休暇を楽しんでおります。


2003年12月27日(土) Windowsが青ざめる

早朝から昼まで6時間睡眠。

グループの会計処理をしました。この6ヶ月の献金を全部数え、JSOとセントラルオフィスに半分ずつ分けました。郵便局へ向かう途中で、ふと地区委員会への配分を忘れていたことに気づき、家へいったん帰って3分の1ずつに配分しなおして、また出かけました。
歳末の郵便局は、年賀状を出しにくる人だとか、僕のように年末の支払いを済ませる人だとかで混み合っていました。

なんとなくパソコンの調子が悪いです。こうして文章を書いている途中にも、突然「ブツ」という音とともに真っ青な画面に変わってしまいます(これをWindowsが青ざめると言います)。今日は何度リセットボタンを殴りつけたことでしょうか。

新種のウィルスが流行っているのか、メールを受信するたびにアンチウィルスが反応します。ウィルスといえば、今年はインフルエンザはどうなんでしょうね。酒を止めた後に一回インフルエンザにかかったことがありました。高熱が出て、手足が振るえ、汗がびっしょり、寝ていてもうなされてばかり・・・。でもアルコールの禁断症状に比べれば、たいしたことはなかったかな。逆に言うと、毎日がインフルエンザより酷い症状で、よくもまあ飲みながら生きていたものだなぁ、と過去を振り返ってつくづく思います。ああ、あの頃には戻りたくない。

最後の入院のときに、酒歴発表というのをやったのですが、掃除をしていたら、その手書き原稿が出てきてしまいました。あの頃の感じ方は、今とはだいぶ違うと思う部分もあるのですが、ちっとも変わっていない部分もあります。
面白いから、「心の家路」に収録しようとタイプしていたら、Windowsが青ざめました。もう、今日はやめやめ。


2003年12月26日(金) 大掃除

朝から会社の大掃除。窓拭きおよび床掃除。
リストラなどで人数が半分近くに減ってしまい、しかも今日も実務で社外に出ている人間がいるという状態で、完全に手不足なので、完全に手抜きな掃除でありました。
かかってくる電話の数だけはいつもと変わりありません。年末が押し迫っても営業という職業の人たちは、日々と変わりないようです。製造業の人たちは、今週は祝日があったこともあって、明日土曜までの営業のところが多いようです。サービス業の方たちは年末年始も関係ないといったところでしょうか。
欧米の会社のサポートサービスからは、もう一週間も前に「クリスマス休暇に入ります」というメールが届いています。旧正月の中華文化圏は年末年始は関係ないはずなのですが、輸出企業は輸出先(つまり日本など)が休みになってしまえば、開店休業状態だそうです。

年末調整でいくばくかの現金を頂きました。これが僕のAA活動の原資の一部となるわけです(ほかのことにも使うけど)。ふつうのオトーサンだったら、パチンコだとか競馬だとかに使ったりするのでしょうか? 僕はパチンコはやりません。あまりにも分が悪いからです。競馬で勝つには強力なデータマイニングが必要なようです。
以前、競馬を職業としている人たちに会ったことがありますが、彼らにとって競馬はギャンブルではなく、成果を出さなければならない「仕事」でした。リスクを最小限に抑える彼らの買い方は、ギャンブルというよりビジネスなのでしょう。彼らはそれで妻子を養い、確定申告もし、健康保険税も払っているのですから。

掃除のせいで早くも筋肉痛が起こり、キーボードをたたくのがつらいです。

リンク集に、れいさんの アルコール依存症者のつぶやきを追加しました。


2003年12月25日(木) くわばらくわばら

P共和国のF大統領は、憲法を変更して3選を目指した・・・が、結局は亡命。R共和国のP大統領も、やっぱり憲法を変更して3選をめざすらしい。
権力を持つ者はその座から降りたがらないというのは、人間に共通する傾向なのでしょうか。

日本のAAにも常任理事会というものがあります。trustee(信託を受けた者)を「常任理事」などとエラそうな肩書きに変えてしまうはどうかと思いますが、それは脇に置いときましょう。任期は4年で、これはAAの様々な役割の中で最長です。そして、当然任期は一回限りってことになっています。ところがこれには裏口があったりするわけで、それはきちんとしてた規定なんで、別に不正でも何でもないのですが・・・。
任期を終えても「あともう4年理事会に参加したい」と願う心は純粋なのかもしれません。でも、ハタから見ていると日本に亡命しているF大統領の顔や、いつも強張ったP大統領の顔が思い浮かんでしまうのは僕だけでしょうか。

権力はアルコールのように人を酔わせる(ことがある)。もちろん酔っている本人は「大丈夫、問題ない」と言うでしょうし、問題があることを指摘したら憤然として否定するでしょう。まったくアルコホーリクとは厄介な生き物です。

くわばらくわばら。


2003年12月24日(水) LPプレーヤー

LPプレーヤーを買ってしまいました(まだ確定じゃないけど、たぶん買うことになるでしょう)。現行品のなかで一番安いヤツです。ま、自分へのクリスマスプレゼントということで。

心なしか、街を歩く男女が手をつないでいる率が高かったような気がします。クリスマスイブだというのに、僕の心のなんとせわしないことでしょう。仕事も明日の木曜日でおしまいです。あさっては職場の大掃除だけ。だから、年内指定の仕事は明日までに片付けないといけません。昔のコマーシャルで「休みたいのに休めない」というフレーズがありましたが、当時は「なに猛烈を気取ってやがるんだ」と思ったものです・・・が、いざ自分がその立場になると痛切につらいですな。ともかく、あと二日で休みです。
休みになったら、布団と仲良しでいよう。


2003年12月23日(火) 単なる知識

ことわざに、喉もと過ぎれば熱さ忘れると言いますけれど、酒を飲んでいたころの苦しさというものは過去のものになりつつあります。あの絶望感であるとか、孤独感であるとか、一日の長さ短さとか、肉体の苦痛の連続だとか、それはもう言語による記号でしか思い出すことができなくなっています。
「飲めば必ずトラブルになる」ということも知識としても経験としても覚えてはいるのですが、それでも「ひょっとしら今度はうまく飲めるのでは」とか「治っていても不思議でない」という完全に非科学的な考えが頭の隅っこに顔をだすことだってもちろんあります。
まるで普通の人のように生きているような気になってしまえば(つまり自分がアル中でなくて、普通の人だと思うようになれば)機会さえ訪れれば飲んでしまっても不思議ではないでしょう。でも、飲めば破滅です。

「俺はもったいないから酒を止めてるんだ」と言った仲間がいました。せっかくお酒が止められた数年間があるのだから、それを無にするのは、あまりにも「もったいない」と。

悪いことが重なって「運悪く」スリップしてしまったという話を聞きますが、まあ「後から考えれば、ほとんどのスリップには原因があったことがわかる」と書かれていますから、スリップに偶然はないのでしょう。

でも、ソブラエティが始まるのに「運良く」ということはあるのかもしれません。たまたま良い条件が重なったために、しばらく酒を止めることができたという場合です。僕の場合もそんな僥倖のソーバーだったのかもしれません。あとは、そのしらふの生活をたまたま少し大切にするができただけなのかもしれません。
ソブラエティを大切にする人もいれば、粗末にする人もいます。粗末にしていれば、運の悪さに耐え切れない。それは僕も同じ条件です。

生活環境が安定しているほど、ソーバーを粗末に扱ってもドライは続いていくものです。変化にとんだ人生を送っている人ほど、きちんとプログラムをやっているなぁ、とソブラエティ評論家みたいなことを言ってみたり。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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