心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年11月25日(火) 日常でたまるものと掃除の関係

昨日の月曜日は祝日で近くのAAミーティングがお休みだったので、別の会場へ行くつもりだったのですが、夕方から眠くなって寝てしまいました。東京へ行ってしまった仲間のための一年の色紙を預かっているので、それを別のグループへ返すためにも、その会場へ行くことにしました。(東京は東京で色紙が回っているという話です)。

医者へは2週間にいっぺん通っていて、火曜が通院日です。ちょうど火曜日の朝に薬がなくなるのです。普段は前の週の木曜あたりに通院して、薬の数に余裕を持たせているのですが、ここのところギリギリの綱渡りが続いています。来週は忘れずに木曜に通院しなくては。飲んでいる薬の副作用(鼻血と口渇)がひどいので、量を減らしてもらいました。
実際には、薬なんて飲まなくても平気で何週間か、何ヶ月か無事に暮らしていけるでしょう。しかし、いつかはうつの時期がやってきます。それも何もしないでうずくまっていれば、通り過ぎていくのでしょう。でも、現実の生活では「うつの時期は何もしないでやり過ごす」というわけにも行かないし、通り過ぎるのを待ってもいられません。うつが重くなってから薬を飲み始めても、効き始めるまで2〜3週間ぐらいはかかります。
だから薬は、どちらかといえば「予防」のために飲んでいるわけです。うつにならないように、なっても重くならないように、早く回復するように。仕事しなくても生きていけるなら、たぶん薬はいらない。でも、仕事のせいでうつになってる部分もあるかな。やっぱりワーカホリックなのかも。

仕事に飽きたので、机の片づけをしました。必要なものと不要なものに分けて、不要なものは捨てていくだけ。ステップ4に似ていますね。生き方の大掃除をするというのがステップ4〜9なんだそうです。ちなみに、机の上は必要なものはほとんど残らずに片付きました。

生き方のほうはそうは簡単ではないです。夕方には雨が上がったのですが、標高が高い場所では霧が出て、視界が確保できません。前を行く車のテールランプを見失ってしまったら、記憶と白いラインだけが頼りでした。雲のない場所では、冬の星座が空を賑やかしていました。ミーティングのテーマは「伝統11」。さすがに何を話していいのか戸惑いました。

帰りにガソリンスタンドで給油。いくらハイオクとはいえリッター120円は全国最高水準なのでは? セルフのスタンドだと5円は安いので、そちらを選びました。50リッターだとすると差は250円。250円余計に支払って窓を拭いてもらう価値はないかな。僕はタバコは止めたし、ゴミもたまらないし。


2003年11月24日(月) 好む好まざるを問わず休日は過ぎていく

昨日は妻と子供たちは柔道の大会を見学に行って来たのですが、そこで市内の美術館・博物館のフリーパス券をもらってきてくれました。今月末までの有効期限なので、とりあえず市内に昨年できたばかりの大きな美術館に行くことにしました。たぶん、タダ券がなければ一生行かないでしょうから。家族でお出かけです。

市内中心部に大きく残っていた空き地(駐車場だった)をつぶして作った美術館です。僕にはなぜこの地方都市に新しく美術館が必要なのかさっぱり理解できません。大きな建物を作って、その中に何を収めようというのでしょう。せっかく年に一回は有名な指揮者がオペラを振りにやってきてくれるんだから、オペラハウスでも作ればいいのに。

さて、美術館に行ってみると、なんだか知らないけれど駐車場が混んでいました。受付へ行ってみると、企画展で「モネと印象派の画家たち」をやっているという話でした。せっかくだから、500円払って見ることにしました。子供たちはすぐに飽きてしまったけれど、印象派の色の美しさと、それから白内障を患って次第に物の形に似ることから離れ、ぐるぐる渦まきになっていくモネの筆致に見入りました。子供たちにとっては常設展の草間彌生と根付の展示が面白かったようです。飽きた子供を抱っこしたり、根付を間近に見せるためにおんぶしたり・・・なんだか肉体労働で疲れてしまいました。地元の現代美術展をやっていたのもラッキーだったかな。でも、金を払って常設展だけしかやっていなかったら、僕なら怒っちゃう値段でした。

3日間の連休も、自分のやりたかったことはほとんど進まずに終わろうとしています。書き物もほとんど書けなかったし。でも、まあ仕事があって休みがあるだけ、ありがたいと思ったほうがいいのでしょうか。「サラリーマン年収300万円台の経済学」とかいう本が売れているとか。


2003年11月23日(日) またまた東京

最近では東京への移動手段はもっぱら高速バスです。やっぱり値段が安いからです。
いつもは朝一番のバスに乗っていくのですが、今日は9時すぎのバスでした。朝一番だと、まだ駅前の居酒屋が開いていて、中から眠たげな笑い声が聞こえてきたりするのですが、日曜でも9時過ぎともなると昼間活動する人たちで混みあっています。いつもは到着予定時刻より10分ほど早く新宿へ着くのですが、今日は途中から渋滞になってしまいました。窓側の席に座ると、窓から冷気が降りてきて、肩が冷えてしまいました。季節が変わっていくのを感じます。

委員会はいつもどおり時間切れタイムアウトであります。もっとも、何時間かけたって足りたということはありません。

委員会終了後に吉野家で昼食。新宿西口のヨドバシカメラで時間をつぶしているうちに、ついついDVD-ROMドライブなど購入してしまいました。途中のサービスエリアで、暖かいものでも食べようと思ったのですが、連休のせいか混みすぎていて、時間が足りませんでした。かわりに、バスが終点についたところで、ラーメン屋さんに寄って帰りました。家に帰ると妻がカレーを煮ていて、夕食は済ませてきたと言ったら叱られました。

「どうしてAAだと朝起きられるのに、仕事だと起きられないのだろうねぇ」

多分僕は仕事が嫌いなんです。


2003年11月21日(金) 半端な個人主義者たち

誰にでもこんな議論を吹っかけているわけじゃないのですが、「日本のAAは半端な個人主義者の集まりになってしまっている」という話を時々しています。

AAのプログラムは「徹底した」個人主義を求めています。「AAは自由(な場所)である」という言葉がそれを象徴しています。AAほど個人の自由を認めているところはないでしょう。利己的であっても構わないのです。そうでありながら、私たちは懲罰という仕組みを持っていないし、必要ともしていません。なぜなら、皆が自分の利益ばかりを追求していけば、オンラインのコミューニティであれ、AAのグループであれ、簡単に崩壊してしまうからです。そして、私たちは一人だけでは回復することはできません。結果として、アルコールによる死が私たちを待っているのです。
自分の利害を追求することは、つきつめれば、AAというコミューニティの安定と成長を求めていくということに他ならないのです。個人の意義は社会の利益に優先するという個人主義と、全体の福利は個人の福利より優先するという「伝統一」の間には何の齟齬もないのです。

中途半端な個人主義の弊害は、実はAAにあまり関与しようとしないメンバーよりも、多くの時間(=金銭)をAAに費やしている人々によって起こされていることが多いのです(断定的)。より深くコミットすれば、集団の中でより大きな影響力を獲得しうるのはAAとて例外ではありません。そして彼らは、自分が大きな影響力を行使していることに自覚がない。いや、自覚はあるのかもしれない。あるのかもしれないが、その行使を「個人の自由」として正当化してしまっている。ソブラエティの長さや、サービス機構のなかの位置によって与えられた影響力が、自分の自由な意見や自由な行動を大きく制限することを認めようとしない。逆に、本来そうした影響力を行使しなければならないときには、いきなり偽りの謙虚さを発揮する。

なぜこうなってしまうのか? というような話をしていると、例えばマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」をひいて、日本にはそもそも個人主義の土壌がないから、そこへAAのような仕組みを入れてもなかなか根付かないという話をする人もいます。ちなみに僕はウェーバーなんて読んだことはありませんが。
みんな、現状を愁てはいるのですが、どうしたらよいのか、という名案はないものです。


2003年11月20日(木) 不安になるのは信仰が足りないのか?

朝いったん起きて会社に電話を入れ、休むことを伝えて、午前中は寝ていました。
朝刊を読みながら食事を済ませると、何をしたらいいのかなかなか決断がつかなかったので、昨日の日記の例にあげた携帯電話のメモリ編集をすることにしました。PIMソフトの情報も更新しました。あまりパソコンのCRTばかり見ているのも良くなかろうと、テレビをみることにしました。ツタヤで借りてまだ見ていない「ルパン三世カリオストロの城」を途中まで見たら眠くなったので、夕方までまた寝ました。

夕方から病院メッセージへ。悪いことに雨が降り出してきました。市内を早く抜けようと住宅地のわき道へ入ったのですが、途中で曲がるところを間違えたみたいで、山地の上にあるゴルフ場へつながる道へ迷い込んでしまいました。以前地図で見たときには、その道は山の反対側までつながっていました。そして、それはメッセージへ向う病院と同じ方向だったのです。「その記憶は正しいのか」「ひょっとして行き止まりになってしまうのではないか」「引き返していたら遅れてしまう」。松の葉を散らしたスリッピーな下り坂を降りていくと、無事に国道に出ました。
テーマは「行動に移す」。

せっかく仕事を休んでいたのに、メールチェックをしたら仕事のメールアカウントに納期トラブルのメールが2本も入っていました。すっかり休日をエンジョイした気分だったのに、明日の仕事のことを考えるとブルーになってしまうのです。メールなんか目を通すんじゃなかった、ちぇ。


2003年11月19日(水) 1/f(えふぶんのいち)ゆらぎ

いろいろと、やら「ねばならない」こともあれば、「やりたい」こともあります。何に取り組んでも中途半端な状態が続いていました。ごく些細なことにイライラするわけです。
例えば、そろそろ携帯電話のメモリ編集をしたいのですが、それだけのことだって始めれば1時間くらいはかかってしまうものです。でも忙しいからそれをやらないでいると、いざ電話をかけたいときに相手の電話番号が携帯電話に入っていなかったり、古いのだったり・・・。そうなると、どこに番号を記録しておいたのか探さないといけなくて、それで1時間使ってしまったりするわけです。
このイライラが焦燥感に変わると、うつの前駆症状です。そして案の定、朝起きてみると、すっかり「仕事したくない病」にかかっているのでした。こんなときは、ギアをローにいれて「会社に出勤した時点で今日の仕事はお終い」と目標設定を低くひくーくします。定時になったらすばやく職場を離脱して、コンビニで甘いものを買って帰り、それを食べたら、昼間ずっとしたかったこと=布団で寝ることをします。明日の朝起きた時点で、今朝より悪くなっているようだったら、(幸い仕事もヒマだし)休んでしまうことにしましょう。

もともと自分はそんなに能力が高いほうではないのです。そりゃ、ちょっとがんばった時には、そこそこの能力を発揮して見せることもあるのですが、そんなのは風で言えば瞬間最大風速みたいなものです。ずーっとがんばり続けられる前提で自分を評価すると、どうしたって過大評価になってしまいます。1/f(えふぶんのいち)で揺らいでいるのが僕の能力です。
まあ、世の中は平均的な能力を持続できて、しかもある一定以下には落ちないタイプ。つまり信頼性の高いタイプが高く評価される仕組みになっています。僕だって部下にはそういうタイプが欲しいです。
でも、自分はそういうタイプではないし、無理にそれを演じることはできません。
まあ、等身大の自分の姿というのは、正確な預金残高と同じで、あまり心地よいものではないのだけれど、幻想に酔うと、結局苦しいのは自分です。


2003年11月17日(月) 教えてください

僕はドコモの携帯を使ったことがありません。ただメールについては、送信できるのも、受信できるのも全角250文字までだというのは知っています。だから、相手のメールアドレスがdocomo.ne.jpで終わっているときは、とても注意して尻切れトンボにならないように慎重にメールを書いていました。ところが、最近聞いたところによれば、受信だけは全角2000文字までできるようになった、というではありませんか!
しかし、調べてみると「初期設定では、受信文字数は全角250字です」と書かれています。しかも、どうやったら2000文字受信できるようになるのか書いてありません。だから、「こうすれば長いメールも受け取れるようになるよ」と教えてあげることができません。だから、相変わらず文字数を気にしながらメールを書いているのです。誰か2000文字受信へ切り替える方法とやらを教えてください(ドコモに聞けってか)。

地元のAAミーティング。色紙を受け取ったので、これを届けに明日も別の会場に行かなければなりません。最近フットワークが重くなっている自分にはちょうどいいことです。今度の日曜日も東京へ行きたかったのですが、たまには三連休を家族サービスに使わないとバランスを欠いてしまうかもしれません。

「仕事・家族・AAのバランスが大切だ」

というのが、スポンサーからもらった最後の提案です。アルコホーリクなので、どれかに夢中になっているほうが簡単で、バランスを取るのは難しいのです。
そういえば先日、クリニックの玄関でスポンサーとすれ違いました。「たまにしかミーティングに行かなくなってしまって、そのうち飲むぞと家内から脅されていますよ」と笑っていました。僕にもそんな日々が来るのかもしれないし、来ないのかもしれない。ただ、いつかはAAと距離を置かねばならない時が来るはずです。今は、そんなことは心配しなくていいのだけれど。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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