心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年11月16日(日) 日曜日の過ごし方

朝5時起床。バスで東京へ。家を出たときには雨が降っていたので、傘をさして出たのですが、雨はすぐにやんでしまい、一日不要な傘を持ち歩くはめになりました。

集会は定足数に足りず、成立しないまま4時間続きました。僕は今まで集会に議決権を持って出席したことはないのですが、定足数に足りない集会は初めてです。AA内部で起きた犯罪行為についての報告がありました。AAの中には統治機関がないので、裁くことはできないのですが、予防についてはなにか行動する余地があるでしょう。

集会のほかに連絡会議があるという話でしたので、念には念を入れて午後6時50分新宿発のバスを予約していたのですが、連絡会議は昼休みに済んでしまうし、集会も3時前には終わり、長い時間を持て余すはめになりました。セントラルオフィスによってパンフレットを買ったのはいいのですが、それっきりすることがありません。(王子から大塚まで都電に乗ってみればよかったかな)。

いつものことなのですが、日曜日午後ののくだりの高速バスは全席売り切れです。だから早い便に切符を変えてもらうというわけにもいきません。でも、新宿で3時間半待って、それからバスで3時間半移動することを考えると、なんだか気が遠くなってしまいそうでした。思い切ってバスの切符を払い戻して、特急電車の自由席の切符を買いました。3,750円の余分な出費ですが、イナカ者が新宿に3時間半もぶらぶらしていたら、それぐらい使ってしまうだろうなどと自分に言い訳をしました。書店とヨドバシカメラが危険個所。

特急「あずさ」では、間違えて喫煙車両を選んで座ってしまい、2時間半ほど臭い空間で我慢していました。自分も昔はヘビースモーカーだったので、タバコ臭は気にならないつもりだったのですが、なんだか頭痛がしてしまいました。といっても禁煙車両に避難しようとは思わなかったですけどね。


2003年11月15日(土) 土曜日の過ごし方

実はAAメンバー個人のホームページをいくつか知っているのですが、リンク集に収めようとは思いません。なぜかというと、AAのことを取り扱っていないか、取り扱っていても全体に対するその比率があまり高くないようなサイトはリンクしないポリシーなのです。また、そうしたサイトからリンクの依頼が来たこともありません。
実を言うと、僕は「心の家路」のほかにもウェブサイトを持っていて、そちらでは趣味(英語とかパソコン道楽とか)を扱っています。最近まったく更新していないので、ビジター数は微動だにしませんが。

昼に風の強い中、障子の張替えをしました。小さい子供のいる家ですから、障子を全部はがしてきれいに張りなおすなんてことをしても無駄です。すぐに穴を開けられてしまうのがオチです。ですから、穴の開いている升目だけ、障子紙をカッターナイフで切り取って除去しまして、同じサイズの新しい紙を張るのです。升によって紙の黄ばみ具合が違うので、「外から見るととっても変」なのですが、やむを得ません。
僕のパソコンを置いてある部屋でも、障子紙の破れ目から風が吹き込んで寒くてたまらなかったのですが、張替えの結果、室内温度は約3℃上昇しました(目分量)。

緑内障の治療で眼科へ。点眼薬のおかげで眼圧は低く保たれているのですが、最近は眼圧が低くても緑内障が進行して視野が狭くなる例が多いそうで、半年に一度の視野検査を薦められます。仕事が忙しいと言って延期してきたのですが、そろそろヒマになったので来週の火曜日の朝に予約を入れました。

本日締め切りのレポートがあったのですが、提出せずじまいでした。世の中には二種類の人間がいるのです。それは締め切りを守る人間と、守らない人間です。明日はひさしぶりに早朝からバスで東京へ。


2003年11月14日(金) 反応の変遷

DVD-R/RAMドライブを買ったので、メディアも10枚ほど買ってきたのですが、悲しいかな本棚にそれを収めるだけの空きスペースがありません。今度の資源ゴミの日には、忘れずに雑誌や本を捨てるようにしないといけません。破砕ゴミの日にも、不要になったプリンターやらパソコンの部品を捨てないと、暖房器具を置くスペースがありません。

ところで、形式はともかく、ある病院にAAのメッセージを運びつづけてもう6年半になります。最初の1〜2年は、まさに「死にかけた」人々しか入院していなかったように憶えています。病気に対する否認もとても強くて、「誰が何と言おうと、退院したら酒を飲む」とか「ともかく節酒というのをもう一度試してる」とか「こんなところに放り込みやがって」などという話が患者さんの口から飛び出すのが当たり前でした。でも、とにもかくにもそれが正直な気持ちだったのでしょう。建前ではなく本音の話ができるという意味では一種の爽やかさがありました。
そのうちに、病院の位置付けも変わったせいか、それほど酷くない人々が増えてきました。内科も含めて初めての入院で、内科病棟から移されてきたような人も混じっていました。彼らはAAメンバーの経験を聞くと、「なるほどあなた達の話は本当でしょう、でも自分はそれほど酷いとは思えない」と言い、「酒を止めるためにそこまでする必要はないと思う」という感想をたくさん聞きました。これもまた、正直な感想だと思いました。
最近では、何度かの入院を繰り返す人が増えてきていて、「今は病院の中にいるからいいけれど、退院したあとも、本当に飲まないでいられるか、いつまで飲まないでいられるか、そして飲んでしまったらまた入院するしかないのか」という不安を語る人々が増えてきた気がします。これもまた偽りのない意見だと思うのです。こうした話をする人々は、以前のような何もかも失う寸前の「死にかけ」の人々とは違い、まだ失うものがたくさんあるからこそ不安も大きいのでしょう。
こうした不安に対して、「AAのプログラムをやっていれば大丈夫です」と強く言い切るだけの自身が自分にはまだありません。それだけの実績があるわけじゃないし。僕のやってきたことは、「ともかくミーティングに出ること」が中心です。ところがそれだけでは失敗していく例のほうが多いわけです。もっと具体的な回復のプログラムを手に携えられれば、不安の話を聞いても、自分も不安にならずにすむと思うのですが・・・。


2003年11月13日(木) 狂気

ホームグループのミーティング。基本テキストから2章の「肉体と精神のアレルギー」を輪読。テーマはステップ1。

lives had became umanageable。思い通りに生きていけなくなった(手におえなくなった)のは、過去のことなのか、それともそれは今も続いているのか? (別にそんなことをミーティングで話しているわけじゃないですが)。考えて悩むほどの事はではないのでしょうが、考えてみたりします。

もっと簡単な話としては、ステップ2で「正気に戻してくれると信じるようになった」。はたして、飲んでいないアルコホーリクは正気なのかどうか? こちらは答えは簡単で「No」ですね。飲まないアル中が、一見望んだように生きているように見えても、皮一枚下には狂気が剥き出しになります。人生を楽むには「飲まないでいれば」という条件がついていて、「飲まないでいる」には生きた信仰が必要だとステップは説くのです。

僕のソブラエティ1年目に、突然あるAAメンバーが現れました。彼は過去に熱心なAAメンバーだったことがあるのですが、仕事が忙しくなったことを理由にミーティングを去りました。そして仕事で彼は成功を収め、経済的に豊かになるのですが・・・必然的な帰結として彼はまた飲んでしまい、仕事も金銭も失ってふたたびAAに戻ってきたのでした。「物質的な豊かさは霊的な成長の次にやってくるのであって、逆ではない」とテキストにも書いてあります。彼はそのとおりの経験をして、それを皆に伝えるため(かな?)に、あちこちへと飛び回っている途中なのでした。
その後、彼がどうなったのかは知りませんが、彼の分けてくれた経験が僕のその後に大きな影響を与えたことは確かです。

飲んでいなければ正気なのだ、と頑迷に信じていたほうが楽なのかもしれません。でも、アルコホーリクの中に潜む依存症は、いつも発病の機会をうかがっているのです。

もっとも最大の狂気は、繰り返し繰り返しステップを踏んでいれば、だんだん回復していくという思い込みでしょう。人間はそう簡単に変わるものじゃありません。経験の長さだけで聖人ぶっていたら笑われるだけです。ソブラエティの長い仲間は、ちっとも回復していないのだけれど、でも謙虚になって経験を共有している姿を見ると安心します。回復しているように見せようとしてしまうのが、人間の弱さなのでしょうが。
僕だって、自分が回復しているんだと盲目に信じていたいクチです。


2003年11月12日(水) 心の家路

火曜日の夕方、仕事中に妻から「お弁当屋さんで人数分弁当を買ってきてくれ」という電話がかかってきたので、またうつの調子が悪くなったのだろうと察しました。出来合いのハンバーグを焼いてプロセスチーズをのせただけでおそらく価格の大半は件費だと思われる「チーズハンバーグ弁当」430円を4つ買って帰りました。
子供と一緒に食事をし、風呂に入り、食器の片付けと炊飯器の準備をしながら宿題の終わるのを辛抱強く待って、さらに布団で寝るまで待っていたら、なんだか精神的にすっかり疲れてしまいました。そんなわけで、夜にインターネットに遊ぶこともなく、早々と我が布団にもぐりこんだのでした。

とは言っても、素直に眠れないのが睡眠障害者であります。いつもは、仕事の勉強の本を読んでいると不思議と眠くなってくるのですが、とてもそんな気分にはなれません。かといってAAや依存症関係の本を読むのもいやだし、英語の本はもっといやだし、エ○本は好きだけど寝る前にもう一度隠しに行くのが面倒だし・・・。
ふと思い立って少女マンガのところから『心の家路』を取り出しました。

このサイトの名前の元になった本ですが、一回しか読んだことがなくて内容はうろ覚えでした。依存症と関係ないと思っていたんだけれど、まったく無関係というわけでもない話でした。


多かれ少なかれ
孤独は怖いんだ

自分の気持ちを
わかってくれる
人なんか
いないんじゃないかと
思いながら

でも
愛されたいと
思っている


心の家路とは、人生を旅に例えて、その旅が「終われば家に帰る」。人生が終わった後に帰る「家」がどこなのかは言わないのだけれど、そこへ向って帰る道を「心の家路」と名づけているのでした。記憶に残っていませんでした。

B○○K ○FFに行けば、もうそろそろ100円の棚に並んでいるんじゃないかな。


2003年11月10日(月) 雨音

AAミーティングを終えて家に帰ると、9時半でした。入浴と食事が済むともう10時半です。なんだか疲れてしまって、今夜は何もやる気が起きません。もともと、ミーティングのある晩になにかやろうという考えが間違っているのかもしれません。
今日は一番近いミーティング会場でしたから9時半ですが、もう少し遠いところだと10時半・11時になってしまいます。僕は家族があって、食事やら洗濯やらは面倒をみてもらえるからとても助かっているのですが、一人暮らしの人は大変でしょうね。
毎日帰りがこんな時間という生活は、僕には何年も続けられないです。週に2回ぐらいだからこそ、ミーティング以外のAA活動にも時間が割けるのです。

天候に気分が左右されるという考え方には賛成できない(賛成したくないだけか?)のですが、こう毎日雨が降っていると気分が沈んでしまいます。それでも目標を低く設定して、雨音に耳を傾けていると、それだけでも結構気が楽になるものなのですけど。


2003年11月09日(日) しろくま

正午起床。子供たちのためにインスタントのグラタンを作りました。

以前からビデオCDというものを作ってみたかったので、CD-Rドライブで一枚焼いてみました。たしかこの規格は昔はDVIと言っていたような気がします。当時は個人所有のパソコンでビデオCDを編集するなんて考えもしなかったのですが、今やビデオCDなんてものに誰も見向きもしません(みんなDVDになってしまいました)。
1万円で購入した我が家のLG電子製DVDプレーヤーでも、無事ビデオCDが再生できました。

晴れてきたので投票へ。そして、スーパーで食料の買い物。

「11月15日必着」というレポートを書かなくてはいけないので、Excelのワークシートと6時間以上にらめっこしていました。

スーパーで買い物をした際に、家族全員ひとつずつ自分のお気に入りの100円アイスを選んだのですが、次女がそれをカゴに入れ忘れたらしく、家に帰ってきたから「私のアイスがない」の大騒ぎでした。「パパのを食べてもいいよ」と言ったのですが、結局おねーちゃんのを半分もらって食べていたようです。パパのアイスは、パパの大好きな九州名物「しろくま」だったので、それを食べてしまっては「パパかわいそう」と思ったかどうかは定かではありません。

美味しく「しろくま」を頂いております。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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