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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年10月31日(金) 眠気吹っ飛ぶ 毎夕毎夕眠いです。夕食を食べてさっそく寝ようとしたら、妻から「風呂に入ってから寝てくれ」と言われたので、しかたなく風呂に入り、すると中途半端に眠気が取れてしまったので、パソコンを起動して何かしようとしたら・・・・電源は入るのですが、起動しません。何度リセットしても、電源を入れなおしてみても、起動しないものはしません。BIOS画面すら出ずに、HDDのアクセスランプがつきっぱなしです。
そういえば、最近起動時にキーボード関係の意味不明なエラーを出していることがあったので、気にしていたのですが、まさか故障の前兆とは・・・あちこちいじりまわし、CMOSメモリクリアという技で復活できたのはめでたしめでたしなのですが・・・、根本の原因は不明のままです。また、いつ調子が悪くなるか不安です。
さて、「AAも原書で読めば感じるところがあるのか」という話を掲示板のほうで頂きました。
僕なりにお答えしましょう。「あんまりないです」
日本語にまだ訳されていないものに接することができる、という点では確かに利点がありますが、重要なものはほとんど日本語に訳されています。そして、すでに訳されているもので、翻訳の質が極端に悪いというのはそうありません。確かに日本語として読みにくいものはあります。それは、翻訳に必要なのが英語の読解能力+日本語の記述能力だからであり、両方を兼ね備えたAAメンバーってのは数が限られているからです。僕も前者の能力についてはそこそこだと思っていますが(うぬぼれ?)、後者の能力については自信はまったく持っていません。
あえて、日本語訳の質が悪いAAの本を挙げてみるなら「12の概念」が読みにくさでは最悪。次が「成年に達する」。いずれもあんまり売れない本です。数がはける本は、何らかの形で翻訳の改訂が行われますから、質も少しづつ向上していきます。今の出版局は、誤字脱字・誤訳超訳をまめに直していく方針のようです。
そんなわけなので、僕が日本語のAAの本で理解できない部分を、原書であたってみても、やっぱり理解できないケースがほとんどです。それは自分がまだその段階まで成長していないからだと思っています。もちろん翻訳の質に疑問を感じる場合もあるのですが、(富山出張のときにやってみたように)自分なりの翻訳を考えてみても、単に自分に読みやすくなるだけで、質が向上するというわけでもありません。
ただ、これからやってくる人のためにも、もっと全般に読みやすい本にしていくべきだとは思っています。
さて、「翻訳されていないもの」に接することができる幸せは存在します。ただ、それを自分ひとりの恩恵にしておいたら、何にもならないというのがステップの教えるところです。なので、呻吟しながらそれを翻訳して、恥ずかしながらもインターネットに公開したりしているというわけです。人々がそれを恩恵として感じてくださるかどうかは、僕の問題ではなくて受け取り手の問題だと考えることにしています。でも、フィードバックはいつでも歓迎です。
2003年10月30日(木) 老舗はえらそうだ Wally P.のBack to Basics(B2B)とHow to Listen to Godという本が手に入りました。B2Bのほうはすでに日本語訳があるのですが、いちおう原文も押さえておきたいという理由と「安かったから」という理由で買ってしまいました。ちなみにB2Bは、ニューヨークのAAのGSOから「改訂の提案」を受けて第2版となっています。
実は台湾に行く前に注文して、でかける直前に届いていたのですが、いそがしさにまぎれて忘れていた次第です。注文して3日後ぐらいに届いたので、びっくりしてしまいました。送料も$9.50とお安くなっております。いつも最低一週間は待たせるくせに、$40以上送料を取る某社とはえらい違いであります(もっと安いポスタルサービスを使えよ! だいたいあそこは「船便」を指定しても航空便で送ってくるし、ぶうぶう。どうせ買ったって、すぐ読むわけじゃねーんだから、何ヶ月先に届いても同じなんだよ!)。
仕事がヒマになってきたので、勤務中にも関わらず「こころの科学」とか読んでいます。「依存性のない物質の乱用や、行為の繰り返しに対しては依存症という言葉は使えない」 どこで線を引くか、かなり明確なので納得してしまいました。
ところで前の段落で、ひとつしか例を挙げてないのに「〜とか」という言葉を使ってしまいました。けれど、最近はNHKのアナウンサーも原稿を読まずにしゃべっているときには使っているので、もはや日本語として定着したということでしょう。日本語IMEが「ら抜き言葉」を平然と変換してくれる時代です。「正しい日本語」なんてものがあるとは信じないけれど、時代とともに言葉も代わっていくことを実感します。
最近は、夕方眠くて1〜3時間ぐらい寝てしまうこともしばしばです。そのぶん夜更かしして、睡眠不足でまた夕方眠いという悪循環です。
2003年10月29日(水) 道程 誉められても素直に喜べない自分がいます。疑心と誤ったプライドが原因でしょうね。
相手は本心から誉めているのか、それともからかっているだけなのか。それから、いちいち儀礼的な賞賛に舞い上がっていて「単純な人物」と思われたくないという意識もあります。ほめる・けなすで簡単にコントロールされたくないという反発もあるかもしれません。
Keep it simple というのがAAのスローガンです。ま、AAの独占物ではありませんが。さらに、Keep it simple, stupid の頭文字をとって KISS という略語にしたりします。「単純にしろよ、この間抜け野郎!」というわけです。
感情も単純でありたいですね。ようするにバカでありたいということでもあります。変に屈折したくない。でも、ひねくれ者の自分がいます。
「率直に行こう、率直に。気取るのは良くないことなのだ」とドン・キホーテも言っています。
他から「バカにされたくない」というプライドが、プラスの方向に働いて成長できる自分であるならば、今ごろ大成功して安泰な生活をしているはずです。毎日に呻吟して生きている現実が、「バカにされたくない」というプライドがマイナスにしかならない自分を証明しています。
どう思われたって、僕は僕であり、僕は僕でしかないのだ。
でも自分ひとりでは「そんな僕で十分なのだ」という自己肯定ができないのです。ミーティングに行き、話を聞き、自分の話をすることで、かろうじて社会生活を営めるだけの自己肯定を手に入れているのです。
ところがミーティングに行くには車を維持したり、ミーティングそのものを維持するためにお金を出したり、つまり先立つものはお金なのです。そして、お金を手に入れるためには働かなくてはならないので、(しかたなく)働いているというわけです。
働くことに喜びを感じないわけではないけれど、「労働は社会への奉仕の機会」と思えるほど成長も回復もしていないのです。だから、いやいや働いている部分があるのです。「奉仕の機会」と思えるには、まだまだ長い道程が必要なようです。
2003年10月28日(火) トレードオフ 日本人の顔は丸いですね。みんな「たまご」のような形状をしていて、やっぱり民族差ってものがあるんだなぁーと実感します。
午前中は精神科医受診。僕はパキシルからノリトレンへの移行をしていると思っていたのですが、一向にパキシルを切らないので、そこを聞いてみました。「副作用はあるだろうが、やっぱりパキシルは捨てがたい」と言い、両剤併用を続ける方針だそうでした。僕としてもパキシルを毎日2錠飲んでいた頃に比べれば、今は副作用も減っているので、どうしてもどうしても他のものへ転換したい、というほどでもありません。このまま続けることになりました。でも、パキシル+ノリトレン≒トレドミンという選択肢はないものかなぁ。
自律制御を失ってしまった僕の脳内物質バランスは、医者との緊密な連携プレーによって、かろうじて社会生活を維持できるレベルに保たれているのです。
市内で一番大きな本屋さんへ寄って、20日発売のマンガ雑誌をやっと入手しました。ついでに、朝刊の一面の下に広告の出ていた「こころの科学」の「拒食と過食」特集号を買いました。さらにTOEICの受験雑誌もあったので買ってしまいました。
断酒会の会報「かがり火」を読んで思ったのですが、「これからは多剤乱用者が増える」という予言は当たるでしょうね。アメリカではすでに都市部を中心に、若年層のアルコホーリクの中で、純粋にアルコールだけが問題の人の割合は低下しつつあるという報告があります。日本の社会現象もアメリカの後追いをしている部分があります。エクスタシー(バツ)の流行は田舎にも及んでいます。非合法ドラッグで行き詰まった人々は、合法なドラッグであるアルコールへの依存へと簡単に転換します。そうした若者達がたくさんAAにたどり着いたときに、「ここはAAなんだからなるべく薬物の話をしないでくれ」とは言えなくなるでしょう。
ファミレスの10%割引券が手元にあったので、家族全員で食事に行きました。子供はふたりともりんご病にかかっているのですが、ほっぺが真っ赤になっている頃には、もう伝染力はないのだとか。
スキャナーが新しくなったので、新聞記事を追加してみました。(たぶんそんな面倒なことは誰もしないだろうけど)拡大画像を以前の記事と比べていただくと判ると思うのですが、ずいぶんキレイにスキャンできるようになりました。画像処理技術の進歩でしょうね。カラーの画像でも、色バランスが向上しています。
記事の内容ですが、なまじアディクションに通じているぶんだけ、お酒をたくさん飲むからアルコール依存症だろうという思い込みが激しくなりがちなんですが、うつ病の症状のケースもあるのです。当然酒をやめても、問題はまったく解決しません。当然飲みつづければ、依存症を合併することになるのですが、アルコールのケアだけでなく、うつ病の適切なケアもしていく必要があります。せっかくお酒も止まって、生活も再建途上だったのに、自殺で亡くなってしまったAAの仲間がいました。僕はもっと力になれたはずでしたが・・・。
明日からまた仕事です。行きたくありません。
うつ病と腰痛は似ているところがあります。古い話なんで例えも古いのですが、「腰痛の人の治療は、腰に負担をかけないことが大原則だ。しかし、患者にも生活がある。薪を割らなくちゃ燃料がない人に、薪を割るなと言うのは意味がない」。
働かなくても収入があって家族全員が健やかに生きていけるなら、僕は仕事なんかすぐ止めちゃうでしょうね。でも、僕にはAAが必要で、ホームグループまでの道程も長いのです。結局、僕はうつ病とアルコール依存症のふたつの治療のトレードオフの中で生きているわけです。できるなら生涯働きたいと思う心もあるしね。
2003年10月27日(月) 自分の一部 「あなた自身が意識しているかどうかはわからないが、『心の家路』のひいらぎは、実際のひいらぎが見せたい自分だけを見せているにすぎない」と、実際のひいらぎを知る人に言われたことがあります。
否定できないところがきついなぁ。別にウソをでっち上げて書いていることはない(と思う)けれど、ある種の情報を隠したり、情報をあいまいにして別の可能性へと推測を誘導したりすることは、無意識にせよ、意識的にせよやってることは認めないわけにはいきません。ま、『心の家路』は道楽でやってることですから、許してください。
今日は18日発売の雑誌を買いに本屋さんへ行きました。おもにLinuxやUnix(りなっくすやゆにっくす)の雑誌を買っていたのですが、今月から一冊だけに絞ることにしました。なぜかというと、たくさん買っても読まないからです。なぜ今までたくさん買っていたかというと、「今は読んでいるヒマはないけど、いつか必ず読んで全部知識にしてやるかんな」という(自分に対して)見栄っ張りな部分があって買っており、その結果が本棚を占領したり、読まずに捨てられたりしていたわけです。
もっとお金を有効に使おう、と思って技術書のコーナーに向ったのですが、なぜか『ホームページアクセスアップの鉄則』とかを買ってしまいました。道楽にも金がかかるもんですね。
出張手当が支給されたので、さっそく電器屋に浪費に行きました。イメージスキャナーの新モデルが安かったので思わず購入しました。「他店より安くします」という宣伝文句どおり、近くの電器屋さんよりちょっとお得な値段になっていたのも敗因であります。ついでに会員カードに溜まった二千数百円相当のポイントも使うことにしました。そんなわけで、支払額が暗算できない状態で言われた額をレジで支払い、すこし思案しました。レシートを見つつ、
「あの、これ売り場には9,800円て出てましたけど、10,800円で打たれてますが・・・」
まず値段の確認が行われまして、そしていったん返金、どっかに電話してPOSのデータ修正の依頼、そして修正された値段で再度購入、という手続きが済むまで十数分、レジの前で立ち尽くしていました。AAミーティングが始まる時間も迫ってくるし「もう買うのやめて帰っちゃおうかな」とも思ったのですが、もう保証書にハンコがついてあるし、たぶん9,800円というのも先週末の特別価格のPOPを取り忘れただけなんだろうな・・・とか思案しながら、待っていました。
明日は代休。
2003年10月26日(日) 帰国 無事土曜の朝(といより昼)の厳しいミーティングを経て、全員で昼食をともにして、とりあえず今回の仕事は終わりになりました。とは言っても、僕には宿題が残されており、他の面々にもそれぞれ宿題を持ち帰ったので、まだお金を払ってもらうのは早いのではあるのですが・・・。
ともかく午後3時から自由時間になったので、電脳街まで買い物に行きました。目的はパソコンの部品なのですが、目的の品は秋葉原より一足先に品切れでした。しかたないので違法コピーのDVDなどを購入しました。木村拓也主演で、車椅子の女性との話は・・・「ロング・バケーション」だと思って買ったのでしたが、あとで見てみたらピアノ弾きの話で、目的の品は「ビューティフル・ライフ」の間違いでした。あとゲームCDで「鋼鉄のガールフレンド2」を購入。
夜は商社の人が気を利かせ(すぎて)くれて、(台湾の)国立藝術院の雑技と京劇を見に連れて行ってもらいました。考えてみれば僕は、能も歌舞伎はおろか、落語ですら見たことはないのです(除く地元落語家)。夜店でマンゴスチンとでっかいライチーを購入したものの、翌朝マンゴスチンを割って食べようとしたら中身が腐っていました。マンゴスチンの時期は6月とかですから、なにか怪しい品だったのかもしれません。どちらの果物も台湾では採れないもので、輸入品にすぎないのだとか。
空港で初めてEvery Little ThingのCDを買いました。こちらは正規品なのに398圓(3.3倍すれば日本円)と、安いのですが、日本への持ち込みは違法だそうです。
朝にホテルを出てから10時間半で我が家に到着しました(名古屋の税関は無事通過しました)。郵便物もメールも溜まっていました。電話の国際ローミングの通話料は4000円ぐらいですみそうです。会社や自宅までかけたことや、毎日インターネットへダイアルアップ接続したことを考えれば、端末から契約料から含めて2万以内で済んだのは安かったと考えるべきでしょう。現地でGSMの携帯を買うにしろ、auの海外対応機に機種変更するにしろ、たぶん同じぐらいはかかるでしょうから。
各種掲示板なども一週間も目を通していない訳ですが、これからゆっくりと追いついていこうと思っています。二郎さんのところは「神について」で盛り上がっていたみたいですね。
仲間から電話。envyという単語と、紐帯という言葉を覚えました。
2003年10月24日(金) 善さ 自らの無力を認めつつも、さらに「やる気」(ステップ3)を求められる。AAのプログラムとは難しいものだなと思います。
水・木・金と深夜までヘビーな仕事が続きましたが、明日土曜は午前中に(たぶんヘビーな)会議をやって、午後からは解放されそうです。明日の話にもよるのですが、おそらくもう一度台北に来ないといけないでしょうね。
考えてみると、前回台北に機械を持ってきたのが2年半前です。その夏に長い休みをもらい、夏の終わりからWebで日記をつけ始め、そして半年後にホームページが公開されたというわけです。いろんなことがあったあの一年から、もう2年もの時間が流れてしまったのかと思うと感慨深いです。
今年の夏に、東京でのAAの委員会に出席していたら、ある方から「(遠くから)ご苦労様ですね」と言われたのですが、僕はなんと応えるか少しだけ思案したあとに「道楽でやっているわけではないですから」と返しました。そうしたら、その方は「そりゃそうだ」と笑っていらっしゃいました。
AAも、楽しいことより辛いことのほうが多いです。だから、道楽(趣味)でやっているのなら、そんなに何年も続けられるわけがありません。仕事だって楽しいことよりも、辛いことのほうが多い、いや人生だってそういうものです。でもそれぞれ、ちゃんと意味があるようにできています。
AAのプログラムは「誠実さ」とか「善良さ」というものを人に求めています。「善さ」よりも「快さ」を求める生き方、苦ではなく楽だけをひたすら追い求めていく生き方は、かならずどこかで破綻するのです。そこまで極端でなくても、どこかにもっと「良い人生」があるように感じて、今の自分をありうべき自分として受け入れられなければ、それは自己欺瞞であり、現実の「善さ」の恩恵を無視しているのでしょう(うつ病のひとには、こういうのが多いですね)。
この年齢になると、自分がいつまでも生きていられるわけじゃないことが、はっきりしてきます。それがいつまでかは神様でしかわからないでしょうが、限りある時間をどう有効に使うかを考えたときに、「気持ちよいこと」よりも「道楽にはなり得ないAA」を、大切にしていきたいのです。
まあ、AAのプログラムがしんどいかどうかはともかく、AAそのものはしんどい存在です。なぜならそれは「人の集まり」であり、人間関係が苦手なアルコホーリクにとって「人の集まりがしんどくないはずがない」のですから。
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