ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年10月18日(土) 行ってきます 仕事は間に合いました。
台湾に行ってきます。26日には帰ります。
2003年10月17日(金) 信じるようになった そういえば新潟のオープンスピーカーズで『信じるようになった』を買ったのでした。原書の Come to Believe も真っ赤な表紙の本なのですが、日本語のも真似たように真っ赤な表紙であります。一年のバースディのときに仲間からプレゼントしてもらったのでしたが、その後誰かにあげてしまったらしく、手元にありませんでした。そのくせ原書のほうは買った覚えもないのに2冊もあるのです。
なぜ仲間が僕の一年のバースディにこの本をプレゼントしてくれたか思い出しました。9ヶ月ぐらいのときから、僕は自分のハイヤー・パワー(神)を探しつづけていたのでした。ミーティングでもそんな話を繰り返していた憶えがあります。そこでAAメンバーが、僕の助けになればとこの本をプレゼントしてくれたのでしょう。
ですが、当時の僕にとっては、この本の内容は「絵空事」としか思えませんでした。そして、ハイヤー・パワー探しは9ヶ月ぐらいで飽きてしまい、その後は締め切りつきのステップ4・5がやってくるまで、僕の回復は停滞するのでした(いや、後退していたのかもしれない)。
今から思えば、僕は「何かが僕を正気に戻してくれる」と信じることなど、とてもできなかったのでした。飲んでいなければ自分はマトモな人間であるという幻想を、まさに死の門の中まで追いかけていくつもりだったのでした。無理もありません。多くの日本人と同様、僕も「神の実在を証明することもできないし、不在を証明することもできない」という信念に固まった<不可知論者>だったのです。
自分にとって最高に位置付けるべきものは、自分の「自我」であり、人生が良くなるにせよ悪くなるにせよ、それは自分が自我に従って行動した結果なのだ・・・そのように本当に信じているなら、自分の行動の結果を後悔して日々を煩悶として過ごすことなく、失敗しても堂々として恥じない暮らしを送っていけただろうと思うのです。でも、現実の自分は、自分の行動の結果を受け入れることができず、苦しい思いを何年も続けたのでした。そんな苦しい人生に意味など見い出しようもなかったのです。
「自我の敗北」がやってくるまで、「信じられるもの」など与えられるはずもありませんでした。そして、完全な敗北を通してこそ、新しい強さを与えられるということは、ステップ1とまったく同じであるということも理解しました。そして、この敗北もステップ1と同様に、日々のケアが必要なのだということも。
赤い本を読んでいると、「うんうん、僕もそうだった」と頷いてしまいそうです。そして、ソブラエティと同様に、「信じるものがあるのが当たり前」の日々がやってくるのです。でも、信仰を持ったからといっても、あいも変わらず僕は生臭い俗物であることに、何の変わりもないのですけれどね。
2003年10月16日(木) アル中のプログラム・入院のプログラム 窮地に追い込まれている。というほどでもないのですが、困った事態に陥りました。来週日曜日に持っていく予定のプログラムが、うまく動作してくれないのです。例によってなおざりな動作検証で「動いたから、これからも<動くはず>」と思い込んでいたのですが・・・「動くはず」≠「動きます」であることを思い知らされています。まったく、もう20年以上プログラムを組んでいるのに、同じ失敗を繰り返してばかりいます。
今夜も入れて、まだ夜が3回と昼が2回ありますから、なんとかなるでしょう。
と言いながら、夕方から病院メッセージへ行ってきました。他のアディクションの人からは「アル中は病院に集まってくるからいいよね」と言われたことがありますが、それは確かにそうだと思います。ただ、集団を相手にした「メッセージ活動」というのは決して効率は良くないシロモノです。AAのプログラムはスポンサーとスポンシーという一対一の関係の中で最大の効果を発揮するのでしょう。
それと、2ヶ月〜3ヶ月という長期の入院が必要なのかどうか、僕は懐疑的なのです。禁断症状として重い抑うつ傾向が出たり、社会生活が崩壊しているような人を除けば、たいていのアル中さんは急性期の一週間から10日ぐらいの「解毒入院」さえ受ければいいといっても極論ではないでしょう。もちろんそれでは、またすぐに飲んでしまうでしょうけどね。でも「入院して酒を切る」→「またすぐ飲む」という繰り返しの中で、「自分がアルコールを支配しているのではなく、アルコールが自分を支配している」ということに気づくことに意味があるのです。
もっとも医療の立場から見れば、治療の成績というのも無視できないのだとか。確かに退院してすぐ飲んでしまうのであれば、何のための入院なのか意味付けが難しいでしょう。しかし長い入院に、退院後の(ケアレス)断酒期間を長引かせる効果があったとしても、それは底つきまでの期間を長くしている効果しかないわけで、病気の進行を遅らせる単なる「対症療法」に過ぎないわけです。
例え3ヶ月の入院のおかげで7年間ケアレスで飲まないでいたとしましょう。「3ヶ月の入院で教育効果を上げたからこそ7年間飲まないでいられたのだ」という論に意味はありません。最終的に飲んでしまうのであれば、本人にとっても家族にとっても、その年月など吹っ飛ぶぐらい再飲酒というのは大きな破壊力があるわけですから。
ただ、そういう話を医療側の人間に向かって言うわけにはいかない立場に、僕は立っているのです。で、こういうところでガス抜きをしていたりするのですね。
2003年10月15日(水) my meaning of life 要件があって電話したのにつながらない・・・料金未払いで止まっているのであります。固定電話が未払いで止まるようなやつは携帯電話なんか持つな!、と言いたいところですが、僕も飲んでいた頃はしょっちゅう電話が止まっていました(もっとも当時は携帯電話なんてなかったけれど)。ライフラインの中で、料金未払いで一番早く止まるのが電話です。次がガス、水道、最後が電気。重要度が高いものほどなかなか止めない仕組みになっているわけです(さすがにNHKは止められなかったけど)。電話は振り込むとすぐ復旧してくれるけど、水道はなかなか来てくれなかったです。
近未来(ではなくなったけど)を描いたマンガ「パトレイバー」を最近読み返したのですが、携帯電話という存在が一切出てこないのですね。アニメ「エヴァンゲリオン」では、携帯電話?と公衆電話が混じって使われています。現実世界では、携帯電話があたりまえになって、固定電話がなくて困るのは金を借りる類ぐらいでしょうか。
ちなみに9月の携帯電話の請求が来ました。(基本料金とか別にして)通話料9,346円というのは我ながらびっくりであります。富山出張が続いてさびしかったので、ついつい携帯で長電話してしまったというわけです。もっともそうした諸々の事情を金銭で補償する「出張手当」というものを会社からもらっているので、文句があるわけじゃないのですけど。
11月上旬に台南へ行かなければならないかもしれません。自分で自分のことが決められないのです。仕事にせよAAにせよ家にせよ、その他のことにせよ、僕は必要とされるところへ行って、必要とされることをこなしていくだけです。余計なこともたくさんしているでしょう。飽きれば「うつだ」とか「充電」とか言い訳しながらどこかでサボっているでしょう。僕は必要を満たすためにこの世に生まれてきたのです。特別な意味は必要ありません。It's my meaning of life.
2003年10月14日(火) 通院と眠気 朝は通院。パキシルからノルトレンへの移行をしている最中なのですが、処方期間中に出張が毎回はさまるため「様子を見る」ためにパキシルがなかなか切れません。僕の場合には、薬を切るとたいていリバウンドが来るタイプなので、行動不能になってもかまわないタイミング(つまり業務がヒマなとき)を狙って薬を切る必要があります。医者とも長い付き合いになってきたので、そこらへんはたがいに説明の必要もありません。
「最近は、うつで調子が悪いのか、それとも単に疲れているだけなのか、区別がつかないときがあるんです」という質問に対し、「うつ病の人は黄色信号が無くて、気が付いたら赤信号になっているという人が多い」と説明を受けました。なんか答えになっているような、いないような。過労とうつは違うと思うのですが、両者の間に線を引くのは難しいかもしれません。
鬼平犯科帖ではしょっちゅう「夏は人々の眠りが浅いので盗賊がなりをひそめる」という記述がでてきます。逆に秋・冬・春は人の眠りは深いもの。夜更かし組みの僕ですら、なんだかんだで7時間寝ていることも多い日々がやってきました。それでも昼間眠いのです。眠い原因が、疲れにあるのか、うつが出ているのか、薬の副作用なのか、それともVDT作業者特有の症状なのか・・・。たぶん、パソコンを使うのをやめ、夜9時間眠り、薬を飲むのをやめて1ヶ月もたって眠ければ、それはうつが原因なのでしょう。でも、そんな悠長なことはやっていられないのが現実です。
実は、富山から帰ってきてから残業というのを(ほぼ)していません。必要な仕事はすべて業務時間内に済ませるようにしているのです。おかげで、仕事の密度が大変濃くなってしまいました。残業しないということを考えること自体がうつ病患者的なので自分でも笑ってしまいます。それで余った時間は寝ることに費やしているのだから、時間を有効に使っているのかはなはだ疑問です。
2003年10月13日(月) Meaning of Life 両腕の痛みが抜けず、体がだるい一日でした。おそらくは、脱穀の疲れと昨日の疲れが重なった結果でしょう。眠いなぁと横になると、時間がどんどん過ぎていきます。
オープンスピーカーズ会場にて拾った財務の話題
・年間献金額の上限は不要
1987年のアメリカカナダ評議会の勧告で、個人の献金は年間$1,000(現在のレートだと日本円で10万8千円)までと決められています。AA出版物の購入を含めれば年間10万円を越えているメンバーはかなりいるかもしれないけれど、純粋に「献金」を一ヶ月1万円しているメンバーがどれぐらいいるのでしょうか。意外といるのかもしれない。
・広報用に使う出版物を割引して欲しい
今年も取り上げた話題ですが、配布側は二重価格になるからと否定的でした。一方でBOX916が400部以上無料贈呈されていたりしています。有形の財産である「出版物の在庫」をどう分配するかというルールが決まっていないのが原因でしょうか。
アルコール以外で入院している仲間のお見舞い。前回に引き続き980円の散髪。
まさかヤクルトが広島に連敗するとは思いませんでした。これで残り2試合を連勝しても巨人を上回る可能性がなくなりました。それでも同率3位を狙って欲しいところです。僕のセントラルリーグはまだ終わっていません。
生きていくのは苦しいけれど、それでも人生には意味があるという事実を噛み締めた3日間でした。
2003年10月12日(日) Back to Basicsを読む バック・トゥー・ベイシックス(基本に戻る)という本があります。現在のAAはミーティング偏重主義で、AAが始まった頃の回復のプログラムからは離れてしまった、だからオリジナルの形式に戻ってみようと唱える人たちがいるわけです(日本の話ではなくアメリカの話ですよ)。ある意味復古主義的な側面を感じる話ではあります。
で、この本を元にして、日本でこの形式のミーティングを開こうという人たちがいます。たった4回のセッションで1〜12のステップをひととおりこなしてしまい、棚卸しも済ませるし、埋め合わせの準備もできて、「霊的に目覚め」ることもできる・・・。これを週に1回のミーティングだとすれば4週間で、あるいは一泊二日のプログラムで終了してしまうというのです。今の日本のAAの主流とはあまりに大きく違った提案です。
ところがこの本が、AAの評議会承認出版物でないどころか、そもそもAAの本ですらない、ということを理由に、「これはAAとは違うものなのではないか」という異論を差し挟む人もいるわけです。
さて、僕もこの提案について自分の態度を決めなければならないと思っていました。ただ、少なくとも「この本を読んでから態度を決める」ことだけは決めていました。というのも、反対を唱える人から、この本のどこが非AA的であるのかという点を聞いたことがないからです。彼らは単なる「食わず嫌い」なのかもしれない、という可能性も否定できないわけです。何しろ(自分も含めて)アルコホーリクは、常に12のステップに対する反発を心の中に抱えているからです。
とは言うものの、メールで送られてきたそれはA4版で68ページもある大作?であり、まずプリントアウトすることすら躊躇われていたわけです。実は、今日は新潟のオープンスピーカーズへ行ったわけなのですが、朝プリントアウトしたものを持参して、間にちょこちょこと読み進めていた次第です(不真面目)。後半は自宅に戻ってから読みました。
中身の大半はビッグブックからの引用です。その名前のとおり、ビッグブックに書かれているとおりに12のステップを(スポンサーと一緒に)踏んでみるという提案そのものでした。オックスフォードグループの「絶対性」について言及があるところを除けば、珍しいところはありませんでした。
確かに、すでに用意された表に書き込むという形式のステップ4は特異に感じるかもしれませんが、(少なくとも僕の周囲では)「4に決まった形式があるわけじゃない。どんな形式でもかまわない」と言われているわけですから、フォーマットがあることは問題ではないでしょう。
僕自身が、この運動に直接参加して盛り上げていこうという気には(まだ)なれないのですが、「長く停滞している日本のAAを成長に導くために、何でも新しいことをやってみよう」という気概にはもろ手を上げて賛成できるのであります。現状維持=後退、というのがアルコホーリクの回復や自助グループの現実なのですから。
彼らの目が輝いているのか死んでいるのか、それだけは自分の目で確かめてみたいと思うようになりました。
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