心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年09月30日(火) オリオンを目指して

地平線上にオリオン座が浮かんでいて、僕はそれを目指して車を走らせ続けていました。

「どっちへ向かって走っているのだろう」

そんなことを考えるのさえ、30秒ほどの時間がかかりました。白馬山脈が雪で白くなっていたから、もう秋だということです。8月にはオリオンは明け方に昇る。だから今は夜更けに昇っている。すべての天体は東から昇るから、前方は東なのだと。

今日はいろんなことがありました。一泊二日の予定で出張に出てきたのに、予定が繰り上がって一日早く仕事が終わってしまい、一泊を残して富山に取り残されたのでした。「正直に生きる」という観点からすれば、ホテルをキャンセルして長野に帰るべきなのでしょう。そして次の日も仕事に押しつぶされて生きるというわけです。
ホームのミーティングすら犠牲にして働いてきたのに、それではあんまりである、と自分を甘やかすことにしました。残念なことに火曜日は富山県内にはAAミーティングはありません。金沢まで向かうことにしました。
帰りは深夜になるだろうから、いったんホテルにチェックインして、西へ向かって走り出しました。

間の悪いことに、携帯電話のバッテリーが放電してしまい、充電しているヒマがなかったので、ヤマダ電機で車用の充電器を買って、金沢の仲間に電話をかけました。

歴史の不思議というのでしょうか、たくさんの金沢の仲間が、長野県にAAのメッセージを運んでくれました。AAは原理が大切なのであって、人間が大切なのではない、というのですが、恩とか情とかいうものが発生するのが人間関係というものです。長野のメンバーで金沢を訪れたメンバーもたくさんいるのです。でも、僕はいままでその機会に恵まれませんでした。

親切な金沢の仲間は、僕がもくろんだ金沢市内のミーティング会場は「高速のインターから遠すぎる」という理由で、別の会場を案内してくれ、目立つ場所で待って僕を迎えてくれました。おかげで、二人ともミーティングに遅れてしまいましたが・・・。
アフターはみんなで食事。初めてスタバに入りました。

金沢は都会でありました(行ったのは松任だけど)。でもやっぱり、車の街であって、徒歩と電車とバスの街ではないようでした。

みんなありがとう。


2003年09月29日(月) 前にも書いたような気がするけれど

僕はインターネット上でもAAの中でも「ひいらぎ」と名乗っています。もともとAAにやってくる前から、ネット上(当時私はインターネットに接続する環境がなかったので、パソコン通信上)で「hiiragi」というハンドルネームを使っていたというのがその由縁です。

実は「hiiragi」を名乗る前には、某というハンドルネームを使っていたのです。電話料金に「区域外320Km超」という区分があった時代の話です。はじめの頃のパソコン通信に匿名性なんてものはなくて、ホストPCのオーナーから会費の請求がはがきで到着したりしたものです。それに、オフ会も当たり前のようにありました。だから、「ネット上に別の人格を作る」なんていう構想は成り立ちにくかったですね。

で、その某というハンドルネームは実は女性名だったのですが、当時はネット上に女などいるはずもなかったので、別にネカマとか非難されませんでしたし、オフ会でも困りませんでした。しかし、運の悪いことに、その名前を使う女性が現れてしまい、初見の方に混同されてしまうこともしばしばで、さすがに男である僕は引け目を感じざるを得なくなってしまいました。そこでやむなくハンドルネームを変えることにしたのです。仮想ではないとは言っても、自分のパーソナリティに別名(Alias)をつけるわけですから、かなり考えました。
しかし、いくら考えても妙案が浮かびません。しかたなしに、適当なところから引っ張ってくることにしました。

・日渡早紀の『僕の地球を守って』の7人のなかで最も影が薄い人物「ヒイ=ラギ」
・同じく白泉社の坂井美羽の『ミルクタイムにささやいて』の続編中に現れる女性キャラクター柊
・ついでに、最近またジブリアニメの原作になっていて、当時りぼんで連載を書いていた漫画家「柊あおい」

ここらへんから、柊というのは人の名前として「アリ」なのだと判断して、採用することにしました。性別は不問だしね。漢字の通らないホストのために、hiiragiとローマ字小文字で統一して・・・。

そして数年後(そう、ほんとうにその間は数年だけなのですが)、聞くところによるとAAというのは「黄色い薄い本を読むところで、皆がアル中と名乗っているのだがそれは強制ではなく、神だと言うのだが宗教ではなく、そして変なニックネームを使っているところ」である、という予備知識だけを頼りにAAのミーティングを訪ねたのです。そして、そのうわさはほぼ本当でした。

つながったグループのメンバーが動物の名前ばかり使っていたので、とっさにヒイラギは植物だからよかろうと、そのままニックネームに採用してしまいました。最初は柊と漢字で書いていたのですが、本名だと勘違いする人が増えたので、ひらがなで書くようになりました。

「心の家路」はネット上の存在なので、もとよりのハンドルネームである「ひいらぎ」を使うのは、僕にとっては自然なことです。AAの12の伝統というものがあるので、本名を公開していないだけの話で、別段ネット上に現実の僕とは別の人格を作り上げようとは思っていません。
ただ、虚構は書かなくても、なにがしかの情報を意図的に書かなかったり、誤解の余地がある文章を書いたり、はたまた長年のアルコール摂取によって痛んだ脳がウソを編み出してしまうかもしれませんが・・・。でも、虚構を作ろうとは思っていないのです。

それに、ミーティング会場をニックネームで借りられないのと同じように、ネット上の空間だって実名でないと借りられないのです。僕の住所氏名電話番号(とメールアドレス)は、実は誰にでもアクセスできるところに置かれているのです。社会的責任を放棄して、匿名で存在するというのがAAのプログラムの目的で無い以上、僕はその欄にウソを書くことはできませんでした。

そろそろAAでのニックネームを(本名に)変えたいと思っているのですが、人々の間に行き渡ってしまった名前を変えるのは簡単ではないようです。



2003年09月28日(日) イースターワインに到着

インターネット常時接続でない環境に島流しされて3週間。やっと戻ってまいりました。ダイアルアップ接続ではできなかった、皆様の掲示板やら日記の巡回も一通りすませまして、やっと日常に戻ってきた感じです。会社から離れていたおかげで、仕事に割り込んでくる電話や打ち合わせに邪魔されずに、仕事に集中できました。でも、そのぶん身体が疲れています。体の疲れはともかく、頭のほうも疲れがたまるくらい使ったようで、うまく日常へと軟着陸しないと、また発病してしまうかもしれません(鬱)。

最後にミーティングに出たのがいつだったのか、もう忘れてしまいました。来週は一人で車で行く可能性が高いですから、地元のミーティングに顔を出してみようかと思います。10月の予定はまだ決まっていませんが、最初の週末は空きそうですので、山梨のラウンドアップに行こうと思っています。ただ、保育園の娘の運動会が土曜午前中にあるので、それを済ませてから1泊2日の参加になるでしょう。さすがに、運動会よりAAを優先させるわけにはいきませんし、そんなことをしてもAAの誰も僕を誉めてくれはしないでしょう。

次の週末は新潟のスピーカーズミーティングに行きたいのですが、もう宿泊の申し込み期限は過ぎてしまいました。たまには自分の車に泊まるのもいいかもしれません。

その次の週末は、最後に退院した精神病院の同窓会?があるのですが、もうその頃の予定は不明です。第4日曜に東京にいるのは不可能そうです。ビザ無し渡航で2週間以上過ぎてしまったらどうなるのでしょうか。

仲間から失恋の電話。当たって砕けてしまったらしいです。でも僕は彼を尊敬します。
愛の告白とは勇気のいるものです。そうしなければ、今までの日常が続いていくでしょう。でも、それを乗り越えて告白をする・・・。結果はハッピーな場合もあるでしょうが、「ごめんなさい」かもしれない。それならまだマシなほうで、大笑いされたり、人々の口を伝わっていってしまうかもしれない。いずれにせよ、「今までの続き」ではいられないのです。
白馬に乗った王子様を待つ女の子ではないですが、男だって「突然目の前に好みの女性が現れて『あなたが好きです』と言ってくれる」のを夢見ていないわけではありません。でも、現実にそんな可能性はゼロに等しいわけです。モテモテになりたいとは思わないが、せめて女の一人ぐらい欲しい・・・、と思いながら何も努力をしない男達がいます。目の前を横切る女達をけなしながら、変わらぬ日常を送り、確実に一年一年年を取っていく。そんな連中は腐るほどいるのだから・・・。
面倒だから、この項おしまい。


2003年09月26日(金) 決戦は金曜日

とりあえずホームでの勝負は2:1の判定勝ちに持ち込みつつある感じです。もっともホームといってもタイガースが大阪ドームで試合をしているようなものですから、あまり優位性はありませんが・・・。次はビジターゲームですから苦戦を強いられるでしょうね。10月の予定は明日・土曜日に決まります。

タイガースといえば、広沢が引退を決めたとか。これで僕と同じ年のプレーヤーは誰もいなくなってしまうわけです。スワローズの4番だった広沢、「いい男」杉浦のあとを継いだ男。彼がフリーエージェント権を使ってジャイアンツのベンチを暖めに去ったあとは、スワローズの4番は外人ばっかりです。

エレベーターホールのティーサーバーからお湯を手に入れて、朝のコーヒーを飲めるようになりました。不満たらたらでも、日々を過ごしていれば慣れてきてしまうものですね。でも、来週は別のホテルに泊まるでしょう、たぶん。


2003年09月23日(火) ごく一部の例外を除けば

ヘアドライヤーがなくても、タオルでよく乾かせば、9月の陽気なら風邪をひくこともありません。ちょっと寒いけれど、お湯の出が良いからお風呂にお湯を張って入りましょう。朝は温まったお湯でコーヒーをいれました。ただ、冷蔵庫がないのはさびしい。
同僚は後悔の言葉しきりであります。「ホテルがストレッサー」などとほざいておりますが、結局のところ、富山では彼の好きなテレビ番組をやっていない、という不満が根源のようです。
明日から仕事は山場を迎えるわけですが・・・、できていないものは、できていません。今週検収が終わったら、機械屋さんが来週いっぱい機械の再調整をするつもりらしいです。その次の週に出荷するとすると、梱包やら通関やらで、機械が現地に着くのが10月13日の週。
20日ごろから出張ということになるでしょうか。
皆で、現地で使う携帯電話の調達の話をしています。

さて、続き。

usually men and women who are constitutionally incapable of being honest with themselves. There are such unfortunates. They are not at fault; they seem to habe been born that way.

constitutional は「体質・気質」。incapable は「〜できない」(する能力がない)。be honestは普通は「正直になる」なんですが、with oneself だと「自分に率直になる」とか「自分に誠実になろうとする」というほうが僕は好きです。でもAAの定番の言葉で「自分に正直になる」を採用。
要するに、自分に嘘をつき通しているうちは回復できないのだが、どうやらそれを貫き通してしまう人々が世の中にはいるのだ、と言いたいわけでしょう。

unfortunatesは不運の人たち、at faultは「〜の責任」。最後のwayを何に訳すかはとても難しいけれど、bornがありますから、生まれたあとの道=「生き方・人生」でいいでしょう。そのような人生に生まれついて、そしてそれを生きて、酒で死んでいく。

「そうした男たち女たちは、たいていは自分に正直になることができない気質なのだ。彼らは不幸な人々である。彼らが悪いのではない、それが彼らの人生であるらしい」

心や頭の病が原因で回復できないのが理由ではないと、この段落の後ろに書いてあります。奥深い自分自身、自分の良心に率直であろうとすれば、欺瞞に満ちた酒びたりの日々を送れるはずはありません。ところが、スピリチュアル(霊的)な病気は欺瞞を可能にするのです。

回復は、ごく一部の例外を除けば、ほとんど誰にでも可能なのだ、という意味を、僕は5章の先頭から受け取っています。



2003年09月22日(月) 不運の人たち

気象情報は見ていないので正確なことはわかりませんが、東へ抜けた台風のおかげで、北風の強い一日でした。それでも日差しは夏のもので、風さえなければ長袖では暑いでしょう。こちらでも稲刈りが始まっています。昨夜のカップルは、朝もがんばっていました。

移った先のホテルは古い建物で、エアコンすら後付けであります。僕はテレビを見ないので、テレビがベッドから遠いのは気になりませんが、同僚はホテル移動の提案をしたのを、今ごろ後悔しているかもしれません。電話がモジュラーじゃないので、パケットによるダイアルアップです。僕としては、ヘアドライヤーが備え付けてないのが気になります。今回は持って来ませんでしたから。
冷蔵庫がないので目薬が冷やせないのは、眼圧によろしくありません。それに湯沸しの設備がないから、朝コーヒーが飲めません。まったくコーヒーなしで、僕に午前中に何をしろというのだ。
まあ、2泊ぐらいだったら気にならない事象も、6泊となると嫌になろうというもの。それでも、しばらく居れば慣れるでしょう。

さて続き。
Those who do not recover are people who cannot or will not completely give themselves to this simple program.

Those who は学校でも習う受験英語なんで覚えています「〜な人たち」。give oneself to は「身を任せる」。ささげるでもいいし、ゆだねるでもいいかな。いわゆる「おまかせ」が暗示されているわけでしょう。cannot or will not

「回復できないのは、この簡単なプログラムに、自分を完全にゆだねることができない、もしくはそうしようという気になれない人々である」


2003年09月21日(日) 「う、うん」

先週まで暑かったのに、9月下旬の北陸は秋の雰囲気です。といっても、これは週末の台風の影響で、明日からまた暑くなるのかもしれません。
先週も泊まっていたホテルは、シングルが満室のようで、ツインルームをあてがわれました。ホテル側の事情の場合にはもちろんシングル料金です。広くていいのだけれど、隣室はカップルらしく、女性の「う、うん」という例の声が時々聞こえてきます。シャワーを浴びて出てきたのですが、まだ続いています。長いですな。これで若い男女を予想していると、翌朝偶然廊下で出会ったりすると、初老のかたがただったりして、驚かされたりします。ラブホ代わりの利用でも、この景気ではホテルも文句を言わないようです。
連休明けからは、台湾人たちがやってきます。悪いことにこのホテルを予約しているようで、男四人でツイン2部屋だそうです。金を払ってもらうこちらはツインをシングルユースしているのもバツが悪いので、明日からこのホテルを抜け出して、別に移動です。

ホテルで仕事する気になかなかなれませんし、寝るにはまだ早いです。読む本といえば、常時携帯しているビッグブックぐらいしかありません。
さて、ビッグブックの5章の先頭というのは、どうも音読するのに坐りが良くないですね。

「〜それでも回復できなかった人を、ほとんど知らない」

原文は、Rarely have we seen a person fail who thoroughly followed our path. です。rarely は「ゼロじゃないけど、めったにない」という意味かな。failは「失敗する、しくじる」。thoroughは「徹底的」が定番でしょう。followはいろいろな意味がありますが、次にpathがあるので「ついていく・たどる」でしょうか。
難しいのはpathで、道には違いないのですが、人が歩いた結果として出来上がるのがpath、そこから思想や行動の「方向・方針」という意味が生まれています。だから、このpathは「AAの回復のプログラム」を意味するのでしょう。

「私たちのやり方に徹底的に従ってみたのに、それでも失敗した人はほとんどいなかった」

言葉が貧弱なのは、僕の日本語が貧弱なせいでしょう。そのpathのなかで、ステップ2〜4についてが第5章。

まだやっていますよ。エアコンのダクト越しに音が伝わってくるので、隣ではないかもしれない。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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