心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年08月12日(火) 深夜のコンビニ

深夜、空腹で眠れなくなることはわかっていたのに、食料を買っておくのを忘れてしまいました。
しかたないので、パジャマから着替えて近くのコンビニに買い物に行きました。
別にパジャマのままで行ったって構わないのですがね。そういう人もみかけますし。でも、妻が嫌がるのです。それは飲んでいた頃の僕の行動がトラウマとなって彼女の心に残っているのかもしれません。

深夜1時過ぎ、もう地方都市の街角はひっそりとしています。酔っ払いが何人か騒ぎながら歩いていきました。それと、若い女性とすれ違いました。女性が深夜に一人歩きしても大丈夫なぐらい、日本は平和なのであります。パンとジュースとチップスとフルーツゼリーとカップラーメンをレジで清算していると、背後に小柄な人影を感じたので、振り返ってみました。小学校低学年の女の子が、「おろしなめこそば」を持って立っていました。親と一緒なのだろうと店内を見回してみましたが、居るのは僕と店員と彼女ばかりです。しかも、妙に思ったのは、彼女がパジャマ姿だったからです。パジャマは清潔そうで、彼女の顔は眠そうに見えたけれども、他に異常は感じられませんでした。
彼女はそばをカウンターに置くと、店員に千円札を差し出しました。その態度も、店員の対応も慣れた様子で、不自然なところはひとつもありません。コンビニの外に停まっている車もなく、僕は小学生が深夜にパジャマ姿で出歩いても安全な日本について考えながら帰ったのでした。

最近近所にマンションがいくつか建ち、街の様子も少しづつ変わってきています。


2003年08月11日(月) 予備校

世の中には僕と「どうしてもウマがあわない」人がいるらしいのです。
幸いなことに家族と「どうしてもウマがあわない」ということもないです(少しはあるよ)。AAのなかは、ウマがあおうが、あわなかろうが、例えけんかしようが「一緒にやる」以外の選択肢はないので、そりゃもう田舎のムラの濃密な人間関係の中に居るのと同じで、「それが運命」と思って受け入れるほかありません。

問題なのは仕事なんです。これは金が絡むだけあって難しい側面があります。商売も適正な利潤と誠実さが一番というのは理解しているのですが、世の中必ずしも、そういうふうに考えている人ばかりとは思えません。自分が不運だなと思うのは、「人の抱えている問題を、コンピューターを使って(解決可能なら)解決してあげる」ことで生計を立てる職業を選んでしまったということです。

すべてのことをコンピューターで解決できる、なんて甘く考える人はイマドキいません。だから、最初に「これとそれとあれを解決する」という取り決めをして、それにお幾らという値段がつくわけです。
ところが未来は予測できないもので、たいてい何か「予測もしていなかった問題」というのが起こるのです。それがこちらに責任がある場合には、残業+土日返上とかいう最悪の事態になっても、その対応をして、挙句に自分の会社からも相手の会社からも文句を言われるという筋道です。
が、これはそんなに悪くないシナリオです。

相手側で問題が発生した場合、相手が対策に追われるということになるのですが、運の悪い場合には「誰がどう見たってこれは無理だろ〜ぉ」という問題もあるわけです。彼らが何とかできないと、その矛先はどうしたって僕のほうを向いてくるわけです。「何とかしてくれ」と。
僕に答えられることは真実だけで、「時間と金の両方が必要です」。人間が労働した成果物なんだから、ゼロの時間でできるわけはないのです(だったら残業なんて不要だ)。そうすれば当然費用もかかってくるものです。新しい部品が必要になれば、それを注文しても明日届くわけじゃありません。

相手が経験豊富だなと思う場合は、お金も時間も若干の余裕を残している場合です。きっとたくさんのトラブルで痛い思いを重ねてきたのだろうな、と思わせる人です。
世渡り上手だなと思う場合は、「金はないけど、何とか助けてくれ頼む」と泣き付いてくる場合です。ようは自尊心に訴えるわけですね。こちらの仕事のスケジュールに空きがあれば、恩を売っておくのは悪くない話です。
最悪のシナリオは、ともかく怒鳴り散らして何とかしようとするタイプ。相手だって商売をしてるんだから、時間=金であり、無料で何かを手に入れるのは難しいのは分かっているはずです。が、とりあえずゴネにゴネて「ゴネ得」を狙ってくるのです。が、ここでそれを許してしまうと、次も同じ手を使ってくるので始末が悪い。
こういう人に恩を売っても絶対帰ってこないです。「次の仕事はないと思え」と言われても、口に出してはいえないけれど(もうお付き合いは勘弁して欲しいし、金のないやつは客じゃないよ)と思ってるから、それで折れるわけもありません。すると怒る怒る。
こういう客に限って「もう出入り禁止な」とか言っときながら、新しい仕事を回してよこすから困り者です。そして、断る権限は僕にはない、という次第。

やれやれ。愚痴を聞いていただいて、すみませんね。


2003年08月10日(日) 山梨のラウンドアップ

富山へ、そして台湾へという出張の予定が、8月下旬〜9月中旬というスケジュールが伸びて、9月中旬〜下旬。ひょっとすると最悪十月にかかるという可能性が出てきました。仕事は遅れ気味だったので、その点では助かるのですが、ミーティングの維持では仲間に苦労をかけてしまうし、最悪山梨のラウンドアップに参加できなくなってしまいます。

福岡のサービスフォーラムに行くか、それとも山梨のラウンドアップに行くか考えに考えたのですが、結論としてはラウンドアップに行くことにしました。来年には長野でラウンドアップが企画されていることもあり、自分がどこで何を必要とされているかを考えた上での結論です。
申し込みたいけど、先立つものがありません。18,700円はラウンドアップの費用としては決して高くはない(2泊3日、中日の昼食込み)とは思うのですが・・・。山梨からだったら、土曜の深夜に帰ってくるという作戦もありかな。
僕としてはラウンドアップはひさしぶりなので楽しみであります。特に昨今、AAのイベントに泊まりで参加していないし・・・。「AAのイベントに行きたいので、お金をください」と妻に頭を下げるのもやなんだよなー。「そうやって、一人で出かけていればいいじゃない」とか言われるのがオチだもんなー。



2003年08月09日(土) 日記風

12時起床。大雨。1時昼食。
2時出社打ち合わせ。3時半退社。
ヤマダ電機をうろつくも何も買わず。
4時、ラーメンを食べるために市内を徘徊するも、この時間に開いているラーメン屋なし。
5時、自宅でインスタント焼きそばを食べた後、昼寝。
6時、こどもたち児童館より帰る、昼寝おしまい。雨やむ。
7時、お風呂。
8時、夕食。
10時、珍しくちゃんとこども就寝。パパ仕事ときどきAAの書類いじり。

第4日曜日の予定が空けられることが確定したので、地域委員会で東京に行く高速バスの切符をネット予約したのですが、サーバーが混んでいるのか、一連の手続きに30分ぐらいかかりました。夏休みで照会が多いのかなぁ。


2003年08月08日(金) らりほー

やっと週末にたどり着いたという感じの一週間でありました。

今週は(メッセージも含めると)週に3回ミーティングに出てしまいました。いや、久しぶりのことです。が、その代償も大きかったです。雨の夜のドライブってのも疲れたんですが、暑かったのも影響したでしょうね。木曜は仕事に30分遅れてしまったし、今日などは午後2時出社という大名出勤でありました。
諸事情あったとはいえ、これは失敗であります。

すっかり夏ばてしております。ここ数日ミーティングに行かなかった日は、夕方から夜までいったん寝ないと体が持ちません。それでもまた朝まで眠れるし、ついでに夜まで寝られるかもしれないという勢いで、だるいです。

お盆を過ぎればヒグラシが鳴くようになって、夜は涼しくなるでしょう。そうなれば、ゆっくり眠れるようになって・・・、あと2週間ほどのがまんがまん。



2003年08月07日(木) 道楽

きっぱりと宣言しておきますが、「心の家路」は Just Fun ただ面白いから、つまり道楽でやっております。そこに崇高な使命感などありません。しかし、仕事やら地方性などで、なかなか豊富にミーティングにいけない僕にとって、様々なことに考えをいたす時間を与えてくれる大事なものでもあります。

AAのミーティングを維持したり、ついでに他のグループのミーティングに顔を出したり、病院メッセージで出かけていったり、いずれも「面倒っくせー」と思っております。ましてや「委員会」などというと、その気持ちはいや増して「あー、やだやだ」と思っていたりする、という真実は隠せませんね。
じゃあ、なんでそんなこと続けているのかというと・・・。

今日はちょっとスケジュールを間違えて、他の人が輪番の担当のときに病院メッセージに行ってしまいました。疲れていたから、その間違いに気づいた時点で帰ってしまっても良かったのですが、せっかくガソリン燃やしてここまで来たのだから、とメッセージに参加しました。

若干僕より年上の人で、僕と一緒に入院していたことのある人ですが、ここ数ヶ月ミーティングに顔を出していないので、少々心配している人がおりました。そして、メッセージの会場に彼は患者として現れました。

普段はあまり気にしていない事実ですが、僕はAAを道楽でやっているわけではありません。そんなもんだったら嫌になったらすぐに止めているでしょう。でも、続けているのは不思議でもなんでもなくて、命だとか、(比較的)健康な生活だとか、家族と一緒に暮らすこととか、仕事にありつけるだけの信用だとか、そういうものを「何とか最低限維持していくために」、僕にとってAAのプログラムは欠かせないものなのです。

AAのプログラムには「ここまでやっておけば、とりあえず大丈夫ですよ」という線など引いてありません。だからどこまでやっても、「よしこれで安心だ」というわけにはいかないのです。これをなおざりにして、他のことに手を出す余裕などなかなか与えてもらえません。

与えつづけていかなければ、手元からなくなってしまう恵み。


2003年08月06日(水) 伝統と真の伝統

最近になってよく言われるようになったことは、同じような12のステップを使っているからといって、AA・NA・OAなどなどの回復のプログラムが同質であるとは、誰にもいえないということです。確かに、それらの12のステップ・12の伝統は似通った言葉を使っているかもしれないけれど、それらのステップは個人に解釈の自由を与えている以上、これが正当というものはありません(一方で、12の伝統は議論による収束が必要なものですが)。
人の集まりですから、それぞれ「主流の考え方」というものが出来上がるでしょう。だからこそ、それぞれの12ステップグループの間には、プログラムの解釈の違いが生じて当たり前なのです。そして、それは「同じである必要はまるでない」ということです。
AA以外の12ステップグループが、AAの経験を踏まえていることは確かです。そして、それらの多くが(すくなくともアメリカにおいては)クロスアディクトを持ったAAメンバーによって始められたのも事実です。でも、AAが別のグループの回復のプログラムの品質を保証することはしないし、そんなことそもそもできっこないということです。

ただ、AAはAAプログラムの品質を維持する必要はあるのです。そのためには、個人の解釈の自由が制限されるのは当然だというのが、伝統一に沿った考え方です。自分の考えていることを述べ伝えるのに、「一人のAAメンバーとしての意見であって、AA全体を代表するものではない」ということは明らかにする必要があります。あくまで自分の意見を主張するよりも「多くのAAメンバーはこう考えている」ことを紹介するほうが役に立つし、謙虚であるということです。そこに(私は反対意見であるが)と付け加えるのは自由かもしれないけれどね。

じゃAAのプログラムとは何かというと、それは結局ビッグブックの中に書かれていることであります。ビルとボブと、当時の百人あまりのメンバーに起こった出来事を、広めていくということです。ビルたちは「議論の余地があることは承知している」と書いていますが、結局ビッグブックは変更されたことがありません。AAは最初の100人と同じ事を繰り返すのが「回復のプログラム」です。

日本のAAは中間施設と共に成長してきました。それが有効だったことはAAの成長が証明しています。しかし、10年余り前から「メンバーが増えない」ということが繰り返し言われてきています。そして、現在の日本AAが継承してきたものは、「最初の100人」とは違うものであろうという指摘がされています。
だから、日本語の伝統という言葉のイメージのもつ「日本のAAの伝統」ではなくて、グローバルなAAの中にあって「伝統一」を実践して、日本のAAのプログラムを原点に戻す必要があるのではないか、という意見です。
しかし、こうした考え方が、日本のAAの中では主流ではないことも、言い添えておく必要があります。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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