心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年08月09日(土) 日記風

12時起床。大雨。1時昼食。
2時出社打ち合わせ。3時半退社。
ヤマダ電機をうろつくも何も買わず。
4時、ラーメンを食べるために市内を徘徊するも、この時間に開いているラーメン屋なし。
5時、自宅でインスタント焼きそばを食べた後、昼寝。
6時、こどもたち児童館より帰る、昼寝おしまい。雨やむ。
7時、お風呂。
8時、夕食。
10時、珍しくちゃんとこども就寝。パパ仕事ときどきAAの書類いじり。

第4日曜日の予定が空けられることが確定したので、地域委員会で東京に行く高速バスの切符をネット予約したのですが、サーバーが混んでいるのか、一連の手続きに30分ぐらいかかりました。夏休みで照会が多いのかなぁ。


2003年08月08日(金) らりほー

やっと週末にたどり着いたという感じの一週間でありました。

今週は(メッセージも含めると)週に3回ミーティングに出てしまいました。いや、久しぶりのことです。が、その代償も大きかったです。雨の夜のドライブってのも疲れたんですが、暑かったのも影響したでしょうね。木曜は仕事に30分遅れてしまったし、今日などは午後2時出社という大名出勤でありました。
諸事情あったとはいえ、これは失敗であります。

すっかり夏ばてしております。ここ数日ミーティングに行かなかった日は、夕方から夜までいったん寝ないと体が持ちません。それでもまた朝まで眠れるし、ついでに夜まで寝られるかもしれないという勢いで、だるいです。

お盆を過ぎればヒグラシが鳴くようになって、夜は涼しくなるでしょう。そうなれば、ゆっくり眠れるようになって・・・、あと2週間ほどのがまんがまん。



2003年08月07日(木) 道楽

きっぱりと宣言しておきますが、「心の家路」は Just Fun ただ面白いから、つまり道楽でやっております。そこに崇高な使命感などありません。しかし、仕事やら地方性などで、なかなか豊富にミーティングにいけない僕にとって、様々なことに考えをいたす時間を与えてくれる大事なものでもあります。

AAのミーティングを維持したり、ついでに他のグループのミーティングに顔を出したり、病院メッセージで出かけていったり、いずれも「面倒っくせー」と思っております。ましてや「委員会」などというと、その気持ちはいや増して「あー、やだやだ」と思っていたりする、という真実は隠せませんね。
じゃあ、なんでそんなこと続けているのかというと・・・。

今日はちょっとスケジュールを間違えて、他の人が輪番の担当のときに病院メッセージに行ってしまいました。疲れていたから、その間違いに気づいた時点で帰ってしまっても良かったのですが、せっかくガソリン燃やしてここまで来たのだから、とメッセージに参加しました。

若干僕より年上の人で、僕と一緒に入院していたことのある人ですが、ここ数ヶ月ミーティングに顔を出していないので、少々心配している人がおりました。そして、メッセージの会場に彼は患者として現れました。

普段はあまり気にしていない事実ですが、僕はAAを道楽でやっているわけではありません。そんなもんだったら嫌になったらすぐに止めているでしょう。でも、続けているのは不思議でもなんでもなくて、命だとか、(比較的)健康な生活だとか、家族と一緒に暮らすこととか、仕事にありつけるだけの信用だとか、そういうものを「何とか最低限維持していくために」、僕にとってAAのプログラムは欠かせないものなのです。

AAのプログラムには「ここまでやっておけば、とりあえず大丈夫ですよ」という線など引いてありません。だからどこまでやっても、「よしこれで安心だ」というわけにはいかないのです。これをなおざりにして、他のことに手を出す余裕などなかなか与えてもらえません。

与えつづけていかなければ、手元からなくなってしまう恵み。


2003年08月06日(水) 伝統と真の伝統

最近になってよく言われるようになったことは、同じような12のステップを使っているからといって、AA・NA・OAなどなどの回復のプログラムが同質であるとは、誰にもいえないということです。確かに、それらの12のステップ・12の伝統は似通った言葉を使っているかもしれないけれど、それらのステップは個人に解釈の自由を与えている以上、これが正当というものはありません(一方で、12の伝統は議論による収束が必要なものですが)。
人の集まりですから、それぞれ「主流の考え方」というものが出来上がるでしょう。だからこそ、それぞれの12ステップグループの間には、プログラムの解釈の違いが生じて当たり前なのです。そして、それは「同じである必要はまるでない」ということです。
AA以外の12ステップグループが、AAの経験を踏まえていることは確かです。そして、それらの多くが(すくなくともアメリカにおいては)クロスアディクトを持ったAAメンバーによって始められたのも事実です。でも、AAが別のグループの回復のプログラムの品質を保証することはしないし、そんなことそもそもできっこないということです。

ただ、AAはAAプログラムの品質を維持する必要はあるのです。そのためには、個人の解釈の自由が制限されるのは当然だというのが、伝統一に沿った考え方です。自分の考えていることを述べ伝えるのに、「一人のAAメンバーとしての意見であって、AA全体を代表するものではない」ということは明らかにする必要があります。あくまで自分の意見を主張するよりも「多くのAAメンバーはこう考えている」ことを紹介するほうが役に立つし、謙虚であるということです。そこに(私は反対意見であるが)と付け加えるのは自由かもしれないけれどね。

じゃAAのプログラムとは何かというと、それは結局ビッグブックの中に書かれていることであります。ビルとボブと、当時の百人あまりのメンバーに起こった出来事を、広めていくということです。ビルたちは「議論の余地があることは承知している」と書いていますが、結局ビッグブックは変更されたことがありません。AAは最初の100人と同じ事を繰り返すのが「回復のプログラム」です。

日本のAAは中間施設と共に成長してきました。それが有効だったことはAAの成長が証明しています。しかし、10年余り前から「メンバーが増えない」ということが繰り返し言われてきています。そして、現在の日本AAが継承してきたものは、「最初の100人」とは違うものであろうという指摘がされています。
だから、日本語の伝統という言葉のイメージのもつ「日本のAAの伝統」ではなくて、グローバルなAAの中にあって「伝統一」を実践して、日本のAAのプログラムを原点に戻す必要があるのではないか、という意見です。
しかし、こうした考え方が、日本のAAの中では主流ではないことも、言い添えておく必要があります。


2003年08月05日(火) 疲れたよー

昼間から「なんか疲れたなー」という感じでありました。たぶん冷房病でしょう。暑いのも嫌いだけど、冷房も嫌い、でもどっちか選べるなら冷房。でも冷房で調子が悪いのは許してね、というわがまま勝手な人間であります。

それでも仲間のバースデイに参加しました。往路、すごい雨が降ったあとなので、「梅雨明け以降夕立がすごいなー」と思い、もう降らんだろうし、時間も余裕があると思って、高速のサービスエリアでラーメンを食っておりました。テレビでは豪雨と大雨警報のニュースをやっており、「これはまずいことになったかな」と思って、慌てて外に出てみたら、すでに大雨でありました。

ハイドロプレーニングにおびえながら先を急いだのですが、命をかけるほどのことでもあるまいと思い直し、のんびり遅刻していきました。帰りは国道でしたが、こちらも雷雨の中。

眠い。もう寝る。(日付は変わっているけど)。


2003年08月04日(月) 暑さ寒さもひがみのもと

タイトルに意味はありません。
さて、こんなこと(ってどんなことだ)にならなければ、僕は今ごろ、長野AAの20年誌を各種インタビューなどによって書き進めていたはずです。長野のAAは、埼玉県のメンバーらによってメッセージが伝えられ、1983年に上田市でステップミーティングが開かれたのを始めとしています。83年12月には、長野グループが誕生し、次第にミーティング場を増やし、長野市を中心に月曜から土曜までの毎日のミーティングと、日曜日の病院メッセージを抱えるまでに成長します。しかし、これだけの陣容を維持する人数に欠け、ミーティングは週3日に、メッセージは病院側の受け入れ態勢の変化と共に形骸化します。

この頃、大学病院の医師であったS先生が、アルコール依存の治療には自助グループが必要という新年から、断酒会、AA、その他のグループの育成にあたりました。86年7月には小諸グループが、翌87年3月には佐久グループが誕生するのですが、比較的短期に形骸化します。背景には、この地方にAAを名乗り、ミーティングハンドブックも使うものの、他のグループと交流しないグループが(すくなくとも)二つ存在した影響があったと思われます。これらのグループの情報は、AAの記録に残っていません。小諸・佐久グループはAAの歴史から消え、合流して非公式に浅間グループとして存続します。

これらと前後して、88年4月には諏訪グループが誕生します。小諸・佐久グループが復活するには92年9月まで待たねばなりません。96年7月には松本グループが、98年3月には駒ヶ根グループ(後に南信州)が誕生します。
サービス活動については、月1回の長野グループのビジネスミーティング(上田)が、そのまま長野地区のビジネスミーティングとなり、後に地区集会と呼ばれるようになります。今から思えば、インターグループ集会でした。その後「代議員制度」と「委員会」などの形式が、他県と同じように整うのは98年度からです。

21世紀になって2002年5月らいでんグループが誕生、2003年4月安曇野グループが誕生します。この間に、ちのグループが誕生して消え、小諸グループは二度目の消滅を迎えています。

僕がつながった頃のメンバー数は10名と言ってもよかったでしょうが、現在では(数えてませんが)40人ぐらいいて、今は増加傾向にあると思います。もっともこれも、グループ数や会場数と同じで、長い目で見れば(人の回復と同じように)波があるのでしょうから、また減るときもあるでしょう。

80年代から活躍したメンバーたちは、すでに老境に入り、ほうっておけば真実は記録に残らずに消えていくでしょう。だから、彼らがまだ元気なうちにそうした過去をまとめておきたかったのです。「成年に達した」などとは言わなくても、昔話を聞いてみたい・・・。しかし、神は私に別の任務を与えました。おそらく、僕が思っているほど、過去の記録は重要ではないのでしょう。

手渡していくべきものは、先人の努力ではなく、AAの原理なのだから。


2003年08月03日(日) 暑い、暑いぞー

梅雨明けして本格的な夏がやってきました。昨日は休日出勤をしまして、エアコンいれて「う〜さぶ」などと言っていたんですが、今日はそういうわけにもいきません。
長野は涼しいだろうとお思いでしたら、そりゃ大間違いで、内陸部なんで温度が上昇しやすく、東京などより気温が高いこともしばしばです。でも、海に近いところと違って、湿度が低いぶんだけラクであります。

さすがに自室では暑いのでパソコンを一台止めました。しかしもう一台の「暖房パソコン」のせいで、部屋の気温は急上昇です。CPUの温度は60度弱と春先と同じなんですが、ケース内の温度がついに50度弱になってしまい、換気ファンが全開運転しております。おかげで、50度弱の空気が大量に吐き出され、体温より高い室温のなかで、WSMの翻訳をしております。

だいたい、週末に少しずつこなしているのですが、30分翻訳しては飽きてネットを巡回し、30分やってはまた駄文を書き、30分やっては子供と遊ぶという具合ですから、なかなか進みません。
でも、お盆前半ぐらいで終わらせて、その後は別件の翻訳に取り組みたいと思っているのです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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