心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年06月11日(水) カバー人口

まったく何曜日なのかさっぱりわからなくなります。というのも今日は、休日出勤の代休だったからです。
この前の日に余計な仕事を引き受けてしまったばっかりに、休まないほうが良かったのかもしれませんが、「忙しいから代休はキャンセル」を始めると、本当に休みがなくなってしまいます。それに、働きずめだと、この職業に必要な「最低限度の創造性」すらなくなってしまいます。
でも、仕事はなくならないので、自宅で作業しようとしたら、必要なプログラムが入っていませんでした。この前Windowsをインストールし直したときに、開発環境を一部入れ忘れていたようです。しかたないので、VC++.NETなど一式をインストールしている間に朝になってしまい、まったく進まないままに就寝。

新グループの広報のために、保健所をひとつ、保健所の支所をひとつ、それに精神病院をひとつ訪ねました。精神病院はもうひとつあるけれど、それはずっとメッセージを続けている病院ですから、今回改めては行きませんでした。名刺を渡し、『広報資料』とBOXを一部ずつ渡し、県内のミーティング会場の地図を渡し、ポスターを貼ってもらうようにお願いし、15分ぐらい話をして去ります。

保健所へのアルコール関係の相談件数は、本人<家族親戚<近所の人だそうです。近所の目のうるさいところが、さすが田舎ですね。いやほんとに地域の人間関係は濃いです。だから、飲んで起こしたトラブルは世間に周知されているわけで、それに重ねて「原因が精神病だった」などとなったら大変です。だから、家族も本人も「認める」ところまでなかなか行き着かないのが当たり前かな。

カバーエリア(なんか放送局みたいだね)人口30万人の市部で、グループがまがりなりにも立ち上がるまで「ざっと5年」。それも、それまでの涵養と、協力的な医師やワーカーさんの存在があってこそ。
今度は背景人口は数万人の郡部で、安定したグループに成長するまで、いったい何年かかるのでしょうか。それでも、好意的な総合病院の精神科のあることを感謝しないといけません。

まったく、「自分の回復に専念する」なんて言える立場の人が羨ましいです・・・しかし、このプログラムの核心は Work with others でありますから、ひょっとして僕は恵まれているのかもしれませんね。


2003年06月10日(火)

ひとりで残業しているのに・・・、食べ物が何もないなんて、なんて可愛そうな僕(自己憐憫にひたりまくり)。しかたないので、机の底から出てきたインスタントわかめスープでも飲むことにしましょう。それがふやけるまで、しばし雑記。

現在の日本の首相について、それほど意見を持たないのですが、母と話すと「風貌が父とよく似ている」という点で意見が一致します。顔の輪郭・跳ねた髪・高い鼻・深いまなくぼなどなど。それに、行動でもインテリぶろうとするところとか、捉えどころのないところというか。
「変人・軍人・凡人」の総裁選挙だったときには、さして気にもしませんでした(父も生きていたし(そういえばあの時は凡人が首相になったんだっけ))。でも、年を取った彼は、どうも父によく似ています。テレビに映っていると、まるでそこに父が生きているかのように思えて、少し気味が悪いです。
母は、「似すぎていて嫌」なので、テレビのニュースに出てくるとチャンネルを変えてしまうとか。

僕の今回のソブラエティが始まる半年ほど前に、父は他界してしまいました。盆・正月・祭り・彼岸の際に実家の神棚(神道なので仏壇はないの)に線香を上げるときには、「ともかく元気でやっている。子供達も大きくなった」と報告することにしています。そして目を上げて写真を見ると、どうもそこに写っているのが新聞で見慣れた人物のようで、どうも落ち着かないのでした。

僕は母似だと言われます。外見で父から受け継いだものは無いと思っていたのですが、年を取るにつれ、くぼんでくる眼や、こけてくる頬に遺伝を感じるようになりました。それでも、僕の顔に一国の首相の風貌を見て取る人はいないでしょう。


2003年06月08日(日)

病院メッセージ。僕の退院した病院を、実に半年振りに再訪しました。
というのも、この病院へのメッセージは月に1回。それを三つのグループ集団が輪番で担当しています。だから、自分の属するグループ群の番が回ってくるのは3ヶ月に一回。そして、前回は仕事の都合(だったかな)で行けなかったせいで、6ヶ月ぶりとなってしまったわけです。

僕は病院メッセージのあり方について、かなり真剣に悩んだ時期もありました。しかし最近では、単に「AAという存在を知ってもらうための広報活動の一環」として捉えているだけです。以前と違って、病気への認識とか、自助グループの必要性とかは、病院のスタッフの方がよく理解してくださっています。だから、そうした基礎的なことを微に入り細に穿って繰り返す必要はなくなりました。AAプログラムの紹介も、それほど熱を入れなくても大丈夫であると確信しています。「このプログラムには効果があります」それだけが伝わればいいのでしょう。
もっと回数を増やし、シリーズ性を持たせれば効果は違うのかもしれません。でも、じかの12ステップ活動をしたければ、ベッドサイドまで行く必要があるのでしょう。だから、広報活動と割り切って、他のこととバランスよくやるのが僕の考えです。

そういえば、「終わりに質問を受け付けます」と約束したのですが、あっさり終わりにして帰ってきてしまいました。まあ、みんな退屈そうな顔をしていたし・・・、と自分に言い訳。

苺のプランターからランナーが伸びています。DIYショップで鉢3個と丸土と栄養土を買ってきました。およそ千円でした。夕日の中で子供達と「簡単ガーデニング」。
鉢の底にキッチンで使う網を敷き、3分目ほど丸土を、残りは栄養土をのせ、あとは伸びた蔓の下に置くだけです。
「鉄製のベランダに土を持ち込むと錆の原因になる」と家主である義父はご機嫌斜めですが、子供達が喜んでいるので強くは言いません。それに、しっかりと根付いたら、親株から切り離して、地面に降ろすつもりです。苺は強い植物です。ただ、栄養が足りないと実が生りません。

そういえば、柊という筆名を使っていたという話をしましたが、当然苗字になります。下の名前も必要なときは「一伍」(いちご)というふざけた名前を使っていました。据わりの悪い名前でした。
アル中といわれても尊称だと思っていたあの頃。


2003年06月07日(土) ハンドルネームとニックネーム

休日出勤している部下が腐ってしまいそうなので、職場に顔を出して励ましているうちに、余計な仕事を背負い込んで帰れなくなってしまいました。でも、仕事にまったく集中できないので(だって仕事しようと思って行ったわけじゃないんだもん)「家でやる」と言ってごまかして抜け出しました。
確かにパソコンしか機材の要らない仕事は、家でもできるのですが、素直に帰るはずもなく、激安カット(といっても東京のように千円ではなく1,600円なんだな、おまけに消費税まで)によりました。いつもと同じように「このまま短くして。前は眉毛、横は耳にかからない程度、後ろは刈り上げないで」と言ったっきり、考え事の中に沈んでしまいます。
隣で小学生が8mmの丸刈りに挑んでいました。そういえば丸刈りは一度も試したことがないな。ついでにブリーチして、いとうせいこうのようなメガネをかけてみたらどうだろう・・・。同じ年だし。これを白昼夢といいます(たんなる妄想か)。

関係ない話題ですが、僕はネットでのハンドルネームをAAのニックネームにしてしまった人間です。もともとは別のハンドルネームを使っていたのですが、主婦の某というライターの筆名と同じ名前だったために、誤解されることがしばしばあって(ファンレターまでもらった)、やむなく暫定的に「ひいらぎ」というハンドルネームを使うことに下のです。そして新しいのを考えるのが面倒なまま日々は過ぎ、AAにつながったときも、面倒だったのでその名前を使ったのです。

AAのメンバーはニックネームと、ネット上でのハンドルネームを別にしている人も多いのです。その理由はなんとなく理解できるのですが、僕の場合は「そもそも自分はネット上では、ず〜っと10年以上<ひいらぎ>であり続けたのだ」という思いがあるものですから、<ひいらぎ>をそのまま使っています。

AAとネットで同じ名前を使っているものですから、「あれは売名行為だ」という意見もあるようですが、僕にはどうしてそうなるのか理解に苦しむのでした。


2003年06月06日(金) 久しぶりのミーティング?

自分のバースディミーティングから約2週間、ミーティングに出られずにいました。
予定でいくと、このまま日曜日の病院メッセージまで仲間の顔を見ない予定でしたが、やっぱりミーティングに出たくなって高速に乗りました。着いてみたら、すでに今度のオープンスピーカーズの実行委員会になっており、皆が準備作業を進めていました。ミーティングじゃなかった。

手持ちブタさんだったので仲間と雑談していました。

アフターは、公民館のロビーで仲間と「引きこもりについて無策でいいのか」と「100%の成功体験を目指しての引きこもり」「必ずしも成功するとは限らない労働の価値について」などについて雑談。


2003年06月05日(木) ジョーニンリジカイ

常任理事会選挙の季節がやってまいりました。
といっても、実はこの時期に選挙しているなんて全然知らなかったのです。
何で知らなかったのか?

今回の選挙の場合、東日本圏(北海道・東北・中部北陸の3地域)から1名、全体サービスは関東甲信越地域から2名選ばれます。偏ってるじゃないかって? そうです。ヒトもモノも偏っているのが現在の日本のAAの姿ですから。

AAには「偉い人」はいませんが、リーダーは必要です。常任理事というのは、このリーダー役を4年背負ってくれる人です。常任理事にはいくつかの資質が必要であるとされています。安定したソブラエティ(日本の場合は7年以上)、ビジネスあるいは専門的な経歴(このビジネスとはAAのビジネスではなく一般社会の商行為)、リーダーシップ(一般にその人が尊敬されているかどうか)、AAの機構に対する理解(そこそこの理解力)、そして必須なのはたぶん「その職務に割ける時間」(どんなに適任であっても、忙しくてAAに時間が割けないヤツはダメ)。
もちろん、この資質を全部備えた人がいるはずもありません。現実の常任理事会の姿を見ていると、最低限必要な資質は「<ぼんくら>と言われ続けても、めげずに続けていける根気」のように思えます。あと、ボランティア活動ですから、時間を割くのと同時に、それなりのお金を割けないといけないのでしょう。

で、被選挙権を持っているのは「全体サービス経験者」すなわち評議員経験者ということです。2回の年次評議会への出席実績と、任期を全うした人に限られます。そして、選挙権を持っているのは、評議会構成者30人(現評議員+現常任理事+2名)。だから、選挙が一般のAAグループやメンバーの知らないところで済んでいるのはやむを得ないのかもしれません。

でも「顔の見えない常任理事」とか言われるのは、理事会の活動内容うんぬん以前に、立候補も選挙も人々の知らないところで行われているからではないでしょうか。
東日本圏にしても全体サービスにしても、立候補資格者は二十数名しかいません。しかも、常任理事の仕事はハードです。だから、ほとんどいつも信任投票になるのも仕方ないのかもしれません。しかも、2名の推薦者を得れば立候補できるというのを、これ以上複雑にするのは現実的でないのかもしれません。

でもやっぱり、(集会か委員会で)その地域のグループが直接選んだ「候補者」を選挙に送り込めるような仕組みにすれば、「私たちが選んだリーダー」として「顔が見える」のではないかと思うのです。


2003年06月04日(水) 日記

口では強がっていても、ほら体は正直じゃないか、へっへっへ。
一昔前の何かではなくてですね、何が言いたいかというと、「寝坊しました」。

口では「大丈夫です」とか言っておきながら、体は思うようには動いてくれません。疲れが抜けていません。朝8時に起きたはずなのですが、起きたら11時でした。その間3時間に携帯電話に仕事の用件やらで電話が入っていたようですが、ぜんぜん起きてません。

コーヒーを飲んでも目がさめないみたいで、コンビニでお弁当を買っても、支払いだけ済ませて店をでてしまいました。そのまま車に乗り込もうとしたところへ、店員さんがレンジで暖まった弁当を届けてくれました。

ひとつ仕事が片付いていないうちに、もう次の仕事の受注にかからないといけません。営業を終わって帰ってくれば、もはや気力も体力もエンプティ。見積もりのための積算をやっているうちに、午後7時半。ミーティングに行くのはもはや体力的に諦めているので、そのまま電気屋さんで『ハリーポッターと賢者の石』を買って帰宅。エヴァンゲリオンの第5話をLDで、くだんの映画をDVDで鑑賞。
以前に1万円弱で買って、しまいこまれていたDVDプレーヤーが活躍してくれています。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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