心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年04月21日(月) 私が奇跡

また子供達はジジババ預かりという状態になってしまいました。

今日は定例の打ち合わせがあって、休みたくても休めない状態で、霧のように霞んだ頭で出社していきました。以前はうつの状態のときは、人と話すのが一番苦痛で、嫌でイヤでしかたなかったのですが、うつ状態でも無理やりミーティングに出続けたせいでしょうか、人と話をするのは苦痛には感じなくなってきました。ただ、多少なりとも創造性が必要な作業はまるで進みません。明日の午前中までに、書類を一部作らなくちゃいけないのですが、職場で作業するのは諦めて、医者が午後始まる時間で早退してしまいました。

食事がきちんと摂れていないという理由でミラドールを処方されました。
ああ、また薬が増えてしまった。十何ヶ月もかけて減らしてきたのに、増えるときはあっというまなのね。
先生は学会の人でもあるので、「新しいBigBookが出たので、書評をどこかに書いてもらえませんか?」と頼んでみたら、OKをいただきました。

帰ってから、新グループの登録をふたつのオフィスにFAXしました。夕方は気持ちの落ち込みが激しかったけれど、お風呂に入って、軽く食事したら持ち上がって来ました。それでも知的作業ができる状態でもないので、いったん寝て夜半に起きたところです。

「二流のAAメンバーなどいない」というビルの言葉が大好きです。AAの中は回復を争う場でもなければ、過去の酷さを競う場所でもない。「私が奇跡」の言葉どおり、ひとりひとりの一日が奇跡なのです。僕自身のこんな一日ですら、やはり奇跡なのでしょう。

とは言っても、何時になったら書類ができるやら。


2003年04月20日(日) 寝てました

妻が布団から出てきてくれません。またうつになったようです。
昨日、上の子が保育園で一緒だったお母さん達(なぜか保育園と小学校の通学区が違っていたり、入学を境に移動になった人も多い)とお花見に行って、だいぶ疲れたのでしょう。4月から始まった新生活に家族全員ストレスを感じているのは間違いありません。
しかたないので、子供たちにご飯を食べさせ、洗濯物を干して・・・ここまでで限界だったのでババに頼んで子供たちを預かってもらいました。家事は忘れた頃にやってくる災難。

あとはひたすら寝るだけ。よく眠ってしまったようで、仲間から携帯へ届いたメールで起きたら夜10時でした。

最近AA用のメールボックスが溢れていることが多いので、RAGI@を2MBから4MBに増やしました。


2003年04月19日(土) ようやく春が来ました

起きると10時半。次に起きると1時でした。
急に暖かくなって、花がいっせいに咲き始めました。桜は平野部では五分咲きぐらい。山の中は27日でも花見ができそうかな。花の区別がつくわけじゃありません。あれはこぶしかな、こっちは木蓮かな・・。
夜の町を歩いていても、どこからか漂ってくる匂いがあるんですが、匂いはますます判りません。

レーザープリンター君もそろそろ寿命のようです。今のトナーが終わったら、お役ごめんにしてあげましょう(年末ぐらいかな)。高い買い物と思われるかもしれませんが、コンビニで1枚10円でコピーを取るのを考えると、実のところどっちが安いのか判りません。最近の機種はちょっと高いのだと、両面印刷の機能があってなかなか素敵であります。なんてったって一番苦労するのが、調子の悪いプリンターで両面印刷することですから。それと、カートリッジ給紙方式以外のものは、トラブルが多いので買わないと決めました。

キャノン製が7万弱。でもブラザー製だと5万弱です。
ちなみに7万円なら、ブラザー製の複合機が買えます。プリンターのほかに、スキャナ・ファックス・コピーの機能も果たしてくれるんですが、残念ながら両面印刷はできません。カートリッジ給紙なら、両面印刷機能がなくても、再給紙でなんとかなるかなぁ。
でも、実際に一番手間がかかるのは、仕分けして書類束なり冊子に仕上げる工程なんですよ。業務用機にはもちろん、ソート&ステップラ機能があったりするんですが、何十万円とします。それだけその工程が大変だってことですね。でも、値段の差ほど機構が複雑化しているとも思えません。結局、モノの価格とは「どれだけ時間(手間)と金を節約してくれるか」という基準で決まるのかなぁ。


2003年04月18日(金) 地震・雷・火事・親父

昨日の晩のうちから「休む」と宣言して、確信犯的に休んでしまいました。
たぶん過労熱なんでしょうが、37度台の熱が出てくれたのも、好都合でした。
なるべく案件の無いときを選んで休んでいるのですが、結果として「あいつはヒマな時を選んで休んでいる」「無理すれば出て来られるはず」と話も出ているのかもしれませんが、自分の体が第一であります。

週末に東京に行く予定だったのですが、バスの予約もキャンセルしました。
休んだおかげで、被雷で故障した通信機器の入れ替えをすることができました。ただ設定に戸惑って3時間ほどかかってしまったのは恥ずかしい話ですけど。それだけやって、あとは寝ていただけです。

電話線をアパートの外壁に沿って10m近く配線しているものですから、被雷を受けやすいのです。壊れたのが電話機だと思って、3万円も出して買い換えてしまったのですが・・・まあ忘れることにしましょう。
雷サージ保護器をつけたほうが良さそうですが、滅多に来ない雷のために数千円出費するのが、なんだか悔しいです。

地震・雷・家事・親父、忘れた頃に降ってくる災難ですね。
もう親父の怒鳴り声も忘れてしまいました。まだ乗り越えられないあの背中。


2003年04月17日(木) ハイヤー・パワーのふるい

昨夜はほとんど眠れませんでした。

仲間を傷つけてしまった後悔と、神の役を演じた自分への自責の念が、僕を苛んでいたのです。
無理やり体を布団からひっぺがして、5分遅れで職場につきました。睡眠不足が原因の激しい頭痛がするものの、それを理由に頭痛薬を飲んだら、とたんに寝てしまうでしょう。そんな日に限って、来客もあり、電話も多いのです。
その応対をしているときだけは、空元気を出して努めて明るく振舞い、それ以外のときは、頭を抱えてうつむいているだけです。無理に演じるのは、一番悪いと判っているのですが、生きていくためには仕方が無い現実との妥協というもの(かもしれない)です。

病院メッセージだったのですが、単純に自分の心の荷物を降ろすだけのテーマにしてしまいました。
「怒りと自己憐憫」
良かれと思ってやったことが裏目に出る。神の役を演じたことに後悔を持つ。でもそれは、「神のように完璧で失敗の無い自分」になれない、現実の自分に対する怒りと、その反射の自己憐憫に過ぎないのです。自分よりあらゆる面で優れた存在であるハイヤー・パワーがあれば、その前にいる自分は、まったく不完全で、弱く、無力な存在です。
でも、その自分の不完全さに腹が立つのです。不完全であることがプライドを傷つけるのです。
そんな自分に、「いったいお前は自分を何様だと思っているんだ」と言ってやる事が大切でした。不完全であることが許せないことは、つまりは無力に成りきれていない証拠ではないかと。

ハイヤー・パワーはときどき僕を試しに来ます。
それでも、飲んでいた頃と本質的に何も変わっていない人間が、不思議と飲まないでいられるのです。
話せる場所があって、とても助かりました。
不完全な仲間に囲まれている、不完全な自分。自分を許さなければ、他の人を許すこともできはしないと思い知らされました。


2003年04月16日(水) 40才になったーらー、とーもだち百人できるかなー

なくしたキーボードですが、出てまいりました。
何回か、そのキーボードを使って高速バスの中でメールを打ったことがあったのですが、酔ってしまうので、今回は使わないつもりでした。だから、「かばんから出して座席のポケットには入れなかった」と強く信じていたのですが、あらゆる場所を探した挙句に、バス会社の運行部に電話したら、あっさり出てきてしまいました。

昔飲んでいた頃、とんかつ屋で昼飯を食いながらビールを飲み、雑誌を読むのを常としていました。米紙の東京特派員が日本語の雑誌に書いているコラムがあって(彼はいまでも日本にいるけど)、飲みながら読んだ記事には、彼が40歳になることが書かれていました。
彼が読んだ本『40才になったら読む本』には、「男が40になると良いことがひとつだけある。それはタキシードを着ても、ボーイと間違われなくなることだ」とあったそうです。
梅雨の頃には僕も40になるのですが、タキシードを着る心配はなさそうです。

3年ぶりにミーティング来られた人から、「変わったわねー」と言われました。
確かに丸かった頬がなくなり、頬骨からあごにかけてに凹みができるようになり、鼻が脂っこくなり、肌がざらざらするようになってきました。歳月は過酷に僕の体に年月を刻みつつあります。ソブラエティだけ長くなって、戸籍上の誕生日が来ない方法は無いものか?
などという仲間の話を笑っていたのですが、ついに僕もその思いにつかまってしまったわけです。

恵みがあるとすれば、若くて不安定なねーちゃんだけでなく、年齢に関係なく回復している女性も好ましく思えるようになったことでしょうか。「男という病気」が進行しただけかもしれませんが・・・


2003年04月15日(火) 疲れたから寝る

職場の窓から見たら、梅が満開でした。
花見の名所の桜も咲き始め、このぶんなら今度の週末あたりが花見の時期になりそうです。

この前買ったキーボードですが、さっそくどこかに無くしてしまいました。
おっちょこちょいは「アル中+女性」だけの特性ではなさそうです。

さて、そろそろ新潟に顔を出す準備をしないといけません。
長野と新潟は隣どうしだから近いだろうなどと思われるとしたら、それはとんだ誤解です。
僕の住んでいる長野県の真中へんから新潟まで280Km以上。東京からだと浜名湖あたりまで行く距離じゃないかな。新幹線も高崎で乗り継ぎの必要があります。高速バスとかがあればいいんだけど、交通網は東京を中心としたハブ状に形成されていて、地方と地方を結ぶ交通は、なかなかに貧弱なのです。

だから行かないかっていうと、まあ行くでしょう。「回復を求めてどこまでも行きなさい」という提案を今こそ大事にするときなのでしょう。
しかし資金繰りが厳しくなってきました(会社の話じゃないよ)。
見栄はって献金しすぎたってのもあるかもしれない。虚栄の行動は決して幸せに結びつかないのですね。(ちなみに先日にキーボードは家計から出費してもらいました)。
でも余分な金を持っていると、どうも無駄遣いしちゃうんですよ。置く場所も使う時間も無くて箱のまま置かれているDVDプレーヤーやら通信機器らが恨めしげに背後から睨んでいる気が・・・。

しかし恵みの多い役割であります。賛成してくれる人も反対してくれる人もいて楽しい。
無関心な人がいるのはやむを得ないと知りました。直接的な活動が得意な人もいれば、間接サービスに向いている人もいるのです。ただ、後者であるにもかかわらず、関心を持てない人々に対しては、私たちの告知と啓発が足りないのでしょう(反省点)。

支持はしてくれないが、理解はしてくれる人がいます。こぼれる愚痴を聞いてくれる人がいます。
だから続けていける。自分の信念だけで続けられるほど、回復も成長もしていません。
自分にとって大切な人たちであります。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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