ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年04月18日(金) 地震・雷・火事・親父 昨日の晩のうちから「休む」と宣言して、確信犯的に休んでしまいました。
たぶん過労熱なんでしょうが、37度台の熱が出てくれたのも、好都合でした。
なるべく案件の無いときを選んで休んでいるのですが、結果として「あいつはヒマな時を選んで休んでいる」「無理すれば出て来られるはず」と話も出ているのかもしれませんが、自分の体が第一であります。
週末に東京に行く予定だったのですが、バスの予約もキャンセルしました。
休んだおかげで、被雷で故障した通信機器の入れ替えをすることができました。ただ設定に戸惑って3時間ほどかかってしまったのは恥ずかしい話ですけど。それだけやって、あとは寝ていただけです。
電話線をアパートの外壁に沿って10m近く配線しているものですから、被雷を受けやすいのです。壊れたのが電話機だと思って、3万円も出して買い換えてしまったのですが・・・まあ忘れることにしましょう。
雷サージ保護器をつけたほうが良さそうですが、滅多に来ない雷のために数千円出費するのが、なんだか悔しいです。
地震・雷・家事・親父、忘れた頃に降ってくる災難ですね。
もう親父の怒鳴り声も忘れてしまいました。まだ乗り越えられないあの背中。
2003年04月17日(木) ハイヤー・パワーのふるい 昨夜はほとんど眠れませんでした。
仲間を傷つけてしまった後悔と、神の役を演じた自分への自責の念が、僕を苛んでいたのです。
無理やり体を布団からひっぺがして、5分遅れで職場につきました。睡眠不足が原因の激しい頭痛がするものの、それを理由に頭痛薬を飲んだら、とたんに寝てしまうでしょう。そんな日に限って、来客もあり、電話も多いのです。
その応対をしているときだけは、空元気を出して努めて明るく振舞い、それ以外のときは、頭を抱えてうつむいているだけです。無理に演じるのは、一番悪いと判っているのですが、生きていくためには仕方が無い現実との妥協というもの(かもしれない)です。
病院メッセージだったのですが、単純に自分の心の荷物を降ろすだけのテーマにしてしまいました。
「怒りと自己憐憫」
良かれと思ってやったことが裏目に出る。神の役を演じたことに後悔を持つ。でもそれは、「神のように完璧で失敗の無い自分」になれない、現実の自分に対する怒りと、その反射の自己憐憫に過ぎないのです。自分よりあらゆる面で優れた存在であるハイヤー・パワーがあれば、その前にいる自分は、まったく不完全で、弱く、無力な存在です。
でも、その自分の不完全さに腹が立つのです。不完全であることがプライドを傷つけるのです。
そんな自分に、「いったいお前は自分を何様だと思っているんだ」と言ってやる事が大切でした。不完全であることが許せないことは、つまりは無力に成りきれていない証拠ではないかと。
ハイヤー・パワーはときどき僕を試しに来ます。
それでも、飲んでいた頃と本質的に何も変わっていない人間が、不思議と飲まないでいられるのです。
話せる場所があって、とても助かりました。
不完全な仲間に囲まれている、不完全な自分。自分を許さなければ、他の人を許すこともできはしないと思い知らされました。
2003年04月16日(水) 40才になったーらー、とーもだち百人できるかなー なくしたキーボードですが、出てまいりました。
何回か、そのキーボードを使って高速バスの中でメールを打ったことがあったのですが、酔ってしまうので、今回は使わないつもりでした。だから、「かばんから出して座席のポケットには入れなかった」と強く信じていたのですが、あらゆる場所を探した挙句に、バス会社の運行部に電話したら、あっさり出てきてしまいました。
昔飲んでいた頃、とんかつ屋で昼飯を食いながらビールを飲み、雑誌を読むのを常としていました。米紙の東京特派員が日本語の雑誌に書いているコラムがあって(彼はいまでも日本にいるけど)、飲みながら読んだ記事には、彼が40歳になることが書かれていました。
彼が読んだ本『40才になったら読む本』には、「男が40になると良いことがひとつだけある。それはタキシードを着ても、ボーイと間違われなくなることだ」とあったそうです。
梅雨の頃には僕も40になるのですが、タキシードを着る心配はなさそうです。
3年ぶりにミーティング来られた人から、「変わったわねー」と言われました。
確かに丸かった頬がなくなり、頬骨からあごにかけてに凹みができるようになり、鼻が脂っこくなり、肌がざらざらするようになってきました。歳月は過酷に僕の体に年月を刻みつつあります。ソブラエティだけ長くなって、戸籍上の誕生日が来ない方法は無いものか?
などという仲間の話を笑っていたのですが、ついに僕もその思いにつかまってしまったわけです。
恵みがあるとすれば、若くて不安定なねーちゃんだけでなく、年齢に関係なく回復している女性も好ましく思えるようになったことでしょうか。「男という病気」が進行しただけかもしれませんが・・・
2003年04月15日(火) 疲れたから寝る 職場の窓から見たら、梅が満開でした。
花見の名所の桜も咲き始め、このぶんなら今度の週末あたりが花見の時期になりそうです。
この前買ったキーボードですが、さっそくどこかに無くしてしまいました。
おっちょこちょいは「アル中+女性」だけの特性ではなさそうです。
さて、そろそろ新潟に顔を出す準備をしないといけません。
長野と新潟は隣どうしだから近いだろうなどと思われるとしたら、それはとんだ誤解です。
僕の住んでいる長野県の真中へんから新潟まで280Km以上。東京からだと浜名湖あたりまで行く距離じゃないかな。新幹線も高崎で乗り継ぎの必要があります。高速バスとかがあればいいんだけど、交通網は東京を中心としたハブ状に形成されていて、地方と地方を結ぶ交通は、なかなかに貧弱なのです。
だから行かないかっていうと、まあ行くでしょう。「回復を求めてどこまでも行きなさい」という提案を今こそ大事にするときなのでしょう。
しかし資金繰りが厳しくなってきました(会社の話じゃないよ)。
見栄はって献金しすぎたってのもあるかもしれない。虚栄の行動は決して幸せに結びつかないのですね。(ちなみに先日にキーボードは家計から出費してもらいました)。
でも余分な金を持っていると、どうも無駄遣いしちゃうんですよ。置く場所も使う時間も無くて箱のまま置かれているDVDプレーヤーやら通信機器らが恨めしげに背後から睨んでいる気が・・・。
しかし恵みの多い役割であります。賛成してくれる人も反対してくれる人もいて楽しい。
無関心な人がいるのはやむを得ないと知りました。直接的な活動が得意な人もいれば、間接サービスに向いている人もいるのです。ただ、後者であるにもかかわらず、関心を持てない人々に対しては、私たちの告知と啓発が足りないのでしょう(反省点)。
支持はしてくれないが、理解はしてくれる人がいます。こぼれる愚痴を聞いてくれる人がいます。
だから続けていける。自分の信念だけで続けられるほど、回復も成長もしていません。
自分にとって大切な人たちであります。
2003年04月14日(月) づーずー問題 県外で、安曇という漢字を読める人がどれだけいるのでしょうか。
もともとは九州北部に王朝を築いた「阿曇族」が、大和王朝の侵略に破れ、彼らの海運の先のひとつであり、大和王朝の影響が及んでいなかった新潟に移り住み、さらにそこも安全でなくなった時に、糸魚川経由でこの盆地に移り住んだという伝説?史実?が名前の由来とされています。
いつから安曇という字に変わったか知りませんが、おおむねそれは「あづみ」と呼ばれていたようです。おそらくは戦後の国語改革の際に「づ」を「ず」に統一するという試みがなされ「あずみ」が正式名称として採用されたようですが、今も変わらずに「あづみ」という表記がなされます。ローマ字表記のaduminoよりもazuminoを英語話者が話した場合に、zuのが自然に近いというのもあるかもしれません。ちなみに広辞苑は「あずみ」です。
しかし、この「づ」か「ず」かは個人の好みも含めて、しばしば(虚しい)議論の対象となってきたことがあります。
で、県外の人に読めないグループ名というのもどうかと思いまして、ひらがなで記述することにしさらに「野」をつけるつもりだったのですが、づ・ず問題で悩んでいたのです。
結局「ず」で始めて、あとはメンバーが集まったら話し合っていこうと思います。
さて、新宿の高速バス乗り場で、カレシに別れを告げている女の子がいました。
赤のタータンチェックのスカートに、白のセーター(かトレーナー?)、黒のジャケット、ボブカットの髪。「可愛くていいなぁ」と思った後で・・・、なんか服と髪しか覚えていないことに気が付きました。結局中身じゃなくて、パッケージに目が行っているだけなのね。
中身を求めるのは愛であって(その愛はエロスかもしれないけど)、パッケージに心を奪われるのは実は理想のアニマを求めているだけなのかもしれません。
「男という病気」シリーズは、まだ続く(かも)。
2003年04月13日(日) 週末を東京で過ごす(その二) すごいオーディオセットの部屋にお邪魔してしまいました。
いやー、やっぱり音が良いと心が洗われるようです。
僕はもうオーディオセットは持っていなくて、音楽はパソコンで再生しています。
ドライブとサウンドカードにはわりとお金がかかっているので、スピーカーとアンプを買いたい気持ちはあるのですが・・・、結局3DKで子供と同居という住宅環境では、でかい音が出せるわけもなく、小さな音で「鳴る」スピーカーなど存在しません。
ヘッドフォンアンプ+ヘッドフォンの組み合わせという案もありますが、外部の音が聞こえないのは不安要素でもあります。
さて、八王子に移動して交流会。参加人数は少なかったけれど、そのぶん密度が高くなるという利点もありますね。でも二日連続は疲れたので、新宿までの移動の最中にBBを読みました。苦しくつらい時こそ回復のチャンスであって、楽しい日々の中でも成長できるほど優れた人間は滅多にいるものではないのでしょう。
滅多にいないという言葉で思い出したのですが・・・
「どんな女性が好みですか?」という質問に対しては、「確かに嫌いなタイプはあるけれど、特に<これじゃなきゃイヤだ>というタイプがあるわけじゃありません」としか答えられません。
でももし(そんな可能性はないが)「自由に選んでいいよ」という状況を与えられたなら、
「背の低い」女性を選びたいです。ところが身長という遺伝形質は、メンデルの法則に従って分布すること+日本の栄養状態が良くなったこともあって、150cm以下の女性は希少な存在になってしまったわけです。
なんで松野明美とか田村亮子とか好きなんですか?と言われても、だって他にいないじゃない。安達裕美だって育ちすぎてしまったし(153cm)。
ミニモニやPなんとかは? あれは成長期の少女から恣意的に選んでいるだけだから論外。
希少だから好きなんでしょう? と言われれば、否定できなかったりして。
まったく「男という病気」は治らないものであります。
もちろん、現実には自分でもよく理解できない基準でもって、誰かを選択して好きになるので所詮自分自身が不思議だったりするのです(変な日本語だ)。
2003年04月12日(土) 週末を東京で過ごす(その一) さすがに30分でお出かけの準備をするには無理がありまして、高速バス乗り場まで走っていく羽目になりました。
今回は幸運にも隣席は女性でありました。
いや、別に女性ならOKで、男はヤダと言うわけじゃありません。高速バスでは寝ている人が多いのであり、寝ていると知らずのうちに境界を越えて隣の席に侵入してしまう場合があるわけです。やむを得ないことなので、お互いそのことに配慮があればいいわけです。男同士の場合でも、紳士的にできれば問題ないのですが、時折大柄な人(太っているとも言う)と隣り合わせる場合があり、その場合にはなぜか「どうしてお前とオレが同じ料金なんだ」と言いたくなる状況になることが多いのです。
女性との組み合わせになった場合には、体格がどうあれ心配はありません。
別に、若くて可愛い女の子が居眠りしてしだれかかってくることを期待してるわけじゃ、断じてありませんぞ! まあもし万が一、そうなっても拒みはしませんが。
後ろの席のオバサンがうるさかったけれど、多分その人は日ごろから大きな声で話しているのでしょう。職場の愚痴を聞きながら、いつの間にか寝入ってしまいました。
一日代議員オリエンテーション。関東甲信越では初の企画でした。
帰りに、とあるビッグブックグループのメンバーと電車の中で短い分かち合いを持てました。確かに、今の日本のAAのステップ4・5は、単なる「通過儀礼」に成り果てているのでしょう。
個人的に「ステップ8の前で立ち止まっているのだ」という悩みを相談したところ、
「もうすでにステップ4で作った表を手にしているじゃないですか」と指摘されました。
僕のステップ4・5は述べ伝えられてきた旧来の手法に従ったものなので、BBの精神からは外れるかもしれないけれど、ステップは繰り返しやるものだから、今回は手元の表を吟味することにしましょう。「じゃ、まあ8やるか」という気分にはなってしまいました。
(ヒマになったらという条件をつけるところがダメなんだけど)。
メトロカードの残高がなくなったので、買おうとしたらもうTカードと言う名前に変わっていました。バスでも使えると聞いたので、三鷹のバスに乗ったときに「使えます?」と尋ねてみたけれど、「ダメ」だそうです。東京の交通機関はよくわからないです。
仲間の家に投宿。
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