心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年04月14日(月) づーずー問題

県外で、安曇という漢字を読める人がどれだけいるのでしょうか。
もともとは九州北部に王朝を築いた「阿曇族」が、大和王朝の侵略に破れ、彼らの海運の先のひとつであり、大和王朝の影響が及んでいなかった新潟に移り住み、さらにそこも安全でなくなった時に、糸魚川経由でこの盆地に移り住んだという伝説?史実?が名前の由来とされています。

いつから安曇という字に変わったか知りませんが、おおむねそれは「あづみ」と呼ばれていたようです。おそらくは戦後の国語改革の際に「づ」を「ず」に統一するという試みがなされ「あずみ」が正式名称として採用されたようですが、今も変わらずに「あづみ」という表記がなされます。ローマ字表記のaduminoよりもazuminoを英語話者が話した場合に、zuのが自然に近いというのもあるかもしれません。ちなみに広辞苑は「あずみ」です。

しかし、この「づ」か「ず」かは個人の好みも含めて、しばしば(虚しい)議論の対象となってきたことがあります。

で、県外の人に読めないグループ名というのもどうかと思いまして、ひらがなで記述することにしさらに「野」をつけるつもりだったのですが、づ・ず問題で悩んでいたのです。
結局「ず」で始めて、あとはメンバーが集まったら話し合っていこうと思います。

さて、新宿の高速バス乗り場で、カレシに別れを告げている女の子がいました。
赤のタータンチェックのスカートに、白のセーター(かトレーナー?)、黒のジャケット、ボブカットの髪。「可愛くていいなぁ」と思った後で・・・、なんか服と髪しか覚えていないことに気が付きました。結局中身じゃなくて、パッケージに目が行っているだけなのね。
中身を求めるのは愛であって(その愛はエロスかもしれないけど)、パッケージに心を奪われるのは実は理想のアニマを求めているだけなのかもしれません。
「男という病気」シリーズは、まだ続く(かも)。


2003年04月13日(日) 週末を東京で過ごす(その二)

すごいオーディオセットの部屋にお邪魔してしまいました。
いやー、やっぱり音が良いと心が洗われるようです。

僕はもうオーディオセットは持っていなくて、音楽はパソコンで再生しています。
ドライブとサウンドカードにはわりとお金がかかっているので、スピーカーとアンプを買いたい気持ちはあるのですが・・・、結局3DKで子供と同居という住宅環境では、でかい音が出せるわけもなく、小さな音で「鳴る」スピーカーなど存在しません。
ヘッドフォンアンプ+ヘッドフォンの組み合わせという案もありますが、外部の音が聞こえないのは不安要素でもあります。

さて、八王子に移動して交流会。参加人数は少なかったけれど、そのぶん密度が高くなるという利点もありますね。でも二日連続は疲れたので、新宿までの移動の最中にBBを読みました。苦しくつらい時こそ回復のチャンスであって、楽しい日々の中でも成長できるほど優れた人間は滅多にいるものではないのでしょう。

滅多にいないという言葉で思い出したのですが・・・
「どんな女性が好みですか?」という質問に対しては、「確かに嫌いなタイプはあるけれど、特に<これじゃなきゃイヤだ>というタイプがあるわけじゃありません」としか答えられません。
でももし(そんな可能性はないが)「自由に選んでいいよ」という状況を与えられたなら、
「背の低い」女性を選びたいです。ところが身長という遺伝形質は、メンデルの法則に従って分布すること+日本の栄養状態が良くなったこともあって、150cm以下の女性は希少な存在になってしまったわけです。
なんで松野明美とか田村亮子とか好きなんですか?と言われても、だって他にいないじゃない。安達裕美だって育ちすぎてしまったし(153cm)。
ミニモニやPなんとかは? あれは成長期の少女から恣意的に選んでいるだけだから論外。

希少だから好きなんでしょう? と言われれば、否定できなかったりして。
まったく「男という病気」は治らないものであります。

もちろん、現実には自分でもよく理解できない基準でもって、誰かを選択して好きになるので所詮自分自身が不思議だったりするのです(変な日本語だ)。


2003年04月12日(土) 週末を東京で過ごす(その一)

さすがに30分でお出かけの準備をするには無理がありまして、高速バス乗り場まで走っていく羽目になりました。
今回は幸運にも隣席は女性でありました。
いや、別に女性ならOKで、男はヤダと言うわけじゃありません。高速バスでは寝ている人が多いのであり、寝ていると知らずのうちに境界を越えて隣の席に侵入してしまう場合があるわけです。やむを得ないことなので、お互いそのことに配慮があればいいわけです。男同士の場合でも、紳士的にできれば問題ないのですが、時折大柄な人(太っているとも言う)と隣り合わせる場合があり、その場合にはなぜか「どうしてお前とオレが同じ料金なんだ」と言いたくなる状況になることが多いのです。
女性との組み合わせになった場合には、体格がどうあれ心配はありません。
別に、若くて可愛い女の子が居眠りしてしだれかかってくることを期待してるわけじゃ、断じてありませんぞ! まあもし万が一、そうなっても拒みはしませんが。
後ろの席のオバサンがうるさかったけれど、多分その人は日ごろから大きな声で話しているのでしょう。職場の愚痴を聞きながら、いつの間にか寝入ってしまいました。

一日代議員オリエンテーション。関東甲信越では初の企画でした。

帰りに、とあるビッグブックグループのメンバーと電車の中で短い分かち合いを持てました。確かに、今の日本のAAのステップ4・5は、単なる「通過儀礼」に成り果てているのでしょう。
個人的に「ステップ8の前で立ち止まっているのだ」という悩みを相談したところ、
「もうすでにステップ4で作った表を手にしているじゃないですか」と指摘されました。
僕のステップ4・5は述べ伝えられてきた旧来の手法に従ったものなので、BBの精神からは外れるかもしれないけれど、ステップは繰り返しやるものだから、今回は手元の表を吟味することにしましょう。「じゃ、まあ8やるか」という気分にはなってしまいました。
(ヒマになったらという条件をつけるところがダメなんだけど)。

メトロカードの残高がなくなったので、買おうとしたらもうTカードと言う名前に変わっていました。バスでも使えると聞いたので、三鷹のバスに乗ったときに「使えます?」と尋ねてみたけれど、「ダメ」だそうです。東京の交通機関はよくわからないです。

仲間の家に投宿。


2003年04月11日(金) 梅は咲いたか桜はまだかいな

仕事が慣れない領域に入っているので、それによるストレスも激しいのかもしれません。
適切な利益水準を確保することが大切なのですが、全国レベルになると、利益なしでも仕事量の確保のために値を下げてくるコンペチターがいるので厄介です。
一方ローカルな市場だと、利益を確保できる値段だと、お客さんにとっては高すぎて、投資そのものを取りやめてしまうケースもあります。技術屋にとって、金の話に巻き込まれるのは大変な心労なのですが、お鉢が回ってきたものはしかたがありません。
技術一本で食べていかれれば良いのですが、そうも言っていられなくなってしまいました。

携帯電話用のキーボードを買ってしまいました。これです
ポケベル世代ではないけれど、ケータイでのメールはPメールの頃からやっているので、親指で打つのもそれほど苦痛じゃありませんが、漢字対応になってから急にうっとうしく感じられるようになりました。乗り物の中だと酔ってしまうし・・・。
16mmピッチの慣れたキーボードなら、メールを打つのが楽しくなりました。
でも、人前でこれを広げるのは、10年前のノートPCのごとくジロジロ見られて恥ずかしいです。

東京では桜が散りつつあると言うし、山梨では咲いていたけれど、こちらはまだです。
実家ではやっと梅が咲いていました。このぶんだと花見は20日か、気候によっては27日になるのかな。ちいさい頃は山桜しか見たことがなかったから、初めてソメイヨシノを見たときには「葉っぱの無い異様な


2003年04月10日(木) なんとか離陸しました

なんとか新しいグループがスタートしました。
といってもオフィスへの登録もまだなんですよ。グループ名も決まっていないし。
うつ状態の低空飛行が続いているので、論理ベースであろうが、感情ベースであろうが、意思決定がなかなかできないのです。なので、仕事でもだいぶ困っているところです。

いつもは50分で着く道程ですが、20分ほど余計にかかりました。
まあ、この時期は初心者マークが道に溢れる時期ですから、我慢しないといけません。でも、イライラします。お腹も空いているのに、何かを食べる時間さえ奪われるので、余計イライラします。ひとり車の中で呪いの言葉を吐いているあたりは、さすがアル中であります。

開場のお祝いに、長野県の北から一人、東から一人、南から一人、いらっしゃいました。
遠路はるばるありがとう。それから、病院から車に乗り合わせて3人いらっしゃいました。
それと関係者の方がお一人。おかげでミーティングらしくなりましたが、次回からはどうなること
やら・・・。ともかく、この会場にハイヤーパワーが存在して欲しいものです。

日本のAAが長くメンバーを惹きつけられないのは「霊的な目覚め」を提供できていないからではないかという説があって、最近僕もその説を信奉しつつあります。
そんなもん簡単に提供できるもんか! と思いもしたのですが、実はそう難しい話でもないようなのです。基本に返るという運動が、極めて日本的なAAを築き上げてきた人たちにとって、必ずしも歓迎されてはいないという点も、日本のAAらしい現象だと思います。

といっても、自分の場合には目覚めは極めて限定的なものに過ぎないので、それについて語るのはまだ若い(回復が足りない)もどかしさがあります。
早く目覚められた人には、「おめでとう」と素直に言ってあげるべきなんでしょうけど・・・
嫉妬は霊的に病んだ人間にとって、ごく当たり前の感情ですから(と自己憐憫に浸る)。


2003年04月09日(水) 去るもの、残るもの

AAから去っていきたい人々を引き止めるのは、あまり賢明なやり方ではないのだと聞きます。彼らは、AAのある生き方と、AAのない生き方の両方を試してみたいわけで、それを阻止する権利は誰にもないわけです。

始めは素晴らしいものに見えたこの集まりが、いつからか「付き合いきれない連中」に感じられるようになる体験は、僕にもたくさんあります。そのたびに、僕は選択を突きつけられてきたわけです。そのたびにAAを続けることを選んできたのは、たぶん僕が仕事と家族のほかには、たいした人間関係を持っていないからでしょうね。
親戚と数えるほどの友人達を除けば、さしたる付き合いもありません。
いろいろと忙しくてAAに来れない、と言う人は人生がそれだけ壊れていないわけで、それはそれで羨ましいですが、僕は今さらそうはなれないのです。

かといって、仕事に注力しすぎるのも、(僕には)悪い結果しか生みません。
なんだかんだ言っても、AAほどエネルギーを注ぎこめる対象を他に見つけることができないし、またAAほどエネルギーを与えてもらえるところも見つけられてません。AAから離れたら淋しかろうと思うから離れられないだけなのかも。

いさかいあい、傷つけあいながらも、そこに生きていく実感を得ます。
不完全な自分は、時にはウツになって布団にもぐりこんでいることもあります。「よい加減」を知らない僕は、極端から極端に走りがちです。でも、器用に生きていけない自分が、やっと見つけた方法なのです。
新品のコップを洗い終わりまして、明日から新しいグループです。


2003年04月07日(月) 断酒と言う結果

AAメンバーの皆さん。あなたは、自分のソブラエティ(飲まないで生きること)が、AAプログラムのおかげだ、と自信を持って言うことができるでしょうか?
ちょっと表現を変えてみましょうか。

「自分がプログラムに十分に取り組んでいるから、ソブラエティが与えられている」

はたしてそうなのか、自分はいつも自信がないのであります。
初めて会ったアルコホーリクは、入院回数が数えられないほどすごいご仁でございました。
病院から出れば必ず飲むという人です。若い頃から酒にまつわる話には、ことかかないようでありました。
ところが、30代の頃、特に何もなしに「2年間酒を止めていた時期があった」そうなのであります。酒を止めようとは思ったけれど、特に断酒会に通うとか努力はしなかったそうです。
悲壮な決意があったわけでもなく、我慢に我慢を重ねたわけでもなく、2年間を過ごしてまた飲み始めたら、元に戻り、もう二度と酒を止めることができなかった・・と話は続きます。
この「なんとなく2年酒を止められてしまった」というのが、僕の恐怖の対象です。
自分がAAプログラムに取り組んでいるおかげで、お酒が止まっている・・・のじゃなくてそれと「たまたま酒が止まっている」が重なっている可能性があるではないですか。
僕のソブラエティは単なる偶然、いつ飲みだしてもおかしくないかもしれない。

ところがその考え方には誤りがあると言われました。
プログラムに対する「自分の努力」=「断酒と言う結果」であるという考えが間違いで、あなたが取り組めば、神は常に「今日一日のソブラエティ」という結果を与えてくれるのだそうです。自分の努力がソーバーを支えている(かもしれない)と考えるのは、傲慢であろうと。
ああまったくこの病気は、高慢と自己憐憫の往復であります。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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