心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年02月06日(木) 三番目の遺産

今日も封筒が届いていました。 残念なことにゆっくり目を通している時間がありません。土曜に東京に移動しながら読むことになりそうです。実は今日・明日と、会社の仕事がヒマになりそうな気配があったので、会社でこっそり資料を作ろうともくろんでいたのですが、昨日休んでいた午後に発生したトラブルの対策に費やされてしまうことが確定しました(それでイライラしていたのさ)。

新グループの会場である村の公民館は、無事貸してもらえることが決まりました。おまけに公民館長さんが元は福祉課の人で、保健所とか保健婦さんから断酒会などの話をきいていたので、非営利・公共性ということで、タダで貸してもらえることになりました。
「断酒会ってのは、いくつもあるんだね」
まあ、まったく無料というのは良くないとされているので、村の福祉施設にでも年に一回少し募金することにしようかと思います。(新グループのメンバーはとりあえず僕一人だから、何でも自分で決められちゃいます。何かと自分の思い通りにしたいアル中としては好都合かも)。
これで「影響を受けるグループ」への相談がすめば、晴れて新グループ誕生への道が開けるというわけです。

JSOのスタッフは過重な労働に耐え、常任理事たちは身を粉にして働いています。でも、ふつうのAAメンバーが彼らのことを知ることはあまりありません。でも、公民館長さんがなぜAAのことを知っていたのかと言えば、こうした全体サービスの成果であるのは間違いありません。 みんな、自分の回復や12ステップ活動には熱心でも、自分のところまでどうやってメッセージが届いたかには関心があまりないのです。
サービスに関わっている連中は自分の時間を削っています。 だからこそ、自分の「こうしたい」というエゴとエゴがぶつかり合って、きわめて人間的な感情が沸き起こります。でも、その中に愛と信頼という、もっとも深くもっとも永続的な回復への原動力が働くと僕は信じているのです。


2003年02月05日(水) お疲れ

書類と付き合う毎晩です。
朝起きて考えました。 「これは休んだほうがいいかもしれない」90の道具に「疲れ過ぎないように」なんていう項目を書いておきながら、自分自身は疲れ果てていたりします。 でも、打ち合わせだけは済ませないといけませんし、金の話もしないといけません。金の話で言えば「正直が一番」というのが経験です。 赤字で続ければ自分たちがもたないけれど、必要以上の利潤を追求すると、払いすぎたほうには納得できない恨みの感情が残ります。長く商売を続けていくためには、適正な利潤が最適です。
そのためには、ぶっちゃけた話をするのが一番なんですが、そういう話はメールやFAXなどの文字に残るのは避けたいという心理があるので、休むのは避けたいところです。喉がガラガラいって、風邪の引き始めのような感じです。体が疲れると、思考もマトモに動いてくれませんし、うつも悪化します。

午前中に会議と電話打ち合わせだけ済ませ、午後は休みにして昼休みに帰ってきてしまいました。やらねばならない事もあるけれど、まずは自分が「そこそこの状態」でないと、何も前に進みません。少年サンデーとビッグコミックオリジナルを布団の中で読み、午後の暖かい日差しの中で眠りました。目覚めてみると夜の10時で、風呂を入れながらパソコンに向かっていると、1時間たっても風呂がいっぱいになりません。 栓が抜けてました。体温計がないので熱が測れません。 まあ38度あっても風呂に入る人なので関係ないけど。



2003年02月04日(火) 行き帰り

一月にミーティングの回数が少なかったぶん、二月は多めになっています。
週に4回で「多い」なんて言ったら、笑っちゃうメンバーもいらっしゃるかもしれませんが、ともかく今の僕はそんなものです。行きは間に合いそうになかったので、高速道路を使いました。 普段は使っても峠部分だけにしてるんですが、今回はend-to-endで使っちゃいました。帰りは国道です。
ハンドルを握って、前の車のテールランプを追いかけながら、意識は運転操作から離れていきます。(たぶん小脳でドライブしているんだよ)。
男にとって、一人で思索する時間は大切です。 ただ、内容に意味があるかは別です。意見の論理の組み立て、集めるべき補強情報・・・。
AAのビジネスのこと、仕事のこと、金銭の問題などなど。時にはAAの女性メンバーとの関係を妄想してみたり。過去のことを振り返ってみたり。今日の感情の揺れを穏やかにし、明日のストレスに備えて準備をし、願望は妄想として昇華されます。
ミーティングも大切だけど、その行き帰りも僕にとっては大切な時間です。仲間といっしょに行動するのも楽しいけど、一人で行きたがるのもそうした事情です。



2003年02月03日(月) よくわからない

異常な飲酒をするようになってから、もう20年は経ちます。その数年後には、世間様の誰が見てもアル中になっていました。11年前に初めて精神病院に入り、8年前に初めてAAのミーティングに出ています。(年数については若干誤差があるかもしれないですけど)。それからいったんAAから離れて、また戻ってきたわけです。
飲まないアルコホリックに出会った人数も、100人を超えるでしょう。(イベントで見ただけという人数ならもっと多いでしょうけど)。一方、一緒に入院したり、病院メッセージで話をきいた人の数も、かなり多いわけです。千人はいっていないと思うけど、百人の桁のストーリーを聞いてきました。
それで、アルコホリズム(依存症)に関して「何かわかったのか」ときかれると、何も分かっていない自分がいます。「たいていは〜である」という考えを抱いても、必ずいつかはその仮説を逸脱する患者さんに出会ってしまいます。

結局のところ、僕に分かっているのは、自分自身の過去の経験と、「どう感じたか」という言葉ではなく肌で感じる部分での「何か」しかないのです。たしかに人の苦しみについては(少しは)よく分かるようになったです。でも、それでカウンセラーやセラピストになれるわけじゃありません。結局アマチュアであり、ひとりの普通のAAメンバーに過ぎないのです。


2003年02月02日(日) そういう家庭生活

AAに来てもらったサジェッション(提案)の中に、

「守れない約束はするな」

というのがありました。 当座を切り抜けるためだけに、苦しい約束をするのは事態の先延ばしにしかならないぞ! という意味なのでしょうが、いまだにこの悪い癖は抜けません。

土曜日にも、午後になって上の娘が遊びにきました。ひとりでご飯を食べている僕の食卓を見て、
「あまりいいものは食べてないのね」
と言いました。 ジジババもあまり子供に贅沢させるタチではないのでしょう、食卓は質素なものなんでしょうね。 僕のほうは、妻が料理ができる体勢ではないので、ミーティングが終わったあとのスーパーで売れ残り半額の惣菜などを買ってきているので、さしたる美味なものはありません。贅沢といえばこの冬にレタスを食べていることと、その半分をモルモットに与えてしまうことでしょうか。
とうぜん離れて暮らしている娘は、遊んでほしそうだったのですが、細かな作業が多くて忙しかったので、「明日もパパはお休みだから、公園に行こう」という、「その場しのぎ」の約束をしたのでした。 で、昨日の晩は地区委員会などがあって、ひさしぶりに夜更かしを楽しみ、日曜の午前中はゆっくり寝坊をしていました。

昼過ぎに内線でたたき起こされ、公園へ出かけました。 ビルの谷間に作られた公園(むかしト○コ風呂阻止のために作られたとか)・本屋さん・児童公園・コンビニと回り、夕方まで英語の練習につき合わされました。子供とはいえ、どうして一人のときは静かなのに、女が二人以上そろうと、こうにぎやかに(つまりうるさく)なるのでしょうか・・・。
晩ご飯のスパゲッティーを食べ、テレビを見ているとパパは眠くなってしまいました。起きてみると娘たちはジジババ宅に戻っており、妻が起きて風呂を入れているのでした。



2003年02月01日(土) どきどき

もうそろそろ必要な人には告げたので、ネットで書いてもいいでしょう。新グループ設立へ向けて準備中です。現在病院内でやっているオープンミーティング(AA側としては病院メッセージになってる)を病院の外に移し、この際だからそれを「AAグループ」にしてしまおうという目論見です。
かといって、病院からいきなりメッセージ活動がなくなってしまうのも問題なので、月に2回外でミーティングをやって、月に2回病院内でメッセージ活動をやるという仕組みで始めようと思っています。 月に2回というのはグループとしてミーティング回数が少ないかもしれませんが、まあ田舎のグループなのでカンベンしてもらいましょう。 なるべく早く毎週のミーティングに移行したいものです。
村の公民館の職員さんは断酒会の名前すら聞いたことが無いそうなので、そもそも公民館が貸してもらえるかどうか不安も残りますが、会場費さえ払えばたぶん大丈夫でしょう。冬は一回1300円。 夏は900円だそうです。
病院側の了解も得たし、関連グループの代議員さんにもお伝えしました。 あとは各グループのビジネスミーティングで了解を得て、地区委員会に報告できるのは三月になるでしょう。
とりあえず新グループのメンバーは僕一人です。
仕事だろうがなんだろうが、血路を切り開いてミーティング場にたどり着かねばならないそして会場には誰もいないかもしれないチャレンジングな時期がまた来るというわけです。
どきどき。


2003年01月31日(金) 過酷な仕事

やっと一週間が終わりました。 それでも、普通に机で仕事ができる普通の一週間でした。年末からずっと仕事で無理を重ねてきたのは、少なくとも1月の終わりから2月の上旬いっぱいは精神的余裕のある状態で資料を読んだり、人と話をしたりメールを書いたりできる環境を作っておきたかったからです。 おかげさまで、ゆとりができました。
「この時のために1年をかけて準備してきた、それでも足りない」という人もいるのですが、「夏休みの宿題型」の自分としては、直前に資料を読み込んで頭をそれ一色に染めていくというやり方しかできません。 もちろん過去の記録は正月から読んではいるのですけどね。
それにしても、常任理事会・全国評議員というシステムは、いまの日本AAにとって頭でっかちだという意見もありますが、やっぱりそれがあってこそ機能しているAAだとも思えます。例えば年間の収支にしても4千万以上のお金が動いているわけです。 これには各地のセントラルオフィスや委員会の会計は入っていない、ゼネラルサービスだけのお金です。それでも足りない。 なぜ足りないのか、どうしてもっと献金がいるのか、説明する人が必要です。
どうお金を振り分けていくのかも、一部の人たちに任せておいて良いことではありません。常任理事も評議員もレベルが低いと言われますが、低いなりにやっていかなければ、声の大きな人の意見ばかりが通る集まりになってしまいます。一年間かかけて意見を集めていって決め、一年間かけて説明して回るというわけです。
非営利・アマチュアでの民主主義とは、一部の人間に「過酷な仕事」を強いるものだなぁと思います。その覚悟も無く、またしばらくサービスからも離れていたのに、ひょっこり評議員になっちゃって直前になってあたふたしているようじゃ「ダメ評議員」と言われても仕方ないかもしれません。ともかく最低限、評議会に出席するだけでもいいから、と甘言にだまされた、などと言い訳しても責任は消えてなくなってはくれません。
ともかくやるだけやってみます。
(家庭が崩壊せずに、うつ病で入院したりしない範囲でね、と防衛線をはっておく)。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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