心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年01月26日(日) ぽるてーく

行って参りましたJSO。 用事があって行ったのですが、ついでに収穫をいくつか。
まずはポルトガル語版のビッグブックを入手しました。やっぱり長野県内にも日系ブラジル人の方は沢山来ていて、僕もそういう人と一緒の職場で働いていたこともあるのです。 当然中には依存症になってしまう人もいて(女性が多い気がする)、病院に入院されます。 でも、3世ぐらいになっちゃうと、日本語は(もし話せても)カタコトぐらいですから、適切な治療(というか病気の説明)を受けているとは思えないし、保険もきかないからすぐ退院して行ってしまいます。 せっかく日本に働きに来たのに、多分ろくに働けずに帰る羽目になっちゃうんだろうなぁ、と残念に思っていたのです。
僕にはポルトガル語なんて一言も話せませんから、どうにもできないのですが、せめて病気の知識だけでも正確に伝わるようにならないかと、考えた挙句がビッグブックの2章でした。ともかくポルトガル語のビッグブックを一冊手に入れて、サンプルとして病院に提供し、もしよかったら病気の説明に使ってもらえないかというお願いをしようかと思ったのです。

JSOの所長さんは「名古屋の連中がさ、豊田付近でポルトガル語のことを始めるみたいで、注文してあったぶんを全部送っちゃって今ないかもしれないなぁ〜」と言いながら、一冊見つけ出してくれました。タダでいいよ、とも言われたのですが、一応対価をと言ったら、「じゃ$6だから千円でいいや」となんだか、八百屋さんかお魚屋さんみたいでした。

あと、「12の概念」の本を買いました。 日本語訳版が無いというのは僕のカンチガイでした。93年に出てました。 以前にも見たことがあったはずですが「理解できなかった」ために、自分の中では「存在しないもの」として認識されていたようです。
私が間違っていたのだ・・・とほほ。


2003年01月25日(土) 東京

なんだかんだ用があって、東京へ行くことは多いのですが、単に東京に行って帰ってくるだけだと、あまりそこが都会であるということを意識することはありません。今の自分にとって見れば、そこは「非日常」であって、日常と違うのが当たり前だからです。ところが、時々仕事で東京を横断して、反対側へ行かなければならないことがあります。車のときもあるし、電車のときもあります。 大きな荷物を抱えて、ラッシュ時の電車で横断しないといけないときは、まったく憂鬱になります。
そして目的地に着いて思うのは、途中の1〜2時間を費やした土地で感じた不思議なエネルギーのことです。 人とモノと金の集積効果とでも言うのでしょうか。
何かの手段で強制的に田舎に分配しないといけないほど、都会に富は集中してしまうのですね。オンラインショッピングが便利になって、わざわざ東京の大書店や専門店を訪れなくても通販で何でも手に入る時代になったけれど、そのぶん地元のお店の品揃えは、薄っぺらで価格志向一辺倒になってしまった気がします。 そして、オンラインショップそのものはやっぱり東京にあったりします。
AAの東京のオフィスも、あんな家賃の高いところにいないで、西武なり東武なりの奥のほうに引っ込めばいいのに、と思ったこともあるのですが、やっぱり東京でないといけない意味があるのかな。
明日はJSOを初めて訪れる予定です(寝過ごさなければ)。


2003年01月24日(金) 秋がきて冬が来て

何のために「心の家路」をやっているのか、それは自分では(リーナス坊やと同じで)Just Fun(ただ面白いから)としか言い様がありません。
人間関係のさまざまことが(軋轢などの一見マイナスに見えることも含めて)人生の醍醐味だとするならば、リアルな生活での僕は、きわめて限定された人間関係のなかで暮らしているだけです。 AAを通しても、そんなに多くの人たちと直接触れ合えるわけでもないのです。
「心の家路」を始める前は、僕は依存症関係のサイトやら掲示板など覗いたりはしませんでした。現実の生活だけで手一杯で、「モデムを通じたわかちあい」に興味を持っていなかっただけの話です。 それが、自分のサイトというホームベースを得たことで、あちこちに顔を出し、いろいろと視野を広げてもらうことができました。 少々のソブラエティを得ただけで、いっぱしの専門家面していた部分もあり、そうした鼻っぱしを(多少は)折ってもらえたことはまず第一に感謝したいことであります。
最初はあをねこさんのサイトの補完として(いくぶんかの対抗心をも含んで)始めたことではありますが、結果としていちばん得しているのは自分ではないかと思うのです。このサイトの存在をきっかけとして、いろんなことが始まった一年でもありました。おかげで、趣味の関係で維持しているサイトの更新はパタリと止まってしまいました。

湘南線沿線の朝の空は澄み渡り、「冬の南関東はさわやか」という言葉どおりでした。新宿は幾分寒く、信州は冬そのものでありました。出張中に励ましのメールをいただいた方には、ここで感謝を述べさせていただきます。無事に生きています。 ありがとう。


2003年01月23日(木) やれやれ

「終わりがあるのが営利の仕事」て言葉がありますが、今日がその刻限でありました。
朝から機械の最終テストの準備をして、昼食を食べてからテストを開始し、順調なのを確かめて、午後3時ごろには現場を離れようと思っていました。大きなトラブルは昨日の晩で解決済みで、今日は楽勝の予想でした。
せっかく茨城にきたんだから、土浦のAA会場に寄りたいという希望もありました。問題は、ミーティング後に「ひたち」→山手線→小田急と乗り継いで、神奈川のホテルまで移動できるかどうかです。 もちろん、田舎と違って、深夜まで電車が動いているので大丈夫なのでしょうが、見知らぬ土地で終電という事態は避けたいです。
まあ、夕方までには時間があるから、調べる手間もあるだろうとたかをくくっていました。しかし・・・朝からトラブルの連続でした。 きのう解決したと思った問題の影に、もっと奥深い問題が潜んでおり、その問題を解決している間にも、別の問題が発生し・・・昼飯ぬき、午後の3時にやっとトイレに行く時間が取れ、テストが始まったのは5時でした。
夕の特急の中でハンバーガーにかじりついていると土浦の駅を過ぎていきました。
そういえばミーティングのことはすっかり忘れているのでした。こうやって忙しい毎日に追われ続けながらAAから遠ざかったり、ウィークエンドAAsになったりするんだろうな、とそういう人々のことを理解しました。
目的地の駅でホテルの方角が解らずに途方にくれ、仕方なくメールを読み返そうと通路に座り込んでノートPCの起動を待ちながら周囲を見渡すと、向かいに酒焼けで真っ赤な顔をしたホームレスのおじさんが座っていました。ともかく問題は乗り越えたのです。

「すべてのトラブルはそれを乗り越えるのに必要なエネルギーと一緒にやってくる」

というスキャットマンの言葉を思い出しました。
さて、来週から会社で書類を書くふりをしながら、Webの更新でもしようかな。


2003年01月21日(火) 春が来て夏が来て

長野の仲間に出すはずの手紙を、茨城まで持ってきてしまいました。 やれやれ。
更新履歴をみていましたら、このサイトって去年の1月24日がオープンだったんですね。準備はその前の夏から始めていたし、日記は秋から書き始めていたので、1年といってもあんまり意識はないのですが、まあよく続いたもんだなと、自分で思います。
最初はサーバーのアクセスカウンターを使っていたのですが、「増えてるかなー」と自分が見に行くだけでもカウントされてしまって、何を数えているのかわからなくなってしまったので、解析型のカウンターを設置しました。先週の設定ミスでクリアされたままになっていますが、この一年間でのべ8000人以上の方が「心の家路」を訪れてくださいました。 ありがたいことであります。来週にはカウンターも復活するでしょう。
最初は、一日に2〜3人だったのが、春のオープンスピーカーズでKさんがひろめてくださって、十数人に増え、それから二郎さんのところやTACHからの方が増えて、20〜40人というペースで続いています。
こちらからはどんな人が見に来ているのか把握する方法はないのですが、リファラーを見ると、サーチエンジンで「アルコール依存」で探してくる方、AAメンバーゆりさんや「える」グループさんやともすけさんのリンク集から来る方、あと、やっぱり二郎さんのところとあをねこさんとこ経由が多い、といったところからだいたい「お仲間」の方に見ていただいているのかなぁと思っています。

「お酒を止めるためのサイトではなくて、止めたあとも残った問題についてのサイト」

みたいなことを言われたことがありますが、果たしてそうなのかどうかは、自分でもわかりません。
(この項続く)


2003年01月19日(日) 決意の日

昨年僕の勤める零細企業が雇った女子事務嬢が解雇されました。
業績不振で中間部門の人員が削減されることは、直接部門の人間にとっては自らのふがいなさ(家族を養えないオトーサンのような)を感じて、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 といっても、僕にできることはあまりないのですが。
これを契機に、一緒に茨城に行っている同僚(部下)が会社を去ることを決意したようです。僕としては貴重な戦力を一人失うわけで、残念であるのですが、自分の実力を頼りに生きるソフト屋を引き止めるのは難しいことを、自分自身ががよく知っています。 彼にとっても、この会社は単に3社目の会社に過ぎないのでしょう。 僕が入院していたときに採用された彼は、今や立派な実力を蓄えました。 不当に評価されないところに留まっているよりも、もっと社会の役に立つところに出て行って欲しい。 「育ててもらった」などと殊勝なことを言っていますが、そんな感覚もすぐに忘れるでしょう。なにせ、一番苦労し努力したのは本人で、先輩である僕は自分の経験の中から得たヒントを与えてあげることしかできなかったのですから、彼は自分で自分を育てたのです。

独身の彼の身軽さをうらやましく思い、また現在の経営者の健康状態と年齢を考えると、数年後には僕も何らかの決断を迫られるでしょう。 人に給料を払う立場になる器でもないし、かといってその頃には、雇ってもらうにはトウがたっているだろうから、個人事業主になるしかないのかな。 もっとも、技術の革新は激しいから、そんな先のことを心配しても仕方ないし、不安に駆動されてもろくな事はありません。

AAでご活躍のメンバーにも、年齢の波は忍び寄ってくるわけで、いつまでも同じ事が続くというのは幻想だと、こちらも思い知らされました。2月の騒ぎが終わったら、こちらもいよいよ動かないといけません。数は少ないけど、ミーティング月2回、病院M月2回というのが、新グループのスタート時の実力としてはふさわしいかな。
踏ん切りをつける週末でした。 (先のことはわからんよ)。



2003年01月18日(土) 金銭的な面での恩恵

僕は、緑内障であります。
以前は、朝晩に、五分間間隔を空けて三回、点眼する必要がありました。
薬の進歩で、朝晩に一回だけで済むようになったのですが、逆に薬を止めると眼圧がリバウンドするという危険も大きくなりました。この薬が冷やしておかないといけないという大変厄介なシロモノなのです。AAのイベントなどで2泊ぐらいだったら薬なしでもかまわないのですが、こう出張が続くと持っていかざるをえません。 ビジネスホテルは冷蔵庫つきのところを選ばせてもらっています。(ビールがぎっしり詰まっていたりして驚いたりしますが、目薬は瓶の間に入ります)。

待合室で待っていると、医者の怒声が聞こえました。
「眼圧が40もあるんですよ。 忙しいといっても、失明したら仕事どころじゃないでしょう!」
しかし、この病気はたまに激しい頭痛がするぐらいで、ほとんど自覚症状がないのです。医者と薬局で支払いをしながら「高ぇなぁ」と思っていたのですが、健康保険がないともっと高いんですよね。 んでもって、健康保険は病気一つしないような人々が支えていてくれるのです。僕は給料から月々いくらか支払っていますが、恩恵のほうがおおきいのは確実です。健康な人にとって、健康とは空気のような当たり前のものであって、病気であることは哀れむべきことであるかのように思っているフシがある、ってのは僕の被害妄想かな。

「死ぬまで健康でいたい」

とか言われてもねぇ、不健康になるから死ぬのでしょう? ともかく、風邪もたまにしか引かないような人の支払いによって、僕の眼圧が低く保たれているのだから、感謝しなくちゃいけませんね。
目の悪いひいらぎの車に乗るのは自殺行為ですが、今日もひとり命知らずがいました。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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