ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ|過去へ|未来へ
2003年01月04日(土) 委員会 全国的に雪になっているので、雪に悩まされているのは、僕らだけではないということでしょう。
夕方には市内は氷点下になって、路面も凍り始めました。
今年から僕は地区委員会では役がなくなって、委員会にとっては単なるオブザーバーとしての参加です。
正月の夜だということもあって、広い施設の中で、部屋を使っているのは僕たちだけでした。
「まだ苦しんでいるアルコホーリクにメッセージを運ぶ」
この簡単が言葉が、この先もずっと繰り返されていくことでしょう。
自分の意に沿わないことであっても、皆で決めたことであるからには、それを意にしていく。
そうしないと、この小さな共同体はばらばらになってしまって、孤立したグループも個人もせっかく手にしたものを失ってしまう。
こんな冬の日に、隙間風の吹き込む部屋に皆が集まっているのも、そのためでしょう。
そのために払われている犠牲も小さくは無いでしょう。
北海道についで広い面積のこの県が、ひとつの地区としてやっているのは、やっぱり人数が少ないから、寄り添うようにして一つのグループのようにして集まっているのです。
今年からまたひとつグループが増えて、より遠くから仲間がやってくることになりました。
女性の代議員も増えました。
自分ばっかりが苦労している、という自己憐憫を取り払ってくれるには、良い薬です。
でも、オブザーバーにしては、発言回数が多かったなと、やっぱり反省。
2003年01月03日(金) 里帰り 里帰りと言っても、出張にでも行っていない限り、月に最低でも1回は僕の生まれた病院に病院メッセージに行っているのであり、その帰りに実家によっているので、実母は僕の登場をそれほど喜んでくれるわけではないのですが、やっぱり孫の顔は嬉しいらしいです。
僕は疲れがたまっていたのか、お風呂と夕食をご馳走になったら、早々に眠くなってしまいコタツで寝てしまいました。
気が付くと、部屋中に布団が敷かれ、まだ夜9時だというのに、寝ることになってしまいました。
真っ暗ななか、ノートパソコンでHTMLを編集しながら(それしかできることがない)、寝付けない娘と話をしていましたが、11時頃には彼女も寝付いたので、僕も寝ることにしました。
起きてみると朝11時。 ひさしぶりに12時間も寝てしまいました。
午後はずっと報告書に目を通していました。
とりあえず去年のは詳しく目を通してたので、あと数年間前のは拾い読みし、これから一ヶ月でできる範囲で精読することにしました。 といっても、昔と違って記憶力はすっかり落ち、一度読んだくらいで詳しく覚えられるはずもありません。
帰ってくる頃には、また雪が激しくなりました
2003年01月01日(水) 笑えるようになった お正月と言えば、元日はサッカーを見る日であり、二日はラグビーを見る日であり、三日はライスボウルを見る日であり、それぞれビールと焼酎が欠かせないという昔の生活でありました。 他のテレビ番組なんてばか騒ぎばかりで、見てられるか! という気持ちでありました。 でも、決して楽しく過ごしていたわけではありませんでした。
いまや、いずれのフットボールを見ることもありません。 チャンネルは家族に奪われています。義父母の御節(おせち)に呼ばれてテレビを眺めていると、菊地桃子と山田花子のふたりのペーパードライバーが京都の町の中を競争するという番組をやっていました。
(やらせくさくて、しょうもないなぁ)と思いながらも、笑いながら30分以上見てしまいました。
必要があって『成年に達する』を見ていたところ、ついついビルの話を読んでしまいました。
ビッグブックの一章にあたる部分の話ですが、ユーモアに富んでいて、こちらのほうが好きです。
ビルが酔って缶ビール片手に病院に行き、シルクワース博士に「先生、霊的な原理を見つけたよ」と
叫ぶくだりは、思わず笑ってしまいました。
さて、元日からミーティングに行くには「まめ」であるからでなく、今日行かないと次にいつ行けるかわからないからです。 道中降り出した雪は激しさを増しましたが、ミーティング場はにぎやかでした。
ちょっと古い顔が揃いすぎて、4年ぐらいタイムスリップした気分だったかも。
和やかで、楽しいミーティングでした。 懐かしい僕のホームグループ。
2002年12月31日(火) 特別でない一日 なんとか午前中に起きて、年賀状を出しに行きました。
中央郵便局は車で溢れていました。 同じ局内の人には元日に届くでしょうが、他の人には3が日以内に届けばいいほうかもしれません。 ごめんなさい。
部屋の片付けだけでもし様かと思ったのですが、「パパは遊んでくれなきゃだめ」という娘の言葉に従って、近くの公園に遊びに行きました。 子供にはパパと遊ぶ権利があるわけですな。
毎朝霜柱が立っているだろうという地面はふかふかと柔らかでした。
工事の終わった川の両側には人工的だけれど地面が作られ、クローバーが茂っていたので、モルモットの餌に持って帰りました。 越冬する白いサギ(?)が一羽。
僕は自分の部屋の片づけを、妻はキッチンの掃除をして、今年の大掃除はおしまいです。
せっかく大晦日にテレビで第九をやるというのに、ホットプレートの焼肉のジュージューいうBGNに邪魔されて良く聞こえませんでした。 それにしても、のんびり第九で年末なんて、クラシック好きの親父が生きていた頃(僕が独身で飲んでいた頃)以来でしょうか。
「一人でも真の友を見つけた者は共に歌うが良い。 そうでないものは涙と共に去るのだ」
字幕しか読めないぞ。
さて、翻訳のチェックのお手伝いをし、書類の清書をし、報告書に目を通し、MMXのコーディングをするのに、あと5日で足りるかな。 ま、なるようにしかなりませんか。
2002年12月30日(月) ねみゅい どうも、休みで昼間眠れるんだから、夜中活動しようと言う考え自体が間違っているようです。
休みだから、子供も家にいて、朝から騒ぐわけで、結局は睡眠不足のまま、効率悪く動き回ることになるのです。 今夜は早く寝ようと。
本来なら先週金曜日に届いているべき部品が今日届いたと会社から連絡があったので、出て行きました。本来なら、受領証に判を押して経理にまわすところですが、休みの日で性能が確認できない上に、額は車一台ぐらいの値段なので、もしトラブルが起きたときに責任が取りきれません。 しかたなく、先方に「検収と支払いは来年になる」という気の重い電話をかけるハメになりました。 それに、不足している部品もあるし。 驚いたことに、先方の会社もまだ動いていました。 それもこれも不景気のおかげでしょうか。
イチゴのプランターには、モルモットの餌用のイネの藁を敷いてあげました。イチゴ畑計画用に、我が家の敷地内の地面を物色して回ったのですが、狭い街中の住宅に「日当たりの良い地面」があまっているわけもなく、イチゴ畑用地は確保できませんでした。 屋上にプランターを並べようかなぁっと。
年賀状の発売直後には、はがきを用意しておいたにもかかわらず、やっと今日プリンターを稼動させました。「まだ日があるから」と先延ばしにしておくと、「その日」が来たときには忙しくてそれどころでなく、結局モノゴトは遅れ遅れ、という好例であります。途中でフォトインクが切れ、夕方にパソコンショップに駆け込む羽目になりました。 古いプリンターのフォトインクですから在庫量も少ないらしく、売り切ればかりで3軒目でようやくみつけました。
いつもは、一枚に一言ずつ添えるのですが、今年はそのまんま出してしまいたい欲望にかられています。
ねみゅい。
2002年12月29日(日) スタイルシート化 とりあえず、ホームページと一部のページだけスタイルシートによる装飾に変えてみました。
といってもホームページは2段組になっている部分があり、スタイルシートに段組の機能が見当たらなかったので、しかたなくテーブルのままになっています。Netscape 4.7xでも「読めないことはない」状態だと思いますが、あまりに酷いようならメールしてください。 IE6の機能を使いたかったのですが、いまでも「家路」を見に来る方の3分の一は Internet Exproler 5.x を使っているようですので、あきらめました。IEの1.x/2.xではマトモに表示されないことは確認しているのですが、3.x/4.xだとどうなのか、Netscapeでも5.xとか6.xだとどうなのか、とか「凝った装飾」をしようとすればするほど、ブラウザーごとの違いに悩まされることになります。 プロの人は大変でしょうね。
百姓であり、園芸家でもあった父が良く使っていた「種屋」に、年末の買い物のついでに行きました。よく通勤の途中で前を通るのですが、店に入ったのは初めてです。お目当ては、3株のイチゴが植えられたプランターです。 もうすでに肥料がはいっているそうで、雨のあたるところに置けば、特に世話をする必要も無く、ゴールデンウィーク明けにはイチゴが楽しめそうです。 その後は、地面上に置けば、ランナーが伸びて子株が広がり、いずれはイチゴ畑が我が家の庭に出現するという計画です(何年かかるやら)。
とりあえず、1300円で買ってきたプランターはベランダに設置されました。
あと、さくらんぼの木を二本買ってきて(雄株と雌株)、庭でさくらんぼ計画というのもあります。(こっちは消毒とか大変そうですが)。
2002年12月28日(土) 始まった理由 3回目の入院のときに、初めて「自分はアル中だ」と名乗る患者さんと一緒になりました。
まわりは他の病気の人ばかりですから、ふたりでよく話したものです。年齢の差を越えて、「よくもこれだけ、自分に似た人がいたものだ」と思ったものです。精神病院への入院が20回を越えると言うその人の姿は、自分の将来を暗示させるに十分でした。あるとき、彼がポツリと言いました。
「俺も、30代の頃に2年ほど酒を止めたことがあるんだ」
どうやって? と僕は、ききました。 彼は、別に何もしなかったと答えました。医者は役に立たないし、当時はAAなんてなかったし、断酒会にも通わなかった。ただ、止めようと思って、何の苦もなく2年間飲まなかったのだと。そして、その後「何の気なしに」また飲み始めたところ、今度は「どうやっても止めることができなかった」というのです。
その後、数年して僕のソブラエティが始まったのですが、時々不安に思うことがありました。「僕のソブラエティは、AAに通う自分の努力によって得られたものではなく、単なる偶然によって与えられたものに過ぎないのではないか。 あの彼の2年間の断酒のように、僕のこれも気まぐれに過ぎ去ってしまうものではないか」と。
飲まないで生きていく時間が延びるにつれ、社会的な責任がいろいろと増えてきます。それらとのバランスを考えながら、はたして今自分がAAに注ぎ込んでいるエネルギーは、本当の意味でソブラエティを支えるに十分であるのかどうか・・・。今手にしているソブラエティを、もっと大事にしないと、それは指の間からこぼれ落ちていってしまい、僕はまた下り坂を転がり落ちていく羽目になるのではないかと。
今の自分なら、当時の自分にこう言ってあげられるでしょう。
「ソブラエティが始まった理由なんてどうでもいいじゃないか。 大事なことは今日一日飲まないことだよ。 そして今日一日の生き方を忘れれば、始まった理由にかわりなく、ソブラエティの終わる理由はひとつなんだから、心配するな」と。
もくじ|過去へ|未来へ![]()
![]()