心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2002年11月05日(火) 神の視点

自分が「良い子」でなければならなかったあの頃。
周りの全員がレフェリーで、僕を採点していると思っていた。どうやら、いつも不合格のようだった。とても自罰的だったけれど、それしか生きていく術を知らなかった。自分が「何でもできるすごいやつ」だったあの頃。「すごいやつ」でなければならなかったあの頃。いくら結果を出しても、誰もほめてはくれなかった。こっけいなほど高慢だったけれど、それしか生きていく術を知らなかった。まったくかけ離れた、両極端の生き方に思えたそれぞれが、実は同じ問題の表と裏に過ぎなかったことを知ったのは、どちらの生き方にも行き詰まって、どちらも笑い飛ばす術を教えてもらってから。

try levitation!

10メートル上空に浮かんで、自分の生きてる姿をみおろしてごらん。思わずクスクス笑っちゃうぐらい、バカな生き方をしている自分が、そこにいないかな? 「神の視点」は役に立つよ。「ご苦労さん、もういいよっ」と拾い上げてもらう日まで、この地上をテケテケ走っていこう。


2002年11月04日(月) 先行く仲間

僕がステップの4・5を終わらせたのは、ソブラエティが2年半ぐらいのときでしたから、AAの中ではかなり遅いほうでしょう。 周りからも、スポンサーからも「飲まなければいいというものではないぞ」と脅されすかされながらの実践でした。(皆さん心配してくれてありがとう)。それが終わったと報告したときには、スポンサーは手放しの喜び様で、「俺の役目もやっと終わった」と肩をなでおろしていたようでした。 その後は二人の距離は広がっていってしまうのですが、当時にもらったアドバイスは今でも忘れていません。 それは、彼自身がスポンサーからもらった言葉として僕にプレゼントされた言葉でした。

「『先行く仲間』にはなるなよ」

それが具体的にどんな意味を示すのか、解説をしてはくれませんでしたが、僕には常なる戒めとして残る言葉です。 自らの回復を誇るような高慢に陥るなよ。 楽に生きていけるようになったからと言って、あたかもそれが自分のなし得たことだと思うなよ。 いつも苦しむアルコホーリクから目を離すなよ。新しい仲間からもらえる恵みに感謝しろよと。 一緒に苦しめ。 専門家になるなよ。年数なんて何の意味もねぇぞと。いつでも新しい視点を加えてくれる言葉として大切にしています。これほど実践の難しいこともないですね。

「タダで貰ったものは、タダで返せ」

回復に値札はついてないんです。 でも、タダより高いものはなし。



2002年11月03日(日) 交通事故

『さくら』のビデオを返す期限の日なので、午後は家族でお出かけの予定でした(ツタヤとユニクロ)。でも、疲れがたまったせいか、頭が痛かったので、1時間ぐらい休ませてもらうことにしたのですが、起きて見るとすでに夕方でした。 (置いていかれたかな)と思っていたら、妻が帰ってきて開口一番、「車ぶつけちゃった」聞けば、駅前の渋滞の中、信号のない交差点で、前に空いたスペースを埋めようとして発進したところ、横から飛び出してきたワンボックスと接触事故になったとか。
相手の車の横っ腹に突っ込む形になったようですが、相手はシェル部分なんでボディがゆがんだ程度のようですが、こちらはフロントのクラッシャブルゾーンですから、派手に破損しています。もう警察にも寄ってきたというので、あとは保険屋に電話をかけるだけです。妻の話からすると、ローギアでクラッチミートした直後ぐらいなので、ほとんど速度は出ていなかったはずですが、子供たちが頭を打ったということで、保険屋の指示で緊急医に行くことになりました。というのも、成長してチャイルドシートが合わなくなったのに、ジュニアシートに買い換えてないせいでシートベルトが締められず、高い位置に座っているだけだったり、立っていたりしたせいで、ヘッドレストやダッシュボードに全身をぶつけたようなのです。

「健康保険は使えません。 しかも、自由診療ですから、通常より高くなります」と言われても、他に行く病院がないんだからしかたありません。 下の子は額をぶつけていましたが、「自分で歩けるなら脳内出血の心配はないし、CTの放射線の害のが大きい」ということで「打撲」。 上の子は首を曲げると痛いと訴えるのでレントゲン撮影をしましたが、骨に異常はありませんでした。

「骨に異常がなくて、首の痛みがあれば、ムチウチの診断をするしかないんですよ。 それが詐病でもね」
とは医者の余談でした。「頸部挫傷」。診察の間も遊びまわり、病院にいるのが恥ずかしくなるぐらいでした。会計で、負担率200%という請求書が出て、合計3万数千円となりました。事故は防げなかったかもしれませんが、シートとベルトをしていれば、余計な手間と出費は防げたはず。
シートベルトを締めましょう。



2002年11月02日(土) さむさむ

えー、ゼビウスはナムコだよん、と仲間に教えてもらいました。 お〜、そうだった。
(休みなので)お昼ご飯を家族で一緒に食べながら、娘たちの見ている『カードキャプターさくら』のビデオを見ていました。 (ひいらぎは「をたく」なので、深入りしないように気をつけています) アニメの登場人物の心理描写ってわかりやすいですよね。 それは、ジャパニメーション特有の約束事に過ぎないのかもしれませんが、「楽しい」「悲しい」「ムカついてる」「気にしてない」「落ち込んでいる」などなどを判りやすく伝えてくれます。それも現実の人間にはありえない魅力なんでしょうね。 だからこそ、それを脳内恋人にできるわけなのでしょう。 対処がしやすい=コントロール容易、なのかな。

現実の人間は、そんなに内部状態が外部から、判りやすくありません。 にこやかにしても怒っていたり、すねていてもかまってほしかったり。 迷惑だけど、ありがたがってみたり。僕みたいに「相手の気持ちになって考えられない」病気だと、(こういうことをされたら、こう感じてしまう)ことが想像できないせいで、相手の心の中は、外から観察することでしかわからないのです。そして、それはしばしば裏切られる結果となる・・・・。かといって、自分がこれだけヒネクレ者なのに、他の人にアニメのキャラ並に素直になれってのは単なるわがままに過ぎません。

信州はいつもより早く冬になっています(他の日本もそうでしょうね)。夜中に電気毛布を探しても見つからないので、「湯たんぽ」にお湯をはりました。あったか。


2002年11月01日(金) いけないいけない。

長野グループのオープンスピーカーズには、泊まりでなくても日帰りでいく「つもり」ではいたのです。が・・・子供の七五三と重なっていました。最近PDAで予定を管理しないといけないほど忙しくなかったので、ついついスケジュール管理を怠った結果がこの有様です。 まったく。 行けなくてすみません。


2002年10月31日(木) もうすこし霊性について

どうして、人それぞれに「ハイヤーパワー]が異なっていて良いのか?

(人それぞれ、ってことかな)。

いままであまり深く考えてこなかった問題です。
ある人と話をしながら(といっても対面でも電話でもなくIMでですが)、霊性に関する話をしていましたら、その人の言うに「霊性=愛」であるというのです。

「愛を比べることができますか?」

できようはずもありません。 どちらの愛が素晴らしいか、なんて設問はナンセンスです。霊的な成長が、自分を愛し、他を愛するための階段を上る作業ならば、それを比較することは愛情を比較することになってしまいます。ステップ2と3で、しっかりハイヤーパワーを見つけ(自と他を愛する能力を身につけ)、その後に、4と5をやらなければ「かえって苦しくなる」場合もあって当然なのかなと思ったりします。AAやグループそのものをハイヤーパワーにしていることの限界でしょうか。
日本のAAは「霊性」とか「ハイヤーパワー」を語ることを忌避する傾向が少なからずあります。でもそれは、12のステップにとって欠かすことのできない重要な事柄なのです。そんなことを、気づかさせていただきました。ありがとう。


2002年10月30日(水) たわごと?

仕事の合間にネットを見ることは多いのですが、さすがにネットサーフィンは飽き飽きしているので、最近はニュースを読んでいることが多いです。 この頃はどの新聞社も速報を出してくれているんで、お金を払わなくてもニュースに困ることはありません。 (おかげで、活字新聞は解説記事ぐらいしか読まなくなってしまいました)。 社によって報道の詳細が違うところもあり、メディアを信用することの危うさを教えてくれます。

今日のニュースには、こんなもの も紛れ込んでいました。
僕も女の子二人の親でもあるので、こうした記事を見ると本当に暗い気分にさせられます。あまりの陰惨さに怒りを覚えることもしばしばです。 無論そうなると仕事に身も入りません。しかし考えて見ると「自分に責任がないとわかっている場合の怒りほど楽しめるものはない」という警句にそのままあてはまります。 「怒りをもてあそんでいる」と言われれば、まさにその通りに違いない。
犯罪を裁くことは社会を維持していくために欠かせないことで、これは致し方ない、当たり前のことです。しかし、「うめくように泣いているのに、耳栓をして寝た夫婦」は、精神の病気だったのでしょうか? そんなことはありますまい。 聖人でもない「当たり前」の人間が、状況の中でなる病気が「霊性の病気」でしょう。 人間としても思いやりや、誠実さ、自と他のバランス、そうした大切なものを失ってしまう病気。霊的な病気の発露のひとつとして依存症となり、そこからの回復において「霊性を何より第一の価値とする」と決めた僕たちは、発露の違いはあれ同じ「霊的な病気」の仲間を裁いたり、非難したりすることはやはり避けねばならないし、そうした行為は結局はブーメランのように戻ってきて、僕ら自身をすぐに傷つけてしまうのです。 (その証拠に仕事になってないし)

先行く仲間の残してくれた警句に感謝しながら、3人のために少し祈り、仕事に戻りました。そんなわけで、今日はすこし神妙に過ごしたのでした。
「世界が愛と善で満ちるほかはない」という言葉は、宗教家か夢想家のたわごとだと片付けていた過去の自分がかなり恥ずかしいです。 まあ、世界の一員として、ともかく自分の回復を考えねばなりません。



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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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