ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2002年06月25日(火) 変えられないもの ミーティングの人数が十人を超えました。なんだか、感慨深いです。ただ、これには波がかならずありますからね。
スポンシーが「ステップ5をやる日が29日と決まりました」と報告してくれました。僕はスポンサーシップは1年間が基本だと思っています。彼が1年のバースディを迎えたあとは、ステップ5を受けてくれる人に、それを依頼してひと区切りとしました。「ああ、やっぱりあの人にお願いしてよかったな」と思いました。
元気に活動していた仲間が、喉頭がんの手術を受けるとか。「アルコールはさ、神様しかないけど、のどは医者で治せるからさ」ただ、僕は彼が声を失ってしまうのでは、と恐れているのです。
夜半に遠方より電話。
神様、変えられないものを受け入れられる心の落ち着きを、僕にください。
2002年06月24日(月) SSRI ずっと(四環系の)伝統的な抗うつ薬を使っていました。
もともとその薬を使っていたのですが、SSRIが認可になったときに、早速医者に切り替えてもらいました(デプロメールだったかな)。プロザックのように「性格を変える薬」なんてことはないのですが、なんとなく「フットワークが軽くなったような気がします」と医者に言った覚えがあります。 しかし、今考えて見ると、それまで悩まされていた副作用を味会わなくなって、気分が軽快になっただけなのかもしれません。
その後SNRIの認可といっしょに、それに移行しました(トレドミンだっけか)。坑うつ薬は「ブレーキを緩める」か「アクセルを踏む」か、どちらかの薬なんですが、このSNRIは「アクセルを踏む」傾向があって、体が疲れても「まだまだいける」という気持ちが残るので、しまいには、体が疲れきってしまいました。効き目はあっても、僕には合わない薬だったのです。
そんなわけで、もとの薬にもどしたのですが、いろいろと副作用が復活しました。瞳孔が開き加減になるので、日中の外ではまぶしく感じます。 高速道路を2時間も運転すれば、しまいには、案内の看板の字も読めなくなります。 口が渇いて大変しゃべりにくいのには慣れたのですが、鼻の粘膜も乾いて鼻血が頻発するのにはまいりました。鼻血は副作用のリストには載っていないので、耳鼻科に案内状を書いてもらって行きました。
「口と鼻はつながってますからね、鼻の粘膜が乾いて炎症を起こしてます」
さて、副作用であることははっきりしたのですが、ここでひとつ問題があります。この高ストレス下で、違う薬に切り替える(当然その間には薬の効かない日もある)か、それとも、いつとも知れぬ未来まで延期するかです。30秒ほど考えて、パキシルというSSRIに切り替える決断をしました。
2002年06月23日(日) 安息日 按摩に行ってまいりました。 左肩がものすごく凝っていて、いくらもんでも柔らかくならず、首ももまれました。 普通は首をもまれることはありません。 すごく痛かったです。一日中パソコンの前に座っていて、夜もこうして座っているのが原因なのはわかっています。でも、同じ行動をしていても、ぜんぜん肩こりや筋肉の緊張に悩まされない人もいるのです。
緑内障(高眼圧症)なので、定期的に眼科に通い、点眼薬をもらっています。毎回眼圧を測るのですが、緊張すると高くなるのは血圧と一緒なんじゃないかと思いました。医者に尋ねてみると、「そうです。血圧と同じです。それに、緊張しやすい人は眼圧も常に高めなんです。 緑内障にも病前性格みたいなものがあるんでしょうね」と言われました。抗うつ薬の中には眼圧に関連するものもあるので、この眼科医には僕がうつ病もちのアル中であることは知らせてあります。 内科医にも知らせておかないと、風邪薬に抗うつ薬を入れられたりします。
話が逸れました。 それで体の疲れが取れたかといいますと・・・。週末の安息など、子供が熱を出してしまえば、あっという間に吹き飛んでしまうものです。
2002年06月21日(金) ねむい 悪夢のような一週間を過ごして、やっと週末にたどり着きました。
睡眠不足と、ストレスで過労気味。 うつ状態に近いところです。やるべきことがたまっているのですが、すべては先延ばしにして、今夜と明日はゆっくり休むつもりです。
2002年06月18日(火) なれないことばかり 僕は6回入院したことがあります。最初のふたつは子供の頃で、盲腸炎と蓄膿症。
あとの四つは全部アルコールがらみの精神病院。 そのたび、仕事をやりかけのまま放り出して入院してしまったわけで・・・。
社長が入院して、ちょうど一週間がたちました。 月曜にいったん顔を合わせただけで、引継ぎもなく、いつまでという期限もなく、ただ一日一日だけを、何とか乗り切ることに専念してきました。誰かが入院してしまって、「残された者の戸惑い」というものを、初めて僕も体験しているわけです。(むろん妻の入院というのは数回あるんですが、それはともかく)。
「とりあえず今週一杯は検査が続くので退院できない」という話が、「検査をしながら経過を見守る必要があるので数週間」、そして「2〜3ヶ月」と、話がだんだん長くなっていきます。まあ、症状は深刻ではなく、すぐに命がどうこうという事態でないのは幸いです。ただ、こちらは、日々(やっていることはともかく、気持ちの上では)新しいことに取り組まなければならないわけで、慣れず、常に不安が伴っています。
言うならば、1ヶ月・3ヶ月とメダルを貰いながら過ごしていたあの頃が戻ってきたような気分です。「大部屋はイヤだから」という理由で、バストイレ電話テレビつきの「まるでビジネスホテル」の部屋の主から電話がかかってきました。「ああしなさい、こうしなさい」という単なる確認事項の繰り返しに過ぎないのですが、聞きなれた声を聞いたときの安心感は、ちょっとAAのスポンサーから電話をもらったときのそれに似ていました。
そう言えば、ToDoリストの先頭に「スポンサーに手紙(3年前の写真)」というのが、いつまでも居残っているのです。子供を連れて遊びに行く、という約束もいつか忘れ去られ・・・
2002年06月17日(月) ピンチヒッター 社長が倒れました。
突然というわけではありません。ここ数ヶ月、朝早く目が覚めてしまう、とこぼしているのを聞いていました。(それはおそらくストレス性)と、こちらは素人判断してしまいました。ここ数週間、起床するときに手足がしびれるという症状を訴えていました。先週の中ごろ、ついに朝起き上がれなくなり、救急車で大病院に運び込まれました。様々な検査をしたものの、別に悪いところも発見されず「早く出て行くように」と促される始末。
周囲は、ますます(ストレス性の・・・)という素人判断に傾きました。しかし症状は消えていないので、本人も納得せず、専門医を尋ねたところ、「何でこれを見逃すのかな」と医者も不思議がるほど明確に、CTに小さな脳梗塞の映像が写っていたそうです。それが今後大きくなるのか、それとも小さくなるのか、経過を見守る必要がある、という判断で、そのまま入院してしまいました。最短でも今週いっぱいは出て来れません。
自分の勤める10人ほどの小さな会社の、リスクマネジメントを考えた場合、エンジニア陣と中間スタッフには代替がいます。去年僕が「長い夏休み」を貰っている間も、技術的な問題はなんとかなっていました。しかし、営業と経営はまさに「個人企業」形態で、社長の代打はいないのです。僕は、そこを心配して、一昨年無理やりの転職に失敗し、おめおめと舞い戻ってきて、技術陣のリーダーをやらせてもらっているわけですが・・・交渉や駆け引きは、僕の最も苦手な分野でもあります。正直言って荷が重過ぎます。
こんなときこそ「気楽にやろう」「今日一日づつ」と自分に言い聞かせるのですが、そううまく心が反応してくれません。「Higher Powerは、時々あなたを試しに来るからね」という言葉を思い出しています。
2002年06月16日(日) ポケット やらなければならない事(というか、やらなければならないと、勝手に自分に課している事)があるにもかかわらず、「こ〜えん行きたい」攻撃にさらされて、公園に行って参りました。どうせならと、距離は遠くても「充実した」公園へ、車で向かいました。
僕も行くのは初めてだったのですが・・・、野球の出来るグランドあり、子供向け巨大ジャングルジム(というかフィールドアスレチックみたいなヤツ)、はだしで遊べる水場などなど、親子連れと肩を寄せる恋人たち、あとはスポーツを楽しむ人ばかり。
自然のえさを与えてあげようと連れて行ったモルモットは、広大な芝生の上で固まるばかり。だいたい夜行性ですからね。飼い主の股間に隠れておびえていました。かわいそうなので、茂みに入れてあげました。
ヒイラギの木があったので、イメージスキャナーでスキャンしようと、良さそうな葉っぱを3枚選んでポケットに入れました。もちろん、すっかり忘れていて、シャツのポケットに入ったまま、洗濯されてしまいました。
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