心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2002年04月18日(木) 日常その2

「早く寝る」とか書いておきながら、午前3時半まで、いろいろやっていました。今夜もすでに2時近いです。
父がなくなったのが、僕のソブラエティの始まる半年前。父よりも10歳ほど年下の母と、実家の兄とで、続けてきた稲作ですが、ことしから供出ぶんは、農協に代理耕作を依頼することになりました。耕作するのは、自家消費ぶんだけです。おかげで、今週末の種まきは「来なくていいよ」といわれてしまいました。
ゴールデンウィーク明けの最初の土日が田植えになるのですが、毎年のように長野地区のオープンスピーカーズに重なり、ミーティングと田植えとどちらに行くか悩んだものですが今年は、オープンスピーカーズが連休前なので、助かります。もっとも、自家消費分の田んぼ3枚程度であれば、寝ぼすけの僕がお昼頃に駆けつけたころには、田植えが終わっているのでしょうが。



2002年04月17日(水) 日常

毎日日記を更新している人たちは「えらいなぁ」と、つくづく感じますね。
F&Fのように、予定校が自動的に入る仕組みもたいしたものだと思いますが、その文章を書くだけの余裕があるというのも、すごいですね。レーザービームプリンタを愛用しているのですが、これは機構は普通のフォトコピーと同じ機械なので「裏紙」を使うと、だんだん調子が悪くなります。
だからと言って「裏紙」を使わないで捨てるのももったいない話です。そこで、引退したインクジェットプリンターに登場願って、そっちは「裏紙専用」印刷装置になりました。でも、それをつないであるパソコンが起動していないと、ノートパソコン類からは(無線LANをとうしても)印刷できないのです。かといって、パソコン1台を一日中つけっぱなしにしておくのも電気代がもったいない。
そんな、わがままな要求を満たすために、プリントサーバーと呼ばれる品を安く入手してきました。その機械の設定に午前3時までかかったのが、月曜の晩。
火曜は仕事中に眠くて仕方なく、「フレックス利用して4時半で帰る」と宣言していたのに急な仕事が入って、深夜の帰宅になりました。ジュースでも買って帰ろうと思ってコンビニに寄ったのですが、どんなジュースもおいしそうには見えません。「うまそうだなぁ」と思う目線の先にあるのは、缶チューハイやリキュール類の缶。強い飲酒の衝動があるわけじゃありませんが、疲れで鈍磨し、しかもささくれだった神経をアルコールが優しく揉み解してくれる・・・という幻想を捨てきることができません。
そういえば、前回のスリップもコンビニで買ったリキュールから始まったんだっけ。
なんだかんだで、昨夜も午前3時になりました。
今日は早く眠れます。ゴールデンウィークも休めそうだし。



2002年04月15日(月) 別れ

昨年11月にひょっこりグループに現れた転勤族の仲間が、また移動していくことになりました。
今度は転勤ではなく、早期退職のハッピーリタイアメントだそうで、うらやましい限りです。転勤の途中で、東北に家を立てたそうで、そちらに移るとか。JSOの一覧表で見たら、その県にはミーティング場がふたつしかありません。彼がそのグループと関わるのかどうか、僕には関係のないことですが、できれば少ない仲間でやっているだろうそのグループに、力を分けてあげてほしいなと願うのです。さよならは言いませんでした。仲間曰く「AAに別れはありません」。ビックブックの最後にも書いてあります。
「また会いましょう」、握手、そして去っていきました。



2002年04月13日(土) 遠方より友来たる

大学時代の後輩が、信州へ遊びに来ました。
彼は卒業後、アメリカへ留学して、日本に戻った後に、院卒して、最近は外資系企業でシステム屋さんをやっているという、いわゆるエリートです。思い起こせば、僕の飲み方が最悪になる前、友人たちと居酒屋で騒いでいた頃、なぜかまったくアルコールを飲まない彼も、よく混じっていましたっけ。なぜ彼が「絶対に飲まない」のか、当時も理由を尋ねませんでしたし、今も知りません。東京在住の最後の頃は、知り合いに迷惑かけどおしだったので、信州に戻ってから昔の友人に連絡する機会もありませんでした。
一年目のバースディを迎える頃、彼の運営していたBBSやinternet場の掲示板に、そろりそろりと顔を出せるようになり、そのうちに少しづつ皆と打ち解けられるようになってきました。仕事で上京し、夜、時間があるよと言ったら、数人集まってくれました。僕がまったく飲まなくなった理由を、誰も尋ねませんでした。彼と会うのは、それ以来です。
昔の友達と、再度接触する機会を作ってくれた、大切な恩人。
僕は、感謝の言葉も何も言いませんでしたが、また再会を誓って別れました。今年こそ大学の学園祭に顔を出そう、と誓うのでした(多分無理だけど)。



2002年04月10日(水) 情報を良く伝えられたグループの良心

毎月の初旬に地区委員会の議事録の作成と発送、中旬に市内の病院向けに定期的なパケットを送るという習慣にしようと思っていたのです。が、・・・3月の中旬のタイミングを逃してしまって、3月のパケットがそのまま送られずに残っています。さらに、3月末の地区委員会の議事録も、先週末に清書しておきませんでした。
「いつまでも、ずるずると先延ばしにしているとまずいなぁ」とは思っていたのですが、意外な人から催促がありました。ミーティング会場とグループを閉めてしまった人から、「もう、議事録は送ってもらえないのですか?」という電話が入りました。議長からの指示で、今年いっぱいは議事録は送ることになっているので、単に遅れているだけだと説明して電話を切り、さっそく作業に取り掛かりました。
そして、今日8通の封書を発送して、作業は終了です。
この議事録、いったい何人の人に読んでもらえるのでしょうか。先に書記をやっていた仲間からは、毎月FAXで議事録を送ってもらっていたのですが、帰宅してFAXが届いているのを見ても、目を通そうという気力のある日のが少なくて、しばらくそのまま放置されているのが関の山でした。まあ、いちおうグループのビジネスミーティングの前には報告をするのですが、サービス活動に関心を持ってもらえない仲間にとっては、「いろんな話」の一部でしかないのかもしれません。ましてや、オフィス経由で送られてくる、地域や評議会の議事録をメンバーにちゃんと回覧しているグループはどれぐらいあるのでしょうか。(すくなくとも、うちのグループはしてません)。
「情報を良く伝えられたグループの良心」こそが「愛の神」であると言われますが、それだけ情報を分かち合っているかというと、それは現実には難しい話。会場を維持していくだけで、かなりのエネルギーを失ってしまっているのが現実でもあります。



2002年04月08日(月) 変化

(先週までの)スポンシーが「奥さんの世話」で休むという連絡があったので、司会を誰に頼むか悩みました。 このグループでは、司会者を選ぶのはチェアマンの権限です。来月半年のメダルの仲間に、「やってくださいよぅ。難しいことは何にも無いんだから」と押し付けて、コンビニにおにぎりを買いに行きました。
帰ってきたら、2月にバースディを迎えた仲間が、「やらせてもらいます」と言ってくれました。あれほど固持していた司会を・・・・。人は変化するものですね。「AAは輪番制ですから、次は誰それね」なんて話をしながら、ミーティングは始まりました。
珍客がひとりきました。卒業組のメンバーが、ひょっこりと顔を見せました。この会場も、どんどんメンバーが入れ替わっていくので、ちょっと驚いたんじゃないのかな。何せ彼の知っているであろうメンバーは、僕だけなんだから。ああ、いえけない。地区委員会の議事録を早く書いて、発送しないと。それから、市内の病院への定期便も出さないと・・・・。忘れていることが沢山あるきがします。



2002年04月07日(日) ひさかたのオフ

まずまずの週末だった・・・のかなぁ。
部屋の掃除ですが、「それよりもベランダに出してあるダンボール箱を片付けてくれ」という要望にこたえることにしました。 自分の望むことよりも、周りの人の願望をかなえるほうが、おおむね日々は順調に流れていくようです。
土曜日、閉鎖病棟に居ると聞いた昔の仲間を訪ねることにしました。お土産には、タバコを4箱。しかし・・・、面会制限で会えませんでした。「制限、いつごろ解けますかねぇ」と受付嬢に尋ねても判るはずもなく「主治医に確認とってから来てください」と言われても、ごもっともな話です。 余ったタバコをお土産に、仲間の家を訪ねました。 昔のPC-9821xxに、Windows95をインストールするためですが・・・・、やっぱ無理でした。 同じぐらい古い ThinkPad に、プリンタードライバーをインストールする手段も・・・だめでした。
何しにいったのか判らずじまいで、帰って焼肉を食べました。
日曜日。イチゴ農園にイチゴ狩りに行く予定だったのですが、予約がいっぱいで来週に繰越しました。しかたないので、DIYストアに買い物にいって、2時間店内を歩き回っていたら、疲れ果てて帰って寝てしまいました。 NOVAに行くために、夕方起き出してみると、義父が自分の車のついでに僕の車のタイヤもサマータイヤに交換してくれてました。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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