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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2002年03月04日(月) 時には不思議なことが起こる どうみても順調には滑り出しそうにない一週間のはずでした。
朝から憂鬱な会議があり、大切だけれどうっとおしい打ち合わせがあり、そしてスポンシーがミーティングに来るのか来ないのかハッキりしない状態。今週のスケジュールはスパゲッティのようにこんがらかって・・・。
ところが会議はたった45分で終わり、打ち合わせは担当者がインフルエンザでダウンしたせいで、明日に延期(明日までに治るのか?)。仕事中に携帯電話がワンコールだけ鳴って切れました。着信記録をみるとスポンシーの番号です。「どうせ『今日のミーティングは休む』だろう」などとタカをくくって、かけ直してみると、奥さんが出て「電話はかけてないですよ。全然。まだ、37度以上の熱が下がらなくて。この人は時々こういうことがあるんです。原因はわかりませんが」、そういえば前にも原因不明の熱が何回かあったような気がします。ごめん、あなたの「やる気」を疑って悪かったよ。内科行った方がいいよ。
落として壊したキーボードはすぐに修理できたし、6時過ぎに会社を出ようとしたときに伝えられたトラブルへの対処は、若い社員ふたりが替わりに対応してくれると言うし。3ヶ月先のミーティング会場は何の問題もなく予約できたし。おまけに、寂しいだろうと思っていたミーティングには、入院中の人の家族だとか、外泊中なんで子供連れてきましたとか、100Kmむこうから下道走ってきましたとか、なんだか賑やかなミーティングでした。誰もコーヒーを飲まなかったせいで、片付けも異常に楽だったし。
一日の最後に、1ヶ月近くにわたって行ってきた実験のデータを台無しにしても、まあ苦笑いして許せる気持ちでした。
不思議ですね。こんな一日があるなんて。神様からのプレゼントなんでしょうか。
2002年03月03日(日) イライラ イライラが治りません。
飲まないアルコホーリク(いや飲んでいるアルコホーリクも同じか)が、イライラするときは、「自分の思い通りにコトが運んでいかない」場合である場合がほとんどです。その原因が自分にあろうと、他の人にあろうと関係ありません。
なんだか中間管理職になってしまって、人の面倒を見るのが仕事になり、ひたすら会議の連続の毎日です。元来プログラマーである自分が、プログラムを最後に書いたのは去年の11月です。以来、1行足りとも書いていません。HTMLはイヤになるほど書きましたが、これはプログラムとは言えません。
週末にノバのレッスンをふたつ入れてしまったおかげで、週末もなんとなくテンションの高いまま推移してます。以前だったら、疲れていれば午後遅くまででも寝ていられたのになんだかお昼頃には目がさめてしまいます。
仕事にしても、プライベートにしても、AAにしても、大きな問題はなくて、深刻なのは家計の赤字ぐらいのものなのに、イライラが収まりません。「自分の思い通り」どころか「自分が何を望んでいるのか」さえも見失っています。謙虚とか、感謝とかが必要なのはわかっています。でも、それが実践できるかどうかは、別の問題なのです。なんとなくウツっぽいこともあり、不機嫌な顔つきで毎日を送っています。どうやらAAの仲間には(いや他の人にも)それが判るようで、「調子悪そうだね」と言われたりします。
2002年02月28日(木) 何が幸いするのかわからない 病院でやっているミーティングに参加しました。
いちおう「地区でやっているミーティング」という名目なのですが、地区委員会では「病院メッセージ」として、グループの輪番で維持されています。
今回は僕のグループの番でした。
いつもどおりに序文を読み、病院の外から来てくれている仲間に、ハンドブックの3章を読んでもらって、分かち合いを始めました。テーマは、平安の祈りから「自分に変えられないもの」。外から来ているメンバーは、僕を含めて3人。病院の治療プログラムの一環としてミーティングに出席している患者さんは、あまり話したがりません。でも、今夜は違いました。ある女性の方が、残りの時間のほとんどを独占してしまったのです。僕も司会として、「そろそろまとめてください」というお願いを一回いれたのですが・・・。司会の力不足と言われればそれまでですが、あまり良い雰囲気のミーティングにはなりませんでした。
地元の仲間ふたりは、「病院で強制的に参加させられている患者さん相手のミーティングをしても、そこから力をもらうのは難しい」と言い、病院の外にミーティング会場を作るほうへと話が転がっていきました。たとえ、ふたりだけのミーティングになっても、酒を止めたいと願う人の集まりがAAじゃないか、と。
そう。それって「伝統3」に従って解釈すると、立派な新AAグループの誕生じゃないですか。
帰りの車の中、「ヒョウタンからコマ」という言葉と、「Higher Powerの配慮」という言葉のどっちがふさわしいか、ちょっと考えてしまいました。
2002年02月27日(水) BOX到着 帰宅すると、JSOから封書が届いていました。
月末であることと、封筒の大きさからして、中身はBOX-916(日本のAAの月刊誌)だろうと予想をつけました。ひとついつもと違っていた点は、宛名がタックシールでなく、手書きだったことです。
夕食後、振込用紙を取り出すために、封書を開封しました。僕は実はBOX916を、あまりマメには読んでいないのです。他の仕事の関係の雑誌と一緒に積み上げられ、その山をどうにかしないと住めなくなるまで放置されているのが常です。あまりにも頭が疲れたときに、掘り出されてランダムに読み散らかされるのがせいぜいです。でも、他のメンバーの購読分は取り出さないといけませんし、振込用紙を会計係に渡さないといけないので、開封だけはしないといけないのです。
ところが、中から出てきたのは BOX 459 というニューヨークのGSOの出しているニュースレターでした。(ちなみに BOX 459 は、日本で「日本AAニューズレター」70円に相当するもので、日本のBOX 916に相当するのは、AA Grapevine誌です)。昨年末のと、今年最初のやつの2部入っていました。斜め読みしかしてませんが、シリコンバレーで日本語グループが始まったことや、東京でのスペイン語グループのスタートアップの話が載っていました。
疑問なのは、なぜこれが僕のところに届けられたかです。封書の裏には差出人名がありませんからオフィス発送物なのでしょう。これはつまり、第4版の Personal Stories の日本語訳に手を上げた人間に、何らかのパケットとして送られた、と考えていいでしょう。
ま、そのボランティア作業からは、抜けられなくなったということでしょうね(笑)。
2002年02月26日(火) 喪失 らいでんグループの書きかけの地図を失いました。
いつもはZIPの100MBのディスク上で作業をしています。会社のPCにも、自宅のPCにも、ノートパソコン類にもすべてZIPドライブが装備されていて、どこに移動しても作業が継続できるというのが、僕の環境です。で、そのZIPディスク上のデータは、HDDにコピーしておくのが習慣です。データの編集は、ZIPディスクのを取り扱い、HDDはあくまでバックアップ用です。ところが、間違ってHDD側のデータを編集していたのに気づきませんでした。そう、せっかく編集した地図データが、ZIPの古いデータで上書きされてしまったのです。
不思議なことに、怒りとか憤懣とか、喪失感とかは発生しませんでした。かわりに、すこし陰気な諦念が訪れました。まあ、また書けばいいのです。どんなに頑張っても(データ復旧ソフトを使っても)失ったデータは返ってきません。あがけばあがくほど、自分が苦しくなるのは経験から学んだことです。
20年近くパソコンを使ってきて、今手元にあるデータはここのところ6年ぶんぐらいです。ファイルひとつ失ったからなんだというのでしょう。まあ、前回9か月分のデータを一挙に失ったときは、心が平静を取り戻すのに、かなり時間がかかりましたが。
2002年02月25日(月) 賑やかなミーティング いつもより少しだけ早く仕事を切り上げて、ミーティング場に向かいました。
途中のコンビニに、パンとジュースを買おうと立ち寄ったら、仲間に出会いました。不思議なものです。最近コンスタントに来ているメンバーは、全員が揃いました。病院からの外泊で来てくれた仲間もいました。僕らのミーティング場は、大きな公民館の2階にあります。正面玄関から入ると、前のホワイトボードに、どこの部屋でどんな会議(やら習い事やら)をやっているのか、書いてあります。第3会議室は、市の催し物か、地元の町会の集まりでもないかぎり、たいていはAAが使っています。
表玄関から入って、見上げると、階段の上が第3会議室。その階段を上れずに帰って行く仲間がいることは、知っていました。決して敷居が高いわけじゃないのですが・・・。
「あそこでとって返した」と経験を話す仲間もいます。
ドアをくぐれば、仲間はあたたかく迎えてくれるもの。何で飲んだの? なんて聞きはしません。また一緒にやろうよ、と言うだけです。ハードルは、その人の心の中にあるものでしょう。
近くの病院からは、若い患者さんが看護婦さんに付き添われて、また、大学病院からはドクターも現れました。え? すっかりクローズドじゃなくなっているって? 大丈夫。悪影響はないと思うし、もしあってもそれは長続きするような影響じゃありません。
2002年02月24日(日) 権兵衛トンネル 木曾谷と伊那谷を結ぶトンネル工事が進んでいるそうです(国道361号線)。え〜、ちなみに伊那地方に住んでいる人に「伊那谷」というと怒られます。
「これは谷じゃない、平野なんだ」
たしかに、長野県の県歌にも「松本・伊那・佐久・善光寺、よっつの平らは肥沃の地」とありますね。でも、北半分は桜で有名な観光地のほうまで広がりを見せて「盆地」っぽいですが、南のほうへ行くと河岸段丘の目立つ地形になっていきます。でも、僕はあの平らが好きなのです。「陽光溢れる」というようなイメージがあります。なにせ、そこで2ヶ月の入院生活もしたことですし。
で、木曾のほうへは一度も言ったことがありません。電車で通過したことはありますが、国道を車で走ったこともありません。そして、そこには長い間、断酒会もAAもありませんでした。断酒会が出来たと言うニュースは新聞にも載りました。でも、AAを求めてくる人にとっては、谷を北に抜けて松本まで来るしかないのです。でも、それはちょっと遠すぎるのです。
中央アルプスを越える道は険しすぎて、伊那方面のAAミーティングへの参加は事実上無理なのだと聞きました。あそこにトンネルができればね〜。という話が何回でたことでしょう。トンネルを出て下れば、そこは伊那谷のミーティング場。トンネルを抜けて、そこへ通う人がきっといつかは出てくると思います。
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