ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2001年11月04日(日) 公園 子供たちと一緒に公園へ行きました。
もっとも、起きたのが昼でしたから、出かけたのは午後3時近くです。
もう冬も近いので、太陽はあっという間に西に傾きます。
公園内の公民館で、来月の委員会の部屋を予約しました。
子供たちは、ブランコをやったり、滑り台をやったり。
沈みかけた太陽を見に、築山を上って芝生のほうへ行こうとしたら、築山の東屋に二人のホームレスが居を構えていました。でっかい焼酎のビンが置かれていましたが、おそらくその中身は水でしょう。
「アル中は浮浪者にはなれない」と言われます。
ハードな路上生活に耐えられないのだ、と経験者の話をきいたこともあります。ドヤ街の人たちのアルコール依存症の罹患率は、普通の社会と変わりないとか。
2001年11月03日(土) 地区委員会 地区委員会へ出席しました。いつもは、僕の住んでいる市内で開かれるのですが、今日は祝日なのでその施設が夜はつかえません。ので、以前使っていた会場で開かれました。そこへ行くには、トンネルをふたつ抜けなければなりません。それだけで、往復2400円の出費となります。いつも遠くから委員会にやって来るメンバーの苦労がしのばれます。
委員会でもっとも紛糾するのは、いつ・どこで委員会を開催するかという点です。それは、「委員会がどうあるべきか」という理念も絡めた話なので、常にその話が出るのは、ある意味委員会が正常に機能している証なのかもしれません。ともかく、来月は従来どおり僕の地元で会場を確保することになりました。その後は、来月選出される三役(議長・副議長・会計)に委ねられることになります。
2001年10月31日(水) 月末 午後3時ぐらいまでに仕事が終われば、信州に帰ることにしたでしょうが、午後5時すぎ、という中途半端な時間で開放されました。無理すれば帰れないこともありませんが、荷物はホテルの部屋の中だし、これから帰っても遅くについて、朝から出社というのもしんどい、という結論に達しました。仕事は、まだ気の抜けない状態ですが、それでも「10月いっぱいで一通り完成させる」という目標の90%ぐらいは達成したでしょうか。
ともかく長い10月の出張は終わりです。
今夜はホテルに泊まって、明日は一日移動日としました。「海が見たい」という若い同僚の願望に沿って行動することにしましょう。なんと言っても、僕が「長い夏休み」を取った6月半ばから8月終わりまで、この仕事をリードしてきたのは彼なのですから。
2001年10月27日(土) 東京タワー見物 結局土曜の昼まで仕事して、茨城を発ったのが午後一時でした。
秋葉原に寄ろうと思っていたのですが、今日は土曜日・・・混んでます。あそこは土日に行く場所ではありません。若い同僚は、「秋葉原以外にどっか見物するところないですかねぇ」と言うのですが、僕だって、東京にいた頃は飲んでいたばかりで、遊び歩いてはいなかったんで、行って面白いところなんて知るわけありません。
「東京タワー」という案が浮かびました。そう言えば、東京タワーにのぼったのは小学校の時の一回だけです。確か下に蝋人形館があって・・・。
浜松町の駅で降り、コインロッカーを探しますが、見当たりません。
「あんまり大きな荷物を抱えてうろちょろしてると、おのぼりさんぽくて嫌だ」
だから、荷物はコインロッカーに押し込めて・・・と思ったんですが、考えてみると東京の人が、東京タワー見物に行くはずもないので、気にしたことはありません。タクシーに乗っていくと途中に大きな門が見えました。「ありゃなんすか?」と、タクシードライバーに尋ねると、「増上寺、徳川の菩提寺ですよ」と教えてくれました。
さて、東京タワーのコインロッカーに荷物をいれ、820円の払って150mの展望台まで登りました。自分でも意外なことに、楽しくなってしまって、だいぶはしゃいでしまいました。あれが皇居だとか、富士山見えないねとか。展望台からは、階段を歩いて降りることができます。残念ながら蝋人形館に寄っている時間はなくなりましたが、スタジオジブリのグッズを売っているお店があったんで、ハンカチを2枚ほどお土産に買って帰りました。僕が茨城出張が続いているあいだ、バスケットは車のあるメンバーに押し付けるように頼み、会場を空けるのはスポンシーに頼み、司会は隣のグループの女性にたのみました。彼女は、前回の台湾出張のときにも世話になりました。
一枚は彼女にわたそうと思います。
2001年10月25日(木) 帰るのが・・・ 土曜になっちゃいました。秋葉原によりたいなぁ。
2001年10月24日(水) 初めて茨城でミーティング 仕事はあいかわらず忙しいです。夜8時半ぐらいまでやってます。というか、普通この進捗状況なら夜半過ぎまでやっていたって不思議はないのですが、不景気で就業制限でもあるのでしょうか、8時過ぎると打ち切りです。今日はスタッフの方の送別会があるから、という理由で5時で終わりになっちゃいました。今日が木曜日だったら、隣の駅の近くでミーティングをやっているのに・・・しかし、実は木曜以外の日のスケジュールも調べてありました。どこで夕飯を食べるか相談している同僚に、「友人に会いに行ってくる」とだけ言って分かれました。
電車に乗って一時間ほどで、水曜日のミーティング会場のある駅につきました。タクシーの運転手さんに「住所はここ。たぶんカトリックの教会だと思う」と伝え、着いてみるとワンメーターの距離でした。
女性がチェアパースンをしている独特な雰囲気の会場でした。(といってももし彼女が僕らの会場にきたら「変わってるねぇ」と言うでしょうけどね)
酒臭い息を放つ新人さんもやってきていました。
僕もでろんでろんに酔っ払ってミーティングに行った過去があるので、決して彼のことを責められません。でも、皆「来週は24時間酒を切ってからおいでよ」と言ってましたね。
日本中どこへ行っても会場があるのがありがたいです(ない県もあるけど)。夕闇の中に、AAの看板がかかり、仲間のいる部屋の明かりをみつけると心底「ホッ」とします。誰も知っている人がいなくても、心が温まります。
帰りは駅まで仲間の車で送ってもらいました。少しでも休もうと、特急に乗って帰りました。ラーメン屋で夕食。外面的に捉えれば、肉体がこれだけ疲れているのなら、ホテルで横になって体を休めるべきなのでしょう。でも、苦しかった何かから開放された気分です。
2001年10月20日(土) 帰ってきました 結局水戸のミーティングには出られませんでした。
というか仕事に火がついて、しかもそれに油を注ぐ決断を下してしまい、暗惨たる気持ちで帰ってきた次第です。また、来週も出張です。午後2時から仕事の打ち合わせをし、4時過ぎに抜け出して、仲間と温泉→ミーティングという計画を立てたのですが、「今日は行けない」とすげなく断られてしまいました。
前々から話をしてあったわけじゃなく、車中から携帯で電話しての話ですから、断られてもあたりまえなんですが、ちょっとしょんぼりしたのも事実です。
実際には打ち合わせは夕方までかかり、仕事を抜け出せたのが6時半。それから電器店によって買い物をし、峠を越えてミーティングに行くのはとてもしんどく感じられました。行かない言い訳は山ほど言えます。疲れている・ご飯を食べている暇がない・どうせこれから行っても間に合わない・・・でも、2週間もミーティングから遠ざかって心が荒れている事実は隠しようがありません。高速を使っても、結局30分遅れでした。
人数の少ない、なにも特別なことのないミーティングでしたが、とても「ホッ」としました。仲間の話を聞いているうちに、僕の中で何かが変わりました。
「僕は信じている。何を信じているのか自分でも判らないけれど、ともかく何かを信じている」、隣の仲間がうなずいてくれます。そして「性格上の欠点」が自分を苦しめているのを認め、その欠点を「自分で取り除ける」という考えに固執していたことも理解しました。それを取り除ける力は自分にはないことも。
久しぶりに会えた仲間もいました。僕は知らなかったのですが、彼は別の病とも闘っている最中でした。何もいえませんでした。昼間の仲間に、「帰ったら電話する」と約束していたのですが、途中で寄り道して遅くなり、夕食と風呂をすませたら12時をまわっていました。彼から留守電が2件入っていました。明日電話して謝らないとね。
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