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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2001年10月27日(土) 東京タワー見物 結局土曜の昼まで仕事して、茨城を発ったのが午後一時でした。
秋葉原に寄ろうと思っていたのですが、今日は土曜日・・・混んでます。あそこは土日に行く場所ではありません。若い同僚は、「秋葉原以外にどっか見物するところないですかねぇ」と言うのですが、僕だって、東京にいた頃は飲んでいたばかりで、遊び歩いてはいなかったんで、行って面白いところなんて知るわけありません。
「東京タワー」という案が浮かびました。そう言えば、東京タワーにのぼったのは小学校の時の一回だけです。確か下に蝋人形館があって・・・。
浜松町の駅で降り、コインロッカーを探しますが、見当たりません。
「あんまり大きな荷物を抱えてうろちょろしてると、おのぼりさんぽくて嫌だ」
だから、荷物はコインロッカーに押し込めて・・・と思ったんですが、考えてみると東京の人が、東京タワー見物に行くはずもないので、気にしたことはありません。タクシーに乗っていくと途中に大きな門が見えました。「ありゃなんすか?」と、タクシードライバーに尋ねると、「増上寺、徳川の菩提寺ですよ」と教えてくれました。
さて、東京タワーのコインロッカーに荷物をいれ、820円の払って150mの展望台まで登りました。自分でも意外なことに、楽しくなってしまって、だいぶはしゃいでしまいました。あれが皇居だとか、富士山見えないねとか。展望台からは、階段を歩いて降りることができます。残念ながら蝋人形館に寄っている時間はなくなりましたが、スタジオジブリのグッズを売っているお店があったんで、ハンカチを2枚ほどお土産に買って帰りました。僕が茨城出張が続いているあいだ、バスケットは車のあるメンバーに押し付けるように頼み、会場を空けるのはスポンシーに頼み、司会は隣のグループの女性にたのみました。彼女は、前回の台湾出張のときにも世話になりました。
一枚は彼女にわたそうと思います。
2001年10月25日(木) 帰るのが・・・ 土曜になっちゃいました。秋葉原によりたいなぁ。
2001年10月24日(水) 初めて茨城でミーティング 仕事はあいかわらず忙しいです。夜8時半ぐらいまでやってます。というか、普通この進捗状況なら夜半過ぎまでやっていたって不思議はないのですが、不景気で就業制限でもあるのでしょうか、8時過ぎると打ち切りです。今日はスタッフの方の送別会があるから、という理由で5時で終わりになっちゃいました。今日が木曜日だったら、隣の駅の近くでミーティングをやっているのに・・・しかし、実は木曜以外の日のスケジュールも調べてありました。どこで夕飯を食べるか相談している同僚に、「友人に会いに行ってくる」とだけ言って分かれました。
電車に乗って一時間ほどで、水曜日のミーティング会場のある駅につきました。タクシーの運転手さんに「住所はここ。たぶんカトリックの教会だと思う」と伝え、着いてみるとワンメーターの距離でした。
女性がチェアパースンをしている独特な雰囲気の会場でした。(といってももし彼女が僕らの会場にきたら「変わってるねぇ」と言うでしょうけどね)
酒臭い息を放つ新人さんもやってきていました。
僕もでろんでろんに酔っ払ってミーティングに行った過去があるので、決して彼のことを責められません。でも、皆「来週は24時間酒を切ってからおいでよ」と言ってましたね。
日本中どこへ行っても会場があるのがありがたいです(ない県もあるけど)。夕闇の中に、AAの看板がかかり、仲間のいる部屋の明かりをみつけると心底「ホッ」とします。誰も知っている人がいなくても、心が温まります。
帰りは駅まで仲間の車で送ってもらいました。少しでも休もうと、特急に乗って帰りました。ラーメン屋で夕食。外面的に捉えれば、肉体がこれだけ疲れているのなら、ホテルで横になって体を休めるべきなのでしょう。でも、苦しかった何かから開放された気分です。
2001年10月20日(土) 帰ってきました 結局水戸のミーティングには出られませんでした。
というか仕事に火がついて、しかもそれに油を注ぐ決断を下してしまい、暗惨たる気持ちで帰ってきた次第です。また、来週も出張です。午後2時から仕事の打ち合わせをし、4時過ぎに抜け出して、仲間と温泉→ミーティングという計画を立てたのですが、「今日は行けない」とすげなく断られてしまいました。
前々から話をしてあったわけじゃなく、車中から携帯で電話しての話ですから、断られてもあたりまえなんですが、ちょっとしょんぼりしたのも事実です。
実際には打ち合わせは夕方までかかり、仕事を抜け出せたのが6時半。それから電器店によって買い物をし、峠を越えてミーティングに行くのはとてもしんどく感じられました。行かない言い訳は山ほど言えます。疲れている・ご飯を食べている暇がない・どうせこれから行っても間に合わない・・・でも、2週間もミーティングから遠ざかって心が荒れている事実は隠しようがありません。高速を使っても、結局30分遅れでした。
人数の少ない、なにも特別なことのないミーティングでしたが、とても「ホッ」としました。仲間の話を聞いているうちに、僕の中で何かが変わりました。
「僕は信じている。何を信じているのか自分でも判らないけれど、ともかく何かを信じている」、隣の仲間がうなずいてくれます。そして「性格上の欠点」が自分を苦しめているのを認め、その欠点を「自分で取り除ける」という考えに固執していたことも理解しました。それを取り除ける力は自分にはないことも。
久しぶりに会えた仲間もいました。僕は知らなかったのですが、彼は別の病とも闘っている最中でした。何もいえませんでした。昼間の仲間に、「帰ったら電話する」と約束していたのですが、途中で寄り道して遅くなり、夕食と風呂をすませたら12時をまわっていました。彼から留守電が2件入っていました。明日電話して謝らないとね。
2001年10月14日(日) また、茨城へ出張です。 日曜日の日記ですが、これを書いているのは月曜の朝3時です。7時には起きて、特急電車で茨城へ向かわないといけません。大きな出費を強いられましたが、それでもノートPCと一緒ならあまり苦にならないというのが・・・
今週は結局一回もミーティングには出ませんでした。来週も多分(木曜の水戸に行けなければ)、無理でしょう。また土曜に戻ってきたときに、隣のグループの会場に行くのが精一杯でしょう。
実は、メインサイトの作成中のデータを収めたZIPディスクが、破壊されてしまいました。幸い、前回の茨城出張の際に、あちらでも更新しようと全部ノートPCにバックアップしてあったので、実質的被害は一週間分にすぎないのですが、精神的ショックは大きかったです。ああ、眠い(というか)疲れた。
グループの仲間からも電話があり、留守の間は心配するなと言ってもらえました。ありがとう。仲間。
2001年10月10日(水) トンネルの中 今月後半のスケジュールについて、仲間とメールで打ち合わせしました。基本的に僕はもう、ホームグループのミーティングも、病院メッセージ関連も今月一杯は全滅です。そのかわり、週末は隣のグループのミーティングになるべく出るようにするつもり。でも、今週はどうなるかわかんない。
過去の経験からすると、ミーティングから離れて10日ぐらいすると、
「ソブラエティの質が悪くなる」
傾向がでてきます。
「質が悪い」っていう表現はわかりにくいかもしれませんが、感情の安定を失う方向へ行きやすいのです。
2001年10月08日(月) JSOよりパケット到着 JSOからニューズレターと常任理事会の議事録が届きました。これはグループの代議員宛に定期的に送られてくるものです。知らなかったのですが、6/14にNHK教育の「人間ゆうゆう」と言う番組でAAのことが取り上げられたそうですね。その後一週間JSOは電話での問い合わせの応対に追われたとか。やっぱりメディアの力は大きいですね。アメリカのAAも新聞などのメディアの協力を得て成長してきたわけですから、日本でもそうした行動が取れるとよいですね。
え? おまえがやれ?
すんません、グループと病院Mの維持で精一杯でして・・言い訳ですね。ごめんなさい。それとJSOが土日の業務(第4土日)を再開したのもうれしいニュースです。東京の大メンバー集団によって支えられている関東甲信越のオフィスは年中無休です。田舎者の僕たちも、そこの地域に組み込まれているおかげで(たいした献金をしなくても)その恩恵に与っているわけですが、他の地域のオフィスのマンパワーや財政状態を聞くと、やっぱりJSOが多くを補う必要があるのでしょう。
あとニューズレターのほうからは、ニューヨークGSOの二人がJSOを訪れた話が興味深いです。実名を伏せる(アノニミティ=無名性)は「活字・電波・映像」の分野についてであって、AAの内部では(必要があると判断すれば)実名を明らかにする必要があるということ。最近日本独特の「ニックネーム」に関しての議論もありますし、実名を使う仲間も増えています。もちろんアメリカでも日本でも頭文字1文字しか名乗らない仲間も沢山いるわけでそれで当然なんですが、サービスの分野などで、必要な権限を与えられる人間が身元を明らかにするのは、考えてみれば社会の常識でもあります。
僕も、AA用の名刺は実名部分が大きく、ニックネームはつけたしという形に切り替えました。
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