心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年12月08日(木) 豊川一家殺傷事件について

この雑記ではあまり時事問題を取り上げませんが、今回は

豊川一家殺傷の長男に懲役30年 名古屋地裁支部判決
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011120790151544.html

を取り上げます。

15年間ひきこもり状態だった30才の長男が、回線を解約されインターネットが使えなくなったことを恨んで両親や同居の弟一家を包丁で襲って殺傷、自宅に放火した事件です。とりわけ1才の姪まで殺害したことは凶悪とされ、地裁の判決は懲役30年でした。

長男(被告)はネットでの買い物の借金が200〜300万円あったとされています。ひきこもり状態で無職の被告になぜ多額の借金ができたのか。それは父親名義でクレジットカードを作って買い物をしていたからだそうです。また、ワイドショーでのレポートなので信憑性は不明ですが、父親の給料は長男が管理し、父親に5万円、母親に4万円渡し、残りを全額長男が使っていたとされています。

長男は中学卒業後、菓子製造会社に1年ほど勤めたものの退職。その後はひきこもり状態。他に新聞配達の次男が同居(事件時は外出していて無事)。さらに、事件の一年前には三男が派遣切りにあい、内縁の妻と1才の娘(長男にとっては姪)を連れて実家に戻ってきました。その頃からトラブルが急増。姪の夜泣きにキレた被告が怒鳴り声をあげ、男同士の口論が絶えなくなり、しばしば警察が呼ばれました。

ネットではアイドルの写真集やアニメのDVDを購入。さらにネットオークションで人に競り勝って落札することに熱中したといいます。手に入れたのは、壊れた家電製品や段ボール箱100個など無用のもので、家に届いてもほったらかしだったといいます。

事件の数日前には、長男が父親の身分証明書を使って銀行口座を開設しようとしたために、110番で自宅にパトカーが呼ばれていました。

父親は借金が増えるばかりで口座引き落としすらままならなくなり、ネット接続を解約しました。この判断が、相談を受けていた警察の助言によるものなのかどうか、そこは曖昧でハッキリしません(させたくないのかも)。

ネットという「ライフライン」が使えなくなったことに逆上した長男は、深夜に懐中電灯を片手に家族を包丁で刺して回り、放火、血まみれの姿で燃える自宅を眺めているところを逮捕されました。生き残った家族は検察求刑時のインタビューに「死刑にして欲しい」と答えています。

・・・

さて、この事件をどう読み解けばいいのでしょうか。

アディクション的な解釈では、長男はインターネット依存であり、買い物依存だということになります。そして、家族が長男に買い物を許してきたのは「イネイブリング」という間違った対応であり、それによって依存症が進行して深刻化、ついには家族が生活を防衛しようとネットを切断したことが最悪の結果を招いた、ということになるのでしょうか。

アルコール依存に対比させれば、家族が酒や金を与えたり、(自分で稼いで飲んでいるなら)その他のトラブルの尻ぬぐいをすることで、本人が自分問題を直視せずに飲み続けることを可能にしている、という「イネイブリング理論」です。家族が手助けを拒否することで、本人が問題に直面化できるという理屈です。

ところがこの事件にはこれが当てはまりません。捜査と裁判の中で、被告(長男)は発達障害であることが明らかになっています(自閉症と知的障害)。障害の詳しい内容は報道されていませんが、ネットへののめり込みには自閉的特性が関係していることは明らかです。また、買い物にブレーキをかける力の弱さは、知的な弱さが影響しているでしょう。こういう人をアディクションとして扱って、依存症治療の枠組みに入れてもなかなかうまくいかないという報告は最近あちこちからあります。

(間違ったやり方ではありましたが)家族が手助けしなければならないのには、本人の能力不足という理由があり、手助けすること自体を「イネイブリング」とはとうてい呼べません。

必要であれば入院治療を経た上で、自立支援の福祉施設で生活訓練を行い、生活自立を目指すことが正しい対応でしょう。おそらくは小学校・中学校時代は普通学級だったのでしょうが、特別支援学級のほうがふさわしかったのかもしれません。

第一審では、検察側が殺意と完全な責任能力を主張して無期懲役を求刑。弁護側は、けがをさせるつもりで殺意はなく、責任能力は限定的で心神耗弱状態だったと主張しました。判決では完全な責任能力を認める一方で、「誰にも障害に気付いてもらえず、支援を受けられなかった。家族の行為が結果的に被告を追い詰めた」という事情を酌み、無期懲役を選びませんでした。その量刑が相応しいかどうか、僕にはわかりません。

皮肉なことに、この長男は凄惨な事件を起こすことで、障害を見つけてもらい、支援を受ける見通しが立ちました。あまりにも遅すぎる発覚、遅すぎる支援ではありましたが。

アディクションの世界にいる僕らはこの事件からどんな教訓を読み取ればいいのでしょうか。

一つは、××にのめり込んでいれば××依存症、という単純な図式を捨てることです(例えばパチンコのめり込んでいればギャンブル依存症とか)。人が何かにハマるのには様々な理由があります。アディクションである場合もあれば、違うこともあります。そして違っているのに、アディクションの図式を当てはめた支援を行うと、本人のためにも、家族のためにもなりません。

もうひとつは、そろそろイネイブリング理論は有効性を疑われるべきだろうということです。少なくとも単純に手助けをやめれば良いとは言えなくなっているのではないでしょうか。最近の新しいアディクション治療では、周囲の関与を求める傾向になっています。

さらにもう一つ。家族にも支援が必要となる可能性です。両親の二十数万円の収入を長男が管理したと聞けば、暴力によって家族を支配していたのだろうと想像してしまいます。しかし実は両親が金銭管理が苦手で、数年前より長男に管理をまかせており、ATMを操作させるために父親が長男を銀行に連れて行くこともあったとされています。両親にも援助が必要だったわけです。

小学校時代の長男は学校ではしゃべらず、イジメやからかいの対象にされ、家庭での虐待やネグレクトをうかがわせるエピソードもあります。中学になるとゲームやパソコンに熱中。卒業後は菓子製造工場でパンを包装する単純作業を黙々とこなし、働きぶりを評価されたものの、1年後に後輩たちが入社してくると指導ができずに仕事を辞めてしまいました。その後見つけた仕事は、最初に30万円を支払うと仕事を紹介してくれるという詐欺に近いもの。それに失敗したことが、社会に背を向けてひきこもりを選ぶきっかけになりました。

どこかで支援が入っていれば事件は防げたように思います。もちろんその支援は、ネット依存症や買い物依存症という視点からのものではないはずです。


2011年12月06日(火) 趣味と回復

先週末土曜日は、関西アルコール関連問題学会の京都大会で「アディクションと発達障がい」という分科会に話題提供者として出席していました。なぜ僕ごときが呼ばれるかと言えば、アディクションと発達障害の関係について取り組んでいる人が全国的にまだまだ少ないからに他なりません。

質疑応答の時間に、子供の発達障害を扱っている人が質問をされていました。子供はアディクションにはなるとは思えないので、発達障害の情報を求めに来られたのでしょう。その「少しでも多くの情報が欲しい」という気持ちが、僕にも分かるようになってきました。

アディクションからの回復には様々な手段が提供されていますが、結局一つのことを目指しているように思われます。断酒会のひたすら酒害体験を話すことでも、AAの12ステップでも、アミティの手法でも、どれも自己洞察の深まりこそが回復という点は共通です。目指すことが一つならば、いろんな手段に手を出すより、一つのやり方に習熟するほうが明らかに良いです。

ところが発達障害というのは千差万別です。そりゃ診断名はアスペルガーだADHDだLDだと分かれていますが、抱えている特性(能力の凸凹)は人それぞれで、別個の対応をしなくてはなりません。個別対応、個別支援が合い言葉になります。目の前の人にどんな手段が合うかを考えるためには、たくさんの情報に触れる必要が生じてきます。

その分科会で リカバリースペース みーる の取り組みが紹介されていました。みーるはアディクションの人も、発達障害の人もいる通所型の施設です。興味深かったのは、「べてるの家」の当事者研究の手法を取り入れていることです。

当事者研究については活字でしか知らないので、あまり詳しく説明できないのですが、自分で自分のことを(つまり当事者が)研究するという手法です。自分の抱えている困難を自分で解明し、その困難(病気)に自分で名前を付け、ホワイトボードなどを使って自己開示し、どうやってその困難を乗り越えていくか仲間からの提案を受け話し合いながら、解決策を見いだしていく・・というやり方です。生活上の困難という問題に着目したとき、その人の医学的な病名(統合失調症とか発達障害とかアディクションとか)はもはや意味をなさなくなります。

そのみーるのスタッフの山崎さんという方との雑談の中で、「アスペルガーの人は、孤立を望んでいるように見えて、実は内面は淋しくて、人との関わりを望んでいるんですよね」という話ですこし盛り上がりました。人と触れ合いたいのに、触れ合うことが苦手でもあることが彼らのディレンマです。淋しさゆえに人の集まるところに出かけていき、でも人と一緒にいても触れ合った気がしない不全感があり、精神的に疲れて帰ってきて「もう二度と行きたくない」と後悔しつつ、でも淋しいからしばらくするとまた行きたくなる、というサイクルを繰り返しているように観察されるのです。

淋しくても一人でいることを選ぶ人もいるでしょう。疲れても人と関わることを望む人もいるでしょう。どの立ち位置を選ぶかは、その人の人生の選択と言えるのかも知れません。

ただ発達障害の人には一人で楽しめる趣味を持つことは役に立つと考えています。趣味の中には人数が集まらないとできないものもありますが、一人でできる趣味もたくさんあります。山へ登るのも、魚を釣るのも、写真や絵も、スポーツ観戦や観劇や映画鑑賞、ジムで体を動かすのも、泳ぐのも良しです。定型発達の人は人に気を遣い遣われることが心の疲れを癒しますが、発達障害の人は気を遣ったり遣われたりする場でかえって疲れしてしまうことが多いのです(特に自閉圏の人は)。一人で楽しめることを持つのが大切です。

とある施設にAAのメッセージ活動にお邪魔したとき、「趣味を持つことは断酒の役に立つか?」という質問が出されました。当然答えは「役に立ちません」でした。ことアディクションに限れば、この答えは真です。趣味を持つことに自己洞察の深まりは期待できませんから。趣味がいけないわけではありませんが、大事な時期には回復に時間を割いたほうがその後の人生が違ってきます。しかし発達障害の人だったら、趣味を持つことは断酒の維持に役立つと思います。(ただ趣味さえあればいいってもんでもありませんが)。

人は誰でも淋しさを抱えており、人と交わりたいと願っています。しかし、人と一緒にいても心が触れ合っている気がしない不全感が、アスペルガーをはじめとする自閉圏の発達障害の人の淋しさを際立たせています。どこへ行っても、自分はここの仲間に入れていないかも知れない、という不安に付きまとわれているように見受けられます。おそらくは情報選択能力の問題で、押し寄せる情報の中から「私はあなたを受け入れていますよ」という情報をすくい取ることが苦手なのだろうと解釈しています。

京都から東京に移動し、日曜日午前中は某12ステップ勉強会。午後は吉祥寺の成城大学で開かれたJDDネット(日本発達障害ネットワーク)の年次大会を聴きに行きました。お目当ては就労支援と高等教育の就学支援。その話はまた後ほど。


2011年12月01日(木) 司会者の心得・ブルーカード

Twitterのほうで、ちょこっとだけ話題になっていた件です。

僕のつながった頃のAAでは「司会者の心得」というリーフレットが使われていました。

紙の片側には「オープンミーティングの場合」とあり、司会者がミーティングの前に読み上げる形式でした。その内容をざっと紹介すると、「ここで話されたことはすべて個人の意見であって、AA全体を代表するものではないこと」、「ここで話されたこと、会った人のことは、この会場内にとどめておく」、「出席者のプライバシーを保護するために、写真撮影、テープ、メモはご遠慮下さい」というのが主旨です。

紙の反対側は「クローズドミーティングの場合」。こちらはミーティングの締めくくりに読むもので、「話されたことは、すべて個人の意見であって、AA全体を代表するものではない」というのと、「持ち帰りたいものだけを持ち帰り、それ以外はこの場に置いていって下さい」とあり、さらに「うわさ話や陰口が私たちの中に無いように」とあります。

なぜこの「司会者の心得」が使われるようになったのか。AAサービスの生き字引みたいな人に尋ねてみたところ、ずっと以前のAAで、プライバシーが守られない深刻なトラブルが起こり、注意喚起のために善意のメンバーたちが作ったリーフレットがやがて広まったものだ、と聞きました。まだ関東のセントラルオフィスができる前だったので、リーフレットはJSOで扱われるようになり、それがあたかもAAの共通認識であるかのような印象を与えたのであろう、ということでした。

そもそも、写真撮影、テープ、メモの禁止がAA共同体の意見として決まっていたわけではないし、自助グループとはそういうもの、という認識を広める意図があったわけでもありません。もちろん、AAのような個人的な事柄がシェアされる団体の中でプライバシーという人権を尊重することは大切で、AAの様々な出版物の中でもそのことは繰り返し強調されています。

ところが、AAの中でプライバシーのことばかり言っていられなくなった事情がありました。1990年代にはセクハラが社会問題として取り上げられるようになり、1999年には職場のセクハラ防止が法律で義務づけられました。社会全体がセクハラ・パワハラ防止に傾いている中で、AAも社会の動きと無縁ではいられませんでした。

当然ミーティング会場でセクハラを受けた人(主に女性)からは、被害の訴えがあちこちから出されてきました。AAは警察機構や懲罰制度を持ちませんから、できることと言えば、せいぜい皆で話し合って注意喚起するぐらいですが、それすらも満足にできない状態でした。というのも、「ミーティング場であったことは、外には持ち出せない」と言い張って、都合の悪いことを隠蔽する体質ができあがっていたからです。これでは話し合いすらできず、被害者は泣き寝入りするしかありません。

人は様々な権利を持っておりそれがバランス良く保護されねばなりませんが、どうやら当時のAAではプライバシーという人権だけが突出してしまい、その他の人権が軽視されるような事態になっていたのです。プライバシー偏重体質に「司会者の心得」も一役買っているのは明らかでした。

その頃、アメリカのAAでは、ミーティングの前に読むために「ブルーカード」という紙が作られている、という情報が入ってきました。これも1枚紙のリーフレットで、片側がオープンミーティング用、反対側がクローズドミーティング用となっています。ただ、その内容は日本の司会者の心得とは異なっています。

僕はアメリカのAAミーティングには出たことはありませんが、聞くところによれば、1970年以降AAには様々な「AA以外の」様々な考えが持ち込まれるようになったそうです。薬物依存やACの人たちが参加し始め、その人たちはアルコールとは違う問題について話し始めました。また解決手段も、ゲシュタルト療法やインナーチャイルドや承認欲求うんぬんという話が増えていきました。(とりわけアルコール依存と薬物依存を区別しない施設が、アルコホーリクでない人たちにAAを勧めることに批判がありました)。

結果として、AAにやってきた人が、ここはアルコールのグループなのかどうかとまどうようになり、12ステップに触れる機会も減っていきました。そして1990年代になるとメンバー数の減少が始まりました(アメリカの話)。AA全体が目標を見失って迷走を始めてしまったため、アルコホーリクがAAで助からなくなっていきました。そこで singleness of purpose(目的の単一性)といったスローガンが掲げられ、AAを本来の方向に戻す動きが始まりました。

ブルーカードもその目的に沿って作られたもの(1987年)で、「AAの目的は一つ」であることを強調した上で、オープンミーティングでは「アルコールの問題だけ」、クローズドミーティングでは「アルコホリズムにかかわることだけ」が分かち合われるようにAAメンバーに呼びかけています。

日本でも同じことが問題となっていました。日本で1975年に始まったAAは、当初順調にメンバー数を伸ばしていったものの、1990年代から明らかにその伸びが鈍化し、停滞が始まっていました。AAが本来の目的から逸れ、メンバーたちがアルコールの話や12ステップの話をすることが少なくなっていました。

日本の全国評議会の決議として、「司会者の心得」を廃し、ブルーカードの翻訳を採用することが決まったのが2003年のことです。こうしてブルーカードは司会者の心得に変わり、日本のAA共同体を代表する意見として採用されることとなったわけです。だからと言って「司会者の心得」の使用が禁じられたわけではありません。使い続けたいグループはどうぞご自由にという扱いになりました。単に「司会者の心得」の内容がそのグループにローカルな意見であり、AA全体を代表した意見ではなくなったということです。

話はこれだけで終わりません。

近年になって、アディクションフォーラムやアディクションセミナーという催しが全国各地で開かれるようになってきました。その内容は、講師を招いて講演をしてもらったり、様々なアディクションの当事者が体験を語るオープンスピーカーをやったり、自助グループや回復施設が模擬ミーティングを開いたりするのが一般的でしょうか。社会に向かってアディクションの情報を発信することで、無知や偏見を取り除き、新しい人が回復資源につながりやすくする効果を狙っています。

とはいえ、一般の人たちはなかなかアディクションには興味を持ってもらえません(身内に当事者でもいない限り)。わりと来てくれるのが、医療・看護・福祉の学生さんたちです。将来自分の仕事に役立つと思ってのことですし、理解のある人がそうした分野に増えることは歓迎すべきことです。ところが、その人たちは「学び」のために来ているわけなので、ノートにメモを取るのが当然だと思っています。

ところが、壇上で話をしている当事者のほうは、自分の話がメモを取られることにまったく慣れていません。さらには、新聞やテレビの取材もお断りだったりします。社会に向かって情報を発信するという目的と齟齬が生じています。

どうしてこうなってしまったのか。(AAには断酒会という先達はあったものの)、AA以外の様々なグループが「AAのやり方」を一つのモデルとして取り入れていったことは疑いもありません。その中の一つに「何が何でもメモは禁止」という誤解も含まれています。慣れ親しんだやり方を変えるのは誰にとっても簡単ではありません。この問題の解決は容易なことではないでしょう。

ずっと以前にAAメンバーたちが、自分たちの問題を解決するために作った一枚の紙が、アディクションの情報を発信するための足枷を作ってしまったわけです。プライバシーの保護と、情報の共有・発信とのバランスはどこに置けばいいのか。そのことを議論する(できる)人たちすらほんの一握りです。


2011年11月28日(月) ステップの「棚卸し」は癒しではない

12ステップのステップ4と5は「棚卸し」と呼ばれ、またステップ10にも日々の棚卸しという作業があります。「棚卸し」は12ステップのハイライトです。

棚卸しは癒しのために行うと考えている人もいますが、そうではありません(少なくとも僕はそう考えてはいません)。もちろん、ステップ4で棚卸し表を書き、ステップ5で誰かとその内容を話し合うことで、大きく癒されたと感じる人はたくさんいます。けれど、癒しで終わらせてしまうわけにはいきません。なぜなら、ステップ4・5は変化の始まりに過ぎないからです。癒されたという感じに満足して、そこでステップを止めてしまうと、結局その人は変化できないのです。

癒しとは何でしょうか。こんな例えを考えてみます。

小さな子供が転んで膝小僧をすりむいたとします。膝の傷を洗ってやり、消毒して、薬を塗る手当をします。それによって傷はきれいに治る。これが癒しです。

12ステップは違います。しょっちゅう転んで怪我をしている子供がいた場合に、「どうしてこの子はこう頻繁に転ぶんだろう」と原因を探って解決するのが12ステップです。

大人と違って子供は簡単なことで転びます。子育てしてみると分かりますが、子供は靴が少し大きくてブカブカしているだけでも転びます。足がどこか悪いのかも知れないし、目が悪いのかも知れません。平衡感覚に問題を抱えているのかも知れません。その子の転ぶ原因を見つけてあげることが大切です。

(僕自身も子供の頃はしょっちゅう転んで、田んぼの水路にハマっていました。片目の視力が悪いのが原因だと分かったのは、小学校入学時の身体検査時でした。もっと早く原因が突き止められていたら、視力向上の手段もあったのですが、すでに時遅し。医療水準の低かった当時の田舎では仕方のないことでした)

癒されることを求める人がいます。転んで膝をすりむけば、傷の手当ては必要です。でも対症療法を繰り返すだけでは解決にもならないことも多いのです。

生きづらさを抱えている人がいます。人生につまずいた人がいます。AAや他のグループに来て12ステップに取り組む人は、何らかの人生のつまずきを経験したからこそ、そこに来た人たちです。中には大きなつまずきが一度あったに過ぎない、と主張する人もいますが、実はその大きなつまずきは、それに先立つ小さなつまずきの繰り返しによってもたらされたものです。

アディクションやACの問題を抱える人は、言ってみれば「転んで怪我をしやすい子供」のようなものです。みんな傷ついて自助グループにやってきます(僕もそうでした)。けれど、その心の傷を癒して、低くなった自尊感情を持ち上げるだけでは、解決になりません。

生きづらさや人生のつまずきは、表面に現れただけのものです。問題の本質(原因)はもっと奧にあります。それを何と呼んでも良いのでしょうが、たまたま12ステップでは性格上の欠点とか短所と呼んでいます。他では違う言葉が使われているかもしれませんが、同じことを指しています。そうした原因が取り除かれれば、生きづらさやつまずきはずっと減ります。

転んで怪我をすれば痛い。転びやすい子供はやがて外で遊ぶのが怖くなり、家に閉じこもりがちになります。同じように、人生につまずき、生きづらさを感じている人は、不安が大きくなり、世の中の不条理をより感じやすくなります。「性格的欠点の多い人ほど傷つきやすい」という原則のとおりです。けれど、転ぶ原因が分かれば、その原因を取り除きたくなる人もいます(ならない人もいるけど)。原因が取り除かれ、転ばなくなればまた友だちと遊びたくなります。アディクトやACも、不条理な世の中を自信を持って泳ぎ渡っていけるようになります。(「自己評価の低さが私の生きづらさの原因」なんて言葉のナンセンスさが分かります)。

棚卸しでは、ひんぱんにつまずいてきた原因を分析します。そこから先のステップでは、その原因を取り除いていきます。

転ぶことが自分の個性、転びやすさが自分の個性だと思ってしまっている人がいます。卑屈になっているわけです。けれど、転びやすさを取り除くと、その人の本当の個性が現れます。それまでは、その人らしい個性は見えず、アディクションの問題、ACの問題に覆われてしまって見えません。本当の個性ではなく、アディクトであること、ACであることが、その人の個性代わりになってしまっているのです。周りの人も、その人のアディクションやACの問題が、その人の個性(人格)だと思いこんでしまっています。


2011年11月24日(木) 「これにしか使えない」の大切さ(その2)

前の雑記は、何らかの治療論・援助論があったとき、それがどの範囲に有効で、逆にどの範囲には有効でないかを示すことが大切であって、「何にでも使える」「これを使えばどんな人でも良くなる」という話ほど怪しいものはない、というお話しでした。

で、今回の話は、じゃあAAはどうよ、ということです。

AAは「どんなアルコホーリクでも回復可能」とは主張していません。AAが効くためには「自分に正直になる能力」が必要だったり、「プログラムに真剣に取り組む」ことが求められており、それができない人の回復率は平均以下だと堂々主張しています。

しかるに一方では「AAではどんな酷いアルコホーリクでも回復できる」という主張もあります。この「どんな酷いアル中でも」がどこから発生してきたのか。元をたどっていくと、日本でAAを始めたミニー神父の言葉にたどり着きます。彼は日本でAAを始めるに当たって、職業も家族もあるアル中は断酒会で助かっているのを見て、援助の手が届いていないドヤ街のアル中を対象とすることに決めました。そこが日本のAAとマック(メリノール・アルコール・センター)の出発点となりました。

さて、依存症者は自らを例外の立場に置きたがる傾向があります。医者に「あなたは依存症で、もうアルコールをコントロールして飲めない」と言われれば、他のアル中はそうかもしれないが、自分は節酒ができる(つまり自分は例外)と考えるのがアル中です。一人では酒はやめられないと聞けば、自分は一人で止められるとか。

そうやってずるずる酒がやめられないまま病気が進行すると、今度は「他のアル中は酒をやめられるかも知れないが、自分はダメだ、飲んで死ぬしかない」という今度は逆の例外化がされ、否定的な自己像がべったり張り付いてしまいます。ミニー神父の「どんな酷いアル中でも12ステップを使えば回復できる」という言葉は、そうしたスティグマや否定的感情を引っぺがして、ドヤ街まで落ちたアル中たちに回復への効力感を与えるのに効果的な言葉だったのでしょう。役に立つ言葉であったと思われます。

後年、AAとマックが分離された後も、この言葉はAAに残り、さらには回復を希望するどんなアルコホーリクも拒まないというAAの指針(12の伝統)によって、この言葉に正当性が与えられました。

「AAはこういう人に向き、こういう人には不向きです」という情報がAAから発せられることはありませんでした。また医療職・援助職の人たちも、ほぼ無批判にAAを勧め、患者を送り込んできました。僕は最初主治医に「あなたは独身だから断酒会よりAAに行きなさい」と言われたのですが、これは乱暴ではあるものの、最低限のアセスメント?に基づいた判断だったと言えなくもありません。それすらも行われずに、なぜこの人がAAに合わないのかを考える人はいませんでした。

AAで「どんな人でも回復できた」わけでなかったのはハッキリしています。AAが合わない人はどんな人か調べれば、どうやればもっと合うようにAAを変えていけるかとか、あるいはAA以外の受け皿を作るとか、対応策が打てたはずです。それが行われずに「AAは実はあんまり効果がないよね」という話になってしまっているのは、残念なことです。

最近では12ステップはアルコール以外の問題にも広く使われるようになってきました。12ステップを理解してくれる人が増えることは喜ばしいことですが、この広がりが本当に良いことなのかどうかは僕には分かりません。12ステップを引用した書籍はたくさん出ていますが、最近NYのGSOから許可を得た書籍には、このような注意書きが掲載されているのをご存じでしょうか。おそらく12ステップの引用許諾の条件として、GSO側から掲載を依頼している文章だと思われます。

A.A. is a program of recovery from alcoholism only -- use of these excerpts in connection with programs and activities which are patterned after A.A., but which address other problems, or in any other non-A.A. context, does not imply otherwise.

「AAはアルコホリズムからの回復にのみ使われるプログラムです。本書における(AA書籍からの)引用が、AAに準じアルコホリズム以外の問題に取り組んでいるプログラム及び活動に関連して使われている場合であっても、あるいはAAとは関係のない文脈のなかで使用されている場合でも、(AAプログラムがアルコホリズム以外の回復プログラムたりうることを)意味するわけではありません」

AAは自分たちが「アルコホリズム」と呼んでいる病気以外の問題解決に12ステップが有効である、という言質を取られないように、ずいぶん気を使うようになりました。

これについては、もう少し話が続くのですが、また別の機会に。


2011年11月22日(火) 「これにしか使えない」の大切さ(その1)

はいはい、雑記ね。書きます、書きます。

リンク集家族の回復ステップ12、じゅんさんのブログSTRONGESTBABY.comを追加しました。

さて本題。何度も取り上げている内田樹×春日武彦の対談、「中腰で待つ援助論」。
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2004dir/n2613dir/n2613_01.htm

このなかに、

> 「ここには有効だけれども、ここから先には使えません」と言う、地域限定、期間限定、条件限定の、適用範囲が限定されている理論のほうが、僕は理論としてはずっと上等だと思うんです。「何にでも使えます」なんて怪しいですよ。

という一文がありますが、これは実に的を射た意見だと思っています。

アメリカのアリゾナ州に「アミティ」という治療共同体があります。犯罪者や依存症者の更正と社会復帰のための施設です。

常習的な犯罪者や薬物乱用者の中には、子供時代に親から虐待的を受けたり、イジメなどの被害的体験を経ていることが多く、思春期から逸脱行動(つまり非行)が目立ち、大人になってからも何度も犯罪を繰り返す傾向があります。彼らは「反省しろ」と言われても、どうやって何を反省したらいいのか分からない、という問題を抱えています。アミティでは、まず子供時代の被害体験を振り返ることから始めます。それによってまず被害者である自己を確立し、被害者がどんな感情を味わうかを捉えます。次に、自分の加害によって相手にどんな傷を与えたかを自覚する段階へ進みます。僕がいろいろ説明するより、ここらへん(アミティを学ぶ会)あたりを読んでもらったほうが話が早いです。

アミティは加害者更正プログラムとして高い評価を受けています。しかしどんな場合にでも使えるわけではありません。以前信田さよ子さんの講演を聴きに行ったら、アミティのモデルはDV男性の更正プログラムとしては使えない、という話をされていました。夫婦間のDVは、必ずしも別居や離婚に進展するとは限らず、同居の生活を続けなければならない場合も多いのですが、その場合、被害を少なくするためには更正プログラムは短期間で効果を上げねばなりません。アミティのプログラムは「変化に時間がかかりすぎ」て、同居の被害者を守りきれないのです。このため信田さんはアミティのモデルを採用することを諦め、カナダの司法当局が使っているモデルに切り替えた、という話でした。

これはアミティのモデルを貶めているわけではありません。単に犯罪常習者や薬物乱用者向けの更正プログラムが、DV加害者に適用できなかった、というだけの話です。それを無理に「アミティのモデルはどんな犯罪者にも適用可能だ」と推し進めれば、かえってアミティの価値を引き下げてしまいます。

昨日上京した際に、グリーフワーク(グリーフケア)に関する資料をもらいました。

グリーフは悲嘆と訳されます。例えば、人の死後、残された家族の悲嘆のことです。大切な人を失ったとき、人はまずショックを受け、次に大きな喪失感を味わい、やがて抑うつ的な絶望を経て、最後に死んだ人への愛着を手放し、新たな自己像を獲得する(再生)、という「悲嘆段階説」が信じられています。(悲嘆の段階についてはバリエーションが諸説あるようです)。

これには「悲嘆は期限付きのもの」という思想が含まれており、悲嘆者はこの段階のどこかで立ち止ってしまい、次に進めないために肉体的・精神的なダメージが残ってしまう。そのため専門家のサポートを得て(グリーフワーク)、次の段階へと進んでいくことが大切だとされています。

僕はグリーフケアにはほとんど関心を持っていなかったため、この悲嘆段階説が疑問視されていることや、「正常な」悲嘆にある人に対する専門家のサポートは効果がないか、あるいはあってもごく僅かであるというエビデンスが出てきているとは知りませんでした。自死遺族会などでは悲嘆段階説とは異なる思想を持っており、悲嘆のどこかの段階にとどまることを否定的に捉えたり、死者への愛着を手放す論理に対して反論があるといいます。

もちろん悲嘆が長く続くために社会生活に支障を来している人はいるでしょう。しかしそうしたいわば「異常な」悲嘆へのケアとして有効だったグリーフワークを、自殺予防対策の名の下に自死の遺族への事後対応として専門家が無批判に採用してしまったことが、グリーフワークの評価を引き下げてしまったと言えます。

このように、何らかの治療論・援助論があったとき、それがどの範囲に有効で、逆にどの範囲には有効でないかを示すことが大切だと思います。「何にでも使える」「これを使えばどんな人でも良くなる」という話ほど怪しいものはないわけです。

ひるがえって、AAのことを考えてみます。

(続く)


2011年11月14日(月) 断酒の覚悟 vs. 行動

 先月はAAのメッセージ活動で初めて刑務所内に入りました。今月は病院メッセージの輪番にあたっていて、県内の病院に行きました。精神病院には独特の匂い(病院臭)が漂っているものですが、ここは建て替えられたばかりですがすがしい感じです。その状態が今後も保たれるのかどうか関心があります。

 さて、病院メッセージでは、AAメンバーが病院の一室にお邪魔し、入院中の依存症患者の人がそこへやってきて話をします。形式は様々で、病院の治療プログラムにしっかり組み込まれて患者の参加が強制されている場合もあれば、部屋をAAに時間貸ししているだけで患者が参加するもしないも自由という病院もあります。
 中身もいろいろで、普通のAAミーティングに近い形式だったり、一方的にAAメンバーがしゃべるだけだったり、決まった形式はありません。

 僕が担当するときは、終わる前に質疑応答の時間を設けることにしています。入院中の人は聞いてみたいことがたくさんあるわけですから。今月は僕が司会進行役ではなかったのですが、やはり質疑応答の時間が設けられていました。

 その中で「ノンアルコールビールは飲んでもいいのか?」という質問が出ていました。それへの回答は省きます。その後で、質問された方自身が自問自答され、「ノンアルコールビールのことを聞くなんて、私はまだまだ(断酒の)覚悟が足りませんね」とおっしゃってました。それはつまり、まだ酒を飲みたい未練があるからこそノンアルコールを話題にしてしまうわけで、そんな中途半端な気持ちでは自分は酒をやめられない(再飲酒してしまう)かも、という不安の吐露であったことでしょう。

 ノンアルコールビールに関心を寄せるのは、酒がまだまだ飲みたいからである・・・それは確かにその通りでしょう。じゃあ、酒への未練を断ち切って、断酒の覚悟を決めれば酒がやめられるのでしょうか? その答えはどうやらノー(否)らしいのです。

 アメリカで1935年にAAが誕生する以前にも、様々なアルコホーリクのグループがありました。しかしそのどれもAAほど大きく成長できず、多くは消えていきました。なぜAAが成長できたのか、AAとそれ以前のグループを比較して論じている人たちがいます(ウィリアム・L・ホワイトとかアーネスト・カーツとか)。

 今まで酒を飲んでいた自分を悔い、酒を断つ固い決心をする・・これをAA以前のグループは改心(reform)と呼び、どうやったらアルコホーリクにこの改心を呼び起こさせるかに腐心しました。しかしこの覚悟・決心・改心には欠点があります。「酒をやめるのは簡単だよ、俺はもう何十回もやめている」というジョークがあるように、覚悟では再飲酒を防げないからです。

 そこでAAは戦略を変えました。AAに参加する資格は「酒をやめたい願望」だけですが、その願望ですらそれほど強く求められていないことは、現在AAにいるメンバーの多くが、AAにやってきた頃はそれほど酒をやめたいとは思っていなかった事実が証明しています。断酒の覚悟を語る言葉は信用されません。固い決心をしてもまたいずれ飲んでしまうのがアル中だからです。

 その代わりAAは行動が大事であると説きます。行動とは、例えばAAミーティングへの出席です。話す言葉ではなく、ミーティング会場への登場を信用するわけです。そしてやがて行動がその人の気持ちを変えていきます。(ステップ3でも決心は求められていますが、それは断酒の決心とは別のものです)。

 もちろんAAが成功した理由は他にもいろいろあるでしょうが、この改心の哲学から行動重視の哲学への転換はきっと大きな部分を占めているでしょう。

 アルコール医療にたずさわっている人たちからよく聞かれる質問があります。「どうやったら入院中の患者さんたちに、AAメンバーのような断酒への意欲を持ってもらえるでしょうか? あなたの場合はどうでしたか?」という類です。

 この質問の背後には、AAメンバーになる人には、まず最初に断酒への強い動機があり、それがAA活動という行動として発現している、という考え方があります。しかしAAメンバーの現実は逆です。つまり、何らかの境遇によってAAに通う羽目になった、という環境が最初にあり(そこにはなにがしかの強制があります)、そして、通い続けるうちに動機付けが行われた結果、やがて自発的にAAを続けるようになった、というわけです。

 MATRIXでもSMARRPでも、どうやったら治療を中断せず継続してもらえるかに注意を払っています。最初から動機付けがされた人を相手にするのではなく、プログラムそのものが動機付けの役割を背負っているわけです。その点はAAも変わりありません。

 だから、「どうやったら断酒への動機付けができるか」ではなく、その一歩手前「どうやったら動機付けをするプログラム(自助グループ含む)に参加してもらえるか」を考えるべきじゃないのか、と思うわけです。これを言うと「ええ〜!そんな初歩からですか?」と驚かれますが、そんなもんですってば。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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