心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年11月11日(金) ステップ4の訳のmoralについて

AAの12のステップの4番目は、原文ではこうなっています。
Made a searching and fearless moral inventory of ourselves.

で、現在の日本語訳はこれです。
「恐れずに、徹底して、自分自身の棚卸しを行い、それを表に作った」

日本語訳と原文を対比してみると、moral という言葉が訳から抜け落ちていることに気づかれるでしょう。だからこれが不完全な訳であり、「モラル」という言葉を入れるべきだという指摘があります。

今回はこの moral がどんな意味なのかという話です。

その前にちょっと脇へ逸れ、この部分が日本の様々な12ステップグループでどう訳されているか調べてみましょう。ネットに12ステップを公開しているグループの moral inventory of ourselves の部分です。

・自分自身の棚卸し(現AA・OA・SA・SCA・EA・ACA)、生きてきたことの棚卸表(アラノン)、モラルの棚卸表(NA)、モラルの棚卸し(GA)、個人的棚卸し(MA)。

実に様々です。さて、moral の意味を問う前に、棚卸しとは何かという話をしなくてはなりません。これはもちろん商売の棚卸しを元にしたものです。ビッグブックには、それを説明した文章があります(p.93)。

Taking commercial inventory is a fact-finding and a fact-facing process. It is an effort to discover the truth about the stock-in-trade.
棚卸しは、事実を把握し、それに正確に向き合おうとする過程であり、在庫品の現状を知るための努力である。

日本語英語の言葉をを一対一に対比させてみましょう。

棚卸し = commercial inventory
事実を把握する = fact-finding
正確に向き合う = fact-facing
在庫品 = stock-in-trade
現状 = truth



これはステップ4の文章「恐れずに、徹底して、自分自身の棚卸しを行い、それを表に作った」に対応しているので、それも同じように日本語英語を対比させます。

棚卸し = inventory
探し求め = searching
恐れずに = fearless
自分自身 = ourselves
= moral

moralに対応する言葉がありません。日本のAAは2000年にステップの文章を改訳しましたが、それ以前に使われていた旧訳ではこうなっています。「探し求め、恐れることなく、生き方の棚卸表を作った」。生き方という言葉が moral に対応しています。

(生き方) = moral



一つにまとめます。

棚卸し(commercial inventory) = 棚卸し(inventory)
事実を把握する(fact-finding) = 探し求め(searching)
正確に向き合う(fact-facing) = 恐れずに(fearless)
在庫品(stock-in-trade) = 自分自身(ourselves)
現状(truth) = (生き方)(moral)



商売の棚卸しと、ステップ4の棚卸しが、一対一に対比された表ができあがりました。ビル・Wの文章は論理的です。

この表を見ると moral が何を意味するかが見えてきます。ステップで言う moral とは、日本語のモラルや道徳という意味ではなく、「自分自身の現状」「自分自身の真実」を示しています。fact-finding も fact-facing も truth も、一つのことを示しています。

つまり、自分自身について、目を背けることなく、ありのままを表に書き記す。棚卸し表は回復の根源をなすものですから、そこにウソ偽りやごまかしがあっては回復の成果はおぼつきません。(だから、どうしても moral を訳せというのなら「ありのまま」とでもするしかありません)。

商売の棚卸しでは、帳簿上の在庫と現実の在庫を一致させます。帳簿上では存在しているはずの在庫でも、実際には万引きされてなくなっていたり、日焼けしたり腐ったり賞味期限を過ぎていたりで売り物にならないかもしれません。帳簿の数字が間違っていたらどうなるか。帳簿より実際の在庫が少なく商品棚に並んでいなければ、客は商品を買うことができませんから、売り上げが落ちてしまいます。逆に実際の在庫が多いのに、帳簿だけ見て少ないからと次の仕入れをすれば過剰な在庫を抱えてしまいます。「棚卸しをしない商売は、たいてい倒産する(p.93)」のです。

棚卸し表と実際の商売の姿がきちんと一致しなければ、商売が破綻してしまいます。世界的に有名な光学機器のメーカーも、何年も帳簿の数字をごまかし続けてきたために、大変な窮地に陥っているではありませんか。

ビル・Wは、人の生き方を商売に例えました。12&12でもステップ1の冒頭で人生を「私たちが営む人間商会」と表現しています。商売の仕方、つまり生き方が変わらなければ、私たちも破綻します。だから私たちはステップ4で棚卸しを行うのですが、その対象は自分自身です。

商売の棚卸しにおいて帳簿と在庫が一致しなければならなかったように、ステップ4でも実際の私たちの考え方や行動が棚卸し表にありのままに書かれなければなりません。だから怠ることなく探し求め、目を背けることなく向き合って、自分自身の真実を表に書きます。

こうして見ればわかるように、ステップ4では moral という言葉が「真実」あるいは現実・実際という意味で使われています。表(帳簿あるいは棚卸し表)と棚卸しの対象(在庫あるいは自分自身)が一致することが最も肝要な点ですから、それを fact-finding/searching, fact-facing/fearless, truth/moral と言葉を変えながら繰り返し強調されているわけです。

モラルがどうのこうのという議論は、12ステップのあの短い12個の文章だけを元にして議論しているわけですが、そこで使われている一つ一つの言葉がどんな意味で使われているのか、それはビッグブックに書かれています。ここまでの話は僕の考えではなく、緑本(『ビッグブックのスポンサーシップ』)のp.87に書かれていることです。緑本では moral を「生き方に即した」、truthを「事実に即した」と訳しています。

なぜAAの12のステップが moral を「モラル」と訳さなかったのか分かっていただけるでしょう。逐語訳をするよりも、原文の意味に忠実な訳を選んだほうが、読者に正確に伝わるからであり、回復をもたらすことができるからです。


2011年11月10日(木) 断薬について追記

 前の雑記で、抗不安剤を中止すべきかどうか、見極めができる人材を増やすべきだと書きました。これは個別のケースごとに判断しなければならない、ということです。

 いつも同じ判断をすれば良いのなら楽です。例えば「薬を飲んでいるのはソーバーじゃない」と言って、薬を止めさせる圧力を常にかけていれば良いのなら判断は要りません。その逆で「必要なら薬をどんどん飲めばいいじゃないか」と言っているのも、同じく判断は要りません。

 けれど現実には一件一件判断を重ねなくちゃなりません。今の日本の精神科医療の仕組みでは、その判断をすべて医者任せにするわけにもいかない、という事情があります。ましてやその薬がアディクションに通じていない精神科医や、さらには内科医から出ている場合には。

 とは言うものの、依存症以外の病気が絡んでいる場合には、医者の判断を優先するのが基本でしょう。これまで一連の話はベンゾジアゼピン系の抗不安剤に限りました。睡眠薬として使われる機会の多い薬です。それ以外の、例えばうつ病患者に抗うつ剤を飲むなとか、統合失調の人に抗精神病薬を飲むな、と素人が言っていいとはちょっと思えません。また、ベンゾジアゼピン系の薬も一時的に必要なこともあるでしょう。それ以外の病気についても同じことで、てんかんの人が抗てんかん薬を飲まなかったら、てんかん発作を起こすのは当然の話です。

 統合失調症を患う知り合いがいます。彼はアディクションの問題も抱えていました。統合失調の人がしばしばアルコール乱用やギャンブルへの没頭をすることは以前に書きました。それをアディクションとして捉えるよりも、統合失調のケアをしたほうが本人のためになるということも書きました。彼がそれに該当するケースなのかどうか、詳しく話を聞いてみたわけではないので分かりませんが、その可能性は十分あります。

 統合失調の場合には、時折のアディクション再発は「スリップ」と捉えないほうが良い。再発の背景には統合失調の症状悪化があるもので、医者の出番です。12ステップとか言っている場合ではありません。

 だから、彼がスリップを契機にアディクションの施設に入所したと聞いたときには、少々驚いたのですが、分野は違えど24時間ケアしてもらえる環境も悪くないかも知れないと思っていました。

 ところが先日機会があって彼に会ったときに、顔から表情が消えているのでまたまた驚いてしまいました。彼らしい快活さも消えていました。それを見て「陰性症状」という言葉が浮かんでこなければ、よほどのボンクラです。さらに後日、彼が薬をやめていると聞いて暗い気分になりました。

 統合失調の場合、最も避けたいのは人格の荒廃です。陰性症状を治療せずにおくと、やがて、思考が散漫になって現実とのズレが大きくなり、感情は平板で無為、コミュニケーションがとれない状態になってしまい、その悲惨さから人格崩壊とか人格荒廃と呼ばれます。統合失調の治療が進歩する以前は、多くの患者がそうした結末を迎えたために、恐ろしい病気と見なされた時期もありましたが、幸い非定型精神病薬など治療法の進歩により、運が良ければ完治し、完治しなくてもサポートを受けながら社会生活を十分送れる普通の病気になってきました。良い予後のために最も必要なことは、早期の治療開始とその後の治療継続です。

 服薬の中断はその正反対の選択です。時にこうしたことが起こるため、日本のアディクションの施設が、乱暴なところ、信用に値しないところと見なされてしまうわけです。犠牲になるのは常に弱者です。そもそも彼を入所させようと思うあたりがボンクラです。

 日本でアディクションの施設を運営するのは経済的に大変で、スタッフの待遇も決して良くありません。でもそんな環境の中で、良心的なケアを提供しようと真剣にがんばっている人が多数です。しかし、一部の不届き者のせいで、弱者を食い物にする貧困ビジネスと全体が見なされてしまいかねないのです。


2011年11月08日(火) 処方薬への依存について(その3)常用量依存の治療

 アルコールとベンゾジアゼピン系は、同じ鎮静系の薬物として作用のメカニズムの多くが共通しています。だからこそアルコール解毒時の離脱症状に効果があります。また、アルコール依存症者はベンゾジアゼピン系への耐性を獲得しやすいことにもあり、常用量依存になりやすいのです。

 常用量依存の何が問題なのか、前の雑記をまとめると、

 ・認知機能の低下
 ・注意力や集中力の低下
 ・反射的運動機能の低下

 こうしたデメリットがあるにもかかわらず、なぜ服用が続けられるか。もちろん反跳や離脱症状が理由なのですが、アルコール依存症者の場合には別の事情もあります。アルコールの離脱は強い飲酒欲求を呼びます。ベンゾジアゼピン系の退薬も飲酒欲求を呼び起こしてしまいます。下手に中止して「酒を飲まれるよりまだマシ」だからという理由です。

 しかし断酒が安定してきたら、睡眠薬・抗不安剤の中止も検討されるべきです。昔のAAは(いまでも?)薬を飲んでいるのはソーバーじゃないとか言って、向精神薬の中止圧力が高かったわけですが、それは常用量依存についてエビデンスがない時代でも、経験的にデメリットが知られていたのでしょう。もちろん、そのおかげで必要な薬をやめてしまい、症状が再燃するトラブルもあったわけですが。

 急激に中断しても反跳や離脱症状が起きない人もいます。しかし、多くの人は薬の飲み忘れによる不眠や不安を経験済みなので、反跳や離脱症状に対して恐怖感を持っています。だから、1/4や半量ずつゆっくりと減量していきます。それでも1週間程度は不眠気味になりますが、それは我慢せざるを得ません。そうやって漸減し、やがて完全に中止します。僕の場合には、半年以上かけ、その間に薬を減らすたびに反跳の不眠が起きて辛かったのですが、おかげさまで寝るのに薬は要らなくなりました。

 県内の古い医師が、「薬を突然止めると眠れなくなることは患者も分かっているから、中止すると『先生、薬を出してくれるまで帰りません』と言って診察室からテコでも動かない。仕方ないから別の薬、たとえば風邪薬を出しとくんだよ、あれも少し眠気が出るからさ」と経験を語っておられました。

 風邪薬を使うのは少々乱暴な気もしますが、非ベンゾジアゼピン系の薬への置き換えも行われています。不眠に対してはアタラックスとか、不安にはセディールとか。いったん別の薬に置き換えてベンゾジアゼピン系の離脱を緩和し、やがてそちらの薬も中止します。

 海外ではベンゾジアゼピン系の販売量は減ってきているのだそうです。長期服用ではメリットよりデメリットが大きいことがその理由だと聞いています。日本ではなぜ減らないのでしょうね。

 アルコール依存症とは別の病気も抱えていて、長く薬を飲まなければならない人もいます。いつ中止するかは医者と相談して決めてください。「薬が必要な患者は飲みたがらず、薬が要らない患者ほど飲み続けたがる」とは医師の弁です。

 昔と違って依存症という概念が広く知られるようになり、依存症以外の病気も同時に抱えている人や、依存症と言えるかどうか微妙な人たちも医療がすくい取るようになってきました。その結果、アディクションの世界の中に「長く薬を飲まなければならない人」の割合が増えてきました。その影響で、睡眠薬や抗不安剤の中止圧力は下がり、「薬を飲んでいるのはソーバーとは言えない」という言葉も下火になっていきました。それはそれで現実に合わせた変化だったのですが、結果として、純粋なアルコホーリクなのに薬を飲み続け、質の良くない断酒をしている人も増えてきてしまった、・・という話をすると、結構頷いてくれる人が多いんです。わかるでしょう?

 かといって、昔みたいに圧力を高めりゃ良いってものでもないし。中止すべきかどうか、見極めができる人材を増やしていくしかないのじゃないでしょうか。小難しいことを考えねばならない時代になったものです。

(抗不安剤依存の項おしまい)


2011年11月06日(日) 処方薬への依存について(その2)常用量依存

依存と中毒を説明した雑記にも書きましたが、依存と依存症(アディクション)は別の概念です。依存とは身体依存のみを示す概念です。離脱症状があるからといって依存症とは限らないし、離脱症状のない依存症もあります。

常用量依存(臨床用量依存)には「症」がついていませんから、アディクションではありません。

それを説明する前に、また言葉の説明をしなくてはなりません。

午後11時に寝て朝6時に起きる、という理想的な睡眠を必要としている人がいるとします。この人が午後11時に布団に入ってもまんじりともせず、2時間ほど経って午前1時ぐらいになってようやく眠れるとしましょう。2時間も眠れずにいるのは辛いことです。するとこの人は「眠れなくなった」と考えるでしょう。

この人が医者にかかって不眠を訴え、医者がベンゾジアゼピン系の薬(例えばハルシオン)を睡眠薬として処方したとします。そして言いつけ通り10時半頃に薬を飲んで布団に入っていると、11時頃には眠れるようになりました。1週間ほど服薬を続けて、毎晩よく眠れるようになったので、薬を飲まなくなっても、やはり11時に眠れる状態に戻っている・・・これが理想的な経過です。

ところが薬を止めてみたら、夜1時にならないと眠れない元の状態に戻ってしまった・・これを「再燃」と呼びます。薬の効果が切れたら元に戻っちゃったのでまだ治療が必要だ、という分かりやすい状態です。

薬を止めてみたら、午前1時どころか、3時4時まで眠れなくなったとすれば、これは薬を飲み始める前と同じ不眠の症状ですが、それがさらに酷くなっています。これを「反跳(現象)」と呼びます。英語では rebound。ダイエットをやめたとたんに元の体重より増えてしまうことをリバウンドと呼ぶのをご存じでしょう。あれと同じです。
薬の反跳現象は一過性のものです。ベンゾジアゼピン系の場合には1〜2週間程度。その期間が過ぎれば、不眠が治っていれば11時に眠れるようになるし、再燃するにしても元の午前1時には眠れるように戻るわけです。

元と同じ症状(この場合は不眠)が出る場合は再燃あるいは反跳です。しかし、元とは違う症状が出る場合もあります。不安感が強まったり、頭痛、筋肉痛、食欲不振、知覚過敏、知覚異常などなど。てんかんの素質を持っている場合はそれが出たりします。これを「離脱症状」と呼びます。

再燃・反跳現象・離脱症状、この3つがあります。

で、アルコール依存症の人が断酒をすると、離脱症状として不眠傾向になるのは珍しくありません。そこで睡眠薬としてベンゾジアゼピン系が処方されます。それが1〜2週間で済めばいいのですが、その後もずっと飲み続けることになる場合があります(いやむしろそれが普通?)。

だからと言って処方薬依存「症」というわけではありません。それがアディクションではないのに、なぜ飲み続けているのか? それは薬をやめるとまた眠れなくなるからです。(抗不安剤として処方されている場合は、薬を止めると不安がぶり返すから)。つまり反跳現象や離脱症状を避けようとしているだけです。それを乗り越えれば、不眠や不安は解消して寛解状態、つまり治っている場合でも、長期間薬を飲み続けている場合が珍しくありません。

これを常用量依存(臨床用量依存)と呼びます(症がついていません)。

アルコール依存症の人は、元々不眠や不安を解消しようとしたのが酒の量が増えた原因だったりします。だから、睡眠薬を減量中止することで起こる反跳現象を嫌い、時には不眠への恐怖感すら持っています。このため減量による反跳不眠に強い不安を抱えます。これは離脱症状とは違うため、偽性離脱症状と呼ばれます。

常用量依存がODや依存症に発展しないのなら、何が問題なのか?

ひとつは認知機能が障害を受けることです。ベンゾジアゼピン系の中止前と後で、記憶機能の検査を行うと、断薬後のほうが記憶機能が改善します。

少し話がそれるのですが、WISC-IIIという知能検査があります。このIQの数値は、言語性(VIQ)と動作性(PIQ)に分けられますが、それぞれにさらに下位項目があります。人によってIQは高い・低いの違いがあるのは当然ですが、VIQ・PIQも下位項目もそれなりにバランスが取れているのが普通です。グラフを描くとほぼフラットになります。ところが発達障害の人の場合、このバランスが崩れしばしば凸凹が出現します。認知機能や処理能力にバラツキがあることがわかるわけです。

ところで、定型発達の人でもベンゾジアゼピン系の薬を飲んでいると、この凸凹が出現することが知られています。おかげで薬を飲んでいると、凸凹が薬のせいなのか発達障害のせいか、これだけでは判断できなくなってしまいます。このことは、薬が認知機能や処理能力に影響を与えることを示しています。

睡眠薬や抗不安剤を飲んでしばらくは、昼間もふらつきやめまいを感じた人は多いと思います。これは反射的な運動機能に影響しているわけです。しばらくするとめまいを感じなくなるのは、耐性が形成されたためです。前述の認知機能についても、耐性の形成により影響がなくなるのじゃないか、と期待されたわけですが、影響は長期的に残ります。

ベンゾジアゼピン系を飲んでいる人は、飲んだのが前夜ですでに作用がきれていても、昼間からどよよーん、ぼややーんとしたぼやけた印象を与えることが多いものです。これは認知機能や処理能力の低下が現れたものでしょう。だからわざわざ聞かなくても薬を飲んでいることは分かります。

もう一つは不安に対して不安剤として使っている場合です。長期服用者の場合、断薬することでむしろ不安が軽減することは珍しくありません。服薬のメリットよりデメリットのほうが大きくなっているわけです。また、注意力や集中力が断薬によって向上するという報告もあります。

すでに元の症状は寛解しているにもかかわらず、断薬による反跳や離脱症状を避けようと服薬を続け、それによって様々なデメリットを被っていることがわかります。これが常用量依存のデメリットです。

もちろん薬を飲み続けることが必要な人もいますから、飲むこと・やめること、それぞれのメリット・デメリットを考える必要があります。

(続く)


2011年11月04日(金) 処方薬への依存について(その1)ODと依存症

掲示板で、抗不安剤の依存について書いてくれとリクエストがありました。

よく名前を聞くベンゾジアゼピン系の薬を列挙してみます。
ハルシオン(通称青玉)、エリミン、ユーロジン、ドラール、ソラナックス、コンスタン、セルシン、ホリゾン、ホリゾン、デパス、ワイパックス、レキソタン、セニラン、セパゾン・・・。(デパスはチエノジアゼピン系だけど)。
これ以外にもたくさんありますし、最近はジェネリック医薬品もあるので、とてもすべてを挙げられませんが、精神科にかかって服薬したことのある人ならば、たいていベンゾジアゼピン系を飲んだことがあるはずです。

現在、睡眠薬や抗不安剤を処方されている人はたいてい当てはまるでしょう(非ベンゾジアゼピン系のアタラックスP2みたいな薬の場合もあります)。「安定剤を処方されている」という人も、メジャートランキライザーではなく、抗不安剤(マイナートランキライザー)としてワイパックスあたりが処方されていることが多いものです。

ベンゾジアゼピン系の乱用・依存問題を分類すると、大きく三つに分けられます。

・OD(オーバードーズ)
・依存症
・常用量依存(臨床用量依存)

ODは、何十錠、何百錠の薬を一度に服薬する自殺企図あるいは自傷行為です。松本俊彦先生は自傷行為が嗜癖化することを指摘しています。リストカットは一時的に生き延びる力を人に与えますが、やがてその効力が薄まるにつれ、生き延びる術を失って自殺念慮を抱くようになります。大量服薬も同じ線上にあります。(リスカをやる人とODをやる人は重なる)。
http://www.ieji.org/dilemma/2011/08/post-350.html

次に処方薬依存症ですが、これは他の薬物依存症と同じと考えて下さい。依存症の診断基準を満たすものです。つまり、まず耐性が形成され以前と同じ量では効果がなくなります。効果を求めて使用量が増え、薬を手に入れるために精神科医や薬局を2軒、3軒と周り、時には内科医からも薬をもらいます。量が増えたために酩酊している時間が長くなり、社会生活に影響が出てきます。

ベンゾジアゼピン系はそれ以前に使われていたバルビツール酸系に比べれば「安全」とされています。耐性ができたり、量が増えたりしにくいし、致死性も低いというわけです。しかし、依存症になる人がゼロというわけじゃありません。

特にアルコール依存症者はベンゾジアゼピン系薬物の依存症になりやすいことが指摘されています。作用機序が同じなのかどうかは知りませんが、抗不安剤のもたらす気分がアルコールのもたらす酩酊感と似ていることも関係しているのでしょう。また、アルコールとの併用によって効果が薄れ、抗不安剤の使用量増加を招きやすいこともあります。依存症者には慎重に投与するようにと注意喚起がされています。

特にハルシオンのような短期型のものを睡眠薬として使うと、すぐに効果が現れ、自然に近い睡眠が得られ、目覚めがスッキリしていることから、依存症者に好まれます。しかしこのタイプのほうが依存症になりやすいという落とし穴があります。

睡眠薬として使う場合には就寝30分ぐらい前に飲めば良く、すぐに布団に入っても構いません。しかし、アルコール依存症の人はこれを夕食後に飲んで薄い酩酊感を味わい、アルコールの代用にしたりします。短期型の場合には就寝前に効果が薄れて不眠になったり、中途覚醒でも服用して、耐性が形成され、使用量が増えてきます。やがてはより強い酩酊感を常時求める・・という依存症へと発展してしまいます。

きちんと服薬指導が行われればいいのですが、依存症に理解のある医者ばかりではありません。

例によって話が逸れるのですが、未断酒のアルコール依存症者の場合には飲酒量が増加するという指摘もあります。ベンゾジアゼピン系薬物にはアルコールへの欲求を強化する効果があるのでしょう。(アカンプロセートで飲酒欲求を低減しても、睡眠薬で飲酒欲求を強化したんじゃ意味がないのでは?)。確かになかなかきちんと断酒できない人は、抗不安剤や睡眠薬の服用が続いているものです。

ここまでODと依存症という二つの問題を取り上げました。ベンゾジアゼピン系は「安全」と言いますが、それはそれ以前の薬に比較しての話で、リスクは確かに存在します。医師や薬剤師はきちんと服薬指導して欲しいものです。過剰に心配しろというのではなく、正しい使い方を心がけねば、という話です。

アル中が睡眠薬や抗不安剤を飲みながら年単位で断酒を続けることはよくあることです。その全員が処方薬の依存症かといえばそんなことはありません。処方どおりに正しく薬を使っています。では問題ないのか・・・、実はそこに依存症とは言えない依存、常用量依存とか臨床用量依存と呼ばれるものが存在しています。

(続く)


2011年11月02日(水) さらに、依存と中毒について

前の雑記で、アディクション(嗜癖)は、依存と中毒の組み合わせであると説明しました。

中毒とは毒に中(あた)ることで、アルコールという毒性のある物質を摂取することにより、健康が害されることです。健康が害されるのは肝臓・腎臓といった内臓ばかりでなく、脳にも影響を及ぼします。

依存という言葉は、身体依存にのみ着目していました。これは血中濃度が下がってくると現れる離脱症状がある状態です。離脱症状には不眠・振戦・頭痛・吐き気・抑うつ・てんかんなど様々なものがあります。身体依存という言葉を使っていますが、これは中枢神経系の異常で、中毒の結果です。

中毒が依存を引き起こし、その離脱症状の不快を避けようと摂取を続けて、さらなる中毒を引き起こす、それがアディクションです。

さらに、身体依存のハッキリしないコカインにおいて精神依存が着目されるようになりました。コカイン依存には身体依存がないのに、強い欲求があります。いや、アルコールなど他の依存にも、離脱症状下にないのに「飲みたい」という欲求があります。それを精神依存もしくは渇望と呼びます。

話は脇に逸れます(この雑記は話がしばしば脇に逸れるので長くなる)。
ビッグブックにも渇望という言葉が出てきますが、そこでは渇望を最初の一杯を飲んだあとに引き起こされる欲求に限定して使っています。最初の一杯を飲む前の欲求は、とらわれ・強迫観念・狂気という別の言葉で表現されています。しかるに、医学においてあるいは一般的には、渇望という言葉は、再飲酒を引き起こす前の欲求と、最初の一杯を飲んだ後の欲求の、両者に区別なく使われています。その意味の違いが混乱を招くこともあるようです。

あへん(モルヒネやヘロイン)には極めて強い身体依存があり、自律神経嵐と呼ばれる強烈な離脱症状が起きます。アルコールの離脱症状はそれに比べればやや弱いとはいえ、AAが始まった頃の医療が発達していない時代には離脱症状による死がありました。一方、コカインなどの覚醒剤や大麻(マリファナ)には目立つ離脱症状がありません。

精神依存は、あへん系とコカインが極めて強く、アルコールと覚醒剤は強く、マリファナにも弱いながらもあります。

中毒についても、身体毒性と精神毒性に分けられます。

身体毒性の強いのはアルコール。内臓は言うまでもありませんが、先日は30代で大腿骨頭壊死になって手術した人の話を聞きました。

精神毒性とは精神に対する影響のこと。つまり脳への影響。覚醒剤やコカインやLSDで極めて強く、これらが法律で厳しく禁じられているのも精神毒性の強さゆえです。アルコールにもかなり強い毒性があります。

物質系のアディクションは、依存(身体・精神)・中毒(身体・精神)の四要素の組み合わせということになります。それぞれに対して個別の援助が必要になってきます。

前の雑記で書いたように、日本では慢性アルコール中毒症→アルコール依存症という病名の変更が起きたわけですが、依存という言葉が強調されることによって、中毒という要素が軽視される結果になったのではないでしょうか。長年の飲酒の影響は脳に深く刻まれ、断酒してもすぐには元に戻りません。回復には年単位の時間が必要です。なのに、その事実がしばしば軽んじられ、それによって最も損をしているのは当事者です。それは中毒という言葉を廃したゆえではないかと思います。

いずれにせよ依存という言葉を使う不都合が考慮され、アディクション(嗜癖)という言葉が復活し、病名すら変更されようとしています。歓迎すべきことだと思います。


2011年10月31日(月) 嗜癖・依存・中毒(用語の整理)

さらにデパゲンは誤りで、正しくはデパケンでした。重ねてのご指摘ありがとうございます(とほほ)。

まず中毒という言葉から始めましょう。

毒に中(あた)ると書いて「中毒」です。中毒とは、何らかの物質摂取により健康が損なわれた状態を示します。ここでの健康には身体と精神の両方が含まれます。

フグ毒にあたればフグ中毒、ガス自殺未遂はガス中毒、大量のアルコール摂取による意識障害は急性アルコール中毒、慢性的なアルコール摂取で健康が損なわれれば慢性アルコール中毒です。僕は慢性アルコール中毒者、略してアル中です。

次に依存という言葉を取り上げます。

アルコホーリク(アルコール中毒者)やアディクト(薬物中毒者)を観察すると、突然断酒・断薬をすることで様々に不快な症状が現れ、それを避けようと摂取を続けています。これを禁断症状と呼びます。さらに、急に止めるだけでなく、徐々に血中のアルコール濃度や薬物濃度が下がってきた場合にも同じような症状が現れることを離脱(退薬)症状と呼びました。

そしてこの離脱症状が現れる状態を「依存」と呼ぶことにしました。ここでは身体依存にのみ注目しています。その後依存概念は精神依存にまで拡大されますが、依存という言葉が単独で使われる場合はあくまでも身体依存(離脱症状が起きる状態)を示しています。

1956年、WHO(世界保険機構)は、身体依存を伴った慢性的な中毒状態を嗜癖(addiction)、伴わないものを習慣(behavior)と呼ぶことを決めました。つまりアディクションとは中毒と依存の組み合わせです。

しかし、この定義だといろいろと不都合が出てきました。まずコカインや覚醒剤は離脱症状がはっきりしません。にもかかわらずコカインを使いたいという強い欲求がある。それには何らかの生理的変容が伴っているはずで、それを精神依存と呼ぶことにしました。

さらには、アディクト(薬物中毒者)という言葉は蔑視的な意味合いが強かったために嫌われました。

そこで1973年、WHOは嗜癖という言葉を廃し、その後はもっぱら依存(dependence)という言葉を使うことにしました。DSMやIDCという診断基準も変えられていき、それに合わせて日本でも若干蔑視的雰囲気を帯びた(慢性)アルコール中毒というそれまで使われていた病名が嫌われ、アルコール依存症という言葉に徐々に切り替えられていきました。こうしてアディクションという言葉は医学からいったん消え去ることになります。

ところがこの依存という言葉にも不都合が出てきてしまいました。

依存という用語は離脱症状という生理学的・身体的な現象に着目していたわけです。研究が進むに連れて、嗜癖的な薬物に限らず、その他の薬も離脱症状を引き起こすことが分かってきました。例えばSSRIという種類の抗うつ剤では離脱症状がしばしば起こりますが、それをアディクションとするのは不適切です。

そもそもWHOの定義では、依存を病気であるともないとも言っていません。アディクションに対して依存症という名前は与えたけれど、依存と依存症(嗜癖)とは別の概念です。

前述のように身体依存のハッキリしないコカインのような依存症もあります。一方で末期ガンの疼痛にモルヒネを投与すれば身体依存は形成されますが、精神依存にはならず依存症には発展しません。

さらには、依存概念が広がるに連れて、インスリン依存性糖尿病や依存性人格障害のようなアディクションとは関係のない使われ方もされるようになってきました。

そこで2013年から使われるDSM-5では依存症という病名が消え、アディクションで統一されることになりました。いままでのアルコール依存症に相当するのは Alcohol Use Disorder(アルコール使用障害)という名前になります。
http://www.dsm5.org/ProposedRevisions/Pages/proposedrevision.aspx?rid=452

今後、おそらくはDSM-5の変更が国際疾病分類に反映され、日本にも影響してくるでしょう。40年前に、英語で addiction という言葉が捨てられ、日本語では中毒という言葉が捨てられ、依存症という言葉に置き換えられていったように、今度は依存症(dependence)という言葉が廃れ、嗜癖(addiction)という言葉が復活することになると思われます。

ついでに言えば、DSM-5では行動嗜癖が新設されます。とりあえず正式に採用されているのはギャンブルのみですが、インターネット嗜癖やセックス嗜癖も appendix に追加されています。

ここまで書いてきて強調しておきたいことは、依存と依存症(嗜癖)は別である、ということです。

(ただし、依存症でない依存は問題なし、というわけでもありません、それは以降)


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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