心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2010年09月16日(木) 飲酒夢

例によって、ざっくりとした翻訳です。
元ネタはこちら
Drinking Dreams | A Wake Up Call for Recovering Alcoholics
http://www.everythingaddiction.com/addiction/alcoholism-addiction/drinking-dreams-can-be-a-nightmare-or-a-good-reminder/

Drinking Dreams Can Be a Nightmare or a Good Reminder
飲酒の夢は悪夢かそれとも良い警告か?

土曜日の午後、私たち4人はニューポートビーチの Woody’s Wharf の前の波止場にボートを横付けした。船を泊めた私たちは、通路を上がってレストランの中にあるバーに入った。妻と妻の友人たちは、お休みを言って化粧室へ行ってしまったので、私はしばらくバーをぶらついてから、バーテンダーに氷なしのウォッカのダブルを頼んだ。手渡された大きなタンブラーは、縁まで透明な冷たい液体で満たされていた。私は片手にそのグラスを持ち、もう一方の手を腰に当てて、ぐっと飲み干した。

そしてタンブラーを口から離すと、目の前にスポンサーがいるじゃないか!

・・・というところで私は目が覚めた。

飲酒の夢(あるいは薬を使う夢)は、まだソブラエティ(断酒期間)が短い人たちにはありふれたことだし、ひんぱんにあることだ。それがいままで経験した中で一番リアルな夢だという人もいる。

私もそうした夢を何度も見たことがあり、そのたびに途方もない罪悪感、悪い予感、悲しみを伴って目を覚ました。私はもう一度ニューカマーに戻って、ホームグループで立ち上がり(ワンデイの)白いチップを受け取らなくちゃならならないのか。妻やほかの家族の失望はどれほどのものだろう。

というところで、それがただの夢であることに気がついた。

その気づきは私の心を喜びと感謝で満たしてくれた。それはともかく、こうした夢にはどんな意味があるのだろう? 私たちはこうした夢を気に病む必要があるのだろうか? それは私たちのプログラムが弱まっている兆しだろうか? 再飲酒(再使用)の夢は回復の一部なのだろうか? ほとんどの人は回復の初期に見るだけだが、中には最後の(本当の)飲酒から十年以上経ってから飲酒夢を見る人もいる。

「タダで気持ちよくなれて良かったじゃないか」というのは、あるオールドタイマーがその話を無視するときのセリフだ。大騒ぎするな。そいつはお前に感謝を教えてくれるんだ、というわけだ。

心理学の人たちには別の主張がある。私たちの脳は長年のアルコールや薬の使用で病んでいる。ソファーの上で眠れない夜を重ねて、ようやく眠りと呼べるものを手にしても、それは健康な睡眠にはほど遠い。それほど質が悪くなくても、私たちのレム睡眠がもたらす癒しと回復は、身体が求めるレベルには至っていないことが原因だという。

飲酒夢はしばしばストレスにさらされたときに出現する。言い方を変えれば、人生が山場にさしかかっている時だ。また飲酒夢を見るのはソーバー(しらふ)の人に限られるのも興味深い。

こうした夢を見たときに、最初に思いつくのは、それを秘密にしておこうという考えだ。もしその話がオールドタイマーの耳に入ったら、あなたのプログラムの質に疑いの目を向けられるかもしれない、と心配になるだろう。だが私たちは学んだはずだ。隠し事をするのは(古い考え)古い行動だ。それは私たちを酒や薬に引きずり戻す。

だから一つ提案するとすれば、もし回復の初期にそうした夢を見たら、その夢のことをソーバーの友人やミーティングで分かち合うべきだ。

それはその夢から力を得るばかりでなく、他の人が飲酒夢の分かち合いをするきっかけにもなる。

別の利点もある。そのぞっとする体験は、私たちに飲酒の狂気を思い出させてくれ、ソブラエティのメンテナンスをするよう促してくれる。

ボーナスもある。あなたが生き生きと描写して語れば、きっとグループに良い笑いをもたらせるに違いない。


2010年09月13日(月) 健康な人は自殺しない

自殺予防週間だそうです。
健康であるのに自殺してしまう人はいません。そこを勘違いしてはいけないのです。

何らかの苦しさから逃れるために、酒を飲む人がいます。処方薬を多く飲む人やリストカットをする人もいます。それは苦しさに耐えて生き延びるための手段です。人は「生き続けたい」という自己保存の欲求を強く持っていて、たとえやっていることが自己破壊的に見えたとしても、それは生き延びるための手段です。だから、自己破壊的な行動さえなくなればいい、と安易に考えてはいけません。

リストカットやODをした人に「もう絶対しないと約束して」と言っても無駄で、しなければもっと苦しくなってしまうだけです。断酒すると飲んでいた頃より苦しくなります。酒や薬で麻痺させる手段が使えなくなるからです。その苦しさを別のもっと健康的な手段で解消する必要があるのですが、そのためには金も時間も手間も必要になります。(その手段の一つが自助グループですが、自助グループがすべてとは言いません)。

リストカットでもODでも、あるいは飲酒やギャンブルでも同じですが「耐性」が形成されるので、同じ効果を得るために、より激しく、よりたくさんやる必要が出てきます。けれどそれにも上限がありますから、やがてはどうやっても望んだだけの効果が得られなくなります。それは生き延びる手段を失うことを意味します。その時、死ぬことが究極の解決として選択肢の一つに挙がってきます。生き延びるだった手段が、人生にピリオドを打つ手段に変わってしまうわけです。

そういう意味では、依存症の人や、リスカやODをやるひとは、生きる欲求の強い人だと言えます。やっていることは問題行動なので病んでいるのですが、根源的な自己保存の欲求の部分は健康?です。

問題行動を起こさずいきなり自殺してしまう人がいます。彼らは健康なのに自殺したのか? そんなことはありません。生き続けたいという根源的な部分が病んでしまった結果です。(その多くがうつ状態だという話には説得力があります)。

あるセミナーで、講師が「人には自殺する権利があると思いますか?」というお題を出しました。

これには例外はあるかもしれません。拷問され脱出できず、なぶり殺しにされるしかない状況があったとしれば、苦しみから逃れるために死を選ぶことまで否定できません。けれど、そうした特殊な状況を除けば、「自殺する権利はあるか?」と尋ねられたとき、「そんなものはあるわけがない」と即答できるはずです。

そこで自殺する権利があるのかないのかちょっと考えてしまった、という人は、死んでいるより生きている方が良い、という信念が揺らいでしまっているわけで、根源的な自己保存の欲求が弱くなっているのじゃないか・・・つまり病んでいるのじゃないか、自分のことを気にした方が良いかもしれません。

最後は人のことより自分の心配をしろ、という結論になってしまいました--;


2010年09月09日(木) キンドリング(その3)

アルコール依存症になるには、それなりに長い期間飲み続けないといけません。若い人の場合には、この期間は短くなりますし、女性だと「お酒を飲み始めて乱用になるまでたった数ヶ月だった」という話もありますが、いずれにせよある程度の期間は必要です。

たいていの人は医療機関で「アルコール依存症」というお墨付き(診断)をもらっています。診断をもらう前に酒をやめる人も少なくありませんが、それはまた別の話にしましょう。

医療機関にかかるのは、お酒で何らかのトラブルが起きたのが原因です。なんかヘンだと誰かが思わなければ医者に行く(連れて行かれる)わけはありません。だから、お墨付きをもらった後で、無事にトラブルなく酒を飲める人はまずいません。

・・・とは言うものの、診断をもらった後でトラブルが急増した感じがする、って話があります。お前は依存症だから酒を飲んではいけない、と言われたせいで、急に病気の進行が早まった気がする、と感想を漏らす人がいます。

これについては、いくつかの説明が可能です。診断をもらう前は、酒でトラブルを起こしていることに無自覚だったものが、診断をもらうと人にかけている迷惑を自覚せざるを得なくなって、トラブルが増えたように感じている、という説。

別の説は、「お前は酒を飲むな!」と言われるために、隠れて酒を飲んだり、飲んだことを隠そうと努め、それが本人には心理的な苦しさ、周囲には不審な行動と見られて、トラブルを増やしている、という説。

しかし、キンドリング現象を根拠にすると「病気の進行の速度が速まる」と解釈することもできます。キンドリングでは、継続して刺激が与えられるより、間欠的に刺激を与えた方が、脳の変化が早く起きます。これは電気刺激だけでなく、化学物質による刺激でも同じです。・・・ということは、酒を飲み続けている(継続的な刺激)よりも、断酒と再飲酒の繰り返し(間欠的な刺激)のほうが脳の変化の速度が速い=依存症の進行が速まる、と考えても矛盾はしません。

AAにやってきて何ヶ月か酒をやめ、再飲酒すると、前よりひどいトラブルを起こす人がいます。それにはいろんな説明が可能です(溜まりに溜まった飲酒欲求が、堰を切ってあふれ出したのかもしれません)。けれど、

酒をやめている期間も依存症は進行している

という経験的事実は、キンドリング現象で説明がつきます。実際病気が進んでいるのかもしません。

中途半端な断酒はかえって病気を進行させる。何年間かに何度か再飲酒がある程度という人と、同じ年数(やめずに)飲み続けてきた人を比べると、前者のほうが重症化したヒドいアル中になっている可能性があるわけです。断酒は病気の進行を止められる、というのは必ずしも真とは限りません。やめるのなら、完全にやめるしかないわけです。


2010年09月07日(火) キンドリング(その2)

9月になってから夏ばてになっているひいらぎです。

さて、本題。てんかんは、脳内のネットワークが部分的に異常に興奮する(異常発火・てんかん放電)ことで起こります。ではこの興奮を人為的に作り出したらどうでしょうか。

ネコやラットの脳に電極を刺して電流を流します。この電流はてんかん発作を起こすほど強力ではなく、ごく微弱な電流です。当然ラットの行動には何の変化も起きません。しかし、この刺激を一日一回続けていくと、3週間ほどするとてんかん発作を起こすようになります。さらに続けていくと、発作が次第に激しさを増していきます。(時間依存性がある感受性の亢進)。これをキンドリングと呼びます。

さらに大事なことは、こうなったラットに電気刺激を加えずにおき、たとえば1ヶ月後に再び電気刺激を与えると、1回目から激しいてんかんを起こすのです。つまり、時間が経過しても、亢進した感受性(てんかんを起こす体質)は消えません。これは、てんかんが一生治らないことと一致します。

キンドリング現象は電気刺激だけではなく、化学物質の反復投与によっても起こります。

アル中さんたちも、アルコールという化学物質を自ら反復投与します。毎日同じ量を飲んでいたとしても、最初は何も起きません。けれどある時から離脱症状が起こるようになり、それが激しさを増していきます。やがては連続飲酒発作も起こるようになります。そして、しばらく断酒を続けていても、再度酒を飲むとあっという間に元通りの飲んだくれに戻ってしまいます。一度そうなったら元には戻りません。

電気刺激の反復によるキンドリング現象がてんかんを説明できるのであれば、化学物質の反復投与によるキンドリング現象がアルコール依存症の症状を説明できる、そう考える人がいます。

電流をひたすら流しっぱなしにするよりも、この実験のように間欠的(一日一回とか)に刺激を与えるほうがてんかんが早く起こるようになります。

そのことが化学物質の反復投与でも起こるとするならば、「酒を飲んだりやめたりするほうが、ひたすら飲んだくれっぱなしより依存症が早く進行する」という経験的事実を説明できます。

つまり、半端な断酒はかえって依存症を進行させる・・わけだ。それについてはまた次回。

(続きます)


2010年09月03日(金) キンドリング(その1)

軽度発達障害という概念が浸透していった結果、トゥレット障害(チック症)もこの範疇に入ると考えられるようになってきたようです。(以前は母親の育て方や、家庭の機能不全に原因が求められた時期もあった)。チックはADHD・LD・自閉症としばしば合併します。しかめ面をして顔の筋肉をひくひく動かしてしまったり、「ぼ、ぼ、僕は・・」とどもってしまうのは、確かに本人はとても気になってしまうのですが、、治そうと思って治るものではありません。結局は本人も周囲も「それが個性」だと思って慣れるのが一番いい選択でしょう。

もうひとつ発達障害の範疇と考えられるようになってきたのが「てんかん」です。

僕はAAのラウンドアップで、アルコール性のてんかん発作で倒れる人を見たことがあります。某施設の入所者の人で、ラウンドアップ直前に再飲酒したのだと聞きました。参加中にアルコールが身体から排出され、離脱の症状のひとつとして「てんかん」を起こしたのでしょう。

アルコール性てんかんを起こすのは、元々てんかんを持っていた人に限られるのだそうです。依存症になる前はてんかんを起こしたことがないのに、今は飲むとてんかんを起こす、という人もいます。それは、元々持っていたてんかんの素質が、アルコールで花開いてしまったのでしょう。

大型二種免許を持ち、その資格で稼いでいた人が、アル中になっててんかん発作を起こすようになり、仕事も資格も失ってしまった話がありました。

てんかん発作は、脳内のネットワークが部分的に異常に興奮する(異常発火・てんかん放電)することで起こります。発火の起こった部位によって、表に出てくる症状が変わります。よく「口から泡を吹いて倒れる」と言われますが、そればかりではなく、身体が硬直したり、あるいは身体の一部がヒクヒクと痙攣したり、意識障害になったりします。いきなり相手の意識がぼうっとして、意思の疎通が悪くなったときには「解離(解離性障害)を疑え」といいますが、てんかん発作という可能性もあるわけです。

てんかんの治療には、抗てんかん薬が使われます。その中でも、デパケンやテグレトールはてんかん以外の発達障害にも使われます。同じ薬が奏効するということは、同じメカニズムがある(つまり根っこが同じ)と考えてもよい訳で、てんかんを発達障害に含める一つの根拠にもなっています。

デパケンは非定型うつ病にも処方されます(躁うつ病にも)。元来うつ病は内因性(内分泌系の異常)だとされていました。内因性なのはメランコリー型で、非定型のうつ病は器質性だという人もいます。それが証拠にデパケンみたいなてんかんの薬が効く。そのうち「非定型うつ病も発達障害に含めよう」と言い出す人が出てくるかも知れません。

てんかんは基本的に一度なったら治らないのだそうです。つまり「一度てんかんになったら一生てんかん」なのです。人生のある時期まで発作を起こさなかった人が、何かの刺激(たとえばアルコールの離脱症状)でてんかんを起こすようになると、発作を起こさない身体には戻れません。もちろん、薬で症状を抑えることはできるので、社会的には「治る」と言ってもいいのでしょうけど。

「一度てんかんになったら一生てんかん」というのは、「一度アルコホーリクになったら一生アルコホーリク」(p.49)というのとよく似ています。

いや、似ている以上に、てんかんを起こす仕組みと、アルコールの離脱症状の仕組みは同じだという説があります。それは「なぜアルコールをコントロールできる身体に戻れないのか」も説明してくれるのかも知れません。

・・・というわけで、続きます。


2010年08月31日(火) ステップセミナーのスピーカー決まる

こちらで案内している地元のAAのステップセミナー。
http://www.ieji.org/dilemma/2010/08/103-aa.html

ステップセミナーというと、何人かのスピーカー(話し手)に12ステップを割り振るパターンが多いように思います。ステップ1・2・3、4・5、6・7、8・9、10・11・12みたいな分け方。
これはこれで分かりやすくていいのです。例えばステップ4と5を話す人の棚卸しの話がまとめて聞けますから。けれど利点ばかりではありません。そのステップに至るまでの経緯も含めて15分や20分で話をまとめろというのは無理な要求で、時間切れで尻切れトンボになってしまうことも少なくありません。

今の日本のAAでは、ストーリイ形式で棚卸しをすませたら、その先のステップに進めなくなっている人が少なくありません。(まだ棚卸しをやるだけマシだという現実!)。そうなると、ステップ6・7から先は話せる人がぐっと少なくなってしまいます。僕のいる地区では、ステップを話せるメンバーの数が確保できないという理由で、ここ数年ステップセミナーは開催せず、自由テーマのオープンスピーカーズミーティングばかり開いてきた次第です。AAとしてステップを話せる人が少なすぎる・・・ってのは、これはかなり情けない状況です。

いや、まだ自分たちの実力不足を認識しているだけ良いか。某所のステップセミナーを聴きに行ったら、スピーカーが「僕はまだこのステップをやっていないので、別の話をします」と話し始めたのは驚きました。しかもそれが何人も。僕はいったいここに何を聴きに来たのか?と自問自答し、椅子に座りながら意識が空想の世界にかっ飛んでいってしまいました。昔スポンサーに言われた「できないことを、できると言うな」という言葉を思い出します。

というわけで、状況を打開すべく、うちの地区でもステップセミナーをやらねばならん、という話になりました。そもそもステップセミナーは、ステップを1から12までやった人が、その回復の喜びを伝えるためにやるものでしょう。だったら、12ステップを「ぶつ切り」にして聞き手に差し出すのはおかしい。人数は少なくなろうとも、1から12まで全部のステップを時間をかけて話しきってもらおうじゃないか、という企画になりました。

うちの地区は12グループあるので、いままでの地区のイベントでは、1グループから一人ずつスピーカーを差し出す?ことになっていました。自分のグループのメンバーでも良いし、よそのグループの人に話をつけてもいい。スピーカーを出せないグループのぶんは、県外のメンバーに話をしてもらう。というパターンでした。

今回は6人だけ。そのかわり12ステップをちゃんとやっているメンバーを推薦しろ、ということになりました。はたして推薦は集まるのか?・・・1回目の会議で自薦他薦7人の推薦が集まりました。しかもわりと若手が多かった。(ここでいう若手とは実年齢ではなく、飲んでいない年数の若さ)。それを見て「若い者にはまだまだ負けられない」と思ったのかどうかは知りませんが、2回目には「超先ゆく仲間」が4人も名を連ねました。

実は僕のホームグループでは、毎年県外の女性のメンバーにスピーカーを依頼しています(交通費負担のために献金をプールしている)。今年もそうする予定で、方々に頼んだのですが、ことごとく日程が合わない残念な結果となってしまいました。(結果としてスピーカーは全員県内の人間になりました)。

実行委員長の「自薦の人優先」の声で5人が決定。自分は12ステップを全部やっているから、その話を聞いてくれ、というメンバーが5人も出てきたのはいいことでしょう。残る1人もすんなり決まりました。もし人数が多すぎた場合にはどうするつもりだったのか、実行委員長にたずねると、「この場で誰が良い悪いという話をすれば、それはその人の棚卸しになってしまう。その場合にはくじ引きで決めるつもりだった」だそうです。さすがだ。

というわけで、いまからセミナーが楽しみです。

ちなみに、僕もスピーカーの推薦を頂いたのですが、辞退させて頂きました。他でも話をする機会を与えていただいているので、露出が多くなりすぎるのは良くないと思ったからです(日本人的横並び意識)。僕の他にも同じ理由で辞退した人がいたように思います。(だいたい1時間もらったって、全部のステップの話をするには相当忙しい)。

「自分はこのステップはやっていないので・・・」という言葉を聞かなくて済むステップセミナーです。飲んでいた頃どんなにひどい自分だったか正直に話せるのが良いスピーカーではありません。そこからどうやって回復してきたか。具体的に何をやってきたのか。聞き手に、ああ、自分もそれをやれば良くなるかも知れない。いや、なりたいぜ、できるはずだ、やり方をもっと詳しく教えてくれ、と思わせるのが良いスピーカーです。(と自分が話さないので、何とでも煽れるわけだ)。ご期待を。


2010年08月26日(木) 話す脳・書く脳

たまには雑記を更新しないと心配されてしまいます。

言語の能力には、聞く・話す・読む・書くの四つがあります。
このうちアウトプットのあるのは、話す・書くの二つです。

話すこと、書くこと、両方を立派にやり遂げる人もいますが、たいていはどちらかが優勢になります。僕自身は話すことは苦手で、どうせアウトプットするなら書く方を選ぶ人です。

精神病理学は、精神病患者の内面世界を探求する学問で、病気を治療することよりも、その構造を明らかにすることをめざしました。この学問はおもに統合失調症の人にインタビューすることで成り立ってきました。というのも、統合失調の人は書くことは苦手(表現が貧弱)でも、話すときの表現は豊かで、内面が探りやすいからです。

ところが、この手法は自閉症の人には役に立ちませんでした。自閉症の人は(高機能自閉症と呼ばれるIQ70以上の人でも)しゃべって自分を表現することが苦手だからです。というか、そもそも人間の相手をすることが苦手なんですけどね。そのせいで、自閉症の精神病理は長い間謎のままだったのです。なぜ学者たちが自閉症の人に文章を書かせてみようと思わなかったのか、そのほうが謎ですけど。

やがて、テンプル・グラディンとかドナ・ウィリアムズという自閉症の人たちの自伝が出版され、その内面が詳細に分かるようになってきました。実は自閉症圏の人たちは、話すことより書くことの方がずっと得意だったのです。

そんなことから、僕は人間の脳には話すことが得意な脳と、書くことが得意な脳の2種類があるのじゃないか、と思うようになったのです。仮に前者を「シゾイド脳」、後者を「アスペ脳」と呼ぶとします。

アスペ脳の人たちは、話すことより書くことを得意していて、自閉症的なものごとへのこだわり(頑固さ)があり、意識を注ぐ対象の切り替えが苦手で、共感する能力が薄いので孤独を好む。

シゾイド脳の人たちは、逆に書くことより話すことの方が得意。だからAAでいえば月刊誌BOX-916に投稿を頼まれるのはヤだけど、皆の前で話をしてくれと頼まれたら引き受けちゃうとか。頑固さが少ないかわりに、興味の対象が移ろいやすく、共感力が高いので孤独より人と一緒にいるほうを好む。

・・・などと書いているけれど、まあ一種のシャレなので、あまり本気にしてもらっては困るんですけどね。

もちろん、書くことが得意=アスペルガーとか広汎性発達障害でもないし、話すことが得意=統合失調なんてことがあるわけもありません。でもなんとなく「そういう傾向」を感じてしまうことがあります。人と接するときに、この人はどっちが得意かな、ということを考えてみるのもいいかもしれません。

注意しなければならないのは、長く話せるから話すことが得意ってわけでもないし、ブログのエントリが長いから書くことが得意とは限らないということです。(どちらかというと、長くなるのは下手な証拠)。アフォリズム(金言、箴言)と呼ばれる言葉は短いものばかりです。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加